森の民
葦池昂暁
ヒトの性 -前編‐
…ヒトと動物の境界線とはなにか?あまねく衆生にて生態系の一翼を担ったはずのヒトが、本能よりも強い因果に縛られるようになったのは何故だ。ともすれば、神に選抜されたと自負する高慢さや、一動物には無用と言えるほどに執拗で貪欲なまでの生存本能には畏怖すら抱くのである。
セドミネの放浪もヒトの渇望にて、その発端を見たのだった。
○
千年以上前からセドミネの一族は山林にて狩猟生活を生業としていた。南の一大部族が土地を求めて北上するまでは統べていたと言える。しかし、オンベコという王に遣わされた戦士たちに負けて、一族は野に下った。
セドミネにはそれが我慢ならなかった。
少しばかり強いだけで、彼からすべてを奪い去ったのである。伝統的な暮らしだけではなく、一族の往々しい心をである。族長と跡継ぎの子供たちは殺されたが、セドミネは狩猟を担う戦士になるはずだった。
今では自分たちを懲らしめた鉄器で草を刈り、荒野に種をまけるように耕している。
その暮らしから逃げ出そうと思ったのは、おおよそ三年前のことであった。
「イドよ、ここから抜け出そう」
セドミネは幼子のころからの友を誘った。
「ヌシの心はわかる。であるけれど、山は奴らに荒らされて住めないぞ」
「さりとて、もっと北に行けば奴らの手も及ぶまい。他にも仲間を連れて、一族の暮らしを取り戻すのだ」
暗い小屋の中で潜めた声でも、セドミネの真剣さはイドに伝わった。それから暫しは共鳴者を探して、最も適した者を選び出す。小屋に小さい出入り口をこさえて、闇夜に紛れ込めば誰にも捕えられはしない。
若い八人の男女でオンベコの版図から逃げ出すのであった。
子や孫の代に奴らの版図に再び配されぬように、ひたすら北へ北へと歩を進める。仲間たちが十分だと言っても、セドミネは安心しなかった。いくつもの山裾をかすめて、深い川は泳いで渡河した。
その道中、同じように狩猟で暮らす一族にいくつも出会い、共生の道を取ろうとする仲間もいたが、どうしてもセドミネの反対にあう。とうとう仲間たちの心境は割れ、旅の長であったセドミネを追放しようという者も現れた。
「ここで暮らせばいいじゃないか?」
イドは必死にセドミネを説得する。
「それでは一族の歴史はどうなる。ヌシらの中では今でもオンベコに負けたまま、一族の復興という使命を果たす気力もないということか?」
「ここでなら幸せに生きてゆけるのだぞ」
「ワシは嫌だ」
セドミネの感情はふつふつとした怒りに満ちて、誰にも抑えることはできない。
こうして
それでも、より富んだ場所を見つけるために二人は旅を続けている。
そして現在も歩き続けているのであった。
「セドミネ…、そろそろ安住の地をお決めになってくださいまし」
ドラはいつまでも間に合わせの住居や調理場にうんざりしていた。
「森はどこも肥えておるよ。しかし、もっと良い土地に辿り着きたいのだ」
しかし、セドミネはたった二人でも子をこさえ、いつかイドたちの子供を招き入れれば、一族の暮らしを取り戻せるのではないかと希望を持っている。そのためにも暮らしやすい場所を見つける必要があるのだ。
「ワシはそこに王国を築く」
旅の最中、セドミネの脳裏には一族の暮らしを営むことから、いつしかオンベコのような王国を持つという野心に心変わりしていた。いつかオンベコや他の国主に子孫たちが危ぶまれても、対抗できるだけの力を欲するようになったのである。
そんなある日、獣道を搔き分けてドラのために道を作っていると、ついに理想郷に巡り合った。
「ここだ」
この広い大地のどこから手を付ければよいものか、ともかく土地に足を踏み入れることにした。川を泳いで渡り、木々の開けた場所にて一息をつく。
「ここで新しい暮らしを営もう」
「ええ」
二人は幸せな心持になって、抱き合って涙している。
さっそく、セドミネは枝を集めて火を熾した。その世話はドラに任せて、家を造るために適した木や葦を探す。一族の伝統的な住居であり、木で骨組みを作って葦で外壁を覆う形である。
ここに山の民はいないのだろうか?そう思っていると、遠くに自分たちとは違う煙を見つけたのだった。
やはりここにも山の民がいた。しかし、ここより北ではセドミネたちは冬の寒さに耐えることはできない。
「どこまで北に行けば安住の地は見つかるのだ…」
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