第32話 夢世界の少年
――お察しの通り、おれの名は
黒い髪は短く切り揃えられ、紅葉のような赤い瞳が目立つ少年だ。彼は簡潔に自己紹介すると、そして、と付け加える。
――そして、きみの友である那由他の元。あいつは、おれを元に作られた。
「どうして、僕の前に……? ここは、死後の世界なのか」
――そうだとも言えるし、違うとも言える。ここは、夢の世界なんだ。
「夢……」
思わぬ言葉を聞き、弦義は言葉を繰り返す。そうすることでこの不可思議な世界を理解しようと試みた。
「つまり、ここは僕が起きている時にいる世界とも、死後の世界とも違う場所だということだね。異空間と言っても良いのかもしれないけれど。適切な表現は、やはり『夢』だ」
――あたらずと
「……そうだね。教えて欲しい」
何故名乗ってもいない弦義の名を知っているのか、夢の世界は些末なことなのか。そんな疑問が頭をよぎったが、今更だ。
弦義が先を促すと、夏優咫はにこりと笑った。
――おれは、那由他の左目を通じて今もあいつと繋がっている。魂がこの世から消えるまで、ここであいつを見守っているんだ。……あいつが、那由他が人として生きていけるように。
ホムンクルスとして生を受けた那由他は、自分の身を顧みないところがあると夏優咫は苦く笑った。自分が傷つくことで誰かが悲しむなどと、考えもしないのだと。
でも、那由他は少しずつ変わっている。夏優咫はそう言って、人差し指を弦義に突き付けた。
――あいつが変わったのは、弦義に出会ったからだろう。そして、仲間たちと……あの姫巫女と。だから、弦義に頼みたい。
「頼み?」
目を瞬かせる弦義に、夏優咫は真摯な表情で頷く。
――そうだ。……俺は見守ることしか出来ない。那由他に危険が迫っても、助けることも手を差し伸べることすらも叶わない。だから、那由他と一緒にいてやってくれ。
「ちょっと、夏優咫! 顔を上げてくれ」
突然頭を下げられ、弦義は困惑する。それでも、夏優咫は顔を上げようとはしない。
――あいつは、那由他はまだ人として成長出来ていない。だけど、随分と変わって来ている。……もう少しで、おれは必要なくなる。
「わかった。それに、頼まれるまでもないよ」
くすっと笑い、弦義は約束した。それは、約定するまでもなく、彼の本心だったが。
「約束する。友として、仲間として、那由他と共にいるよ。共にいたいと、僕自身が願っているから」
――ありがとう、弦義。あ、そうだ。那由他に『気にするな』と伝えてくれ。
頭を上げ、幼さの残る笑みを見せた夏優咫の姿が薄まる。突然の出来事に驚いて伸ばす弦義の手を、夏優咫はそっと押し戻した。
――時間だ。もう、目覚めなければ。……いつかまた、弦義。
「ああ。必ず、また会おう」
赤の瞳が揺れ、微笑む。弦義の中に、彼の存在が深く刻まれた瞬間だった。
瞼を上げると、薄暗い天井が見えた。もう夜なのだろうか。
「……ん?」
ぼんやりとした視界が、徐々に明瞭になっていく。弦義は何度か瞬きを繰り返すと、そっと右手を挙げてみた。
(問題なく挙がる。……戻って来たんだな)
現実で目覚めたことに安堵した途端、左肩に痛みが走る。痛みの元に触れると、傷の上に包帯が巻いてあった。丁寧な仕事は白慈だろうか。
(そうか。僕は矢を受けて、気を失ったのか)
そっと起き上がろうとするが、何かが重石になって掛け布団が動かない。もぞもぞと体を動かし、その正体を見る。
「はく……じ?」
弦義の足下に近い場所に頭を乗せ、白慈が眠っていた。規則正しい寝息が聞こえ、彼が弦義を看病してくれていたのだろう。傍の机には、薬草をすり潰す道具と水の入ったコップが置かれていた。
ゆっくりと上半身を起こし、室内を見回す。するとそれぞれのベッドの上で、那由他とアレシスが眠っていた。和世はと探すが、姿がない。
その時、ギギッと音がして部屋に光が射しこんだ。弦義が顔を上げると、丁度和世が部屋に入って来るところだった。鎧を着ずに普段着で剣を手にしているところを見ると、何処かで鍛錬でもしてきたのかもしれない。
皆を起こさないよう忍び足で入って来た和世は、思わぬ声に目を見開く。
「和世、どの?」
「殿下……? 目覚められたのですか!」
バタバタと足音をたて、和世が弦義に駆け寄る。その音によって、他の三人の眠りが覚まされていく。
「何だよ、和世。弦義はまだ寝てるんだか……」
「起きてくれ、白慈。殿下がお目覚めだ」
「え? ……えっ⁉」
がばりと上半身を起こした白慈は、彼の勢いに気圧された弦義をまじまじと見詰めた。じっと目を合わせ、白慈の紫色の瞳に弦義の顔が映り込む。
弦義のベッドによじ登った白慈は、弦義の顔色を窺った。更に、肩の怪我の様子を確認する。既に血は止まり、包帯の色は変わっていない。
「……よかった。弦義、何処か痛いとかある?」
「まだ肩は痛む。だけど、動かない程じゃない」
「本当に? よかったぁ~」
自分の肩に手を置き、弦義は白慈を安心させようと微笑んだ。ようやく安堵したらしい白慈の目が潤む。彼の肩を、和世が撫でるように叩いた。そして、和世自身も微笑を浮かべた。
「お目覚めで安心しました」
「心配させたみたいですね。ありがとうございます」
「いえ。私は……」
思わず本音を口にしかけ、和世は口を噤んだ。その理由を訊こうとした弦義だったが、覆い被さるような人影に右肩を掴まれて中断する。
「弦義!」
「な、那由他……」
「すまない。俺が護れなくて」
後悔を滲ませ項垂れる那由他の背を、弦義は叩く。そこには、気にするなとありがとうの意味が込められている。
「那由他はよくやってくれている。あの時、僕を止めようとしてくれたじゃないか。それを振り切ったのは、僕自身だ。だから、感謝はしても怒ることなんてあり得ない」
「……それでも、ごめん」
弦義の右肩に額をつけ、那由他の肩が震える。弦義は彼に好きにさせながら、眠っていた時の出逢いについて口にした。
「那由他」
「何だ……?」
「夏優咫に会ったよ。きみの、元になった少年に」
「え……」
顔を上げ、那由他は目を見開いた。那由他のみならず、白慈と和世、更には目を覚ましていたアレシスも瞠目していた。
三人に向け、弦義は夢の世界で経験したことを話した。とはいえ、それほどたくさんの出来事があったわけではない。
心臓の病で命を落とし、瞳だけを現世に残された少年。その魂が夢の世界に残り、那由他を見守っている。そんな物語のような現実に、仲間たちは異を唱えなかった。
「俺は、夏優咫に恨まれていると思っていた。でも、そうじゃなかったんだな」
「恨まれていると思っていたのか? どうして」
「俺は、あいつが死んだからこそ生まれた存在だからだ。……自分は死んだのに、その命を奪って俺は生きている。ずっと心の中で謝り続けていた」
「だからかな。夏優咫が言っていたよ。那由他に『気にするな』と伝えてくれって」
「……そうか」
左目の眼帯に手をあて、那由他は「よかった」と唇を動かした。
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