元就無双

 毛利 元就もうり もとなりが語った実情。そのカラクリは意外と単純なものであった。簡単に言えば、石見銀山いわみぎんざんは業務委託によって運営されている。そのため、直接雇用はおろか管理自体を武家が行っていない。報酬は現物支給の歩合制である。


 ここまで知れば毛利 元就が何を言いたいかが分かった。要するに石見銀山の業務の実態は、運営元である博多の商家 神谷かみや家が採掘した銀の何割かを搾取する構図と言えよう。


 だからこそ産出される銀の何割かは、常に博多へと流れて銭であったり物資であったりと様々に変わる。この実態であれば、どの勢力が石見銀山を勢力下に置こうと運営自体は神谷家のままだ。そのため博多には、常に石見銀が集積され続ける。


 なるほど。これなら武家にとっては何のリスクも無い。黙っていても勝手に銀が手に入るのだから、ある意味理想的な環境と言えよう。


 だが今回の毛利 元就の提案は、ただ銀山を勢力下に置くだけでは飽き足らず運営にまで踏み込むというものであった。石見銀の全てを独り占めしようという目論見である。そうすれば博多への銀の供給は途切れてしまう。まさに一石二鳥とも言える策であった。


「そうか。俺の指示で対馬つしまの鉛鉱山を根来衆に開発させたのを、元就は調べ上げていたのか」


「然り。しかもその対馬の鉱山は、産出される鉛を利用して、少量ながら銀も取り出しているという話ではないですか。ならば神谷家の者を追い出して根来衆による技術指導でも、銀山の運営は続けられると愚考する次第です。例え銀の産出量が一時的に減ったとしても、今の遠州細川家なら痛手にはならないのではないですかな?」


「参ったな。全てお見通しという訳か。さすがは元就だな」


 対陶 晴賢すえ はるかた戦でもまざまざと見せられた毛利 元就の智謀は、当家の家臣になっても一切錆びつかない。


 井上いのうえ党の生き残りである井上 利宅いのうえ としいえの問題をあっさり解決したかと思えば、今度は俺のやり方にも適応する。これぞ謀神 毛利 元就の真骨頂と言えよう。


 当家の家臣 井上 利宅は父親や祖父を毛利 元就に殺されている。それだけではなく一族の三〇余名が粛清された。この井上一族は毛利 元就にとっての功労者であるにも関わらずだ。そのため井上 利宅からすれば、毛利 元就は仇に当たる。


 ただ、この粛清事件には続きがあった。何と粛清された井上 元兼いのうえ もとかねの弟である井上 元在いのうえ もとありは、事件後も安芸あき毛利家の重臣として残り、当家に降った現在もその地位は変わらないという。


 つまり井上一族の粛清は、全員を対象としたのではなく井上一族の一部を対象としたものであったというのだ。


 勿論粛清の対象となった者には、勝手に通行料を徴収したり、毛利 元就が下した判決に従わない等々の明確な罪状があるという。これでは死罪となっても文句は言えない。


 もしこの粛清が毛利 元就のでっち上げや一方的な大義名分で行われていたなら、一族の生き残りを重臣にはしようとは思わないだろう。また生き残った井上 元在も、毛利 元就の非道を訴える行動に出ていた筈だ。


 それがなく再度主従関係が成立したというのは、双方がこの決着に納得したという以外に考えられない。この遺恨を残さないやり方は見事というより他ないだろう。とても俺には真似できそうにない。


 勿論俺自身は井上 利宅が言った言葉に嘘は無いと信じている。実際に井上一族の資金力や財務能力は安芸毛利家の要になっていた筈だ。


 ただこれはよくある話なのだが、だからと言って何をしても良いという訳ではない。多分井上一族は、毛利 元就の弱みに付け込んでやり過ぎたのだ。粛清にまで発展したのはこれが理由だと俺は考えている。現代もそうだが、実は現実にはこれが分からない者が多い。だからこそ俺には毛利 元就の行動が良く分かる。


 何にせよ、毛利 元就は粛清のみを行った訳ではない。その後の和解まできっちりと行っている。こうなれば井上一族の一件は手打ちにするしかないと言えよう。井上 利宅も叔父である井上 元在と話をして毛利 元就に対する誤解を解き、恨みを水に流したという話であった。


 そんな毛利 元就だからこそ、新参であろうと当家内でもしっかりと立場を固めて早速存在感を示す。そればかりか、まるで模範回答集でも予め用意していたかのような切り返しはまさに圧巻であった。


 この無双劇はここからまだ続く。


「ただなあ、出雲尼子家いずもあまご家も馬鹿ではない。石見銀山をそう簡単に差し出したりしないぞ。当家の主力無しでどう攻略するんだ?」


「ご心配には及びません。むしろ好都合というものです。周防国と長門国を土佐と阿波の兵のみで対処するのですぞ。石見国には伊予と安芸から全軍を差し向け、その裏で備後びんご備中びっちゅうから出雲国や伯耆ほうき国に雪崩れ込みまする。これで出雲尼子家は石見国に大規模な援軍を出せない事態となりましょうぞ。更に備前びぜんから美作みまさか国にも兵を出せば、より完璧と言えまする。そうではないですかな?」


「これはまた……随分と壮大な絵図だ。これだと各国の負担が大きいんじゃないのか?」


「国虎様、言わせて頂きます。ここが好機なのです。此度無理をしてでも石見国を手にすれば、安芸や伊予に静謐が訪れます」


「ん? それは出雲尼子家の封じ込めを言っているのか? ならどの道、出雲国境に兵を置く必要があるから戦費が嵩むだけじゃなく、両国の治安が乱れるんじゃないか? 静謐とは言えないと思うぞ」


「それでもです。兵の負担も安芸と伊予の二国で行えば、軽減はされるでしょう。これにより最低限の治安は維持できます」


「なるほどね。それでその後は伯耆国を取り、石見と伯耆から挟み撃ちにして出雲国を落とすという筋書きか」


「然り。今の遠州細川にはそれが可能です。この策の実現のためには、何にも増して早期に石見国を手にする事が肝要かと。出雲尼子家に力を増す猶予を与えてはなりませぬ」


「そうか。力の源泉を断つだけではなく、牽制の意味も兼ねているのか。出雲尼子家に対して主導権を得るには正しい一手だな」


「もう一つ目論見がありまする。石見銀山を当家が押さえれば、杵築大社きづきたいしゃ (現出雲大社)の力が弱まりまする」


「なっ! それはどういう意味だ?」


「国虎様はご存じないでしょうが、石見銀山の採掘現場では、出雲の鉄で作られた器具が大量に使われているのです。その出所は杵築大社の管理する宇竜うりゅうの港となりまする。つまり当家が石見銀山を直接管理するようになると……」


「鉄は土佐や阿波から供給するから出雲国に頼らなくても良い、と」


「然り。石見銀山を押さえた時点で出雲国西部の有力者である杵築大社が擦り寄ってくるのですから、これで出雲国侵出への足掛かりを得たのと同様になりまする」


「見事としか言いようがないな。そこまで言われたら、無理を押してでも皆に協力を求めるしかないか」


 本当によく調べ上げている。これが毛利 元就の抱える諜報集団世鬼せき一族の力なのだろう。それだけではなく、俺の好みそうな寄せを提案する辺りが何とも言えない。


 石見国侵出……もとい、石見銀山奪取によって九州戦線と中国戦線の二方向に睨みを利かす。差し詰め王手飛車取りのようなものか。こうした妙手は狙ってもなかなかできるものではないというのに、易々と披露できるのだから大したタマだ。


「そう思って、本日は別の間に安芸あき様と吉良きら様に控えてもらっておりまする。……後は、下間しもつま殿もおりまする」


「随分と手回しの良い事で。……? 下間殿? そうか、安芸国は一向門徒が多いか。その協力を仰ごうという目論見だな。良く考えている」


「あっ、いえ。実は下間殿は、ご自身から積極的に協力を申し出てきたというか何というか……」


「ははっ。石見銀の臭いを嗅ぎ分けて来たんだろうな。どんな鼻をしてるんだよ。ったく」


 言うが早いか話題の本願寺坊官下間 頼隆しもつま らいりゅう殿が襖を開けて部屋へと入ってくる。ずっと部屋に入る機会を外から伺っていたのだろう。表情こそ澄ましているように見えるが、妙に早足となっているのが焦りの証拠だ。少しでも早く会話に混ざりたかったと見受けられる。


 とは言えここまでの用意周到さを見れば、毛利 元就は早くから石見銀山攻略を考えていたと言って良い。何が理由で……と考えもしたが、先程「静謐」という言葉が出たのを思い出す。なるほど。安芸国は長く周防大内家と出雲尼子家との係争地だっただけに、この機会に安芸国から戦乱を遠ざけたいとでも考えたという所か。


 当家に降った今でも、毛利 元就の気持ちは生まれ育った地に向いているのであろう。自身の居なくなった吉田よしだの地を出雲尼子家に荒らされたくないのだろうな。その気持ちは何となく分かる。


 その思いに応えるためにも、まずは目の前に専念するか。


「下間殿、そう焦らずとも石見の銀は逃げたりしませんよ。それに私と下間殿との仲ではないですか。銀山を手にした暁には、貝塚かいづか道場に石見銀を卸させて頂きますのでご安心ください」


「か、かたじけない。此度の石見国攻めは本願寺教団も協力させて頂きますので、今後も良しなにお願い致す。そうそう。後、この機会に教団から細川様の証文 (債権)を一本化する案も出ておりましてな……」


「それは嬉しい話ですね。是非に……と言いたい所ですが、この手の話は戦が終わってからにしておきましょう。それからでも遅くはないかと」


「確かに。万に一つも遠州細川家が負けるとは考えておりませぬが、今は戦に集中するべき時でしょうからな」


 貸金業はやっていないというのにさらりと証文の一本化を提案する。この辺りが本願寺教団の強かさだな。これでは俺も石見銀を取引に使わざるを得ない。


 それにしても毛利 元就と同じく、下間 頼隆殿もこの手際の良さはどうだ。俺自身は今回の遠征で石見銀山攻略を一切考えていなかったというのに、まるで決定事項のように話が進んでいる点に疑問を感じてしまう。


 ただその疑問は、気が付けば入室していた安芸 左京進あき さきょうしんの姿を見た途端に氷解する。そう言えば、以前伊予国に立ち寄った際に石見銀山攻略を話していたと。


「国虎様、水臭いですぞ。何ゆえ此度の遠征に某をお加えくださらぬのですか?」


「今回の遠征の目的の一つに北九州の門司もじ城攻略が入っているんだぞ。左京進はこの城の攻略後に対豊後大友ぶんごおおとも家の要となる。戦費や食料、兵動員の負担を考えれば呼ぶ訳にはいかないだろうに。遠征にまで呼べば、負担が更に増えるぞ」


「それが水臭いというのです。某が治めている国は伊予だというのを忘れておりませぬか? 芸予叢島げいよそうとうの管理も安芸家が行っているのですよ」


「……それはつまり十分に余裕があると?」


「国虎様ほどの手腕は発揮できておりませぬが、それでも五年を超える開発によって伊予国は大きく発展しておりまする。それをお忘れなきよう」


「あっー、分かったぞ。左京進、石見銀山攻略の首謀者はお前だろ? 以前から下間殿と悪巧みしてたんじゃないのか? それで元就に安芸吉良家との調整や石見銀山の調査を依頼したんだな。そう考えれば全ての辻褄が合う。どうして新参の元就が物流まで気にするのかと思ったが、左京進の入れ知恵だとすれば納得だ。村上水軍から伊予の塩利権を奪って以降、そういう所も気にするようになったか」


「お見事。さすがは国虎様です。以前にもお話した通り、塩の利権と悪銭の回収で統治は楽になりましたからな。以来、物の流れは戦にも使えると考えるようになり申した」


「出雲鉄の流通には俺も驚いたぞ。まさか石見銀山がねぇ。そうなると石見銀山には銀以上の意味が出てくるからな。無理をしてでも急いで出雲尼子家から奪わなければならないという左京進の考えはよく分かった」


 要は石見銀山には経済波及効果があるという話だ。石見銀山はただ銀を算出するだけではない。他業種にも影響を与える巨大産業である。灰吹法による鉛不足も、裏を返せば鉛が大量に売れている意味に捉えられるのだから、これも一つの波及効果であろう。


 そこから考えれば当家による石見銀山独占は、敵対勢力に対して相当なマイナス効果が期待できる。イメージとしては親会社の二度目の不渡りによって連鎖倒産が起きるのと変わらないのではないか。それが博多の町に起きる可能性が高い。


「なら石見国攻めは安芸 左京進を大将に任命する。副将は吉良 茂辰きら しげたつだ。二人で協力して必ず石見銀山を手に入れろ。期待しているぞ。俺からは備後国の足利 義栄あしかが よしひでや備中国の細川 通董ほそかわ みちただ殿、備前国の宇喜多 直家うきた なおいえに隣接する出雲尼子領を荒らすように依頼する書状を出しておく。それで良いな」


「国虎様の名に恥じぬ戦いをして参りまする。お任せあれ」


「精一杯励みまする」


「それと、元就は責任を取って二人の石見国攻めを助けてやれよ。石見国の道や城には詳しいだろうからな。頼むぞ」


「はっ。お任せくだされ」


「最後に下間殿……は物資面での協力をお願いします。一向衆の動員は無しで」


「むぅ。残念ですが仕方ありませんな。賜りました」


 こうして石見国への同時侵攻も決定する。


 石見銀山奪取の一点突破であれば出雲尼子家との激戦が予想されるも、備後国・備中国・備前国の山陽方面の三国からの同時侵攻が加わればその限りではない。出雲尼子家は対処不可能な状況に陥るため、こちらも比較的楽な戦となるのが確定であった。


 万が一援軍を出して石見銀山死守を選べば、その隙に本拠地 月山富田がっさんとだ城を攻めさせれば良いだけである。ただ出雲尼子家もその程度は分かる筈なので、ほぼ予想通りの展開で進むと考えている。


 そうそう、大新宮ダイシングーの存在も忘れてはならない。尼子 敬久あまごたかひさにもこの機に存分に暴れてもらうとするか。


「今回の遠征は少し大規模になってしまったが、ここが正念場だ。この一手で豊後大友ぶんごおおとも家と出雲尼子家を封じ込めるぞ」


『応ぅ!!』


 今回の遠征を無事終えれば当家の総石高はついに二〇〇万石を超える。経済規模ではまだまだ近江六角おうみろっかく家や三好宗家みよしそうけが上だとしても、石高で両家を上回れるというのは大きい。ついに力の差で押し切られない実力となるのではないか。そんな期待感が俺の中にはある。


 それだけに今回の遠征は気合が入るというもの。畿内にも噂が飛び交う程の派手な勝利を飾るつもりだ。


 ただ、どうしてだろう。こんな時ほど沸いた血に冷や水をぶっかける者がいるというのは。


「国虎様、最後に一つ言い残した内容がございまする」


「何だ元就?」


「此度の遠征は、既にこの場で勝ちが確定しておりまする。ですので、国虎様はこの撫養城にて吉報をお待ちくだされ」


「元就……それは、今回も留守番をしろという意味か?」


「然り。国虎様の出馬は両家の本拠地攻めまでお預けです」


「それは……ああ、分かった。分かったよ。『御身大事』だろ。阿波あわで大人しくしておくさ」


 毛利 元就の無双状態は留まる所を知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る