図鑑のスクリプトル

一木空

プロローグ

 口から強力な炎を吐き、巨大な翼で自由に空を駆るドラゴン。

 月夜の晩にしか現れず、彼らを見た者は、幸福に誘われると言われるウサギ。


 この世界には、モンスターと呼ばれる不思議な生物たちが住んでいる。


 そんな生物たちと共生するために、人は力を求めた。

 武力に知力、そして魔力。人々はそれらを武器・知識・魔法として駆使し、安寧を保ち続けていた。


「それ! えい!」

 フードを被った女性が、剣をオオカミ型の生物に振り下ろしていく。


剣の攻撃を頭部にもろに喰らい、その生物はぐらりと体を揺らしながら倒れていく。

 ピクリとも体を動かさない様子を見るに、絶命したようだ。


「すごい! やったね!」

 少し離れた場所で戦いの様子を見ていた男性が、称賛の声をあげる。


 声を聞いた女性もまた、小さくガッツポーズをして自身の勝利を祝うのだった。


「指示出しありがと! おかげでかすり傷一つなかったよ!」

「それは嬉しいけど、旅に出る前に君と買った物のおかげじゃないかな?」

 剣を鞘に納めた女性は、杖を背に持った金髪の男性のそばに移動する。


 彼の手には、一冊の大きな本が握られていた。


「そうね~。新人の私たちでも戦いやすいように、それにはモンスターとの戦い方がたくさん書かれてあるんだもんね。作った人、さまさまだよ!」

「それだけじゃなくて、友好的なモンスターとの交友の深め方も書かれているんだ。そうそう見つけられることじゃないのに、いったいどうやってるんだろうね?」

 男性は本を開き、ペラペラとページをめくっていく。


 好奇心をむき出しにして本を読み漁る彼に小さく呆れつつ、素材の回収を始めた女性は視線を彼方に向ける。

 そこには、巨大な石造りの人工物があった。


「石の壁の中にある街に、その本を作っている一族が訪れているって話じゃなかった? ほら、世界の歴史を語りつつ、モンスターの情報を集めながら旅をしているっていう」

「そういえば、そんな噂を聞いたね。もしかしたら、図鑑の歴史を知るチャンスかもしれない! 早速、行ってみようか!」

 男性は本をカバンにしまうと、一目散に駆け出していった。


「ちょ、ちょっと! 素材の回収がまだ終わってないのに! ここをこうして……。よし、完了!」

 女性は手早く素材の回収を終わらせ、男性の後を追いかけだす。


 いきなり動き出したことで、彼女が被っているフードが外れていく。

 白い髪に白い角。女性の頭部には変わった特徴が刻みこまれていた。


 この世界の名はアステラ。いくつかの大陸が存在し、それぞれが異なる環境を有している。


 その中の一つ『アヴァル大陸』は水に富み、年中穏やかな気候が特徴の大陸だ。

 特に大陸西方は土壌が豊かということもあり、人・モンスター問わず多くの生命が住んでいる。


 そんな大陸の、とある地域の草原地帯。

 ここには、多くの人々が穏やかに暮らしていた。


 吹き抜けていく風、青々と生い茂る美しい草原。

 木々に咲く小さな花は終わりを迎え、小さな果実と成っていく。


 彼女たちは、この穏やかな空間を走っていく。

 目的地は巨大な石造りの壁に包まれた大きな街だ。


「あの街ではどんなことを知れるかな! 歴史に秘密、人々の暮らし! う~! ワクワクする!」

 女性は期待に満ちた表情を浮かべる。


 好奇心が乗せられた視線には、壁の合間に開けられた入り口に向かっているようだ。


 多くの人々が出入りをする姿がそこにはある。

 老若男女に動物たち。中には角が生えている者や、耳が大きく尖っている者。


 周囲の大人たちよりもはるかに背が低いというのに、大きな荷物を軽々と運ぶ者もいる。

 この街には、多くの種族が入り混じって生活をしているのだ。


「さあ、さあ、お立合い! 空中に浮かばせた風船たちを、魔法で生み出した使い魔たちが落としていくよ~!」

「パパ~! スライムさんのお人形買ってよ~!」

「こらー! 屋根に登っていたずらをしているのはお前たちか!」

 街の大通りでは流れの芸人のパフォーマンスに歓声があげられ、商店通りからは買い物をする多くの人々の声が行き交い、居住区からは子どもたちの笑い声と、いたずらを注意する大人の怒鳴り声が流れてくる。


 活気ある街の中に、一つだけ特に注目を引く建物が一棟立っている。白亜の美しい外観に、剣と本のレリーフが彫られた建物だ。

 周囲の建物は赤茶けたレンガなどの石造りで作られているので、他と比べてもかなり目立っている。


 外観だけでなく、建物内部も同様に白ずくめだ。

 ステンドガラスで作られた窓や、人々が座るための座席を除いてほぼ全てが白で覆われており、まるで神聖な建物かと思える佇まいとなっている。


 そんな白亜の建物には、非常に多くの人々の姿があった。

 彼らの目的は、とある人物の話を傾聴することだ。


 入り口から真っすぐ正面には壇上が置かれており、その上に人々の目的である金髪碧眼の少女が立っていた。

 少女の年齢は十代後半と言ったところだろうか。まだあどけなさが残る少女ではあるが、傾聴する人々の視線に臆する様子も見せずに堂々と語り掛けていた。


「次回は、世界を飲み込もうとする光から世界を守った英雄のお話をしようと思います。よろしければ、また来てくださいね」

 彼女の声は、まるで小川のせせらぎのように感じられるほどに美しい。どこか神々しくも感じられるその容姿と声を聴き、人々は感嘆の声を漏らす。


「では、本日のお話はここまでとなります。お集まりいただき、まことにありがとうございました」

 司会の締めの挨拶を聞き、人々は白亜の建物から去っていく。


 人々が去る様子を見送る少女だったが、彼女の視界内に様子がおかしい人物の姿が飛び込んできた。

 並ぶ座席の最後部。帰り支度をする様子も見せず、じっと椅子に座り続ける子どもの姿を見つけたのだ。


 恐らく十歳未満の男の子であろう彼は、小さな両腕で大きな本を抱えていた。

 子どもでは持ち運ぶのも一苦労なほどの大きさだが、彼はまるで自分の命を守るかのようにその本を抱きしめていた。


「ねえ、君。どうかしたの? お母さんやお父さんとはぐれちゃった?」

 そんな少年の様子が気になったのか、壇上にいた少女は彼に近づいて優しく声をかける。


 彼女の呼びかけを聞いた少年は、悲しそうに首を横に振った。


「パパもママも、遠くにお仕事に行っちゃってるんだ……。いまはおじさんの家にいさせてもらっているんだけど、なんかいづらくて……」

「……そうなんだ」

 少年の言葉を聞いた少女は、幼い頃の出来事を思い返していた。


 遠くに行っちゃうお仕事か……。私もみんなが出かけている時は寂しかったな……。

 でも、そんな時には必ずあの子たちがいた。私が泣き出さないように、あの子たちはいつも一緒に遊んでくれた。


「君が持っているその本は?」

「僕が一番好きなお話なんだ。もっとちっちゃい頃に、パパとママがこの本を楽しそうに読んでくれたから……」

 少年は本を抱きしめるのをやめ、少女に表紙を見せる。


 本のタイトルを見た少女は、驚きと共にとても懐かしい気分に包まれた。


「私もそのお話が好きなんだ。よかったら、読み聞かせをしてあげよっか?」

「本当!? 読んで、読んで!」

 少年は嬉しそうな笑顔を見せ、少女に大きな本を手渡した。少女もまた少年の隣に座り、本の表紙をゆっくりと開く。


 私がこの本を読んで聞かせる側になるなんてね……。


 複雑な思いに駆られながらも、少女は本の第一節を口に出す。


「これは、世界に散らばる種族を結び付けた英雄と、その家族の物語」

 白塗りの建物内に、少女の美しい声が広がっていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る