最終章 ④

「ふぁあ」


 俺はそんなあくびのせいであんぐりと開いてしまった口を塞ぐように、手を口に当てる。なんでだろうな。昨日......っていうかここ最近の記憶があんまりないからぐっすり寝ていたものだと思ったのに、めちゃくちゃ眠いぞ。ところどころ頭痛もするし、目も痛い。

 様々な体の異変に小首を傾げながら、俺は自分の所属する二年三組の教室を後にして、ゆっくりと廊下を歩き始めた。目的地はもちろん情報処理室だ。我がトリカブト研究会に休みなどない。尚、連絡さえあればいつでも休暇は取れます。

 などと、どうせ誰も入ってこないというのに、どうでもいいことを考えていると、また睡魔が俺を襲ってきた。紫水には悪いが、今日は部室についてもずっと寝ている可能性が高い。......まあ、それはいつも通りのことなんだけど。

 そうこうしていると、俺の目の前には情報処理室の入り口があった。電気もついているようだし、紫水は先に来ているようだ。俺は引手に手をかけて、それを左にスライドさせるように開ける。そこまで新しい校舎ではないが故か、開けるときに少し引っかかりを覚えたが、大した問題ではない。勢いよく扉を開けきった。

 とりあえずいつもの指定席に直行.........と、思ったが。


「おい紫水、そこ俺の席だぞ」


 なぜか紫水は、俺の席で、顔を突っ伏して眠っていた。

 しかも、それだけではない。


「なんで泣いてるんだよ.........ってか、何持ってんだお前」


 紫水は、俺の指定席で眠っていただけでなく、その華奢な肩を小さく震わせていた。ただ寒くて震えているのではないかとはじめは思ったが、どうやらそれは違うらしい。紫水は常に震えているわけではなく、ある間隔ごとに、肩を持ち上げるようにして震えているのだ。しかも決定的なことに、その度に嗚咽まで漏らしている。

 まあでも、俺の声に反応しないのでは仕方がないと思い、俺はもう一つ気になっていたことを確認することにする。紫水が握っているそれを、まじまじと見つめた。

 これは.........しおりか? 作りは丁寧だが、ラミネートの加工や押し花の具合なんかを見ると、一般人が個人的に作成したものと見える。

 まあでも、これはこいつが泣いていることとは関係がなさそうだな。そう思い、俺はひとまずカバンを机に置いた。そのとき、別に覗き見するつもりはなかったのだが、俺の視界には、ちらりと紫水のスマホの画面が映り込んでしまった。

 スリープモードにはされておらず、その画面には、ブラウザでとあるページが開かれていた。花の名前の隣に一単語が書かれていて、それが延々と羅列されているものだ。あまり詳しいことは知らないのだが、これは俗にいう花言葉というやつなのだろう。

 暇を持て余していた俺は、ほんの興味本位で、こっそりと紫水が今何の花言葉を調べていたかを見てみる。スマホの画面にはたくさんの花の名前が並んでいたが、俺は彼女がその中のどれを見ていたのか、分かった気がした。

 河津桜。早咲きの桜で、普通の桜よりもはっきりとした桃色が特徴のものだ。そしてそれは、今紫水が手に握っているしおりに押されている花とそっくりだった。

 まあ、飽くまで俺の憶測だから、それが正解とは限らないが、またいつか本人に聞いてみたらいいだろう。して、肝心の花言葉はと言えば。


「『思いを託します』か.........」


 なんだか妙に重たい内容の花言葉だった。もしかしたら、件のしおりは誰かに贈られたものなのかもしれない。何があったのかはとても気になるし、優しい言葉の一つでもかけてやりたくなったが、無理やり顔を上げさせてそれをするのは違うだろうということで、俺は、一度情報処理室を後にした。

 まあ、後にしたとは言っても、遠くに行く気はさらさらない。寒気に曝されながら、部室の前で黄昏れるだけだ。そして、部屋の中で人が動く気配が生まれたら、その時に戻ればいいだろう。

 そう思いながら、俺は窓のフレームに頬杖をつき、そのまま全体重を預け、目まぐるしく人が動く外を眺めた。

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