一口物語
夜之 呟
おはよう
おはよう
『まもなく、2番線に、普通――』
A.M.6:22。
待つ人の少ない片田舎の駅のホームに、本数の少ない電車が、今日もやってくる。
『――黄色い線の内側に、下がってお待ちください』
天気は良い。でも、透き通るような風は、少し肌に冷たい。
ポケットに両手を入れる。
――来た。
ふわっとホームの空気を押し出しながら、八両編成の電車が、目の前で減速していく。
―プシュー―
ドアが開いた。
こんな田舎の駅だ。しかも今は通勤の時間帯。降りる人なんて、一人もいないのはわかってる。
それでも、少し様子を窺ってから、車内に足を踏み入れた。
『2番線、ドアが閉まります。ご注意ください。』
アナウンスが流れ、ベルの音が響いた。
毎朝必ず乗るのは、前から二番目の車両。
最初は、降りるとき、改札が近い車両だからという理由だった。
1両目だと通り過ぎてしまうし、3両目以降だと歩く距離が長いのだ。
でも今は――
(いた)
――今は、君が理由になっている。
入って左、普段から見慣れてる制服に身を包んだ、小柄なセミロングの少女。
隣のクラスだからまだちゃんと話せていないあの子。
すぐ後ろで、ドアが閉じた。
混み具合はぼちぼちの車内。
君は、いつもと同じ“特等席”で、壁にもたれてすやすやと寝ている。
その横顔は、朝日にあたたかく照らされていて、いっそう視線が引き込まれてしまう。
電車が静かに動き出す。僅かな揺れはゆりかごのようだ。
まるで彼女をより深い眠りへと誘うように、カタン、コトンと揺れている。
僕はいつも通り入って来たのとは反対のドアの前で、リュックと大きな黒い手提げバッグを足元に置き、つり革が下がっている金属の手すりを掴んだ。
君は今、どんな夢を見ているのだろう。
耳につけたその白いワイヤレスのイヤホンから流れているのは、SNSで流行りの曲だろうか、おしゃれな洋楽だろうか、それとも——
あれこれ想像してしまい、恥ずかしくなって目を泳がせた。
君が気づいていないのをいいことに、僕は毎朝君を見ている。
気づけば、電車は9回目の停車をしていた。
君は未だに目を開く気配がない。
開いたドアからドッと入ってくるスーツ姿の大人たちともみくちゃになりながら荷物とともに流されていき、君の席の正面に漂着した。毎日そうだけど、決してわざとではない。…はず。
車内はすっかり満員だ。
それは、次が僕らの降車駅であることを知らせてくれる。
できるだけ窓の外を眺め、君を視界から追い出す。
そうでもしないと、たぶん息がもたないから。
しばらくじっと一点を見つめていたけれど、どうしても落ち着かなくて、ポケットから出したスマホのロック画面で時間を確認。
A.M.6:59。
スリープにして、黒い画面に反射した自分を見て、前髪を触る。
『まもなく、終点――』
車内アナウンスが、起きなよ、と君に呼びかけるけれど、君はぴくりとも反応しない。
やがて電車は徐々に減速をし始めて、ホームに滑り込む。
だから、こうして、今日も、仕方なく、震える右の人差し指の先で、君の肩につんと触れる。深呼吸する。
電車が完全に止まって、ドアが開いた。
「駅、ついたよ」
すると君は、潤んだ瞳を薄く開いて、じっとこちらを見た後、少し紅色に染まった頬をわずかに緩ませてこう言うんだ。
「おはよう」
いったい、どんな幸せな夢を見ていたんだろう。
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