第八章

第八章 ①

「.........やってしまった」

「うん? どうかした?」

「いや、何でもない」


 俺は、隣を歩く悠姫に対してそう誤魔化す。まあ、正確に言えば何もないわけではないが、悠姫に話しても解決しそうにはないので特別間違っているわけでもない。

 というのも、昨日、俺は悠姫に対して抱いている未練を見つけ出すということをしなければならなかったのだが、それをまともにすることができていないのだ。もちろん、食事などの時間以外は極力そのことを考えることはしていたが、それでも足りなかった。

 しかも、悠姫から今日のことについての連絡が来てからは、そっちに意識が行ってしまい、まともに考えることもままならなかった。もっと危機感を持たなければならないということは自分でもわかっていたのだが、本当に久しぶりに二人きりで出かけるのだ。そうなってしまったことも仕方ないとも言えよう。

 まあ、終わったことをとやかく言ってもどうしようもないのだが、昨日の自分は面倒臭いことをしてくれた。おかげで、今日の俺が悠姫とのデートを楽しめないではないか。と、俺は心の中で自嘲してみる。

 しかし、こんな思考も、焦りを楽観的思考によって脳を麻痺させているだけに過ぎない。しょうもない軽口をたたいていられるのも今のうちだと、自分で自分を繰り返し叱責する。

 悠姫とまともに接していられるのは今日明日しかない。へらへらと笑っていられる時間はどこにも残されていないのだ。そうとだけ自分に言い聞かせると、俺はとりあえず、この件について考えるのを止めた。

 と、ちょうどその時。


「あっ! あそこら辺じゃない? 綺麗......」


 隣を歩く悠姫が遠くを指さす。そこに見えるのは、大きな川を挟むように連なっている桜たちだった。


「おお.........」


 あまりに雅な光景に、俺も思わずそう言葉を漏らす。気持ち下に垂れているその桜たちは既に満開で、概算二百メートルはあるであろう俺たちがいるところから見ても、とても美しく見えた。

 ちなみに、ここ一連に咲く桜は河津桜と言って、二月から三月に満開を迎える早咲き桜の一種らしい。加えて、通常のソメイヨシノに比べ、花弁の桃色が濃いという特徴もある。

 ......と、言うわけで。俺と悠姫の最初で最期のデートは、早咲き桜の花見ということになった。一昨日言っていた通り場所は悠姫が決めたのだが、何故桜なのかということは聞けていない。まあ、別にどこか行きたい場所があった訳でもないからいいんだけど。


「おい、悠姫。こんなところで突っ立ってないで、もっと近くで見ようぜ?」

「......ん? あ、ああ。そうだね」


 どうやら、悠姫は桜に見惚れていたらしい。俺が声をかけると、気持ちさっきよりも早足で歩き出した。俺も、それについていく。だが、悠姫の早足と言っても高が知れている。俺は、ほんの少しだけ大股で歩き、悠姫の隣を行くような形をとった。


「......それにしても、どうして桜なんだ?」


 歩き始めて一分もしないうちに、俺は黙々と歩く悠姫にそんなことを問うた。すると悠姫は、今日の目的でも思い出したのか、歩くペースを元の通りにまで落としてから答える。


「......そーだねー。なんか遊びに行くっていうより、私は詩遠とお話がしたかったからって感じかなあ」


 なるほど。まあ、俺は間を持たせるために話題を振っただけだからその答えには特に興味はないのだけれど.........こいつ、何か隠してるな? 答えながらこちらを見るフリをして様子を伺っている悠姫を見て、俺はそう思った。こいつが嘘をつく......というよりは、何かをはぐらかす時の癖は、やはりこの身体になっても健在なようだ。

 答えるまでに妙な間が存在し、語尾が長音気味になる。そして、それらの行動をした後は、決まって相手の様子を伺う。正直、ここまで誤魔化しが下手な人も少ないだろう。初対面の人でさえ見抜けそうなものだ。本当に十数年来の付き合いである俺が見抜けないとでも悠姫は思っているのだろうか。この際だ。これも聞いてみよう。


「なあ悠姫。それ、きちんと誤魔化せているとでも思ってるのか?」

「.........あ、やっぱりバレてる?」


 ということは、今までは指摘してこないからバレていないという理論を振りかざしていたわけか。タフネスな精神ですこと。

 本当に今更だが、真実を教えてあげることにしよう。


「ちなみに、俺は最初から何か誤魔化しているなと思っていたからな」

「え? マジ!?」

「......それで、桜を見に来た理由はそれだけじゃないんだろう? 一体何があるんだ?」


 悠姫のオーバーリアクションは敢えて無視して、話を進める。そうこうしている間に、片側の土手のそばに着き、視界はそよそよと吹く風で一律に揺れる桜並木で埋まっていた。だが、悠姫は一旦それは無視して、俺の質問を優先させる。


「実は、蘭ちゃんにプレゼントをあげたいの」

「プレゼント? 桜が関わっているということは......ああ、押し花でしおりでも作ってやるのか」

「......なんで分かったの?」

「これでも紫水とも付き合いは長いからな。少なくとも、あいつが本好きだってことぐらいは知ってる」

「......言われてみれば、そうかも」

「でもそれ、別に桜じゃなくても良かったんじゃないか? それこそ......そう、梅なんかなら今でも咲いてるだろ」

「花言葉があるの」

「花言葉? どんな」

「............さあ?」

「お前、今からでも誤魔化し方の練習をした方が良いんじゃないか」

「と、とにかく! 今は知らなくていいの」

「いつだったらいいんだよ」

「そうだね......せめて、お彼岸くらいまで。その時には多分......大丈夫」

「彼岸って......まだ一か月以上あるじゃねえか。というかさ、これが収束した後、俺の言い伝え中の記憶が極限まで薄くなるってことは話したよな」

「じゃあ、頑張って思い出せ! そうしたら、知っていいよ」

「んな無茶苦茶な......」

「ふふ......」

「なんだよ」

「なんやかんや言って詩遠は優しいね」

「? 何言ってんだ急に」

「今この瞬間、詩遠はスマホで桜を一生懸命に撮ってるから」

「馬鹿言え。桜を撮って何が優しいんだよ。地味に高かった電車代を考えたら、数十枚の写真じゃ足りないだろうさ」

「そっか。...............ねえ詩遠、一緒に自撮りしようよ!」

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