第21話 宿屋
「あの、すみません」
食事を終えて代金を支払う時、弦義は店主に尋ねた。
「どうしたね、お客さん?」
「先程の、アレシスという方はこの辺りに住んでおられるのですか?」
「何だい、お兄さん。彼のファンになっちゃった?」
冗談のように笑う店主は、弦義が真剣な顔をしているのを見て咳払いをした。表情を改め、残念だがと首を横に振る。
「私も家は知らないんだ。旅をしていると言っていたから、何処かの宿でも取っているのだろうけど。すまないね」
「いえ。こちらこそ、無理を言いました」
店を出ると、陽射しが一段と強くなっていた。その眩しさに目を細め、足りなくなったものを買い足すために市場へと向かう。
「さっきはどうしたの?」
市場に行く途中、白慈が弦義を見上げた。あの吟遊詩人が気になるのか、と。
「気になるというか、音に違和感があったんだ。まるで――」
「まるで、真実を嘘で塗り固めたように」
弦義の言葉を預かり、和世が続けた。弦義は振り返り、彼の言葉を肯定する。
「和世どのもそう思いましたか」
「ええ。芸術面には疎いのですが、何となく」
「その話、ぼくにも聞かせてくれないかな?」
突然近くで聞こえた声。四人が振り向くと、あの吟遊詩人が立っていた。ハープと大きな弓を背負い、にこやかに手を振った。
「やあ。さっき店で聞いてくれていた四人だよね? 初めて見る顔だったから、気になっていたんだ」
「僕も、あなたの歌に引っ掛かりを覚えました」
弦義が言うと、和世も頷く。白慈と那由他は首を傾げていたが、何も言わない。
そうか。アレシスは諦めたように微笑むと、ポケットから取り出した紙にペンでさらさらと何かを書いた。それを弦義に手渡す。
「これは?」
「ぼくがいる宿だよ。きみたちもそこに泊まると良い。そうしたら、ゆっくり話が出来るから」
まだ宿は決まっていないのだろう。そう問われ、弦義は頷く。決めるも何も、この町に着いたのは一時間ほど前だ。
メモを見れば、宿までの地図が書かれていた。それを見る限り、ここから程近い所にあるようだ。
「じゃあ、また夜に」
「あっ、ちょっと」
弦義の制止も聞かず、アレシスは人混みの中に入ってしまった。仕方ない、と弦義は仲間たちを振り返る。
「アレシスさんと話もしたいし、まずはここに行こう。荷物を置いて、それから買い出しに行っても遅くはないでしょう」
「賛成」
「構わない」
「ええ、良いですよ」
白慈、那由他と和世の賛同を得て、方針が決定した。
宿にチェックインし、部屋に荷物を置く。それから弦義たち四人は市場へと繰り出した。
彼らが滞在するこの町は、まだロッサリオ王国の領地だ。時計塔がランドマークのメイザードという名を持つ。
市場に赴くと、賑わいに圧倒される。国境前の中では最も大きな町であるメイザードは、旅人や商人にとっての中継地点らしい。ここで揃わないものはない、という自慢を何処かの店主が口にしていた。
「じゃあ、僕と那由他で食料を調達してくるよ。白慈と和世どのはその他のものを」
「了解!」
「承知しました」
二人と別れ、弦義と那由他は食品街へと赴く。カラフルな野菜や果物が店先に並び、威勢の良い掛け声が轟く。
「弦義、何を買うんだ?」
「それほど大荷物にするつもりはないんだ。ただ、宿は食べ物持ち込み可だと聞いたから。何か美味しいものをと思ってね」
「ふうん」
興味なさそうに返事をしつつも、那由他の目は店先を見ている。何も言わないが、全く関心がないというわけではないらしい。
「那由他」
「何だ」
幾つかの店を回り、美味しそうな果物や干し肉、米等荷物にならない程度の量を買い込んだ。その帰り道、弦義は那由他に言う。
「きみは前に、自分はつくられた存在だと言ったね。それに、感情をどう表せば良いのかわからないとも」
「言った。それが?」
「僕は、そうは思わない」
市場の中の広場に出ると、人混みがましになった。そこで、弦義は那由他を振り返る。
「きみは、きみ自身が知らないだけで感情豊かな人だよ。それに他人思いで、優しい」
「――っ、何を根拠に」
「根拠なんてない。ただ、一緒にいてそう思っただけだ」
行こう。腕に抱えた紙袋を持ち直し、弦義は再び宿を目指して歩き始める。那由他は彼を追おうと伸ばした右手のひらを見詰めた。
「優しい? こんな、半端な人間もどきが」
自分の呟きを聞き、何故か胸の奥が痛んだ。そして、ふと社の巫女・常磐の顔が思い浮かんで首を傾げるのだった。
二人が宿に到着すると、既に白慈と和世が部屋に入っていた。戸を叩くと、白慈が開けてくれる。
「お帰り、二人共」
「ただいま。あ、お土産あるよ」
新鮮な果物を白慈に手渡し、二人はベッドにそれぞれ腰を下ろした。
「そういえば、さっき宿の人に聞いたんだけど」
四つのベッドが向かい合う構図の部屋だが、白慈は迷わず弦義と足を向け合う形になる場所を選んだ。ちなみに弦義と那由他が隣同士で、白慈と和世が横並びになる。
ボフンと音をたててベッドの上に胡坐をかき、白慈は近くに置いていたチラシを手に取った。それを弦義に見せる。
「これは?」
「昼間のアレシスって人、この宿でもハープを弾くらしいんだ。その案内だよ」
「へえ」
確かに、チラシにはリサイタルの文字が躍っている。そしてアレシスの名と共に、うたい文句が大きく書かれていた。
「……『メイザードに舞い降りし、ハープの御使い』」
「那由他、棒読みになってる」
苦笑いする弦義に、那由他はそれ以上の反応を示さなかった。ふっと顔を離し、買って来た桃を丸かじりする。
「殿下は、この者が気になるのですか?」
「そう、ですね」
鎧を脱いだ和世が、弦義に問う。その「殿下呼び」を止めてはくれないのだなと思いつつ、弦義は正直に頷いた。
「気になるというか、不思議だなと思うんです。あんなに自分を偽って、苦しさはないのかと」
アレシスの演奏は美しいが、それは空虚な美しさだと弦義は思う。その理由を尋ねたいと思っていたから、アレシスが宿を提案してくれて渡りに船なのだ。
「……」
「あ、そうだ。……和世どのに頼みがあるのですが」
「頼み?」
首を傾げた和世に、弦義は頭を下げた。
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