第45話 ふたりの約束
伊斗也と弦義が同盟を結んだその夜、弦義は再び裏庭を訪れていた。前回は偶然だったが、今回は彼女の侍女に会いたい旨を伝えてもらっている。
果たして、桜花はあのベンチにいた。今日は月を見上げず、読書に耽っている。
「桜花」
「……弦義殿下、お加減は?」
「お蔭様で、もう何ともない。傷は、鈍く痛むだけだ」
弦義は左の脇腹を押さえ、苦笑した。そこには今、和世に巻いてもらった真新しい包帯がある。既に出血は止まり、激しく動かなければ大丈夫だと和世が言った。
しかし桜花は痛みを堪える表情で、弦義に手を伸ばしかけた。そして、ハッと気づいて手を引っ込める。その一連の流れが可愛らしくて、弦義は何も言わずに微笑んだ。
「こほん。……それで、何故わたしを呼び出したのです?」
誤魔化すように咳払いをした桜花の頬は、わずかに赤い。気を取り直し、小首を傾げた。
そんな少女に柔らかい視線を向け、弦義は目を細めてここへ来た目的を口にする。
「きみと、桜花と話をしたかった。明日には、ここを出るから」
「そう、でしたね」
目に見えて寂しそうに顔を伏せる桜花に、弦義は何と言って慰めたものかと悩む。そして、どうして悩むのかと戸惑うのだった。
「……桜花は、伊斗也陛下が僕を試していたって知っていたね」
「気付かれましたか、申し訳ありません」
頭を下げる桜花に、弦義は顔を上げるよう諭す。
昨晩、決闘で伊斗也を応援しなくて良いのかと訊いた弦義に、桜花は「だって……いえ。陛下は大丈夫ですから」と言った。つまり、伊斗也は本気で弦義を倒す気はなかったということだ。それを指摘すると、桜花は首を横に振った。
「あの時はそうでした。ですが、夕刻に出逢った陛下は違いました」
伊斗也は桜花に出逢った途端、弦義を甘く見過ぎたと後悔を口にしたという。まさか、廃された王子があれほど強く、伸びしろを持っているとは、と。
「陛下は、あなたが王子でなければこの国に欲しいと残念がっておられました。そして、お仲間の皆さまも」
「彼らは、僕にとっても勿体ない友だと思っているよ」
思うのは、廃王子である自分について来てくれている仲間たちだ。
最初に出逢い、卓越した戦闘能力を持つ那由他。山賊の過去を持ち、二度家族を失いながらも明るさを失わない白慈。ロッサリオ王国から弦義の選定のためについて来て、互いに信頼を結んだ和世。そしてハープと強弓を携えて異国へ下り立ち、音を通して通じ合ったアレシス。
彼ら四人は弦義の仲間であり、かけがえのない大切な友だ。
「だから、陛下といえども差し上げるわけにはいかないんだ」
「そうおっしゃると思っていました。大丈夫です、陛下の冗談でしょうから」
「そうか。もしも真剣な願いだとしても、応じられないけどね」
肩を竦めて苦笑いする弦義に、桜花は微笑む。そして、ふと彼女は目を伏せた。弦義がどうしたのかと問えば、逡巡した末に弦義の傷だらけの手を握る。
桜花の柔らかな手の感触に、弦義の顔に熱が集まった。どくんっと心臓が音をたて、更に彼を慌てさせる。
「……っ、どうし」
「わたしは、あなたを止めません。ですが、心配だけはさせて下さい」
「しん、ぱい?」
怒涛の展開について行けずに驚き固まる弦義に対し、桜花は潤んだ瞳を真っ直ぐに向けた。そしてそっと弦義の手から自分のそれを離し、彼の頬に手を添える。
桜花の桜色の瞳に、当惑と羞恥に染まった弦義の顔が映る。
「あの、さくら、ひめ……っ」
「あなたの瞳は、時にどんな悪人すらもひれ伏させる力が宿ることがあります。その威はあなたの王としての才であり、同時に非常に危ういものでもあります。どうか、その力の使い方を誤らぬよう……に……っ」
真剣な顔をしていたはずの桜花だが、徐々に頬を赤くしていく。ようやく弦義との距離が十センチにも満たないことに気付いたのか、首まで赤くして手を離した。
弦義は既に、顔を真っ赤にしている。生まれてこの方、こんなにも同年代の女子との距離を詰めたことがなかったためか、心臓が五月蠅過ぎて硬直する。
「あ、の……ごめん、なさい」
「ぼ、僕の方こそごめん。……そして、忠告もありがとう。時々自分が自分じゃないような気持ちになることがあったから、呑み込まれないように気を付けるよ」
「……はい」
羞恥で真っ赤になった桜花に対し、弦義は彼女の頭を軽く撫でた。さらりとした指通りの明るい茶の髪を、弦義の指が
「僕が危ない時は、仲間が必ず止めてくれる。それに……きみもそうだろう、桜花」
「勿論です、弦義殿下」
くすくすと笑い合い、二人は束の間の逢瀬を楽しんだ。
そして別れる前、桜花は真剣な顔をして弦義を見詰めた。思わずドキリとした弦義の瞳に、桜花が映る。
「この戦いが終わったら、もう一度お会い出来ますか?」
「……ああ、必ず会おう」
「約束ですよ、殿下」
桜花の切れ長の目が柔らかく弧を描く。その表情は、弦義の目をくぎ付けにする程の魅力を放つ、可愛らしさだった。
同じ頃、アレシスの姿は城の裏手にあった。伊斗也に頼んで連れて来てもらったのだが、目的地は綺麗に整備され、美しい花が手向けられていた。
「……師匠、遅くなってしまい申し訳ありません」
膝を折って地面につけ、アレシスは手を合わせた。彼の前に立つ墓石には、こう刻まれている。『グーベルク王国武師・昇矢、ここに眠る』と。
背後に小さな山を置くこの場所に、アレシスと伊斗也の師匠・昇矢が眠っている。伊斗也によれば彼が毎朝掃除をし、花を欠かさないのだという。
「俺にとっても、師匠は偉大な尊敬する人だったから」
「そうですね。異国人であるぼくにも、分け隔てなく教えて下さった。……陛下、ここに連れて来て頂きありがとうございます。お蔭様で、これまでのことを報告することが出来ました」
「構わない。……それに、師匠はアレシスを案じていたからな。今日、安心しただろう」
「……そう、ですか」
アレシスは墓石を眺め、もう一度手を合わせる。目を閉じ、今は弦義と共に旅をしているのだと報告した。
(全てが終わったら、もう一度ここに来ます。そして、終わりましたと報告させて下さい)
――楽しみにしているぞ、アレシス。
「――っ、師匠?」
「どうした、アレシス?」
突然立ち上がったアレシスに驚き、伊斗也が怪訝な顔をする。それに気付き、アレシスは「いえ」と呟いてゆっくりと再びしゃがみ込んだ。そして、墓石に目を移す。
「……今、師匠の声が聞こえた気がしました。全てが終わったら報告すると言ったら、『楽しみにしているぞ』と」
「……ならば、必ず来い。俺も待っている」
「はい。―――必ず」
伊斗也と昇矢に約束し、アレシスは墓を後にした。
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