25 動き出す関係

 翌日の12月21日。火曜日。今日からクリスマスイブまでの四日間はバイトの休みをもらった。入ってから働きっぱなしだったため休めとのことだ。


 でもそれを小田切さんに話したら年末にその分働かされるぞと脅された。少し怖いが今は休みを大事にしよう。


 学校は明日が終業式。今日は年内最後の一日授業だ。

 放課後を告げるチャイムが鳴ると他の階からは一足早い冬休みを喜ぶ声が聞こえてきた。明日は午前だけだし浮かれる気持ちもよくわかる。しかし受験が残っている人にとっては最後の追い込みが始まるわけで、三年生の階では誰一人として騒ぐ者はいなかった。


 いつも通り家や塾に向かっていく生徒がいる中、俺はいつも通り小冬が待っている教室に向かう。


「お疲れ小冬。明日で年内に会うのは最後かな」


 学校が無ければただの先輩後輩関係である俺らは当然会う機会がない。夏休みはこの教室を使わせてもらって勉強していたため小冬に会っていたが、冬休みは特別来る用が無いため『小冬』として会うのは最後になる。バイト先では『小夏先輩』と会うだろう。


「最後……。もう、来ない?」


 三学期になれば俺は自由登校になる。文字通り最後かもと考えたのかもしれない。

 ならハッキリ言う。濁さず、希望を持たせない方がいい。


「そうだね。もう来る必要無いから」

「そっか、必要……ない」


 俺の言葉の意味を理解しようと反芻する。

 落ち込ませてしまったかと思ったが小冬は元気だった。


「私も勉強して暖くんと同じとこ行かなきゃ。頑張る」


 小さくガッツポーズを作って勉強道具を取り出した。机に広げて一人で黙々と取り組む姿を俺は黙って見守る。シャーペンを握る手はいつもより力が入っていて何度か芯を折ってしまう。俺は見納めになるであろうその光景をしっかり目に焼き付けた。



 特に質問されることもなく一時間が経過。時刻は17時。

 今日はバイトが無いため家に帰ってもすることが無い。これを機に新しい趣味でも始めようか。なにか自慢できる特技の一つでもあった方がいいかもしれない。そう思って、ネットで『大学生 趣味』と検索しようとしたらスマホが振動した。新しいメッセージの通知が来たためタップしてアプリを起動する。母さんからだった。


【今日は帰り遅くなるから適当に外で食べてきて。お父さんも飲んでくるみたい】


 了解。と淡白なメッセージを送ると速既読が付いて、よくわからないデフォルメされた動物のスタンプが送られてきた。偏見だが世のお母さんのスタンプセンスは若者とずれている。本人は気に入っているらしいから指摘できないのだが。


 さて、どこに行こう。まだあまりお腹は空いていない。そして高校生の俺は一人で飲食店に入るのが恥ずかしい。うっかり知り合いにでも見つかったら翌日に噂されかねん。高校生はまだまだガキだからそういうところがある。大学生は一人で入れないと生きていけないなんて聞くが本当だろうか。大学生恐るべし。


「何かあったの?」


 マップを開いて近くの店を検索していると小冬が覗き込んできた。すっかりいつもの小冬として振る舞っている。明日で会えなくなると言ったが、バイトがあるからいいのかもしれない。……自意識過剰か?


「なんか今日家にご飯無いみたいでどうしようかなーって」

「一人なの?」

「そう。コンビニにするか店にするか迷ってる」


 最悪コンビニという手がある。でもせっかくなら外食チャレンジをしてみたい。成功すれば俺は一歩大人に近づくだろう。


「栄養摂らないとダメだよ」

「まあそうなんだけどね。料理するのは面倒なんだよ」


 バイトが無い日に自炊すると働いてる気分になって休んだ気がしないのだ。これは飲食店あるあるだと思う。


「一人暮らししないの?」

「あーそうだなー。まだしないかも」


 憧れはあるが家から通える距離に大学があるため、するなら学年が上がってからになるだろう。それに正直、自炊だけではなく洗濯や掃除までこなせる自信がない。今になって親のありがたみがよく分かった。


「じゃあさ……いい?」


 かすれた声の方を向くと小冬がノートで顔を隠していた。

 俺に何かを伝えたいようだ。


「ん? どうしたの、小冬」

「……」


 目が合うと逸らされた。黒目が右へ左へ動いて焦点が合っていない。


「いい?」


 単語すら言ってくれないから何がいいのかわからない。おどおどしてて傍から見ると俺が恥ずかしいセリフでも言わせてるみたいだ。しょうがない──


「きゃっ」


 小冬が小さく悲鳴を上げた。別にセクハラしたわけではない。ノートを奪っただけだ。


「ううう~~~ぅぅぅ」


 今度は手で顔を隠してしまった。指の隙間からお目目がこんにちはしている。もじもじしていて傍から見ると俺が恥ずかしい格好させて喜んでるみたいだ。


「急にどうしたの? 小冬のお願いだったら聞くから言ってごらん」


 怖がらせないように優しく聞いた。小冬とこんな風に過ごすのも最後かもしれない。だから万が一ツインテールにしろと言われてもやってやる覚悟がある。ギリ結べるはずだ。


「おうち……」

「おうち?」

「おうち、行ってもいい?」


 指が閉じられてお目目がおやすみなさい。そして俺の思考もおやすみなさい。

 俺の体は凍ったように動かなくなった。脳内が『オウチイッテモイイ?』の文字列で埋め尽くされる。目の前には白雪小冬の名に反する赤面した顔。それはもう可愛さと尊さの塊だった。今後、簡単に可愛いなんて口にできなくなるレベルの可愛さだ。それだけこの可愛い生き物は他とは一線を画す可愛さを持っていて、それはもう可愛い以外の語彙が出てこなくなるぐらい可愛いかった。可愛いと叫びたくなるほど可愛いくて背中に『小冬LOVE』と彫りたくなるぐらい可愛いのだ。何が言いたいかと言うと、小冬が可愛い!


 ……落ち着け、俺。戻って来い。


「えーっと、小冬。俺の家に来たいの?」

「ち、違う。じゃなくて……そう」


 直視できねえや。


「あのね、勉強教えて欲しいの」

「あ、なるほどね」


 俺は小冬のになると決めた。だからこれ以上男女の関係に発展させるわけにはいかない。俺が戻れなくなる。それに思わせぶりな態度をとるのは小冬が可愛そうだ。


「ダメ? 勉強したい」


 このまま小冬と過ごさない方がいい。それは正しい。しかし小冬は自分の将来と一生懸命向き合っている。先輩なら応援するべきではないのか? しかし勉強するならカフェとかファミレスでもいいはず。俺の家に来たいのはどうしてだ。

 ……いや、決まってるか。でもそれは……。


「小冬」

「は、はいっ」


 上ずった声だが顔は雪みたいに真っ白な色に戻っている。

 俺たちは家どころか放課後遊んだことも無い。学校で会うだけで学校が終わったら俺は帰って勉強していたからだ。そのため二人で放課後を過ごすというだけでそれは特別な空間になる。


 まして、誰もいない家で二人っきり。そんなのお互いに了承しているようなもの。

 家に上げるのは絶対ダメだ。本当に勉強するだけなら他の場所でもいいはず。

 よし、ファミレスにでも行こう。


「あのさ、俺の家散らかってるから──」

「私、片づけるよ」


 うそん。

 家に来る気満々だ。掃除してくれるってもうそういうことだろ。


「えっと、ご飯は──」

「作ってあげる」


 どうしても俺の家に来たいらしい。

 こんなに積極的なのは小冬らしくないが、やろうとしていることは想像がつく。

 なら俺も覚悟を決めよう。


「わ、わかった。じゃあ帰ろっか」

「うん!」


 俺が了承すると小冬は満足そうに顔をほころばせた。

 もし今日小冬が言葉にしたのなら、その時俺も答えを告げる。

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