第6話 氷の冷たさ
夏の夜の王都。
その日は、とても制服など着こなしてはいられないような、蒸し暑い日だった。
「……なあ、なんか…ちょっと寒くねえか?」
門を守備している衛兵たちは、それぞれ思い思いに憲兵の目を盗みながら服装を着崩し、周辺の屋台で手に入れたエールにありついていた。
この十年間でコーサラ国では、民間にも宿霊術を用いた職業などが普及した。
彼らが飲み食いしているエールや保存食も、氷や炎の宿霊者によって作られたものである。
今より十数年前、未だエルラーマが健在だった時代には、宿霊術は王宮の外に持ち出すことを禁じられていた。
理由は無論、その危険性故である。
仮に宿霊術が民間に普及した場合、いつかはきっと、宿霊術の秘匿性に目をつけた人間たちによる暗殺事業などが興るだろう。
もしくは、開発系の能力者たちによって、炎や雷などの攻撃系能力を模した道具が開発されれば。
国家転覆など、その日のうちにできてしまう。
そして、そこから十数年後、時間は現在に至り。
王都では、エルラーマの危惧していた状況が、まさに再現されていた。
一つだけの、”計算外”を除いて。
「おっ、おい……しまえしまえ、来たぞ…警備隊だ」
「…そんな時間かよ、チッ。……ああどうも、ご苦労様です。今日も異常なしですよ、警備兵どの」
暇を持て余していた彼らの前に現れたのは、十年前、宿霊術の民間への普及と同時に王都中に配備された兵士たち。通称”警備隊”。
彼らの任務は主に、発生した犯罪への対処と民衆の警護——ではない。
警備隊の正式名称は、”七十二柱警邏予備隊”。
そのほとんどが10代後半から二十代前半の彼らは、全員が宿霊者で構成されている。
そんな彼らの任務内容というのが——王都で発生した宿霊術犯罪への対処である。
宿霊術を、悪意の有無に関わらず、悪用したものをその場で拘束、即処刑が彼らの仕事。
そして、現場で訓練を積んだ彼らの中のほんの一握りが、七十二柱へと繰り上がっていくのだ。
そして、そんな血生臭い任務を請け負う警備隊は。
必然というべきか、民衆と折り合いが悪い。
免税特権などの特別待遇も与えられている上、彼らは二十五歳を迎えるまでに七十二柱へと昇進できなければ、その時点で免職となる。
とにかく功績を上げ、早く昇進したい。
そんな行き過ぎた上昇志向が、彼らが守るべき民衆との諍いを産んでいるとはなんとも皮肉な話ではあるが。
そして今日現在、町の市民を守ることを本分とする衛兵たちは特に、彼らのことを忌み嫌っており——。
「だからねえ、アンタら勝手すぎんですよ。そもそも、宿霊術犯罪”かもしれない”で処刑されちゃ、こっちも商売上がったりなんです!」
「…黙れ、この猿どもが!私たちがいるからお前たちは、安心して宿霊術の恩恵に預かることができているのを忘れたか!」
「それとこれとは話が別ですよ、やりすぎだって言ってん……オイ、お前もなんとか言えよ。何震えてんだ?怖えのか?」
相方の様子がおかしいことに気がついた衛兵の一人が、ガタガタと肩を震わせるもう一人に声をかけると。
声をかけられた、もう一人は。
眉まで霜が降りた真っ青な顔で、半分白目を剥きながら口を開くと。
「……なあ、なんか…ちよっと寒くねえか?」
その言葉を最後に、ぐるりと目を逆さまに剥いて倒れ込んだ。
仲間の突然の異常に、混乱に陥る衛兵たちのすぐ横で。
警備隊の地区隊長、ゼノンはすぐさまこの異常事態を察知し、応援呼びの笛を鳴らそうとし……そして。
すでに自身の全身が、完全に覆われていることに気がついた。
巨大な、氷で。
「なっ、まさか……まさか、この能力…この氷の形成速度は…!」
異常、だ。
通常の氷使いなら、そもそもの氷を生み出すのにさえ数秒の時間を要する。
それを、この一瞬で。
こんな芸当ができるのは、あの憎き解放軍の中でも一人しか——。
「こんばんは。今夜は、いい月が出ていますね」
再び、戦慄。
音もなく、背後に立たれていた。
もうこの瞬間に、この俺の命はこの男次第で……。
死。
究極の絶望を突きつけられたゼノンの耳元で、その青年は——ラーマはこう囁いた。
「地区隊長さん。王都深部へと続く抜け道、教えてください。…ああ、知ってて黙秘も知らなくて黙秘も、どっちも死ですから気をつけてくださいね」
第1章 『王都襲撃』編 開幕
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