第11話 話し続けて


「不思議な髪の色」

 ビッツィーが髪を直してくれている。私は為すがままになっていた。深い安堵と、少しの屈辱感があった。これまで他人ひとに助けを求めた事の無いのが、私の密かな支えでもあった。

 落ち着くと状況を思い出せた。あの馬の乱入騒ぎで集まりはお開きになった。その後この部屋に休ませてもらったのだった。


 もう終わったのだ、と私は自分に云い聞かせた。

 私は、男に頭の御鉢おはちを割られて、きっと死んだ。それからこの世界へ来た。もう前世界まえの事は関係が無い。私は生まれ変わったのだ。今はまだ、現実に心が追いついていないだけだ。そう自分に云い訊かせた。

 ビッツィーにも、その事を保証してほしかった。彼女にならそれが出来るような気がした。


 髪を弄りながら、ビッツィーは取り留めのない話をしていたが、やがて、

「こいつは魔術式ですな」

 と診断を下した。私の髪の模様がそうらしい。

「この模様自体が高度な術式になっていて、それがノリコに色んな恩寵おんちょうを与えているのね」

 恩寵おんちょう。こうして別の世界に生きている事だろうか。解らなかったが黙って聞いた。ビッツィーが話してくれているだけで安心した。

「具体的な効果は、この場ではちょっと解明しきれないな。とても高度なものだわよ。ああ、魔術式が何か解らない?」

「魔法の様なもの?」

 ここで初めて私は口を利いた。まだ鼻声だった。

「そう、魔法の様なもの。現在、この世界は魔術式で廻っている」

「ビッツィーさん」

「ビッツィーと呼んでもらいたいな。私と距離を置きたいとかそういうんじゃないなら」

「……ビッツィー」

「やったぜ」

「違うところから来たんです、私」

 私はそう切り出した。ビッツィーに保証してほしい。もう此処ここは違う世界で、私の酷い事は終わったのだと。しかし、男に襲われた事については口に出せなかった。

「分かってる」とビッツィーは云ってくれた。

「多分、私は死んで、気がついたらドラえもんのタイムトンネルみたいな所を漂っていて――」

「そう。そこに私が出くわした」

 優しい声でビッツィーは同意し続けてくれる。

「この髪のおかげでそうなった?」

「まあ、間違いないわね」

「誰かが、私にその魔法をかけたという事?」

 私の口調はなんだか子供じみてきた。

「少し違う」とビッツィーは云う。

「何が違う?」

「誰か、じゃない。それは人知を超えているから。こんな術式を組めるのは神様くらいのものよ」

「神様。この世界には神様がいる?」

「いる」

「……嫌だな、これから運命も神様に決められてしまうのは」

「あなたが思っているのとは違うかな。私の知ってる神様は語りかけても来ないし、おそらく心なんてものも持ってない」

「でも神様なんでしょう?」

「例えば、南方にある火山を抱え込む大樹。海底の大断層近くにある人面石。古代エルフの森には天然の大魔方陣があると云う。私達の世界の神様はね、こうした自然界にある超常的存在の事」

「つまりは自然現象ということ?」

「そう。ただ自然の理からは外れた力を持っているから区別されている。そしてこの『神様』と相性の合う人間というのがまれに存在するのよ。生まれつき変わった力を持っていたり、まさにノリコみたいに体に魔術式を持って生まれて来る者もいる」

「自然現象でこんな紋様ができるの?」

「そう、だから昔の人は神様が本当にいらっしゃると考えた。でも実際には、ただの自然現象だったわけ。雪の結晶だって、砂漠の風紋だって、蜘蛛の巣だって人知を超えて綺麗だけれど、自然に出来たものでしょう? 誰かが仕組んだものじゃない」

「自然が、人間を別の世界から招いたりするの?」

「竜巻で巻き上げられた魚が、山んなかに降って来る事もある。まあ、でも不思議よね。だから神々と呼ばれる力は私たちに研究されてきたわけ」

「それが魔法?」

「そう。異空間を走る車……はちょっと別枠だけど、飴ちゃんを平面にしたり、自然界に存在しないむし酵母こうぼを作り出したり」

「私もこの紋様、使えるようになる?」

「どうかな。使ってどうするの? 元いた世界に帰りたい?」

 そこでビッツィーは私の表情に気づいたらしかった。

「帰りたくないんだっけ」

 私は唾を飲みこむと、なお迷って、それから膝でビッツィーへ這い寄った。この動作に意味はなかった。内緒話はこうやるものだ、という想像に従ってやったにすぎない。私は打ち明け話などした事なかったので。

 怖かった、と私は云った。

「ここへ来る直前の夢を見たよ。目が覚めた時、どちらの世界にいるか分からなかった。元の世界に戻されたんじゃないかと思って、怖かった。此方こちらでの出来事が、ぜんぶ夢で、結局私は向こうの世界で、死んで行くところなんじゃないかって」

「それはビックリしたでしょう。でも、これからは要らない心配よ」

「聞いて、ビッツィー。聞いて」

「聞いてる。明日も明後日も聞いたげる」

「本当? ビッツィーは夢じゃない?」

「夢じゃない」

「……もっと話してほしい」

「魔術の話を聞くと安心する?」

「うん、する」

「じゃあ眠るまで話し続けてあげよう。まずは、そう魔術の元になる霊子と、次はD《ダンジョン》理論の父シャルルの話から――」

「ビッツィー」

「何? 寝付けないなら葡萄酒ワインを飲んでみる?」

「お酒は、酔うのは……自分が分からなくなってしまいそうで、怖い」

「じゃ、やめとこう」

「ビッツィー」

「何?」

「明日はどうする?」

何処どこへ行こうか? 明日になってから決めればいいわ。明後日のことは明後日になってから、好きなように。あんたはもう自由なんだからね」

 そうして私たちは約束をした。

 ビッツィーは私を保護し、この世界の知恵を授ける。その代わり、私と、私の魔術式はビッツィーの所有する被検体ひけんたいとなる。

 これがビッツィーと交わした契約の、その具体的な内容である。

 この夜、私は夢も見ず眠れた。

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