midnight4②
店内から音が消える。
「私の事情なんて何一つ知らないくせに、勝手なことを言わないでください。表社会は、罵声とも暴力とも無縁だと? あらゆる苦しみは時間が解決してくれると? 私だってね、生半可な気持ちで罪を犯そうとしているわけじゃないんですよ。それは、自らの裏の顔をひた隠しにしているあなた方が、一番よく分かっていると思います。いまさら何を言われたって、私はあの女を、あの女だけは――」
その時になってはじめて、彼女が暴力的な視線を向ける。その瞳は、奥底から湧き出る憤怒と怨念と敵意に穢され、真っ黒に塗り潰されていた。
「すみません。長々と戯言を……傲慢でしたね」
最後の一言、ヒステリックな衝動を結んだそれは、あまり脈絡のない台詞だった。吐息に滲む確かな背徳感と、それを凌駕する切実な祈り。心の弱い部分を突かれた気がした。
「お前さんの苦悩と心痛は察する。とりあえず座れ、話ぐらいは聞いてやるよ」
望月はテーブル席の椅子を引くと、優しく女をエスコートした。類がキッチンに伏せてあったグラスを手に取る。言われるがまま腰を下ろす女。望月も向かいの席に滑り込む。
至極緩やかな動きで、彼がテーブルに両肘をついた。
「さっきあんたが言っていた、あの女とやらが、今回のターゲットだな」
「はい」
「名前は」
「……芹沢澪」
望月は、思わず目を見開いた。芹沢澪といえば、ポップカルチャーに疎い俺でも知っている、あの人気女優じゃないか。モデルやタレントとしてもよく見かけるし、自身の芸能事務所を経営する才女としても有名だった。
「どうして大人しそうなあんたが、芸能人殺害なんて物騒な真似を?」
「私、実は彼女のマネージャーなんです。もっといえば幼稚園児からの幼馴染みで、あの女の本性は身に染みて知っています」
「なるほど、因縁があるわけだ」
カラン、と涼やかな音を立てて、冷たい烏龍茶が差し出される。左隣に類が並んだ。
「でもお嬢さん、そしたらなんで、嫌いなやつとずっと一緒にいてあげてるんだ?」
類の質問を受け、女に視線を向ける望月。彼女はきゅうっと苦しげに瞳を閉じた。
「できることなら、何もかも捨てて逃げ出してしまいたかった。でも家族を養わなきゃいけないし、第一、あの女が私を離してくれなかったんです。どこへ行くにも私を連れ回して、あからさまな嫌がらせをしてくる。下僕は暴君に逆えるはずもなかった――そう、あの女は女帝なんです。彼女が社長になった時だって、実際は前社長を追い払って、無理矢理その座を奪ってしまっただけなんですから。そのせいで、私がどれだけ厭みを言われたことか……」
女の腕に、強い力がこもるのが分かった。丸く小さなその膝の上で、固く、きつく、拳を握り締めているのだろうか。
「そういやあんた、名前は?」
「え、あっ長谷桃子です。自己紹介もせずにすみません」
腕の力みが緩まる。
「それじゃあ長谷さん、最後に一つだけ聞かせてくれ。あんたにとって、芹沢澪殺害は何を意味するんだ」
望月はそう言って、例の特注コースターをつまみ上げた。絵柄の表と、白紙の裏。それを交互に掲げて見せる。
結露が一滴、したたった。
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