第4話 ユメカナウ☆ハロウィン


 ハロウィンの装飾と人で賑わう商店街を歩いて何の変哲もない路地の前で足を止める。記憶を頼りにここまでやって来たけれど、その記憶も十五年も前のだから正直自信はなかったが”ここだ”という場所がピカピカと光って見えた。


 どうしてだか分からないけれど縁というものが自分とそこに結ばれているからかもしれない。


 覗き込んだ路地は前から人が来たら肩がぶつかりそうなくらいにしか幅がなかった。前に来た時は随分と小さかったから恐怖より好奇心の方が強かったけど――これはちょっと勇気がいる。


 境界線はきっとここだ。

 つまりここから先で誰かと出会うならばそれは人ではない。


 夕方を過ぎて空は薄暗くなってきている。風はちょっと冷たい。学生服はまだ合服だから寒いくらいだ。

 こんな所でぼんやり突っ立っていたら不審がられる。今日を逃したら次は来年になってしまう。それだけは避けたかった。


「おれの決心はそんなもんか?」


 違うだろと言い聞かせて。大きく一歩を踏み出した。


 路地はビルとビルの隙間を曲がったり戻ったりしながら先へと続いている。途中で古い家々の裏手を抜けすぐにまたビルの間に戻っていく。左右の建物は高かったり低かったりするけれど道は一本道で迷いようがないのがありがたかった。


 道幅もほとんど変わらない。だから少し先に誰かが立っているのが見えてドキリと心臓が跳ね上がる。


「どっ」


 どうするよ?なんて相談する相手は他にいない。決断は自分でするしかないが相手が友好的かどうかも分からない状況では頭はパニックで空回りだ。


 隠れてやり過ごすにも周りにはなにもないから隠れることもできない。回れ右して別の道を探そうにもここまでは一本道だったわけで。


 どうする?どうする?どうする!?


 不自然に立ち止まったままのこちらに相手が気づいて勢いよく振り返ったと思ったらすごい勢いで飛んできた。そう。マジで。飛んできた。


「イイトコ、キタナ」

「!?」


 言葉が片言なのはまだいい。ただ前衛的なソフトクリームみたいなヘアスタイルと青い肌に銀色の全身タイツみたいなものを着たそいつは重力を感じさせない身軽さで目の前までやってきた。ちょっと信じられない。


「ココ、イキタイ」

「へ?」


 タブレットをこっちへ向けて見せてくれたけど見たこともない文字というか記号が並んでいて意味が分からない。ただ細長い指が指した先には一軒の屋台の写真があった。赤い提灯に長い暖簾。細長い一脚の椅子。そしてほかほかの湯気の中にちらちら見えるおでんは出汁が良くしみて食べなくても美味いのが伝わってくる。


「マヨッタ」

「迷った……?」

「ココイキタイ」


 真剣なローズピンクの瞳がじいっと見つめてくるから嫌だとは言えなかった。それに目的地は同じみたいだし生身の人間がひとりでウロウロするよりはまだましなのかもしれないし。


「分かった。おれもそこに行くつもりだったからちょうど良かったな」

「ココ、イク!チョドヨカタ」


 くるくると回りながら喜びを表す相手に引きつつもなんとか宥めて先を急ぐ。多分もうそろそろだと思うけど三歳の子供の記憶なんて曖昧過ぎて確実じゃない。実際あの時は夢中で走って路地を抜けたから――なんて考えている間に目の前がひらけて空地へと出た。


 ビルが終わる気配もコンクリートが消えて地面に変わった感覚もほんとに唐突で。

 でももう一度ここへこれた。


「夢じゃない」


 出汁のいい匂いが屋台から流れてくる。懐かしくて温かい香りが。


「ココ!アッタ!ヤッタ!アリガトゥ」

「あ!おい、ちょっと待てっ!」


 十五年の間に積もり積もった感情を噛み締めている横をぴゅっと片言の男が飛んで行く。

 先を越されるのはちょっと面白くない。

 駆け出して競うように暖簾を潜ると中央にあるおでん鍋の向こう側で着物姿の痩せた老人が目を丸くしていた。手には玉子焼き用のフライパンを持っている。欠けた前歯がぽかんと開いた口の中から見えて。


「――じいちゃん!」


 変わらない姿に感激して椅子に膝を乗せカウンターに手を着き上半身を乗りだすと「おい、危ねぇぞ!?」とじいちゃんが慌てて両手を突き出してきた。


「ご主人、いつの間に孫ができたのかね?」


 そういって興味津々で覗き込んできたのはいわゆるイケオジと呼ばれる類のおっさんだった。鼻筋の通った細面にくっきり二重。着ている物も上品で有名なブランドのセーターとシャツだしヘアースタイルも全体的に短く整えているのに前髪だけが長くてセンター分けしたその髪が目元にかかっていて色気もある。


 きっとたくさんの女を泣かせてきたんだろうなと男子高校生にも分かるくらいだ。


「な、なんか、どっかで……あったことあるような、ないような」

「え?いや初対面ですけど」


 イケオジの奥に座っていた大男が首を捻りながらこっちを見ているけど残念ながら面識はない。だって皮膚がつぎはぎだらけの四角い顔は一度見たら忘れられないだろ。


「いや、確かにどこかで」

「で、でしょ?あるよね」

「いやないですってっば」


 イケオジもあったことがある気がすると言い始めたけど、こんな目立つ二人になんて一度もあったことないってば。


「大きな黒い猫ならここで会いましたけど」

「……大きな黒い猫とここでって」


 おい、お前、まさか


「めぐるか!?」

「そうだよ!じいちゃん!おれだよ、めぐる」


 ちゃっかり座っていつの間に注文したのか銀色全身タイツ男におでんを手渡していたじいちゃんがさっきよりもびっくりした顔で叫んだ。


「よかった。覚えててくれてた」

「覚えてるもなにも……こんなにでっかくなりやがって。そんなの気づけるわけねぇだろう」

 じいちゃんの目がウルウルと揺れて腰に下げていた手拭いを取って「年寄りは涙腺が緩くっていけねぇな」とぶつぶついいながら目を拭った。


「まあ座れ。なにが食べたいんだ」

「トマトときんぴら」

「了解だ」


 目じりを下げて笑ったじいちゃんはきんぴらを小鉢に入れて煎りゴマを人差し指と親指で擦り合わせて潰しながら振りかけた。トンッと置かれた小鉢からは香ばしいゴマの香りがぷぅんっとたつ。


「いただきます」


 手を合わせて箸をとる。ゴボウは食感を残したまま香り高くにんじんは甘く、そして醤油と砂糖の甘辛い味の中に唐辛子の辛みがピリッとアクセントなっていた。


「……前に食べた時は唐辛子入ってなかったよね」

「お?よく覚えてるな」

「忘れるわけない」


 あの日食べたきんぴらの味もおでんの味も。

 鮮やかな手つきでじいちゃんは簡単に料理を作っていた。下処理や調理だけじゃなくて片付けまで手際が良くてまるで魔法みたいだと思ったのだ。


 いつか自分も同じように作ってみたいと憧れて。


「じいちゃん。あの時の約束も覚えてる?」

「約束って、あれか」


 片手鍋の中でトマトにおでんのつゆをかけながらじいちゃんは呟いたのでどんな顔をしているのか分からなかった。だからこっちは真剣なんだと分かってもらうために箸を一旦置いて口を開く。


「家の料理担当を小学生からずっとやってるけどじいちゃんみたいにやっぱ上手くできないんだ。高校生になって料理屋でアルバイトして、その金で色んな有名店も食べに行ったけどじいちゃんのきんぴらやおでんにかなうものを食べたことがない」


 もちろんどこのも美味い。美味いけど違う。


「おれが作りたいのは食べたら安心してほっとできる味で、目指しているのは食べた人が笑顔になれるじいちゃんの料理なんだ」


 迷い込んだ人間の子供を面倒くさがらずに相手してくれた優しくて誇り高いじいちゃんから教わりたい。


「おれ今高三で来年の三月に卒業なんだ。調理の専門学校に行くのも考えたけど、目標にしてるじいちゃんの傍で一日でも早く一秒でも長く色んなことを知りたいから」


 どうか


「おれを弟子にしてください!」


 立ち上がって頭を下げた。

 あまりにも勢いよく下げすぎてくらくらする。イケオジも大男も全身タイツ男もみんなじっと息を詰めて様子を伺っている気配がしていた。


 長く感じた数秒の後でじいちゃんが「約束しちまったからなぁ」とぼやく。


「儂は拳万も針千本もごめんだが。いかんせん貧乏でな。めぐるに給金を払える自信がない」

「さすが貧乏神……」

「かわいそ」


 イケオジと大男が同情の眼差しでじいちゃんを見ている。今知ったけどじいちゃん貧乏神だったのか。さすがに給料なくてもいいなんて言えるほどには覚悟はできてない。


 専門学校に通いながら夜にじいちゃんを手伝って覚えるか、昼間にバイトをしながら夜に通うか――その二択が現実的な解決法なのかなと脱力して座りこむ。


 なんかよく分からないけど気持ちが落ちた。

 くそう。

 おれの決意って――ああ、もう。


「悪いな。めぐる」

「じいちゃんが悪いわけじゃ」

「教えられることは教えてやるからな」

「ん……」


 どうにもならないことだけど胸の中はもやもやしてる。なんでかなぁ。


「タイショ、ワタシ、イイアンアル」

「は?」

「ワタシコウイウモノデス」


 取り出した名刺を差し出し――っておいどこから出した、それ。全身タイツのどこに入れるとこがあるんだ。


 ともかく出された名刺を受け取ったじいちゃんが顔を顰めて首を傾ける。


「コスモトラベルの取締役社長?旅行会社か?」

「ココ、ウマイ。フルイ、イイ。ズトキタカタケド、マヨッテイツモコレナイ」

「そりゃ余計な者を招かないように術がかけられてるからな」

「ワタシイイキャクシッテル」

「良い客だと?うちはわけの分からん客より常連が優先だ」

「そ、そうだよ。いっぱい来たら、ぼくたち座れない……」

「ダイジョブ」


 全身タイツは上客だけを厳選して少人数ツアーを組んで案内することを了承してくれれば毎月決まった額の契約金を納めるからその分で給料を払ったらどうかという提案をした。

 詳しい話は難しくてよく分からなかったけれど結構な契約金を入れてくれるらしい。しかも常連に迷惑がかからないようツアーは一か月に十日以上は入れないと約束してくれた。


「どうして、そこまで」

「アナタツレテキテクレタ。ユメカナエテクレタ」

「夢……」

「アナタノユメモカナウ」

「あ、ありがとう」

「ドウイタマシテ」

「どういたしましてな」

「ドウイタマシテテ」

「違うって」

「ムズカシ」


 そう言って笑った全身タイツは契約書を持って改めてくるからと約束して帰って行った。ちょっと多めに金を置いていったのでじいちゃんはそれを前掛けのポケットに入れて「なんだかな」と呟く。


「じいちゃん、おれ嬉しいけど無理にあの宇宙人と契約する必要ないから」

「あー」


 ポリポリと頭をかきながらじいちゃんは苦笑いを浮かべる。


「儂としちゃめぐると店するのはありがたいっつうか、願ってもないっつうかな」


 手を伸ばして皿を片付けながらじいちゃんはごにょごにょと口の中で続けて。


「めぐるが一緒に店をやりたいて言ってくれた時のことはここ十五年忘れたことはなかったし、面倒見るって約束したのも軽い気持ちじゃなかったし」

「じいちゃん」

「だからな、儂はきっと待っとったんだ。いつかこうしてめぐるが訪ねてきてくれることを」

「じいちゃん、ならおれ」

「おう。よろしくな。だが弟子にするにあたってひとつ条件がある」


 怖い顔をしてこっちを睨むからどぎまぎしながら「なに?」と聞き返す。難しいことだろうか。それとも言葉遣いや妖怪との付き合い方だろうか。


「儂のことは今まで通りじいちゃんと呼べ」

「は?」

「飲めるか?」

「いやいや。え?それだけ?」

「そうだ」

「なら全然OKだけど」


 ほんとなら大将とか呼ばないといけないんだろうけどいいのか。じいちゃんがそれでいいっていうのならいいんだろう。

 安心した。


「ほらこれ持っとけ」


 首に下げていた小さな巾着を外して渡し、これが境界を越えてここまで来るための通行証になると説明された。これを持ってれば大概の妖はちょっかいをかけてこないからと。


「もし変なのに絡まれたら中を開けてそれを一つ投げつけてやれ」

「なにが入ってるの?見てもいい?」

「おい!開けるな!それを使う時はどうにもならん危険な時だけだ!」

「うをっ!?はい。すんません」


 紐を引っ張って開けようとするとひったくられて叱られた。

 びっくりした。


「まったく。気をつけろ。今度めぐるの母さんと父さんを連れてこい。挨拶するから」

「え?いいの?」

「いいの?じゃねぇよ。こういうのはちゃんとけじめつけとかんと」

「分かった。連れてくる。連れてくるから早くトマトおでん食べさせて」


 蓋をされたまま放置されているトマトの鍋を指さすと「忘れとった」と慌てて火を止める。ギリセーフだったのかじいちゃんは渋い顔をしながらも皿に盛ってスプーンを添えて出してくれた。


 甘くて少し酸味があるトマトの味をつゆがまろやかに調和して。熱々で艶々で美味しい。


「あの味だ」

「そうかい」


 いつかこの味を自分でも出せる日が来るだろうか。じいちゃんと一緒に働くのが楽しみでたまらない。夢のような日々が待っていると思うと待ち遠しくて。湯気のむこうとこちら側もみんな嬉しそうに笑っている。


「そうだ。あんたらがめぐるに既視感を抱いてんのはあれだ。めぐるの父ちゃんとあんたらは会ってんだよ」

「その子のお父さん?」

「とくにあんたはアドバイスもらってイメチェンできただろう?」


 きょとんとして右側に首を傾げるイケオジと大男はとても息が合っている。じいちゃんが呆れたようにイケオジを見るとハッとして「君はあの時の彼の子なのか!?」といきなり腕を掴んできたもんだからびっくりした。


 しかも力が強くて爪が食い込んで痛い。


「あの、すんません。痛いんですけど」

「ああ、すまない。君のお父上には大層世話になっていてね。君がご主人の下で働くというのなら私はこれまで以上に足しげく通うよ」


 抗議したらすぐに手を離してくれた上に来店数を増やしてくれる約束までしてくれた。


 しかし一体このイケオジになんのアドバイスをしたんだ。父さんは。


「お、オレとも仲良くしてくれると、うれ、嬉しい」

「もちろんです。めぐるです。よろしくお願いします」

「オレ、ケン!よろしく」

「私はヴァンだ」


 お互いに名前を教え合ってイケオジことヴァンさんはスマホまで出してきて連絡先まで交換させられた。


「なにかあればすぐに駆け付けるから遠慮せずに連絡してくれたまえ」

「はあ」

「お、オレもめぐる助ける。困った時は呼んでほしい」

「ありがとうございます」


 ケンさんはスマホは持っていないのか、それでも力になるからと必死に言われたらなんかもうそれだけで嬉しい。


 不思議な縁と温かい料理が繋ぐ未来は色んな事件や苦しいこともありながらきっとピカピカ光っているに違いないから。いっぱい学んで、いっぱい迷って、そしていっぱい笑って。


 そんな日々にするんだと今日ここで決めたんだ。


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