第2章 ロッサリオ王国
小さな運命
第12話 社の巫女姫
白雲に閉ざされた世界が見えた。その先におぼろげながら映るのは、初めて自分を友だと言って微笑んだ男の影だ。
「つるッ……。ここは」
上半身を起こすと同時に激しい頭痛にみまわれ、那由他は頭を抱えた。痛みが幾分引いてから、そっと自分がいる場所を見回す。
何処かの建物の中らしい。木の匂いがする、机と椅子とベッドくらいしか置かれていない部屋だ。明るい陽射しが窓から部屋を照らしていることからして、今は昼間らしい。
那由他は、自分の怪我が治療されていることに気付いた。腕や腹には白い包帯が巻かれ、仄かに薬のにおいがする。
(誰かに触れられても気付かないなんて、俺も不甲斐ないな)
アデリシア王国で処刑人であった頃は、眠っていても起きている時と同様の警戒心を持っていた。だから鼠一匹牢に入り込んでも気付いたし、兵士の誰かが面白半分で牢の中に特級殺人犯を放り込んだ時も対応することが出来た。
しかし今、牢から出られたためか怪我をしたためか、警戒心が緩んでいるらしい。那由他はチッと舌打ちして、不相応なほどふかふかのベッドから下りようとした。
その時、ギッと音がして部屋の戸が開いた。
「あ、気が付かれたんですね」
「……?」
警戒心を露わにして睨みつけた那由他だったが、入って来た人物を見て拍子抜けしてしまう。何故なら、目を向けた先に立っていたのは可愛らしい少女だったからだ。
ふんわりとした雰囲気の彼女は、黒髪を揺らして那由他に近付いて来た。肩まで伸びた髪は、彼女が歩く度にふわりと揺れる。
「お前、来るな」
「警戒されていますよね。でも、わたしは敵ではありません。あなたを山の中で保護して、ここに連れて来ました。傷の具合は、どうですか?」
睨みつける那由他に怯むことなく、彼女は那由他と一定の距離を保って問いかけた。あまり近付いてはより警戒されると踏んだのだろう。
大きな瞳は
「……怪我は、これ位ならいつのものことだ。大事ない。それから、治療してくれて礼を言う」
「―――っ、どういたしまして」
わずかにほころんだ那由他の表情を見て、少女は頬を朱に染めた。
彼女の小さな変化には気付かず、那由他は無表情に戻る。そして、ようやく自分が名乗っていないことに気が付いた。
「俺は、那由他。アデリシア王国から来て、ロッサリオ王国へ行く途中だ。あんたは?」
「わ、わたしは……
常磐と名乗った少女は、近くの椅子を引き寄せて腰を下ろした。そして、那由他が運び込まれたこの場所について簡単に教えてくれる。
「ここは、もうロッサリオ王国の地です。ただ、かなりの辺境ですが。ロッサリオではこの世界を創り出したとされる神様への信仰があり、代々国の有力者の娘が巫女として社に派遣されます。……まあ、体のいい厄介払いでしょうけれど。わたしは巫女としての才しかありませんから」
「あんた……常磐は」
「わたしの父は、国の大臣職を務めています。ですから指名されました。それよりも」
すっと腰を上げて那由他に近付いた常磐が、那由他の灰色の瞳を見詰めてきた。突然のことで驚きながらも、那由他は動くことが出来ずに硬直する。
二人の距離は、一分も経たずに離れた。
何かを考えるように目を伏せた常磐だが、すぐにハッと顔を上げた。みるみるうちに顔が赤く染まり、勢いよく頭を下げる。
「ご、ごめんなさい! よく知りもしない奴が突然距離詰めてきたら驚きますよね」
「あ、いや……気にするな」
常磐に釣られて焦燥に駆られた那由他は、何か見えたのかと常磐に尋ねる。すると常磐は真剣な顔をして「ご存知でしょうが」と前置きをした。
「あなたは、誰かを元にしてつくられた。……違いますか?」
「正解。よくわかったな」
「目の中というか、あなたの中に『もう一人の存在』を感じたから。でも、ホムンクルスが実在するなんて」
戸惑いを見せる常磐に、那由他は説明すべきか迷った。助けてくれた恩はあるが、それだけだ。判断材料が少ない。だから那由他は一旦その話に蓋をし、弦義との約束を果すことを優先させることにした。
「ちょっと、まだ動いては」
「助けてくれたことには礼を言う。だけど、早く行かないといけない」
「でもっ」
出て行こうとする那由他と押し留めたい常磐の押し問答は決着がつかず、次に部屋を訪れた者によって落ち着くこととなった。
「何をしておられるのですか、常磐様」
「レイ」
ため息を零しつつ、レイと呼ばれた女性が二人の間に割って入る。
レイは豊かな髪を一括りにして後ろに垂らしており、着ているものは軽量の鎧だ。その鋼色が、常盤の白い衣装を柔らかく見せる。
「あなたも、まだ完治したわけではないのですから無理に動かないで」
「あんた、レイっていうのか」
「そうです。常磐様を守る騎士であり、従者を務めています」
はきはきと礼儀正しいレイは、きりっとしたつり目の美女だ。女性が騎士であることに驚いた那由他だが、守る対象が女性である以上、同性である方が都合の良いこともあるだろう。
「あなたは大人しく怪我を癒してください。旅を続けるにしても、怪我を治してからです。それに今朝早くアデリシア王国から手紙が届いたとかで、少々立て込んで……」
「手紙って、野棘からか?」
「何故、その名を」
目を見開いて驚くレイに、那由他は「しまった」という顔をした。そして眉間にしわを寄せながら、常磐の方を向いた。
「すまないが、俺をロッサリオ中心部に連れて行って欲しい。そこに行くと約束した奴らがいるんだ」
「それは、完治してからではダメですか?」
本気で心配しているのがわかる声音で常磐に問われ、那由他は一瞬逡巡した。しかし、答えは決まっている。
「ああ。……手遅れになる」
「――わかりました」
「常磐様⁉ そんな、どこの馬の骨ともわからない奴の言うことを信じるのですか?」
那由他の頼みを断らない主に、レイは批判をぶつける。更に、事情を何も話さない那由他にも矛先を向けた。
「あなたは、助けてもらっておきながら自分のことを、何も明かしませんね。それで要求を呑んでもらえると、本気で思っているのですか?」
「レイ」
「常磐様、これは大切な話です」
主の言葉を突っぱね、レイは那由他に挑むように一歩踏み出した。その怒りと警戒を露にした瞳を真正面から受け止め、那由他は首を横に振った。
「思ってはいない。だけど、これ以上は俺の一存では話せない。……弦義に訊いてくれ」
「つるぎ……弦義⁉」
同行者の名を聞いた瞬間、レイが信じられないという顔で那由他を見た。常磐も驚いてはいたが、何処か納得した顔をしている。
「そうなんですね。だから……」
常磐は一人頷くと、レイに何やら耳打ちをした。目を瞬かせたレイだったが、その場で一礼して部屋を出て行く。バタバタという足音を聞きながら、那由他は「どうしたんだ」と常磐に尋ねた。
「レイにお願いしたんです」
「お願い?」
「ええ。王城にいるであろう父に、王様とのお目通りを許してもらうために」
だから、許可が出るまでは休んでいて下さい。常磐はそう言って微笑むと、那由他の食事を用意するために部屋から退出した。
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