第2話 1ヶ月の大型休暇

 九田記念病院を3月末で離れ、4月は有給消化とすることとした。本当は5月も有給消化としたかったのだが、診療所から、

 「ぜひGW明けから仕事を始めてほしい」

 とお願いされたので、それはしょうがない、と諦めた。九田記念病院の訪問診療、診療所の当直のバイトは続けたが、それ以外は久々の休みだった。


 とはいえ、新居への引っ越し、太郎ちゃんの幼稚園入園などイベントはたくさんあった。太郎ちゃんの入園式には夫婦そろって出席し、保護者用に用意された椅子も、普段園児が使っている椅子なので、

 「小っちゃくてかわいいなぁ」

と思ったことを覚えている。太郎ちゃんの幼稚園の送り迎えも何度もしたように記憶している。

 妻が子供たちと歩くときは、意識して子供たちの速度に合わせ、道端のちょっとした発見を一緒に喜ぶようにしている、と言っていた。妻は本当に子供たちのことを考えていたと思う。

 

 その一方、大変申し訳ないことに、私はついつい自分のペースで歩いてしまい、子供たちは手をつないでいても、お父さんに追いつくのに必死になっていた。いつの間にか、特に長男君は歩くのが速くなっていて、小さい体なのに、歩く速度は私と変わらなくなっていた。ただ、その速度は彼の速度ではなかったのだろう。登園路の四季の移り変わりを感じるほどの余裕がなかったのは確かだろう。それで私は常に妻に叱られていた。


 職場が変わり、転居をしたことで、一つ妻には申し訳ないことをしたと今でも思っていることがある。妻は結婚する前から

 「私、結婚しても仕事を続けたい!」

 と繰り返していた。九田記念病院で研修中も、妻はパートを見つけ、子供を保育園に入所させ、働き続けていた。私自身が当直の多い仕事で、家でゆっくりする時間もなく、どうしても「ワンオペ育児」となってしまっていた。それに対して彼女が強いストレスを感じていることもわかっていた。

 なので、彼女が子供から離れる時間を持ち、仕事を通じて大人の社会の中でのつながりを持つ、ということは彼女の精神衛生上もいいことだと思っていた(今も思っている)。


 実際問題として、彼女のパート代は月に数万円、子供たちの保育料は10万円以上と家計からの持ち出しの方が多かったのだが、それで彼女の気持ちが楽になり、子供たちに優しくなれるのなら、その出費はとても価値のある出費だと思っていた。また、彼女のおかげで、私も子育てに(ある意味強引に)参加することになったが、それも振り返るとありがたいことであった。彼女は2人の子育てと、1人の父親育てを立派にしていたのである。


 ところが、転居に伴いパートを辞めざるを得なくなった。仕事を探し、仕事をするには子供たちを保育園に入れる必要があるが、仕事をしていないと保育園には入れない。ということで、太郎ちゃんは市立の幼稚園に入園することになり、妻は専業主婦となってしまった。私の仕事で彼女の希望する人生を曲げさせてしまったことは申し訳ない、と思っている。


 さて、長期間の休みがあるので、一度遠くへ旅行しよう、ということになった。妻の希望は由布院温泉、計画では、妻と義母が先に1泊して、大人の旅を味わい、翌日に私が子供たちを連れて合流、それで1泊し、みんなで帰ってくる、という予定になった。


 妻が、九田記念病院時代に私と子供たちの接する時間をしっかり作ってくれていたおかげで、妻が先に出かけても、あまり子供たちは動揺せず、「おかあさ~ん!」と泣くことは全くなかった。私と一緒に、私が作った夕食を食べ、3人で並んで夜は眠った。私が真ん中で寝たので、「川」の字ではなく、「小」の字に寝た、というのが正しいのだろう。


 翌日も、子供たちの朝食を用意し、食べさせ、お出かけの用意をして、いざしゅっぱ~つ。次郎ちゃんはバギーに乗せ、太郎ちゃんと歩きながら駅に向かい、切符を買って新大阪駅へ。新大阪から先は切符と指定席券、特急券を前もって用意していたので、新大阪から新幹線で博多駅へ。その間のトイレはどうしていたか覚えていない。駅ごとに

 「チッチ行っとこうか」

と声をかけ、太郎ちゃんにトイレをさせ

 「ちょっと待ってて」

と声をかけ、私も用を足していたのだろうか?次郎ちゃんは自分でおしっこしていたのかな?まだおむつだったのかな?もう覚えていない。おむつだったら、どこかでおむつ交換をしていたはずである。小さい子供連れではトイレが大きな問題になるのだが、あまり記憶に残っていない。昼食をどうしたのかも、もう記憶に残っていないが、パンか何かを買って、子供たちに食べさせたのだろう。トイレも博多駅で済ませたのだろうが、よく覚えていない。


 博多駅からは「ゆふいんの森」に乗車した。由布院駅まで2時間近くかかったが、子供たちはおとなしく、流れゆく車窓を私と一緒に眺めていた。そして、大きなトラブルなく、由布院駅へ到着できた。義母と妻がホームで待ってくれていて、

 「何のトラブルもなく、無事につくとは思ってなかった」

 と驚いた様子であった。これは子供たちが賢かったからだろう。その後、その日の行程はよく覚えていない。とにかく少し街を散歩し、宿でお風呂に入って、部屋でくつろいで就寝したことぐらいしか記憶に残っていない。


 翌日は、家族みんなで由布院の街を観光したことを覚えている。途中でシュークリーム屋さんがあり、太郎ちゃんは自分で食べ、鼻周りをクリームだらけにしたことを覚えている(証拠写真あり)。その後「ゆふいんの森」号で博多まで戻り、確か車内で、由布院の街で購入したお弁当を食べたように記憶している。博多からは新幹線で大阪に戻ってきた。楽しい家族旅行だったことは覚えている。


 そんなわけで4月の1か月間を過ごし、GW明けから、いよいよ恩師上野先生のもとで、子供のころから通っていた診療所で、「医師」として働くことになるのである。


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