first light
ふじさわ とみや
第1話 水彩画
【二〇一六年四月二十八日】
窯変の天目茶碗をひっくり返して大地に伏せたような桜島が、海と空の間で煙を上げている。
薩摩半島側から見上げるその姿は、子どもが画用紙に大胆な線を引いて描いた「海に浮かぶ火山島の絵」そのままにダイナミックだ。
「あぁ、あのあたりは、この島に倭の国が生まれたよりも、人が腰蓑つけてイノシシ狩いちょったころよりも、もっともっと、ずーっと昔から、海も空も煙の色も、今とちいとも変わっていもはん」
そう言われても不思議は感じない。
二〇一六年四月下旬、晩春の明るい午後の空の下、鹿児島市内の高校に通う山科愛が、錦江湾を見晴らす市域南郊の丘の中腹にある自宅へと続く緩やかな坂道を上っている。
少しだけ風が強い。愛は、制服のスカートの裾をきゅっと押さえた。
駅名でいうならJR九州指宿枕崎線五位野駅。南州の雄都・鹿児島市の市街地が、海と山とに狭められ、中心街区からずっと連なってきた家並みは、市域の南郊に近いこの付近でのどかな山辺と海辺の景色に変わりはじめる。
山手は緑が深かったが、海辺には住宅街の屋根瓦が連なる。陽光を明るく跳ね返す硬質な波の上を、大きな口から南風を飲み込んだ鯉のぼりたちが勢いよく泳いでいた。
坂道を登りながら、愛は、ときどき錦江湾を振り返った。風のある日には、北東に望まれる桜島の噴煙もゆったりと大空に弧を描く。見慣れた景色がまだ早い午後の光の中に広がっていた。
愛は、その景色を、どこか新鮮な気持ちで眺めていた。学校が早く終わって帰れる解放感があったからかもしれない。
「あらぁ、お帰りなさい。早かったわね」
イヌマキの生け垣の門をくぐって自宅の庭に入ると、花壇に咲いているイチリンソウに如雨露で撒水していた母の浩子が愛に声をかけた。
「うん。今日は午後から臨時の職員会議があって部活もなし。友だちとちょっと本屋さんに寄ってすぐ帰ってきたの」
「明日から物置の片付けするで、愛も自分の分、チェックしときやんせね」
「うん、わかった」
愛は、庭のはずれに立っている木造の古い物置の方を見た。
物置とはいっても、旧家である山科家のそれは、ちょっとした蔵ほどの大きさがある。
実際、戦前は蔵もあった。この地区は空襲の被害はなく、母屋も蔵も無事だったが、江戸末期に建てられたという蔵は、終戦を迎えたころにはすでに百年近い星霜を経て、南国の太陽と風雨と台風に晒され、叩かれ、修繕費が新築費を上回るというほど傷んでいた。
そして戦後、今の物置が建てられたのだが、それも早や築七十年である。
ゴールデンウィーク明け、物置は解体され、すぐに建て替え工事がはじまる。愛が、どれぐらいの工期なの? と父の政彦に訊くと、最近はユニットを組み上げるだけだから、ほんの一週間ほどで新しい物置ができあがるのだと聞かされ、驚いた。
子どものころには兄とかくれんぼして遊んだ木造のその物置が、わずか一週間で建て替えられてしまうことに、愛は、少し寂しさを感じていた。
建て替え工事は、高校三年生である愛の大学受験が終わってからにしようかという議論も家族で交わされたが、今度また台風が来たらもうダメかもしれんという、祖父・耕太郎のひと言で建て替えが決まったのだ。
物置の中に積み重ねられているものたちは、母屋の空き座敷へ運び込まれ、いったん〝保管〟される。母屋もまた明治後期に建てられたもので、幾度か改装・補強工事や増築工事が行われ、リビング、ダイニングキッチンなどは現代風の意匠と仕様になっているが、奥座敷、前座敷、中座敷などには、いかにも明治期の古民家らしい面影が残る。
中座敷の柱には、代々この家に生まれた子どもたちが背比べをしてきた傷が何本も残っていた。いちばん低い位置の、いちばん新しい傷は「平成十三年五月五日」とある。愛が三歳のときのものだ。
愛は、離れにある自分の部屋へ行き、ジャージに着替えた。それから早速物置へ行き、二重になっている入り口の、やや厚みある板戸を開けた。
(そういえば、中に入るのって・・・・・・二年ぶりぐらいかな?)
少し懐かしい気持ちだった。入ってすぐ左側の柱にある電灯スイッチをパチンと押す。
裸電球の光と、かび臭い匂いが愛を包む。
子どものころ、この中で遊んだ情景が蘇ってきた。かくれんぼ、宝探し、箱を積みあげた秘密基地ごっこ・・・・・・。
物置には、文机、文箱、額、巻物、掛け軸といった年代物の古道具類から、戦前の雑誌、「古文書」と書かれた箱、父が学生時代に使ったノートや教科書、参考書、昔の国語辞典、兄と一緒に遊んだおもちゃがまとめられた箱、さらには古着、食器、鉄瓶などもあった。
「いらないものはこの際捨てよう」ということになっていた。愛は、子ども時代の洋服や、ボロボロになるまで抱いていたぬいぐるみなど、もう着ることも使うこともないだろうものも、まだ、しばらく残しておきたかった。父や母の勝手な判断で捨てられてしまうのが寂しくて、一日早く、片付けにかかろうと思ったのだ。
愛の中学時代の教科書が束ねられて入っている段ボール箱をどかして、その奥にあった「愛/衣類」と書かれた茶箱を手前に引っ張り出す。よいしょっと動かしたその箱の、さらに奥を見ると、「重太郎/遺品」と張り紙された、古い大きなトランクが現れた。
大きい。高校生の愛が、そのまま中に入れてしまいそうなほどだった。がっちりとした四角い茶色の革製で、指で叩くとコンコンっという硬質な音が跳ね返ってきた。
(ひいじいちゃんの遺品?)
愛は立ち上がって、物置左側にあった窓の板戸を開けた。
差し込んできた光が、舞い上がったホコリを照らしながら矢のような光跡を描いて、壁際のトランクを浮かび上がらせた。
愛の曾祖父・山科重太郎は、大正十五年生まれだ。今も生きていれば九十一歳だったが、愛がまだ幼稚園の年長さんだった五歳のとき、ガンを患い、まだ若い七十七歳で亡くなった。
幼いころのことだったから、愛は、曾祖父について、あまり多くの記憶が残っていない。ただ、愛は、父や祖父よりも重太郎にとてもよく懐いていたのだと聞かされていた。
重太郎もまた、散歩に行くときや近くの商店へ出かけるときは、いつも愛の手を引いていた。ふたりの仲のよさは近所でも評判になるほどで、父が曾祖父に嫉妬していたという話しも聞かされた。
確かに、愛は、いつも重太郎のあとを追いかけて、くっついてばかりいた。
(――ひいじいちゃんのお膝に抱っこされいてる場面、覚えてる)
それほど大好きだった曾祖父のことを、愛はずっと忘れてしまっていたことに気付いた。
愛は、そのトランクが、ずっとひとりぼっちで物置の中に置き去られ、家族のみんなからも忘れられていたのかなと思い、申し訳なく、悲しくなった。
(ひいじいちゃん。ごめんなさい)
そうつぶやいて、愛は、そのトランクを壁際の奥から引っ張り出した。そして、トランクに向かってそっと手を合わせ、三カ所にあった留め具を外した。
トランクを開けると、物置の中に漂っていた空気とはまた違う、どこか懐かしい匂いが、その中からふわっと立ち上った。
古いはがきや封書の束、メガネ、帽子、軍隊で使われていたらしい双眼鏡、二眼カメラ、愛用品だったらしい文箱や筆や硯、万年筆などが、大小の小箱や包みに分けられ、丁寧に詰められていた。
それらのいくつかをトランクから取り出していくと、底の方に少し大きめの紙箱があった。
愛は、その箱に、なにかとても大切なものが入れられている気がした。
(なんだろう? 絵とか写真とか、表彰状とか?)
箱を取り上げ、フタを開けてみた。
すると、古びた額に入れられた、B4サイズよりひとまわりほど大きな紙に描かれた風景画が出てきた。
野原にタンポポが咲き乱れる、どこかの山里の春の景色だった。
丁寧に下描きされた鉛筆画の上に、水彩絵具がやわらかな筆の運びで載せられている。
美しい濃淡。透明な、見えない春風が絵の中に吹き渡っていた。
山辺には茅葺き屋根の民家、明るい花色のタンポポ、桜。微かに萌えはじめた淡色の緑に滲む木立。青く刷かれた空の中に残雪の山があり、若草に縁取られた水張りたんぼの中に、上空の青色よりも濃い空色が湛えられていた。
構図やタッチ、色づかいが秀逸であるばかりでなく、描いた人の大切な想いがそこに込められているように感じられた。
(きれいな風景――)
愛は、この絵の中に入って行って、この場所に立ってみたいと思った。
絵の右隅に「sato」というサインが、赤い絵の具で描かれていた。
(佐藤さん・・・・・・?)
「ありゃ、愛ちゃん、あんた片付けするならマスクせんと、ヤンメ(病気)になるよ!」
その声に振り返ると、物置の入り口に、手ぬぐいを姉さんかぶりにしてマスクとゴーグルと割烹着で身を固めた祖母の法子が立っていた。
「あっ、おばあちゃん。ねえ、この絵、知ってる?」
「えっ? 絵っ? なに?」
「これ、ひいじいちゃんのトランクから出てきたんだけど、この絵ってなんだろう?」
「ああ」
法子がゴーグルを外し、絵を覗き込んで言った。
「あんたのひいじいちゃんが海軍にいたちゅうこちゃ、聞ぃちょっじゃんそ?」
「うん、鹿屋にいたって」
「そう。で、そんとき、特攻に行きしやる隊員さんからもろたもんだとかって聞かされたわ」
重太郎は、太平洋戦争の時代、海軍の工機学校に入り、その後、鹿屋の海軍飛行場で整備士をしていたとき終戦を迎えた。
「隊員さん、東北の人じゃったとかおっしゃっちょった」
(東北――)
愛も、きっと東北地方のどこかなんだろうなと思っていた。とはいえ、小さいころ、家族旅行で北海道へ行ったことと、高校の修学旅行で東京へ行ったこと以外、九州から出たことがなかった愛が、雪山とタンポポと桜と田んぼで東北を連想したのは、テレビなどで知った、かの土地のイメージでしかない。
「東北のどこだろう?」
「さあ。あたしもこの絵は何回かしか見たことがなかったし、重太郎さんも鹿屋にいたときのことはあんまいお話しなさらんかった。もしかしたら辛い思い出でもあったんかも分からんね」
「そうかぁ・・・・・・」
愛は、じっと絵を見ている。この絵をもう一度、壁に飾ってあげたいと思った。
「おばあちゃん、この絵もらってもいい?」
「ああ、そやかまわんよ。ひいじいちゃんも喜びしやるわ。気に入ったと?」
「うん」
法子は、愛ちゃんもマスクしいよ、と言いながら、古布が入った箱を開け、中身を要不要とに選別する作業をはじめた。
愛は、重太郎のトランクから取り出した品々をもう一度丁寧に中へ戻したあと、絵を持っていったん自室へ戻った。
それからマスクをかけて、また物置に入って、自分の子ども時代の衣類やおもちゃを、新しい段ボール箱に詰め替えはじめた。
その日の夕食のあと、愛は、祖父や父にも絵のことを尋ねてみた。
「特攻隊員だった人のこと調べてどげんすると?」。祖父の耕太郎が言う。
「なんいうか、ちっと気になう・・・・・・」
リビングのテーブルを囲んで、祖父と父、祖母が座っている。
愛は、台所で食事の後片付けをする母を手伝ったあと、壁際のソファーの上に上がり込み、クッションと膝を抱えて座った。
「ふみさんならなにか知っちょったかもしれんけど、でも、絵の話はふみさんからも聞かされたこちゃなかった」
曾祖母のふみは、曾祖父よりも七年も早く、六十九歳で亡くなった。あまり丈夫な人ではなかったという。愛は、曾祖母の顔は写真でしか知らない。
「重太郎さんは、鹿屋の基地で、特攻で飛んで行く飛行機の整備ばしちょった。それは愛も知っちょっじゃろ?」
父の政彦が、お茶を飲みながら言った。
「立派に整備しても敵艦に突っ込む飛行機じゃ。整備士としても辛れことじゃったろ。そん時代のこと、まあ何度か聞いたことはあったが、特攻のことやらを自分からしゃべり出す人じゃなかった」
「どちらかと言えば寡黙な人じゃった」と耕太郎。
「おっかない人ではなかったが、なんちいうか威厳があって・・・・・・」
「そう。お義父さんはいつもピシッとしてた」。法子のひと言に、祖父と父が思い出したように背筋を伸ばした。
「私にはすごくやさしかったよ」。愛がクッションをぎゅっと抱きしめた。
「そりゃ、曾孫でやっとかっと生まれたおなごん子(女の子)じゃっで。重太郎さんもきっとかわいかったろう」。そういう耕太郎も目を細めて愛を見た。
「重太郎さんは男兄弟ばっかりで、その重太郎さんの子、つまりワシの兄弟も、みんな男ばっかりじゃ。ワシ、耕太郎じゃろ。で、大二郎、龍三郎。男が三人」
それを受けて政彦が続ける。
「そしてオレの兄弟も、オレと、和彦、俊彦と、また男ばかり三人だ」
政彦が、さっきまで読んでいた新聞をバサバサとたたんで床にほいっと放り投げながら、オレは妹がほしかったと言うと、法子がそれを拾ってたたみ直し、そりゃあたしもこげながさつな息子よっか、かわもぜ(かわいい)娘の方がよかったわいと言って政彦をにらんだ。
「オレの兄弟は、オレのところが先に子どもができて、それがまた男の穂高だった。そのあとやっとおなごん子、愛が生まれたんじゃ。だけど、和彦んとこは岳(がく)と稜(りょう)で、俊彦んとこも星也(せいや)に北斗(ほくと)に朔(さく)じゃろ。おなごん子は愛だけじゃ」
(うん、従弟はみんな男の子ばっかり)
親戚が集まるときなど、愛は、同い年ほどの女の子がいないことが少し寂しかった。でも、かわいい弟分の従弟たちが「お姉ちゃん」と言って慕ってくれたのは、それはそれで嬉しかったのも本当だ。
「穂高が生まれたとき〝山科家は呪われとるわ〟言うて笑っちょったところに愛が生まれた。とうとう娘が生まれたぞぉ言うて親戚一同だいそど(大騒ぎ)じゃった」
浩子が、切子の小鉢にいちごを盛りつけて、台所から持ってきた。
「愛っていう名前を付けてくれたのもひいおじいちゃんよ」。小鉢を、それぞれの前に配りながら浩子が言った。
「うん。それは知ってる」
「穂高の名前もひいおじいちゃんが付けたのよ。高千穂峰から採ったって言ってたわ」
高千穂峰は霧島連山の第二峰。一五七四mの山の頂には、天照大神の孫であるニニギノミコトが降臨したとき、峰に突き立てたとされる青銅製の天逆鉾が立っている、神話の舞台となった山だ。
「ねえ、どうして私の名前は愛になったのかな?」
「そういえば由来は聞いてないわ」
「初めっ生まれたおなごん子じゃったから付け方がわからんで、それらしい名前を〝あ〟から順番に考えたとき、あ、い、言うて最初に浮かんだんじゃなかろうか」
(おとうさん、それはいくらなんでも悲しすぎる――)
愛がふくれて政彦をにらんだ。
「あたしはいい名前だと思ったわ」
浩子が、小鉢とフォークを愛に差し出しながら、フォローしてくれた。
「うん、私も気に入ってう」
「そ、そうじゃ、たしか全員賛成じゃった。穂高も愛も、よか名前をもろた」
政彦が、サイドボードに飾られていた写真を振り返りながら、とってつけたように繕う。
フォトフレームの中で幼い穂高と愛が一緒に庭先で絵を描いている。
その庭先でオートバイの音がした。穂高が帰ってきたらしい。
「おお、ウワサをすれあ、じゃ」
「おかえり、遅かったね。ご飯は?」
ただいまと言いながらリビングのドアを開けた穂高に、浩子が声をかけた。
「学食で食べてきた。うちの大学の学食は七時半までやってるから」
「お勉強、忙しいん?」。立ったままの穂高を見上げながら、愛が訊いた。
「まだ四月だし、本格的な授業はGW明けからだな。今日はどっちかといえばこっちがメイン」と、肩から提げていたカメラバックをぽんっと叩いた。
「写真サークルの友だちと会ってきたんだ。・・・・・・じいちゃん、ごめん、物置の片付けは明日から手伝うな」
「まってか(ところで)、お前、ひいじいちゃんの絵のこと、ないか知っちょっか?」。政彦が訊いた。
「重太郎さんの絵?」
穂高は、曾祖父のことを重太郎さんと呼ぶ。
「今日、物置を掃除していたら、遺品の中から絵が出てきたの」
愛が、この座で話されていたことを簡単に説明した。
「どの絵?」。穂高が部屋を見渡した。
「今、私の部屋に置いてあるの。持ってくる」と愛が立ち上がろうとすると、
「あとでいいよ。着替えて、風呂に入ってからお前の部屋へ行く」
穂高がリビングのドアを閉め、パタパタというスリッパの音を立てながら旧家の長い廊下の先に増築された離れにある自室へ向かった。穂高と愛の部屋は離れにある。
二つ歳上の兄・穂高は、一年前の春、地元の大学の理学部に合格した。
福岡や東京などのもっと上の大学も狙える成績だったが、いずれ鹿児島にずっと暮らすのだから地元で勉強して地元で就職するといい、高校時代の先輩や同級生も多い市内の国立大学を選んだのだった。
小さいときからずっと妹思いで、愛は、穂高にはやさしくされた記憶しかない。成績も優秀で、絵や写真も上手い。自慢の兄だった。
愛が自室の学習机の上に英語の参考書を広げていると、穂高がドアをノックした。
「愛、さっき話しちょったその絵、見せてみ?」
愛の目線が、本棚の上段に立てかけられていた絵に向いた。
穂高は、こげなとこ置いといたら、なえ(地震)のときに危っねじゃろ、と言いながら、額を手にとった。
絵にじっと見入る穂高。考え込んでいる表情が動かない。
「おにいちゃん、なんか知ってう?」
「うん。確かこん絵じゃったと思う」
「見たことあるの?」
座るぞ、といって穂高がフローリングの上に胡座をかいて、絵を本棚の下段に立てかけた。
愛もイスから降りて並んで座り、一緒に絵を見た。
「ひいじいちゃんが亡くなってすぐ、遺品として整理して物置にしまったって、おじいちゃんも、おばあちゃんも言(ゆ)ちょったよ。いつ見たの?」
「オレがまだ小さかったころだ。重太郎さんが亡くなる前。つまり〝遺品〟になる前だな。重太郎さんはオレが七歳のときに亡くなった。でも、亡くなる前の一年間は入院しちょって、そのまま病院で亡くなった。じゃっで、絵を見たんはオレが六歳になるよっか前かな」
曾祖父は、中の間の横にある八畳ほどの小間を書斎にしていた。もちろん愛も入ったことはあるが、その部屋に曾祖父がいた風景は、記憶の中ではあまり鮮明ではない。
「オレな、重太郎さんの部屋でこん絵を見せっもろた。そして、それとおんなし日の記憶かどうかはわからんが、オレ、重太郎さんに『将来、絵を描く人になりたか』って言ちょった場面を覚えてる」
穂高が部屋の壁を見つめた。でも、見ているのは壁ではなく、もっと向こうに浮かんでいる光景なのだろう。いつもどこか遠くを見るように話すのがクセで、愛は、そんなときの兄の表情が大好きだった。
っと、穂高が愛の方を振り向いた。黒い大きな瞳に、愛は、少し驚いて頭を後ろに引いた。
「居間にオレとお前の子どんころの写真が飾ってあるだろ。ふたりで絵を描いている写真」
「うん。あの写真がどうかした?」
「あの写真も、重太郎さんが撮ったものだと思う」
「えっ?」
愛は、きっとお父さんが撮ったのだろう、ほどにしか思っていなかった。撮影者が誰かなんて、そもそも考えたこともなかった。
「オレもお前も絵を描くのが好きだったよな」
穂高は、中学と高校でずっと美術部だった。市や県のコンクールで賞をもらったことも何度かある。
「大学では、こっちに入ったけどな」
右手の人差し指をくいっと曲げてシャッターを切る真似をした。
絵も趣味で続けるけれど、風景を瞬間的に切り取れる写真もおもしろいからと言って、穂高は写真サークルに入った。
「重太郎さんとオレとお前とで市内へ行ったとき、ショッピングモールで絵の具を買ってもらったことは覚えちょっか?」
「そんなことあったっけ?」
「場面を繋げると、こうだ」
穂高の視線がまた遠くなり、小さな身振りを加えながら話しはじめた。
「絵の具を買ってもらい家に帰ってきた。オレが『買ってもろたよー』って母さんに見せた。そして早速、庭でお前と一緒に絵を描きはじめた。重太郎さんが筆洗を使けなさいと言った。・・・・・・筆洗っていう言葉を、オレはたぶん、そのとき初めて知ったと思う」
「・・・・・・」
「オレがパレットをひっくり返した。絵の具がついたといってお前が泣き出した。母さんがお前を連れて縁側から上がった。・・・・・・そげな感じかな?」
「おにいちゃん、すごいね」
「それと、重太郎さんが花壇の写真を撮っている場面も覚えている。オレとお前が並んで絵を描くなんち、きっとあのときぐらいじゃったろから、あの写真はそのとき撮ったのかもしれん」
愛も、懸命にその情景を思い出そうとしたが、穂高の記憶と重なるような映像は浮かび上がってこなかった。
「話しをまとめると、オレが絵を描く人になりたかって言ったら、重太郎さんが絵を見せっくれた。そして、それと前後するあたりにオレに絵の具を買てくれたのかな、とも考げられる」
穂高は、右手で筆を持つような仕草をした。
「五、六歳の子どんに水彩絵の具っていうのはちっと早い。普通はクレヨンだ。重太郎さんは、オレが絵を描く人になりたかって言たことを、わぜ(すごく)大事に思てくれたんかも知れん」
架空の絵筆が、ひいじいちゃんの絵をなぞる。
愛は、小学校に入ってからの図画工作の授業で絵の具を使って絵を描いたとき、びちょびちょの絵筆を画用紙に走らせてひどく色が滲み、先生に注意されたことを思い出した。確かに子どもにはちょっと難しい。
「あと覚えてるこちゃ、重太郎さんが『椰子の実』を歌っていたことかな」
「島崎藤村の?」
「そんときは曲名もなんも分からんかった。詞の一部を覚えてて、大きくなってから、ああ、あんときの曲はこれじゃったんかって知った。オレも好きになって、ときどき海を見ながら歌ったりする」
愛は、穂高が遠く海を見ている場面を思った。おにいちゃんがロマンチストなのは、ひいじいちゃんゆずりなのかな。ほかの家族はあまりロマンチストとは言えない。
(・・・・・・なにが、あいうえお順につけた名前よ)
政彦のセリフを思い出した。
「重太郎さんは、ずいぶんとお前をかわいがっちょった。一年入院していたから、お前の場合は、ほぼ四歳までの記憶だな」
「ひいじいちゃんのお見舞いに行たんは覚えてるよ。そいかあ、亡くなるときも病室にいて、ひいじいちゃん、私のことをじっと見てた。こん家でのひいじいちゃんとの思い出っていうと、家の前の坂を一緒にお散歩したり、庭でお花を摘んだり、ひいじいちゃんの腕ん中に走って行ったり、いたえん(縁側)でお膝にのせられて・・・・・・。あれ?」
「どうした?」
「ひいじちゃんが『あいはかわいかね』って言ってくれたのに、私、『そのひとだあれ?』って言ちょった気がする」
穂高が笑った。
「お前らしか。昔から天然じゃ」
「・・・・・・おにいちゃん。美大、残念じゃったね」
〝天然〟と言われたことに対する愛の仕返しらしい。穂高は腕試しのつもりで東京の美大を一校だけ受験したのだった。
「せからし。お前の受験勉強はどうなん?」
「あ、そうだ。英文の解釈でちょっと分からんところがあるの。教(いっか)せっもろてもいい?」
次の日、穂高は「やさしい絵じゃ。お前がこの絵にひかれるのが分かる気がする」。そう言いながら、吊り金具を使って、絵を愛の部屋の壁に飾ってくれた。
――やさしい絵。そう。私がこの絵を好きになったのも、初めにそう感じたからだった。
そして、この絵が描かれた場所に、いつか私も立ってみたい。
でも、私がこの絵にひかれる理由は、まだ、ほかにもありそうな気がする。
そういえば「魔性の絵」っていう話を友だちから聞いたことがある。
ある人が、画廊で見つけた絵に一目惚れして買って帰ったら、その人は仕事もやめて、一日中、その絵ばかりを見続けていたって・・・・・・。
受験勉強、やめちゃったらどうしよう。
そんなことを思いながらも、愛には怖さなどまったくない。
(むしろ逆―――)
〝見守っていてあげるから、がんばって勉強しなさい〟
そんなふうに言われている気がした。
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