第2話 不思議な銀時計

「ちょっ、ちょっと待ってよ……そもそも僕の名前、ラーマじゃなくってラムだし…それに、今なんて言ったの?僕が……皇太子…?」


たった今リディナの喋ったこと、それら全てのあまりの突拍子もなさときたら。

いくつものハテナが、僕の頭を埋め尽くしていく。


そんな僕の言葉を聞いたリディナは、あごひげに手をやりながらしばらく黙り込んだ。


すると目の前の小さな男は、ふむと一つ頷いてからパンっと手のひらを合わせると、僕の方に向き直って口を開いた。


「…まずは、この国の皇太子たるあなた様が、どうしてこのような片田舎で、苦しい生活を強いられていらっしゃるのか。それから話さねばなりません。……これは同時に、あなた様の背負われた…宿命に関わってくる話でもあります」


仰々しい前置きとともに始まったリディナの回想は、僕に体感させることとなる。


想像を絶するほどに壮絶な、僕自身の出生を。

そして、これから僕を中心にして起こる——いや、ずっと前からすでに種子は蒔かれていた、”運命の歪み”を。



「今から十四年前、コーサラ国は大きな転換期にありました。…三十年にわたってこの国の政治・軍事の両方を支えてきた傑物、英雄王エルラーマ様が崩御されたためです」


リディナのその言葉に、相槌の意を込めて僕はこくりと頷いた。

こんな辺境の片田舎で育った僕でも、さすがにその名前くらいは知っている。


コーサラ国の先王、英雄王エルラーマ。

周辺諸国と比べても中堅よりやや劣る程度だったこの国を、一代で超大国へと押し上げた鬼才。  


その政治の手腕もさることながら、彼を語る上で欠かせないのはやはり——。


「彼の王が英雄たり得たのは、単に王として優れていただけではありません。エルラーマ様は…」


「宿霊者としても、千年に一度の逸材だった。…でしょ?前に一度、絵本で読んだことがあるよ」


曰く。英雄王エルラーマは人民の王だけでなく、宿霊者の王たる王でもあったと。


曰く。ひとたび彼と戦えば、どんな力自慢や歴戦の宿霊者だろうと、そのことごとくが大いなる源流へと還ることとなったと。


曰く。彼は生涯武器を持たず、あらゆる戦いにおいて素手で挑んだと。


誰一人として彼の能力を看破できないままに、全てが彼の前に破れ去った。

そして次第に、彼に戦いを挑む者はいなくなっていった。


そんな彼についた渾名が、”無敵の英雄王”。


「……現国王のラメス王には、先王のような宿霊者としての才能はありません。それは、あなた様のご兄弟も同じです。…しかしラーマ様。あなたの宿霊者としての才は、生まれた時点で先王を凌ぐほどのものだったのです」


一瞬、何を言われたのかよく分からなかった。


「いや、何言って……僕が、あの英雄王より…?」


僕の宿霊者としての能力——宿霊術は、誰のものかも、どこから来ているのかも分からないような誰かの右腕を呼び出す。ただ、それだけだ。

腕自体の力だって、たかだか重いものを持ち上げたりできる程度のもの。


そもそも、自分の両腕だって満足に動かせないような僕が。


「…なにか勘違いしてるのかもしれないけど、僕の力は……リディナ、君が思ってるほど凄いものじゃないよ」


遠慮がちに放った僕のセリフに、リディナはパチりと目を瞬かせると。


今度は、何を今更と言わんばかりに目を見開いて見せた。


「それはそうです。…だってラーマ様、ご存知なかったでしょう?ご自身の本当のお名前」


「いや、仮に僕の名前が本当にラーマだったとして……それが、僕の”偽りの右腕”に何か関係あるの?」


「ええ、大ありですとも!…あなた様の宿霊術はつい先ほどまで、とある宿霊者の力によって制限されていました。…それは悪意や敵意ではなく、あなた様を無事に、王宮の外へと逃すための措置だったのです。……十四年前のあの日、王族を襲った悲劇。”ティトの禍”から」



ティトの禍。

この国に住む人間なら誰もが知っている、コーサラ王家を襲ったあまりに凄惨な事件の名前だ。


英雄王エルラーマが、病死でも戦死でもない”突然死”でこの世を去ったその年。

それまではエルラーマを恐れて近づこうとしなかった周辺諸国が、我こそはとコーサラ国に対して宣戦布告した。


混乱する国内の安定化と、各戦場への対処に追われていた当時の王都は、まさに手薄そのもの。

そしてそんな中、国を支えるべき王族とその周辺でも異変が。


当時、エルラーマの遺言によって第二王子であった現国王・ラメスが暫定的とはいえ王位を継いだことで、宮廷内には大きく亀裂が生じていた。


本来ならエルラーマの死によって実権を握っていたはずの皇太子・メフメト派と、第二王子でありながら大逆転で王位を掴んだラメス派。


この二大派閥の衝突は日に日に激しさを増し、ついには召使いの一人が殺される事件にまで発展。


さらにタチが悪いことに、その召使いとは皇太子・メフメトの無二の親友であったという。

それが、メフメト派の怒髪天を突く形となった。


そしてついに、あの日。

宿霊者であるメフメト本人とその私兵たちが、ラメス王らのいた王宮へと突入。

互いに宿霊術を打ち合う大混戦となり、多くの兵士や召使い、そして王族までもが犠牲となった。

しかし最終的には、王宮守備兵を用いることによって数で勝るラメス派に軍配は上がり、メフメト派はほぼ全滅。


メフメト本人の首を上げるところまでは行かなかったものの、ラメス派宿霊者の一人、”豪炎”のザザによって死体ごと燃やされたとの結論が下される。


死者、行方不明者合わせて二百名以上。

その行方不明者の中には、数日前に生まれたばかりのラメス王の第一子、ラーマも含まれていた。


さらに奇妙なことに、後処理と現場検証に入った王宮憲兵らの証言によると。

メフメト派は王宮の奥の奥、歴代コーサラ国王の遺体が安置されている墓地にをも、侵入していたことが分かった。


そしてそれらの別働隊によって持ち去られたのは、他の誰でもない、英雄王エルラーマの遺体のみだったという。


これが、コーサラ国民の間で伝えられている悲劇、ティトの禍の全容だ。

そしてこの事件こそ、僕の出生と今の惨めな暮らしの大元だとリディナは言う。


しかしここまでの話を聞いて、僕にはある一つの疑問が浮かんだ。


「ねえリディナ、今の話っておかしいよね。……ティトの禍で、勝ったのはラメス王——僕のお父さんのはずだ。なら一体誰が、なんで能力を縛ってまで僕を王宮の外に逃したの?」


ただ頭に浮かんだことを、そのまま聞いただけの僕の問いに。

リディナは今まで以上に難しい表情を浮かべると、腕を組んで唸り出し……数分後、ついに決心した様子で再び口を開いた。


「いいですか、落ち着いて聞いてください。……実は、あなた様の——」


そしてその言葉は、続きを紡ぐことはなく。



山の麓から轟いた凄まじい爆発音によって、彼方へと掻き消された。



「……ッ、いったい何が…今の衝撃は、よほど強力な爆弾か……もしくは…って、ちょっとラーマ様!?どうして走り出すのです!」


後方から聞こえてくるリディナの制止なんて、今の僕にはどうでも良かった。


この、空気の震え方は。

間違いない。…僕が宿霊術を使ったときに起こるそれと同じものだ。


それに、今の方角は!!



「……ナムリおばさんッッ!!」




ああ、一体いつまで。

いつまでこの嘘を、あのお方に対して吐き続けなければならないのだろう。


ラム——ラーマが俵を運んでいく、その後ろ姿を見守りながら。

ナムリこと、ナムルト=アリは考えるのだ。


もう、自分の手で彼を隠すのは限界であると。


ラーマ様の宿霊者としての力は、本当に史上類を見ないほどだ。

その証拠に、年々、私の施した封印もその力に侵食されつつある。


そもそも、明確な”力のイメージ”も無しに霊子だけで腕を具現化させるなど、聞いたこともない。


しかし、もう少しだけお待ちを。ラーマ様。

解放軍の力が熟するその時までは、私があなたをお守りします。


たとえ恨みを買われることになろうと、あなただけは私が。


「すいませぇん、この辺にぃ、トイレって……ありませんかぁ?大きい方なんですけどぉ」


瞬間。

足の末端からつむじまで駆け上った怖気に、ドス黒い大蛇に丸呑みにされたような威圧感に、ナムルトは反射的に回避行動を取った。


王宮仕えの時分には、戦闘訓練や暗殺術も叩き込まれたこの私が。

背後を取られるまで、その存在に気が付けなかった。


十四年分の老い、だけではない。

背後の男——凄まじく強い。


脚のバネを活かして跳ね起きると、すぐさま振り返って男の顔を確認したナムルトは。


そこで、思わず目を疑った。


鮮血を思わせる赤い髪に、左目を大きく覆う火傷の痕。

十四年前の記憶が、鮮やかに蘇る。


忘れるわけがない。

あの、燃えるような狂気を。



「……て、あれぇ?知った顔だなあ。…奇遇だ奇遇よ奇遇だねぇ!……ちょーどいいや、おい裏切り者のナムルトさんよぉ!この辺の便所教えてくれよぉ!…この、”豪炎”のザザになぁぁぁ!!」



「…アンタみたいな洒落小僧は知らないよ。……どうしても我慢できないならここで漏らしな。殺した後に、肥料としてまいてやるよ。…この、”呪縛”のナムルトがね」




























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