第七章 ⑤

「『この恋に気づいて』」


 目で追っていた文章と、私が発した言葉がシンクロする。

 そして、それと同時に、私は二つの事実に思わず息を呑んだ。

 一つ目は、私が詩遠を好きだということを知っていたということ。

 そしてもう一つが、蘭ちゃんも詩遠を好いていたということ。

 ......確かに、もともとは私と詩遠の二人で部活をしていたわけだし、そう思うのも何ら不思議なことではないのかもしれない。後者の方も、そんな仲間内の部活にわざわざ入部してきたということはそれなりの事情があるのは歴然だろう。

 我ながら洞察力や想像力が乏しいなあ。と、苦笑いを浮かべていると、ふと頭の中に疑問符が一つ。

 蘭ちゃんがうちの部活に入ってきてくれた理由は大体わかった。詩遠のことが好きで、トリカブト研にいると知ったからだ。けれど、詩遠は蘭ちゃんとの面識がないと自分の口から言っていたはず。

 蘭ちゃんの入部に関する話は詩遠と何度かしたことがあるが、すべて謎のまま話は終わっていた。詩遠が私に何かを隠していたら話は別だけど、詩遠はなんやかんやそういうことをする口ではないと、私は信じている。

 となると、やはり謎のままで終わってしまうのだろうか。薄々そんなことを思い、仕方がないと思いつつも、やはり真実が気になり、日記を読む手を止めてまでうんうんとうなっていると、ふととあることを思いついた。

 私はそのページを開いたまま日記帳のvol.2を裏向きで机に置き、さっきまで読んでいたvol.1の方を再び手に取りパラパラとページをめくった。

 さっきはそこまで気にしていなかったが、もしかしたらどこかしらに詩遠に関する記述がされているのではないだろうか。そう思い、私はさっきも読んだ文面を注意深く読んでいく。

 .........しかし。


「見つからないなぁ」


 それから更に小一時間が経過し、私の集中力はついに限界を迎えてしまっていた。

 何回か読み直したりもしたが、やはり、どこにもその記述はなかった。


「......日記にも書けないほどのトップシークレットなのかな。......なんてね」


 そもそも、日記帳なんて誰に見られるわけでもないのだから、書かなくても何らおかしくない。というか、何ならそんなことをいちいち書いていた方がおかしいだろう。

 しかし、それでも私の疑問には一応答えを出しておきたいので、この件は蘭ちゃんにとってのトップシークレットという結論で解決ということにする。

 まあ、どっちにしろ、そんなことをただの部活の先輩後輩という関係である私が知ろうとしているのは、あまりにも気持ちが悪いなと、少し反省する。

 私は小さく息を吐いてから突っ伏すような形になっていた姿勢を正し、先ほど読んでいたvol.2を読むことを再開した。最初のうちは内容を忘れかけていたが、少し読むと、大体のことを思い出した。


『白色と、ピンク色の花びらをそれぞれ選んだのもそう。

 白色が私で、ピンク色が、金村先輩。それぞれの想いを、あの人に向けて。

 ......まあでも環先輩は鈍感だから、気づくのは枯れた後になってしまいそうだけどね。』


 それに関しては私も全力で同意したい。恋愛事に関係なく、詩遠は何もかも鈍感だ。むしろ、わざと分かっていないふりをしているのではないかと思うほどに。


『だけど、枯れてしまったら、またリナリアを何度でもあそこに飾りたい。環先輩が気づくまで。なんなら、ピンク色だけでもいい。金村先輩の想いは絶対に、気づいてもらわなければならない。想いを伝えきれないままにその事実が忘れていくなんて、たとえ金村先輩が恋のライバルだったとしても、私は絶対に嫌だから。

 そのまま誰の心からもその想いが消えたら、きっとそのピンク色のリナリアの花言葉は、『幻想』となってしまう。

 ............それで、もし金村先輩の想いが環先輩に伝わって、それが環先輩の心に焼き付いたならば、私の想いも、届けたい。たとえそれが、いつになったとしても。』


「..................なんで?」


 人工的な白々とした光に支配された部屋の中で、その声は、ポツリと漏れた。

 それはまさに、突然降り始める雨の予兆ように。


「なんで蘭ちゃんは.........」


 ポツポツと、雨が降り始めた。

 少しずつ、嗚咽も漏れ始める。ノートを持つ手に少し力が入り、端っこの方にしわができてしまう。


「.........なんで蘭ちゃんは、そこまで私に優しくできるの............?」


 蘭ちゃんは、もしかしたら、私の知らない場所で詩遠との面識があったのかもしれない。

 けど、私は違う。

 私と蘭ちゃんは、ただの部活の先輩後輩という関係。ましてや、自ら恋のライバルだとすら日記帳に書いていたぐらいなのに。

 それなのに、なんで? なんでなの?

 なんで、生きてすらいない私の恋路を応援するの......?

 しかも、私が詩遠に想いを寄せているというのは、蘭ちゃんの中では推測でしかない。どのような情報源からその結論に至ったのかは知らないが、少なくとも私は、一言たりともその気持ちを口外していないはずなのだ。.........いや。私がヘタレなせいでできなかっただけと言ったほうが正しいんだけど。

 依然として、涙の雨は弱くも降り続いている。手元に温かい水の珠が、ぽたりぽたりと滴り落ちてくる。

 私の心の中では、様々な感情が複雑に絡みあっていた。

 単純に、私のことをここまで想ってくれていたことに対する、嬉しさ。

 しかし、何故ここまで想ってくれるのだろうという、疑問。

 そして、こんなにも良くしてくれているのに、もう私にしてあげれることはないという、悔しさ。


 ............いや、本当に、そうだろうか。

 様々な感情が交差する中、私の脳が呈したその疑問が、それらの感情を断ち切る。

 よく考えろ、私にできることが無いなんて、そんなことはないのではないだろうか。

 私はもう既に死んでいる。詩遠の涙や、蘭ちゃんの日記からそれはもう信じた。けど現実、私は今この時この場所で息をして、前を見て、思考することができている。

 まだ、今私と蘭ちゃんの身に何が起こっているのかは分からない。しかし、今の段階から『何もしてあげることができない』と匙を投げるのは、諦めが早すぎるのではないだろうか。 

 そう思うと、私はいてもたってもいられなくなった。 

 私は椅子を引き、勢いよく立ち上がる。

 そして、目についた羽織ものを手に取り袖を通し、自室を後にして、階段をとたとたと忙しい音を立てながら降りる。

 されど、蘭ちゃんのお母さんに見つかっては面倒なことになりそうなので、階段から玄関へと通ずる廊下では、泥棒よろしく抜き足差し足で足を進めた。

 靴を履いてしまえばもうこっちのものだ。私は玄関ドアにある二か所の鍵を素早く開けると、無駄に分厚いドアを勢いよく開け、その瞬間駆けだす。後ろから、聞きなれていない聞きなれた声が聞こえたが、無視。私は街灯と住宅の明かりだけが灯る住宅街を颯爽と走り抜けた。

 いつもだとひりひりとするほどに冷たい冬の夜の風も、熱くなった目頭の温度と相殺されて、今はもはや気持ちがよい。

 そして、疲れることすら忘れて走り続けること十数分、いつも学校まで行くときに利用している駅に着く。

 時計なんて全然見ていないから今が何時かはわからないけど、駅の出口や改札口からは次々とスーツを着た社会人や制服を着た学生が出てくる。その様子から見るに、おそらく現在時刻は二十時くらいだろうか。

 私は人の波を掻き分けるように逆行し、改札口へと向かう。

 そして、ポケットからスマホを取り出すと、それを見向きもせずにセンサーへとかざした。勝手にお金を使ってごめんねと心の中で蘭ちゃんに謝りながら、一番乗り場の階段を駆け下りる。

 そして、ちょうど停車していた電車に飛び乗る。

 その数秒後、その電車の扉は閉まった。どうやらだいぶぎりぎりだったらしい。

 電車が動き出したことを確認すると、私は小さく息を吐いた。今まで走ってきたことの代償だろうか、はぁはぁと息も絶え絶えになる。やはり運動部に入っていない女の子の体ではあまり体力はないらしい。.........まあ、私が言えた話ではないのだけれど。

 この時間帯からこの方面の電車に乗る人はいないのか、幸い周りにはほとんど人は居なかったので、その状況に甘えさせてもらい、シートに座り込むと思いっきり深呼吸をし、不足していた酸素を取り込む。

 それにしても、久しぶりに走った気がする。私はもともと体が弱く、医師からも過度な運動はしないようにと止められていた。学校の体育の授業も簡単なものには参加していたが、持久走なんかになると見学を強いられていた。

 そして、息が整ってくると、早くも目的の駅へと着こうとしていた。二駅とはいっても、そこまでの時間は要さないようだ。私は気持ちが急いているのか、無意味なこのであるということは理解しながらも、到着する前に席から離れドアの前にスタンバイする。


『——次は、新陽星、新陽星。左側の扉が開きます』


 そんなこんなしていると、目的の駅への到着を知らせるアナウンスが入った。ここからさらに三駅ほど先へ行くと学校の最寄り駅となるが、今は別に学校へ行くために電車に乗ったわけではなく、詩遠の家に行くために来たので、その最寄り駅であるこの新陽星駅で降りる。

 この駅の付近は割と開発されている町となっているので、周りの乗客も、ほとんどの人がここで降りた。......とはいっても、もともとここまで乗っていた客の数なんて都市部に比べれば知れてるけれども。

 見知った駅へと到着すると、なんだか無性に緊張してしまう。

 しかしここまで来て怖気づくわけにもいかないので、周囲の目を盗んだ隙に、少し小さめの深呼吸をすると、そのままの勢いで改札を抜けた。

 駅を出ると、少しだけ飲食店やスーパー、その他店が並んでおり、それらを五分も歩き続けると、割と新しめな住宅街が姿を現す。

 朝にもここを通ったが、その時とはまるで雰囲気が違う。子供たちの活発だった声も、今では家の中で息を潜めていた。

 そんな中、歩き続けることさらに約三分。私は目的地である環宅へとたどり着いた。

 チャイムを鳴らすと、数秒で反応があった。これは、心の底から聞きなれた声だ。なんだか私がここに来たことに驚いているようだったけど、そんなことはどうでもいい。私は、詩遠に玄関先まで出てきてもらうように頼む。

 少し戸惑いながらも、何かを理解した様子で詩遠は「わかった」とだけ答えた。すると、インターホンはぷつりと切れる。

 それから約十秒後、玄関のドアは開かれる。

 私は、詩遠の顔が見えた瞬間......いや、見える前から、開口一番に、こう言った。


「ねぇ、詩遠。今起こっていることの全部、全部を教えて」

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