第5話 少女の目
「どこから来たの?」
ひろしは水を飲みようやく落ち着いた少女に話しかけた。
「畑中」
はたなか……。ここから歩いて1時間はかかる、とひろしは驚いた。長距離を1人で歩いたことから鑑みて、おそらく両親はすでにこの世のものではないのだろうと思った。
「俺は田中ひろし、よろしくね」
少女はひろしの差し出した手をおそるおそる握った。
「吾妻美希です、よろしくお願いします」
みきちゃんか、とひろしは笑った。この状況でなければセクハラだの性犯罪者だの言われて社会的信用を失っている、と彼は安堵しながら少し興奮している自分を自覚した。話し合える人間がいた。守りたいと思える少女がいた。恋愛や下心とは違う、極限状態から生まれる純粋な人間への好意に心の安定を得た。
それに、みきちゃんはかわいい、とひろしは思った。年老いたのだろうか。暗がりでよく顔が見えていないからだろうか。田舎の娘には変わりないが、大人しく震える彼女がとても可愛い顔立ちであると思った。
「何歳なの?」
この期に及んで年齢など何の意味があるのだろうか。ひろしの質問は性的嫌がらせととられても仕方のないものであった。
「あ、18です」
「そっかそっか、俺31だけど……大丈夫?」
「はい……」
しまった、とひろしはにこやかな表情を変えずに焦っていた。何が大丈夫なのか、この状況で60歳だろうが5歳だろうが大丈夫も糞もない、彼女は自分と変わってしまった世界、この両方に怯えているのだ。彼女にとってはこの男に見つかってしまったことはマイナスでしかないのだ、とひろしは猛省した。ただ恐怖を与えた年齢の話題を変えようと話を続けた。
「そうだ、お腹は空いてる?」
「……はい」
ちょうどよく、美希とひろしの腹が鳴った。
美希は梅干し味、ひろしはわかめ味のお粥を選び、水でふやかした。美希に飲ませた分も含め水の残りが心許なくなってきている。空腹もさることながら、このコンビニでは思ったより収穫がなかったこと、美希という存在が現れたことに今後の不安が募っていく。
「……美味しい」
口に運んだ食事が全身に行きわたり、体に力を与えることで美希の口元は緩んだ。食事とはこんなに楽しいものだったのか、と自分が差し出した食糧にあどけない微笑みを見せる少女を見てひろしの心は激しく鳴った。
それなりに高い料理も食べてきた。ジャンクフードも即席めんも食べたことがある。だが、ひろしは人に食糧を分け与えたことはなかった。彼は与えられ続けてきたのだ。女性に見栄を張って与えたのはフランス料理のフルコースではなく、それに対する金銭でしかなかったのだ。自らも満足に食べられない中で他人の腹を満たすことの幸せを今知ることができた。世界大戦を生き抜いた祖父母の思いを少しだけ知ることができた、と彼の目には涙が浮かんだ。
「実はもうそれで最後なんだ、お粥」
「え……?」
ごめんなさい、と美希は言った。
「いや、そういうわけじゃなくて、ここにも満足に食糧がないんだ、どこかに探しに行かなきゃいけない」
「私も行きます」
美希は口を真一文字に結んで立ち上がった。
「危険だからここに居て。俺がどこか見てくるよ」
「私も行きます」
美希の意を決した目に、ひろしは観念した。
「気をつけて」
割れたガラスを左手でおさえ、ひろしが見つけたコンビニの入口を美希がくぐるのを助け、右手で引っ張りあげる。
「さて、行こうか」
「どこに行きますか?」
「ベークヨニマル」
2人はコンビニから2キロのスーパーを中心とした商業施設に向けて歩き始めた。
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