はる、ドライブに行こう!
tk(たけ)
第1話 はる、ドライブに行こう! 前編
よし、大丈夫だろう、行こう
「あっ」 ストップ!
うーん、ちょっと擦ったかな…
陽(はる)は降りて確認するかどうかためらった。もし降りて見に行けば、誰しもが接触したのではないかと想像する。一方でこのまま走り去れば誰にも気付かれないだろう。
陽は若葉マークこそ卒業したものの運転に絶対の自信を持っている訳ではない。さっきはつい大丈夫だろうと前に進んでしまった。しかしこんなことなら一旦バックしてやり直せばよかった。
後悔、先に立たずだな……
こすったかどうかはともかく、通り抜けることは出来たので、このまま走り去ってしまっても大丈夫だと思うのだが、陽はそういうことが苦手だった。
そこへ誰かが駐車場へ入ってきた。相手の車の運転手のようだ。駐車スペースから出る途中だった陽の車が、彼女の車に対して斜めの状態で止まっている。一時停車する位置としてはかなり不自然な状態だった。自然と疑わし気な視線を陽の車に向けてきた。
陽は無意識に車を降りると相手に近づいていった。
「あのっ、すみません…車こすっちゃったかもしれません」
何でもつい「すみません」から話を切り出してしまうのは、陽の悪い癖だった。謝罪している訳ではないのだが、場合によっては非を認めたように受け取られてしまう。
「えっ、そうなの?」
「この辺りなんですけど」
陽が指出した辺りに近づくと、彼女はじっくりと念入り見た。
「私の車は大丈夫みたいよ」
車を触りながら彼女はそう言った。
「あなたの車はどう?」
「えっ、あっ、はい」
私も慌てて車に触ってみた。
確かにささくれ立っていたり、ざらざらしたり、塗装が剥げているような傷はない。
「私の車も何とも無いようです」
陽はそう答えた。
「良かったわね、お互いに何ともなくて。もし擦られていたら、ただじゃ済まさなかったわよ」
「えっ!ごめんなさい…」
陽は腰を深く折って謝罪の言葉を口にした。
「ふふっ、冗談よ。そんなに怒らないし、もしもの話なんだから謝罪は無用よ」
「はい、すみません」
「ふふっ、あなた口癖になってしまっているのね。連絡先と名刺の交換をしましょ」
「えっ、はい」
陽は名刺入れから名刺を取り出し挨拶をした。
「西川 陽(はる)と申します。よろしくお願いいたします」
「私は藤澤 真琴、裏にプライベートの連絡先を書いて交換しましょう」
えっ?プライベート?
「どこか不調を感じたら連絡するからよろしくね」
少しおどけたような口調で彼女は続けた。
そういうことか、プライベートの連絡先を交換するなんて驚いたけど、彼女にとっての備えなんだ。
「じゃあ、西川さん。この後の運転も気を付けてね」
藤澤さんは颯爽と車に乗り込んだ。彼女の馴染んだ動きにカッコよさを感じて私は羨ましく思った。しかし、こちらを見ている彼女を見て気がついた。慌てて邪魔にならぬよう車を前に動かし彼女の車の通り道をつくった。その横を彼女の車は軽快に出ていった。
何だか彼女はカッコよくて素敵な女性だった。今では彼女に会えて幸運だった気がする。
私は少しの間、彼女の立ち振る舞いを思い出しながら、ポワポワと浮いた気分でいたが、この後の仕事のことを思い出し次のお客様へ向かった。
その後の仕事はいつも以上に順調に進み、普段より多くの注文を得ることが出来た。ただ事務所に戻ってからは受注処理に追われたので、残業が終わったのは二十二時を過ぎていた。
これから事務所を出て帰宅するのだが、今日は車で帰るか、それとも電車で帰るか迷ってしまった。陽の事務所では社用車での通勤が許可されている。もしこの時間帯に車で帰宅すれば、早く着くし歩かずに済むので楽だった。しかし、明朝は渋滞を見込んで電車よりも早く家を出なければならない。
同僚の多くは車通勤をしている。一人一台の専用車で、日中も使用するので自分好みの空間に仕立てている同僚は多い。陽もドリンクホルダーは使い勝手の良い位置に後付けした。しかし普段の通勤は電車だった。
今日は格好よく運転する彼女を見てしまい、自分もそんな風になりたいという憧れから生まれた迷いだった。
結局いつもどおり電車を選び、途中のコンビニでサラダとおにぎりとカップスープを買って夕飯にした。テレビを付けながら一人で夕飯を食べていると彼女―藤澤真琴さん―のきびきびとした言動を思い起こした。ああいう人はうちの事務所には居ないなぁ。テレビの中にいる美人キャスターみたいだったな。
週末の金曜日、陽はいつもどおり仕事に追われていた。入社二年目の春。一年間働いたことで、一連の仕事を覚え、ようやく少し先が見通せるようにはなっていたが、肝心のお客様対応がまだ覚束ないので、一人前の営業担当者と認めてもらうには足りていかなった。もちろん、陽のことを気に入ってご贔屓(ひいき)にしてくれるお客様も出来てはいたので、陽は陽なりに楽しく精いっぱい働いていた。
陽は午前中のお得意様回りを終えて、車内で音楽を聴きながらお弁当を楽しんでいた。するとメールが着信した。ディスプレイを見たが差出人に見覚えがない。仕方がないので一旦お弁当を膝の上に置くとメールを開いた。
『藤澤です、今日会えませんか』
驚いた。まさか数日経ってから連絡が来るなんて。最初に頭によぎったのは車の不調だった。あの後、どこかが外れてしまったり、何かがあったのだろうか。だが今更言われてもどうすればよいのかわからない。仕方がない、用件を聞いてみよう。
陽は返信を書いた。
『お車に不具合等ありましたでしょうか』
すぐに返信がきた。
『無いよ、大丈夫、あなたに会いたいだけ』
車の話では無いことがわかり安堵したが、私に会いたいってどういうことだろう。改めて貰った名刺を見てみるが仕事上の接点は感じない。業界も違うし、業種も異なる。年齢も向こうのほうが上だと思うし、藤澤さんには肩書が付いている。動機が不明だ。とは言っても私にも会いたい気持ちはある。事務所には居ないタイプの先輩に会って、お話がしてみたいという憧れの気持ちだろう。
『ありがとうございます、待ち合わせはどうなりますか』
会いたいという言葉へ御礼の言葉を述べつつ待ち合わせについて確認をしてみた。
『渋谷駅に十九時でどう?』
渋谷に十九時、それなら間に合わせられる。
『大丈夫です、よろしくお願いします』
『じゃあ、またあとでね』
すぐに返事が来て、待ち合わせが出来てしまった。何だか期待と不安が入り混じった気持ちだ。そういえば私の今日の服装ってどうだろう。子供っぽくないかな。普段よく着ているパンツスーツだけど事によるとあの日と同じかも…。
陽はお弁当をかきこむとメイクのチェックをし、午後の仕事の準備をした。
陽はメイクを直し、ブラウスの襟元を整えジャケットを羽織ると事務所を離れた。
ここから渋谷駅までは三十分程度、待ち合わせ時刻より早く到着出来そうだ。出来れば先日のお詫びに何かかさ張らない物を渡したい。移動の電車内で消え物がいいか、それとも雑貨の小物がよいか考えていた。
あれやこれやと考えているうちに渋谷へ着いた。陽はギフト雑貨を扱うコーナーへ行くとサッと一回りした。しかし目ぼしい物が見つからない。うーん残念だけど趣味が分からないと雑貨はちょっと難しいかな。そこで洋菓子売り場へ移動すると美味しそうなフィナンシェを買い、これを渡すことにした。
スタスタと少し急ぎ足で待ち合わせ場所へ向かうとまだ十分前だった。藤澤さんはまだ来ていないようだ。すると彼女からメールが届いた。
『お疲れさま。そこから見えるカフェにいます』
見回してみると通りを挟んだ向かい側のビルの二階にカフェがあり、窓側の席から手を振っている人がいる。あっ!、藤澤さんだ。私も小さく手を振るとそちらへ向かって歩いた。
「お疲れさま、今日はありがとう」
店内に入り、そばまで行くと私に気付いた彼女はそう言った。
「いえ、ご連絡くださり、ありがとうございます。先日は申し訳ありませんでした」
私がそう言うと彼女は笑みを浮かべ、「だから謝ることじゃないって」と言った。
私はバッグからさっき買ったお菓子を取り出し、「これ、食べて下さい」と渡した。
彼女は少し不思議そうな顔をしたが、「ありがとう」と受け取ってくれた。
今日も彼女は綺麗だった。大人な雰囲気のワンピースを着ていてチャーミングだ。
正面に座った私は少し気恥しい。カフェオレを飲みながらこの後の予定を相談した。
私は大学を卒業し社会人二年生であり若手ではあるが、この辺りのお店はよく知らない。ましてや二人で入るお店などまったく思いつかない。コンパなどで幹事が選んでくれたお店へ行っていた程度だ。自分で言うのは悲しいが、どちらかと言うと少し野暮ったいタイプだと思う。
一方で藤澤さんはあか抜けている。背は私よりも高く、すらっとした体形にパンプスがよく似合う。肩にかかる程度のミディアムに切られたブラウンの髪も彼女の快活な印象を高めている。きっと老若男女問わず、彼女に好意を持つだろう。まぁ私もその一人であるわけだが。
この後のお店については、彼女の提案によりイタリアンへ行くことにした。きっと私でも気後れしないようなお店をすすめてくれたのではないかと思う。カフェで少し聞いた話によると、彼女は社会人六年目の二十八歳で、部下数名と一緒に働いているとのことだった。あの日は取引先との打ち合わせのためにあの場所へ車を駐めており、ちょうど打ち合わせを終えて出てきたタイミングで私の車を見つけたらしい。
「相手が私で良かったわよ」と彼女に言われた。車の中から出てきた私はオドオドとした様子で、もし相手が悪かったら、酷い目にあっていたかも知れないそうだ。
私が神妙な面持ちで話を聴いていたら、彼女は「そうは言っても私で良かった」と急に笑顔を見せてリラックスさせてくれた。
お店は思ったとおりカジュアルな感じのイタリアンレストランだった。落ち着いた雰囲気の店内で、更に周囲に人が座っていない席へ案内をしてもらう。店内に広がる美味しそうないい匂いが空腹にこたえた。彼女も同じ気持ちだったのかまずは前菜を頼んでくれた。彼女からすすめられたサングリアを飲み物として一緒に頼んだ。
最初に飲み物が届き、その爽やかな飲み味で喉を潤すと思い切って聞いてみた。
「私に会いたいってどういう意味ですか?」
昼に届いた誘いのメールに書いてあった言葉だ。
「ん…、何となく、そう書いたら反応するかと思ってさ」
えっ!、何それ!?
「そんな…、私はあなたに興味があったから…」
「ん、興味ってなに?」
つい口走ってしまった言葉から、逆に質問を受ける羽目になってしまった。
「えっーと、なんと言いますか、藤澤さんに理想の先輩像を見た気がして、で、誘って貰えたのが嬉しかった感じ…、ですかね」
さすがに“憧れ”という言葉を使うのは恥ずかしかったので、そこは誤魔化した。
「へー、先輩像かぁ、西川さんの理想ってどんな感じなの?」
「いつでも颯爽としていて、テキパキと仕事を進める感じかな」
「あたしがそんな風に見えたの?それは光栄だけど少し違うかもな」
どこら辺がと私は思ったので、さらに聞いてみた。
「でも先日はトラブル対応でも落ち着いていて、機知に富んでいて、車を乗りこなす感じも格好よくて、だから理想(憧れ)を感じました」
「そっか、それにしても良いふうに捉え過ぎじゃないかな。やっぱり騙されやすいタイプみたいだよ」
彼女は冷やかすように笑いながら、私の頬にさわった。
私はドキリとして彼女の顔から目をそらした。
「可愛いね、反応が素だよね」
その言葉を言われた途端、血液が頭に上ったように顔が真っ赤になり、思わず彼女を睨み付けてしまった。まるでまだ幼いねと言われたような気がした。
「もう一杯ずつ飲もうか」
怒りを削ぐような微笑を浮かべながら落ち着いたトーンで話をする。もちろん彼女のほうが何枚も上手なのだ。私はまた恥ずかしくなり目を下にそらした。
(後編へつづく)
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