遅れてきた英傑

「それでは行ってまいります」


「達者で暮らせよ。何かあればいつでも頼ってくれて良いからな」


 武家の当主というのは悲しいもので、実の子供と触れ合う機会が無いまま時が過ぎるものだ。ましてや戦時下と言っても良い状況であれば、尚更である。


 嫡男の千寿丸せんじゅまるも今年で早や七歳。婚約者も決まり、受け継ぐ領地も落ち着いたという報せを受けて、出雲いずも国へ旅立つ日がやって来た。俺の住む撫養むや城に立ち寄ったのは、その挨拶のためである。


益氏ますうじ様、千寿丸を宜しく頼みます」


「そう畏まるな。儂にとっては初孫ぞ。何があろうとこの爺が守ってみせるでな」


 付き添いを申し出てくれたのは、俺の義父 細川 益氏様だ。出雲国入りした後は、現地に留まり千寿丸の後見人になってくれるという。実に頼もしい事か。


 思えば細川 益氏様との付き合いは長い。俺の烏帽子親まで務めてもらった間柄だ。それが今度は嫡男の面倒まで見てくれるというのだから、本当に世話になりっぱなしである。ある意味、実の父親以上の存在とも言えるだろう。


「それにしても子供の成長は早いものだな。この分なら次会う時は、立派な若武者になっているだろう。その時を楽しみにしておくよ」


「はい。お任せください。必ず父上を助けられるような武士に成長してみせます。三好の軍勢など私が露払いしましょうぞ」


「それは頼もしい。千寿丸さえいれば、三好など恐れるに足らずだな。そうだ。元服の際には俺から特注の銃を贈ろう。エングレープ入りのパーカッション・リボルバーだ。それに見合う武士になれよ」


「あの……父上、刀ではないのですか?」


「おっと、済まない。特注の刀も贈るから楽しみにしておけ」


「はい。その日に向けて一層精進致します」


 親は無くとも子は育つと言うが、こう素直に育っていると俺の子供とは思えない程だ。きっと環境が良かったのだろう。母上に感謝だな。


 そうそう。京にいる有沢 重貞ありさわ しげさだを傅役とするのも忘れてはならない。黄巾賊の纏め役の任を解き、出雲国へ派遣する良い機会であろう。京の実情を知る有沢 重貞は千寿丸にとって良い刺激となる。この二人がいれば、俺も安心だ。


 黄巾賊担当の後任は、敢えて派遣する必要はないと考えている。現地にいる土居 清晴どい きよはるにそのまま責任者となってもらっても大丈夫だろう。黄巾賊を使うのはまだまだ先だ。今は少しずつ浸透させていく位で丁度良い。


 たかが七年、されど七年。子供の成長を嬉しく思う反面、俺の元から巣立っていく姿を見るのは一抹の寂しさを覚えてしまう。次会う時は、足利あしかが御三家の一つ石橋いしばし家の当主という立場になるというのもある。随分と遠くへ行ってしまった。


 そう言えば、アヤメが産んだ双子は今も元気にしているだろうか。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 永禄えいろく二年 (一五五九年)は畿内に一つの変化を齎す。


 その原因とも言えるのが公方 足利 義輝あしかが よしてるの帰京だ。これにより、越後長尾えちごながお家の長尾 景虎ながお かげとら美濃斎藤みのさいとう家の一色 義龍いっしき よしたつ織田弾正忠おだだんじょうのじょう家の織田 信長おだ のぶながが公方に謁見を求めて上洛をする。


 勿論、兵を率いた上でだ。


 兵の数自体はどれも二〇〇〇以下の小規模なものというのもあり、それ自体は脅威だとは感じない。ただ、公方のために遠方から兵を率いて駆け付けた者がいる。この事実が重要だ。ほぼ間違いなく俺や足利 義栄あしかが よしひでに対する牽制であろう。まるで、号令一つで各地から兵を率いてやって来る者がいると言わんばかりの態度である。俺が各地へ送った檄文など効果が無いとあざ笑われた気分だ。


 しかし世の中というのは面白いもので、この上洛の影響がこちらの陣営まで波及する。端的に言えば、上洛をしたついでに俺の所にまで挨拶に来る変わり者が一人いた。


「織田殿、先触れも無く突然撫養むや城を訪ねてくるのは今回限りにしてください。数が五〇〇とは言え、兵を率いて港に入れば誰もが混乱します。もう少しで戦になる所でした」


「どうにも儂はせっかちな性質でな。貝塚かいづかで撫養港への入港許可が出るのを待つのができなんだわ。以後は海上で待機して先触れの返事を待つとしよう」


「織田殿!」


「許せ。今のは冗談だ」


 ご存じ戦国時代の三英傑の一人 織田 信長殿である。今は尾張おわり国の実権を手にした頃であろうか。それでも織田弾正忠家は北に美濃斎藤家、東に駿河今川するがいまがわ家という敵を抱えている。そんな中で、よくぞ阿波あわ国までやって来たものだと驚くばかりだ。


 実は織田弾正忠家自体が当家に接触をしてきたのはこれが初めてではない。以前から何度か橋本 一巴はしもと いっぱと名乗る者が当家の火器を求めてやって来ていた。勿論当家は火器を他国へ販売するつもりがないため、その都度お帰り頂いていたという経緯がある。


 今回の面会は、目的が火器購入ではない点と当主直接の訪問という点から実現する運びとなった。


「織田弾正忠家とはこれまでのいきさつがありますので、まずは今回の訪問目的をお話頂けますでしょうか? 念のために言っておきますが、火器は当然ながら玉薬も販売しませんよ」


「心得ておる。目的は二つだ。まず儂が足利 義栄様に謁見できるよう細川殿に根回しを依頼したい。もう一つは細川殿が足利 義栄様を推戴する理由を聞きたくてな。此度の檄文で少々思う所があった。それを知りたいと思っておる」


「……織田殿、もう少しゆっくり話してくれませんか? そう緊張しなくても良いので、落ち着いてください」


「いや、これが普段通りであるぞ」


 例え織田 信長殿が三英傑の一人であるとしても、現時点では尾張一国さえ完全に統一できていない小さな勢力である。それが気後れとなり、緊張を生んだのかと思ったのだがどうやら的外れだったようだ。


 こうなると考えられるのは、織田 信長殿は頭の回転が人よりも速いのだろう。話しながら次に話す言葉が出てくる。それでいて相手に合わせる意思が無い。だからこそ早口になる。こうした者が組織の長になると良くも悪くもワンマンとなり易いため、付いていけない家臣にとっては堪ったものではない。


 俺は調整型とも言える三好 長慶を知っているだけに、二人はまさに対照的とも言える。どちらも一長一短あるだけに、どちらが正解とは言えない所がまた面白い。


「一つ確認します。私が根回しをしなくとも、足利 義栄様なら会って頂けると思うのですが……」


「いやそれがな、事前に許可を求めたのだが、謁見を拒否されてしもうた」


 それで俺の所にやって来たという訳か。訪問の目的には納得をした。


 だがこれは、変な話である。足利 義栄は上洛を見越して、味方が一人でも多く欲しい筈だ。謁見を求める者がいれば、喜んで応じるのが本来であろう。なのに拒否するというのは、明確な理由があるに違いない。


「考えられるのは、織田殿が先に足利 義輝様と謁見したため……いや、こんな子供染みた真似はするとは思えないか……ああっ、分かりました。織田殿が守護の斯波武衛しばぶえい家当主である斯波 義銀しば よしかね様を尾張国から追い出したからでしょう。下克上で成り上がった家を認める訳にはいかない。そういう意味ではないですか?」


「待て。斯波 義銀様は儂の排除を画策しておったのだぞ。身を守るためには仕方なかろう」


 天文二三年 (一五五四年)に織田 信長殿に保護を求めた斯波 義銀であるが、彼はその待遇で満足するような者ではなかった。あろう事か、尾張国に駿河今川家の軍勢を海上から侵入させようと画策していたという。それを知った織田 信長殿が激怒して、斯波 義銀を追放した。恩を仇で返すとはまさにこの事だろう。殺されなかっただけでも運が良かったと言って良い。


 しかしながらこの事件を切っ掛けとして、織田 信長殿は長島ながしま願証寺がんしょうじと険悪な関係となってしまう。長島一向一揆の結末を知る俺からすれば、もう少し良いやり方があったのではと考えてしまう措置だ。足利 義栄が織田 信長殿と会わないと決断したのも分かる気がする。


「追放自体が悪い訳ではありません。やり方が悪かった。その一言でしょうね。せめて斯波 義銀様の弟を擁立するなりの行動をしていれば、会って頂けたと思います。足利 義輝様が足利の秩序を壊している現状を憂いて足利 義栄様は立たれました。そういう大義名分です。これがある以上は、下克上で成り上がった武家を認める訳にはいかないのでしょう」


「なっ、儂が悪かったというのか」


「加えて現状のともの浦幕府は組織が脆弱です。そのため、本願寺教団と事を構えたいとは考えないでしょうね。市江島いちえじま服部はっとり党は、斯波武衛家の家臣でありながら本願寺一族寺院の願証寺と関係が深いです。斯波 義銀様の追放は、願証寺と敵対するのを忘れた軽率な行動だったと言わざるを得ません」


「ぐぬぬ……ならどうすれば……そうか、それで擁立か。で、ではここから挽回する術はないのか?」


「そうですね。正攻法で言えば、斯波 義銀様との和睦でしょう。下策は当然ながら願証寺との争いとなります」


「それはどちらも難しい。何か他に術があれば教えて欲しい。頼むこの通りだ。今のままでは幕府の復興に協力するなど夢のまた夢だ」


「いや、義輝派なら事情は考慮せずに受け入れてくれると思いますが」


「何を言うか。細川殿の話を聞いて、真に織田弾正忠家が助けなければならぬのが足利 義栄様だと確信したわ。足利の秩序を壊しているというのは思い当たる節がある。三好みよし宗家との和睦を言っているのだろう。檄文に書かれておった内容だな。そのような裏切り者に頭を下げる公方様では幕府の長は務まらぬ。対抗する足利 義栄様の方が正しき姿だ」


 これは驚いた。自身が下克上で成り上がったのを忘れたかのような言い分である。


 だが、目の前にいる織田 信長殿の目を見れば真剣そのもの。正直な思いだというのも分かる。


 そのため、ここで織田 信長殿をダブルスタンダード野郎とは言ってはいけない。正義感が強い、もしくは筋を通す性格だと評した方が正しい筈だ。残念な点があるとすれば、同じ目線に立つ者が周りにいないために、足元が疎かになっていると誰からも指摘されないのだろう。これはこれで悲しいものだな。


 そう考えると、この場で織田 信長殿を突き放すのは大人げなく感じてしまう。何とか挽回の機会を与えるべきだと。


 人は生きていく中で数多くの失敗をする。俺も同様、前世を含めて数多くの失敗をしてきた。重要なのは失敗を糧にして学ぶ事。だからこそ、今日のこの場が織田 信長殿にとっての気付きとなれば、とても嬉しい。


「では、こういうのはどうでしょう? 織田殿は有力な公家との付き合いはありますか? その公家の方に本願寺を門跡寺院と認めるよう口添えしてもらうのです。当然ながら相当な額の銭が必要となりますが」


「儂と斯波 義銀様や願証寺との問題が、どうして本願寺の門跡と結びつくのだ?」


「『急がば回れ』と言いまして。現在の本願寺の悲願は、帝から門跡寺院と認められる事です。そこに織田殿が口添えしたという実績があれば、本願寺に借りが作れませんか? そうすれば……」


「分かった。皆まで言わなくて良い。本願寺に願証寺との和睦斡旋をしてもらうのだな。確かにこれならば可能だ。今朶思大王だしだいおうの名は伊達ではない。そう思わせる見事な策よ」


「お褒めに預かり恐縮です。問題は斯波 義銀様との和睦となりますが……」


「それは願証寺との和睦を終えてから考えれば良かろう。上手くすれば、足利 義輝様の元に駆け込んでもらえるからな。これで儂が下克上をしたと言っても、その理由が義輝派の排除であったなら名分が立つ」


「織田殿! それは同時に、三好に尾張国侵攻の大義名分を与えるのと同じですよ!」


「だからだ。尾張方面の義栄派は儂が担うとしよう。その分、細川殿には同じ義栄派陣営として、織田弾正忠家に様々を融通して欲しい。最悪、駿河今川家との交易を打ち切るのでも良いぞ」


「……もしかして、今回の訪問の本命はそれですか?」


 今思えば、足利 義栄に謁見を断られたとして、撫養城まで出向く必要はない。理由や対策を尋ねるのは、俺でなくとも良いからだ。織田 信長殿の領地が尾張国だというのを考慮すれば、石橋 忠義いしばし ただよし様への仲介依頼が最適だと言える。


 だからこそ今回の訪問には、もう一つの意味があった。火器の購入はできなくとも、当家と交易をしている駿河今川家への牽制を行いたい。あわよくば当家と交易を行い、力を増したいと考えたのだろう。概ね私鋳永楽通宝と鉄が目的だと思われる。


 ……ああ、そう言えば、当家と駿河今川家の交易では伊勢湾を通過しなかったか。そうなると織田弾正忠家は通商破壊ができない。結果として、直接俺と交渉するより道がなかったとなるのだろう。


 そこに義栄派に協力するという味付けをして。


 なるほどね。今回の訪問の真の意味は、駿河今川家対策の一環だった訳だ。それを当主自らが行う。この行動力はさすがとしか言いようがないな。


「いや、単純に細川殿と一層の誼を通じたくなっただけだ。儂と二人で足利 義栄様を支えぬか? そのためには、織田弾正忠家がもっと力を持った方が良かろう」


 とは言え、それをおくびにも出さずふてぶてしい態度を取るのが、目の前の織田 信長殿である。


「織田殿、そういうのを我田引水と言うのですよ」


「我田引水、結構ではないか。儂はこれまで、細川殿を三好殿の影に隠れてこそこそしている運の良い者程度にしか見ておらなんだ。だが、今日で見方が大きく変わった。共に並び立つ存在になりたくなったぞ」


「そう言って頂けるのは光栄ですね。ですが、織田殿が当家の欲しい物をお持ちでなければ交易は行いませんよ。交易はお互いが得をしてこそですので」


「織田弾正忠家には自慢となる逸品がある。常滑焼とこなめやきだ。これなら細川殿も満足しよう。何せ常滑焼は、北は奥州から南は九州にまで求められる産物であるからな」


「常滑焼の甕は重宝しますので、確かに魅力的です。参りました。では織田殿が欲しているのは、鉄ですか? それとも永楽銭ですか?」


「他にも様々ある。今この場で決めてしまうのは愚策だな。家臣をこの地に残すので、詳細はその者と話し合ってくれ。ついでに兵も四〇〇残しておく。家臣共々戦の際には役立ててくれ。細川殿の戦の手伝いをすれば、足利 義栄様の心証も良くなるというものよ」


 この言葉を聞けば、織田 信長殿の思いは単なる利害関係を超えた所にあると思わざるを得ない。ようやく俺以外の足利 義栄への協力者が現れた。それが三英傑の一人である織田 信長殿となれば、嬉しさは尚更である。


 当家は本願寺教団との距離が近い。それだけに既に険悪な関係となっている織田弾正忠家に加担するのはどうかと思いもしたが、今後を考えれば少し骨を折っておいた方が良さそうだ。俺も銭を渡して、葉室 頼房はむろよりふさ様に門跡への口添えをしてもらうよう依頼しておこう。


 今回の件を切っ掛けとして、織田 信長殿には本願寺教団と仲良くなって欲しい所だ。堺との決裂によって俺は日蓮宗に嫌われているだけに、対寺社勢力では共同歩調を取りたいと考えている。


 まさかの織田弾正忠家との共闘がこんな形で実現するとは思わなかった。いずれ俺と織田 信長殿が馬を並べる日が来るのだろうか。それはそれでとても楽しみである。

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