第55話 とうとう時代の変化が…。

 診療所の周囲の地域は江戸時代、あるいはその前からの歴史のある地域であり、地縁血縁型の田舎型医療が行われている一方で、都心まで電車で15分程度という便利さから、都心ベッドタウン居住者が多く、都会型医療の二つを提供する必要があった。


 田舎型医療、というのは、曽祖父母が診療所にかかり、診療所で看取られ、今は祖父母が診療所に定期通院、あるいは訪問診療を受け、父母、そして自分たち夫婦が体調の悪いときに診療所を受診し、子供が調子の悪いときにも診療所にかかる、という、家族そろってかかりつけ、という医療である。これはまさしく家庭医療の在り方そのものであり、診療所はゆりかごから、とまではいかないが、ベビーカーから墓場までを守備範囲としていた。


 一方、都会型の医療は、医療資源の多い地域での患者さんの受診行動であり、子供の病気は小児科専門医へ、おなかが痛くなったら消化器内科専門医、頭が痛いときには脳神経外科専門医へ、と、病態によって受診する医者を変え、特定のかかりつけ医を持たないスタイルである。年を取ってくると複数の病気を抱えることが多く、何らかの形でかかりつけ医を持つことが多くなるが、若い世代は特定のかかりつけ医を持たず、それぞれの診療科の専門医クリニックに受診するパターンである。


 私たちが研修医になったころから、医療体制は破綻をきたし始め、

 「立ち去り型サボタージュ」

 が問題となってきた。急性期医療を担う医師が、医療訴訟やクレーマーの対応に疲れ果て、急性期の現場を離れ、自らの専門性をもとに開業し、よりよいQOML(Quality of Medical Life)を求める動きが盛んになってきたのである。


 そんなわけで、私が診療所に勤務し始めて数年後から、近隣にクリニックがたくさんできてきた。特にダメージが大きかったのは小児科領域であった。退職された小児科専門医の孝志先生が残っておられれば、全く話は変わっていたと思うのだが、孝志先生がいないので、診療所には小児科専門医がいなくなってしまった。


 小児科受診を必要とする年代のお子さんを有するご両親は、やはり専門医希望が強く、どうしても、小児科専門クリニックに患者さんが流れてしまう。ということで、近くに小児科クリニックが開業してから、極端に子供の患者さんが減ってしまった。


 また、診療所は内科・小児科・胃腸科を標榜していたが、胃腸科については、診療所が有床化したときに、理事長の上野先生が胃のバリウム検査、大腸のバリウム検査をしていたから、ということでつけたのであろう。その当時は、それで十分胃腸科を名乗るに十分な検査だったのだが、今の時代では、少なくとも胃カメラ(これは行なっていたが)、大腸カメラなどができなければ不十分であろうと思っていた。たぶん大腸カメラの経験があるのは私だけで、検査の技量としては不十分、胃カメラは私と源先生ができたが、私自身は早期胃がんの発見、という点ではもう一つ自信がなく、同じようにしんどい思いをするのであれば、specialistにお願いするのがいいと思い、悪性が疑わしい症例であれば、高次医療機関に紹介していた。

 この体たらくで少なくとも私が「胃腸科」を名乗るのはおこがましいと思っていた。


 私はプライマリケア医、総合内科医として、ベビーカーから墓場まで、適切に対応し、適切に専門医に紹介することができると思っていたが、そのような医者は(本当はすごく便利な存在なのだが)、都会型の専門医志向の医療を要求する人たちの中では生きづらい。小規模~中規模程度の病院で、広くどの患者さんにも対応できるHospitalistとして生きていくのが、都会では一番能力を生かしやすい。


 そんなこんなで、これまで上り調子で経営が続いてきた診療所も、転換点を迎えることになった。診療所の存在意義を自ら問わなければならなくなったのである。



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