第22話 いんしゅうのち


 ビッツィーと一緒でいたかったが、ドイルさんは二人だけで話したいと云う。

 庭園まで降りて行って、そこで話した。

 見通しが良く、声を上げれば、誰かが駆けつけてくれる位置だった。この場所を選んだのはドイルさんで、それは屹度きっと彼の配慮だったのだろう。

 彼は言葉を選んで切り出した。

「妹と仲良くしてくれている様だね」

「ええ。えぇと、はい」

「いや、迷惑をかけているのは分かってるんだ。あれは、ずいぶんねじ曲がって育ってしまった。まあ、僕ら家族の所為せいなんだが……昔はもっと素直で――いや、そう」

 フランソワの事を詫びに来たのだろうか。ドイルさんは続けた。

「だが、ただ甘やかしただけとも云えない。土地柄、いや、この地の因習が関係している事は知って置いて欲しい。勿論もちろんだから許せという訳では無いんだ。あいつに私から良く云っておく。だが、あいつだけの問題でも無い、と云う事を了解して欲しい。上手く説明できなくて申し訳ないんだが――」

 そう云ってドイルさんは探るような目つきをした。

「あの子から何も聞いていない?」

 いいえ、と私は答えた。

「何を聞くと云うほどの事は」

 それを聞くと、ドイルさんは安堵を口元ににじませた。

「そう。そう。なら良いんだ」

「私の方は……ちょっとお話の趣旨しゅしが分かりません」

「だよね。その通りだ。その通りなんだが、しかし……」

 彼はもう一度、私の顔をうかがった。何とは云えないが、ずるい態度のように感じた。

「つまり、私は何をすれば良いですか?」

「ああ。ああ」

 彼は頷いたが、別の話を始めた。

因習いんしゅうと云う物がある。特にこんな山の中にはね。因習は僕らの生まれる前からカルベリィに在って、僕らはそれを当たり前に受け入れてしまった。水を飲むみたいにね。因習を因習だとは知らなかったんだ。フランソワも、私も」

「はい、はあ……」

「その因習が変だと――カルベリィだけの物だと気づいたのは、進学を控えて村の外の事を学び始めた後だった。いや……まったく疑問を持たなかったというと嘘になるが……つまり、まったく手遅れだったという事なんだ。僕もフランソワも、因習が血肉に染みついてしまっていた。曲がって成長した樹木の様に、もう強制は不可能だった」

 要領を得ない話だった。一体何の事を指しているのか分からない。

 自分たちは因習に囚われている。如何どうにもならなかった、という意味の事を、ドイルさんは熱心に繰り返した。

 夜風に彼の汗の臭いが混じった。不快ではないが、必死な様子が恐ろしかった。彼自身は、紳士的な態度を保とうと苦心している様ではあった。ハンカチを使いながら彼は続ける。

「妹は遠くの学院へ入れてやろうと思っている」

「きっとフランソワは断るでしょう」

 思わず口を挟んでしまった。

 村を出たいと云う彼女の宣言は知っていたはずなのに、何故なぜだかそう云ってしまった。

「済みません。出過ぎた事を……」

 私は詫びたが、ドイルさんは頷いていた。同じ意見だと云う。

「確かにそうかも知れない。追い出すような遣り方ではな……しかしあいつは口ではどう云っても……」

 独り言の最後の方は良く聞き取れなかった。

 私は思いついて訊ねた。

「あの、結局はその因習の所為せいで、フランソワは村を嫌っていると云う事でしょうか」

「……それは妹の名誉の為にも云えない」

 やはりはっきりしない。では、私は如何どうすれば良いのだろう。

 ドイルさんの答えはこうだ。

「僕が君に願う事はね、それは何もしない事なんだ。何も知らないままで居て欲しい。そうして村を出てからも、できれば妹と文通でもしてやってくれれば、これは本当に嬉しい事だ。それをお願いに今晩はお邪魔したんだよ」

 どうか頼むよ、と彼は重ねて云った。

「滞在中は、フランソワがあまり無理を云う様だったら私を呼んでくれれば良い」

 彼はそこで話を終えそうな気配を見せた。が、思い出して続けた。

「もう一つ。あの醸造じょうぞう術士の事なんだけど」

「ビッツィー?」

「あれは本名?」

「さあ……」

「彼女が配っているあの小瓶があったら分けてもらえないだろうか。中身が入っているとなお良いんだが」

 ポケットを探ると一本入っていた。ビッツィーは毎日くれるのだが、飲まないのでつい忘れてしまう。

「いや、思い違いだろうけど念のためにね」

 瓶を受け取ると、彼は用心深い態度を見せてポケットに仕舞った。それから私の耳元で何か内緒の話をしようとした。

「もし彼女、ビッツィーに妙なものを感じたら僕に相談を――」

 この言葉の真意は確認出来なかった。

 男の人の接近が怖くて、聞き返すどころではなかったし、何より私たちの間に煉瓦レンガかたまりが回りながら落ちて来たのだ。

「誰だ――」

「これ……」

 上を向くと、屋敷の屋上に影がひるがえる所だった。それは去って行くセーラー服の後ろ姿に違いなかった。


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