【未完・連載終了】#こんにちは_はいいろ

奔埜しおり

1.出会い

 カラカラと音を立てて窓を開ける。

 敷居をまたいで、私はベランダに出た。


 個人練習をしているのであろう、不揃いな楽器の音。

 グラウンドから響く、掛け声。

 コートから聞こえてくる、ラケットが球を打つ音。


 教室のベランダに立っていると、それだけでいろんな音に包まれていく。

 そのくせにそれは遠くて。

 触れたフェンスからは、太陽のぬくもりを感じた。

 つま先立ちになって、手に体重を乗せる。

 ぐっと身を乗り出した、そのときだった。


「なにっ、してんだよっ!」

「えっ」


 痛いくらいの力で左腕を掴まれて、強制的に振り向かされた。

 そのまま教室内に引きずり込まれる。

 後ろ手に窓の鍵を閉めた彼は、じろっと前髪の隙間から鋭い瞳で私を睨んでいた。


「景色を、見てて」

「それであんなに乗り出す馬鹿がいるかっ!」

「ここに……」


 自分を指さしてへらっと笑えば、彼は苦虫を噛み潰したような表情で舌打ちをした。

 彼の顎を、汗が伝って落ちていく。

 激しく上下している肩から、彼が急いでここまで来てくれたことがわかった。


 ろくに会話をしたことも、ないのに。


「ここから落ちても下には茂みがあるし、高さ的にも失敗しちゃうよ」

「万が一があるだろ」


 低く唸るような声に一瞬言葉に詰まる。

 だけどすぐに、私は言葉を紡いだ。


「確かに。これからは気をつけるね。ありがとう、柳生やぎゅうくん」


 にっこり笑って返せば、柳生くんは驚いたように目を大きく見開いた。

 私は心の中で首を傾げる。


「変なこと、言ったかな?」

「いや……名前、知ってんだな」

「だってクラスメイトだもん」

「そう……だったな」

「逆に、柳生くんは私の名前、わかる?」


 見上げて問いかければ、視線をそらされてしまった。


「ふふっ」

「……なんだよ」


 吹き出した私を見て、柳生くんは唇を尖らせる。

 さっきまでのひりひりとした空気は、いつの間にか消えていた。


「まだ新学期始まったばかりだしね、仕方ないよ」

「……悪い」

「ううん、全然」


 話したことのないクラスメイトなんて、そんなものだろう。

 だからこそ、先ほどの彼の行動を少し不思議に思った。

 でも、それを指摘するのは相手にきっと失礼だから、私はそっと言葉を飲み込む。


「私は、田所たどころ未結みゆ。これから一年間、よろしくね」


 柳生くんは面白いくらい瞳をキョロキョロと動かし始める。

 どうやら戸惑っているようだ。

 それが少し面白くてじっと見ていたら、小さく舌打ちが返ってきた。


「……柳生やぎゅう晃太こうた


 吐き捨てるように言う彼に、知ってるよ、と返す。

 彼は極まりが悪そうな表情をすると、左手で頭を掻いた。

 そこでようやく、私の腕を掴んだままだということに気づいたらしい。

 慌てたようにパッと手を放す。

 じんわりと血が通っていく感覚に、相当強く握られていたのだとわかった。


「悪い」

「大丈夫だよ。助けようとしてくれたんだよね、ありがとう」

「たまたまだ」


 たまたま、汗をかくくらい急いで三階まで上がってくることなんてそうそうない。

 目に入ったからだとしても、例えばグラウンドから見えたのだとしても、そこから走ってあのタイミングで入ってくるのは不可能だ。

 だって、私がベランダに出てから彼がやってくるまで、そんなに時間はなかった。

 仮に、私が身を乗り出してから来たのだとしても、彼がここに辿り着くころには、私は落ちているか、教室に戻るかしていただろう。

 本当にたまたまこの教室の前を通ったのだとしても、廊下からベランダまでの距離であんなに息を切らすことも、汗をかくこともない。


 どうやって、あのタイミングでここに来たの?


 さっき飲み込んだ言葉が、また喉元まで出かかる。

 それをグッとこらえて、私はもう一度笑った。


「柳生くんは優しいね」


 彼は視線をさまよわせたあと、チラリと私の背後を見た。

 まるでなにかを睨むような視線に、思わずうしろを振り向く。

 開けっ放しのドアと、廊下。

 なんの変哲もない風景。


「そんなんじゃねぇ」


 ボソッとつぶやかれた言葉。

 視線を柳生くんに戻すタイミングで、彼は私の横をすり抜けていった。

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