虚々実々

 弘治こうじ三年 (一五五七年)と言えば、室町幕府にとってはとても大事な年である。


 そう、室町幕府を創始した足利 尊氏あしかが たかうじの二〇〇回忌だ。


 しかしながら現在の公方 足利 義輝あしかが よしてるは京の地にいない。今も近江おうみ朽木谷くつきだにに逼塞している。これでは法要を執り行うのはまず無理だ。


 ならば誰が責任者になるかというと、それは当然京を支配する三好 長慶みよし ながよしとなる。しかも現在の三好 長慶の元には、あの足利 義維あしかが よしつながいる。政所まんどころ執事の伊勢 貞孝いせ さだたかもいるのを忘れてはならない。この三者が揃えば体裁も整えられよう。


 三好 長慶が足利 義維を公方に就任させるつもりかは分からないまでも、二〇〇回忌の法要を何事もなく行う事で足利 義輝の権威は失墜させられる。平たく言えば、足利 義輝が京にいなくても大丈夫だという宣伝工作のようなものだ。


 政敵を蹴落として結果的に自身の正当性を手に入れるやり口を俺自身は好きにはなれないが、これも一つの政治的駆け引きと言えよう。


 法要は四月二九日。これが終わるまでは三好宗家も大きな軍事行動を起こせないだけではなく、当家への余計なちょっかいも出せはしない。大事なのは京の静謐。これを最重要とした態勢で臨むであろう。


「という訳で鬼のいぬ間に洗濯だ。周防すおう国と長門ながと国を攻めるぞ」


『応!』


 なら当家はこの隙に乗じて、予定通り絶賛内ゲバ中の周防大内すおうおおうち家の本拠地を切り取る一手だ。周防国山口の町はこの時代では珍しい、人口五万人を超える巨大市場である。例え昨年焼け野原になっていたとしても、復興する価値は十分にある町だ。


 大義名分には、これも予定通り足利 義栄あしかが よしひでの名を使用する。足利 義栄は現周防大内家当主である大内 義長おおうち よしながと同じ大内 義興おおうち よしおき殿の外孫であるため、血の濃さでは何ら変わらない。


 しかもだ。昨年大内 義長は明国から周防大内家の正統後継者と認められなかった経緯がある。木で作った模造の金印で交易ができる筈がないので当然と言えば当然なのだが、この裁定で大内 義長の権威は完全に失墜した。


 この甘く熟した柿は今が食べ頃である。

 

「後もう一つ今回の遠征での大事な目標が、北九州豊前ぶぜん国にある門司もじ城とその周辺の占領だ。門司城を当家の占領下に置けば、豊後大友ぶんごおおとも家は防衛線を北の豊前国に押し上げて対処せざるを得ない。その隙を突いて、南九州の斯波 元氏しば もとうじには北日向ひゅうがを攻めさせる」


「大将、大将、待ってくれ。今の話は豊後大友家が周防大内家への援軍を出してくるのを考えてないんじゃないか? 大内 義長殿は豊後大友家当主の実の弟だぞ」


「ああ、万に一つも無いから安心しろ」


「理由を教えてくれ」


「一言で言えば、今の豊後大友家当主 大友 義鎮おおとも よししげは勝てる戦いしかしたくない。内乱を終わらせたばかりだからな。仮に全軍を挙げて救援に向かっても得る物が無い。それでは家臣に出す褒美に困るからな」


「確かにねぇ。弟を助けに行って自分が破滅すれば意味は無いか」


 昨年に起きた豊後大友家内の内乱は凄まじく、当主が本拠地を捨てるまでの事態に発展していた。それを乗り越えた現状では、豊後大友家当主の求心力を高めなければならない時期となっている。


 なら求心力を高めるにはどうすれば良いか? 戦に勝ち、活躍した家臣に褒美を渡す。この時代ではこれが一番手っ取り早い。そうすれば家臣が戦に勝てる当主だと認識し、褒美のために働こうとする。餌付けに近い構図であろう。


 逆を言えばここで負け戦を行うと、更なる内乱を引き起こす要因になりかねない。例え内乱を収め不満分子を一掃したと言っても、豊後大友家内にはまだ中立派というどちらにも転びかねない予備軍が残っているのからだ。組織というのは一枚岩でないからこそ、ちょっとした綻びで大事となる。


 もし大内 義長が傀儡でなければ、援軍を出すという万が一の可能性があったかもしれない。戦の結果がどうであれ、十分な対価が期待できるためだ。だが悲しいかな今の大内 義長には力が無い。これでは実の兄が救援に来てくれたとしても、その対価を渋るのが予想されてしまう。


 こんな時、家臣の怒りの矛先は対価を払わなかった大内 義長に向くのではなく、救援の命令を出した大友 義鎮に向くのが人の性だ。それだけは回避しなければならないというのが大友 義鎮の心の内であろう。


 だからこそ俺は質問をしてきた松山 重治まつやま しげはるに、「援軍は無い」ときっぱり言い切れた。


「だからな、当家が門司城を取れば、弟の領地であろうと自分の身を守るために豊前国に進出して、防衛線を豊後国より北に張る筈だ。弟を見捨てる決断ができるというのに、弟の領地を攻め取る決断ができないとは考え難い。もし豊前国に進出するという決断ができなければ、当家の軍が門司城から南下して豊後国の国境まで押し寄せるからな」


「違いねぇ」


「また、豊後大友家が内乱を終えたばかりという点を考慮すれば、俺は領国でもない北日向の豪族から助けを求められても見捨てると考えている。それが斯波 元氏に北日向へ侵攻させる理由だ。どの道今の豊後大友家に、豊前国と日向国の二国を同時に対処できる余裕は無いと思うがな」


「いつ寝返るか分からない他国の豪族を守るよりも、自分の身は自分の力で守った方が安心できるという訳か」


「まあ、時期が悪かったな。今の大友 義鎮に心の余裕を求める方が酷だ。自らの権力基盤を固めるのが最優先となる」


 こういった事情が分かるのも、俺自身が一度は通った道だからと言えよう。俺が安芸あき家当主に就任した際は、譜代家臣が一斉に反抗的な態度を示した。

 

 幸いなのは内乱にまで発展しなかった事であろうか。もし俺が大友 義鎮と同じく内乱によって本拠地まで捨てる羽目にまでなっていれば、人間不信に陥っていたかもしれない。


 そう思うと今の大友 義鎮には、血の繋がりや友好的な勢力との関係も薄っぺらく見えてしまうのではないか? 頼れるものは自分と自身に忠誠を尽くす身内のみ。そう考えていてもおかしくはない。


 今回の遠征はそんな心の隙間につけこんだものだ。どう対応するかで大友 義鎮の優先順位が分かるだろう。もしここで豊後大友家の力を結集して弟の救援を行った場合は、皆の前で土下座するつもりであった。


「ともあれ、これで今回の遠征も勝ち確定なのが分かっただろう。だからと言って手を抜くなよ。当家がどんなに強くても、油断したら絶対に負ける。では次に海部 友光かいふ ともみつ殿、前に出てきてくれ」


「お呼びでしょうか?」 


「海部殿は転封てんぽう (領地替え)とする。新たな領地は周防と長門の二国だ。要するに今回の戦で手に入れる領地の殆どが海部殿の新たな領地となる。そのため、今回の戦では海部家の力を総動員して欲しい。勿論当家からもいつも通り五〇〇〇の兵を出すので、海部家だけに戦をさせるつもりはない。その点は安心して欲しい」


「……えっ? 国虎様、今何と?」


「ん? こう言った方が分かり易いか。海部殿には周防国と長門国の二国を治める国主になってもらう。その上で細川氏の源流である仁木にっきの名を継いで欲しい。海部の名は、新たな仁木家の重臣として一族の者に継がせるようにしてくれれば助かる」


「国虎様、百歩譲って仁木の名跡を継ぐのは理解できます。斯波しば渋川しぶかわと重要な役割を持つ家臣に国虎様は高い家格を持たせておりますので、私もその中に名を連ねるのは名誉だと考えます。ですが何ゆえ、慣れ親しんだ阿波あわ海部の地を離れなければならないのでしょうか? それに我等の水軍無しで三好宗家みよしそうけとどのように争うのですか? まずはお聞かせください」


 海部家と俺との付き合いは長い。臣従してからは丸八年、鉄製品の購入から始めればもう二〇年来の付き合いとなる。


 特に現当主の海部 友光殿が当家に臣従してからは、主要な戦では必ず数多くの兵を出してくれていた。この協力があったからこそ、当家はここまで快進撃ができたようなものである。当家がその分の対価はきちんと支払っていたとしても、これまでの功績に報いるのは何ら間違っていない。


 今回の二カ国国主就任の空手形は俺のそんな思いを形にしたものだ。随分と遅い恩返しと言えよう。ただ海部 友光殿はこれだけの大きな報酬を前にしても、海部の地から離れたくないと言う。この強い土地への拘りを見ると、海部 友光殿もこの時代の武士なのだとつくづく感じてしまった。


 とは言え、今回の転封には譲れない理由がある。これを正直に話して納得してもらうしかない。


「海部殿、聞いて欲しい。今の当家にとって最も厄介なのは淡路あわじ国となる。これは理解しているだろう」


「はい。ですので、海部家が阿波あわ国から離れるのはとても危険です。それは国虎様も理解しているでしょう」


「勿論理解している。ただそれでは、守りしかできない。淡路国を攻め落とすにはもっと強大な水軍力が必要だ。それを海部殿にお願いしたいと思って転封を決めた。西国最強の周防大内家水軍を吸収して纏められるのは、海部殿しかいないと俺は考えている」


「そ、それは……いや、水軍なら惟宗これむね殿がいるでしょうに」


「当家の水軍は帆船主体で他と全く異なる。今では素人を一から教育する方が早いくらいだ。これは海部殿も知っているのではないか?」


「お待ちください。なら、阿波の海の守りはどうするのですか?」


「当面は毛利 元就もうり もとなり殿の息子が率いる小早川こばやかわ水軍に阿波北東部の要害土佐泊とさどまりを任せて凌ぐ。その間に海部殿は日の本最強の水軍を作り上げて欲しい」


「……」


「海部殿に仁木の名を継いでもらうのは、周防大内の家臣を従わせるためのものだ。今でこそ仁木家は家名を残すのが精一杯となっているが、一度は室町幕府の執事 (後の管領)を務めた実績がある。勿論足利あしかが一門となる。これなら大内の名に見劣りしないだろう」


 瀬戸内の海を股に掛ける海賊と言えば、俺の感覚では村上むらかみ水軍以外はあり得ないと思っていた。


 しかしながらその考えは間違いだと気付く。有名な能島のしま村上家は、大内水軍にあっさりと負けて傘下に入っていたような弱小であった。それだけではなく、陶 晴賢から通行税徴収禁止を一方的に通達されるような雑な扱いまでされる。


 これは大内水軍が如何に強大であるかの裏返しであろう。大内水軍と村上水軍には大きな力の差があったからこそ、能島村上家は傘下に入ったし冷遇された。


 思えば周防大内家は日明貿易を行っていた家である。それだけの実力を持っているのに水軍力が脆弱な筈がない。もし仮に脆弱な水軍力であれば、瀬戸内の航路は細川京兆ほそかわけいちょう家が押さえていただろう。逃げるように南海路の航路を開拓する必要はなかったと思われる。


 なら、それを取り込めば水軍力が向上するのは確実だ。これで対淡路国戦の主力となる。但し餅は餅屋。当家の水軍大将惟宗 国長これむね くにながでは手に余る役目だ。だからこそ俺は、倭寇の流れを汲み大陸との交易経験もある阿波海部家にその白羽の矢を立てた。


「国虎様にそこまで期待を掛けられると断れませんね。それに、身に余る待遇を約束してくださったのは間違いないですし……」


 また、海部 友光殿に仁木の家を継いでもらう条件も整っている。


 当家の直臣 仁木 高将にっき たかまさの兄である阿波仁木家当主 仁木 高長にっき たかなが殿が、前阿波国守護細川 氏之ほそかわ うじゆきの殺害事件より塞ぎ込んで世捨て人状態になっているという話だ。


 細川 氏之は阿波仁木家にとっては恩人である。細川 氏之からの誘いが無ければ、丹波たんば国でいつ野垂れ死にしていたかもしれないような逼迫した生活を送っていたのだとか。それだけに恩人の死が未だに受け入れられないのだろう。


 ただ当主がそれでは家中の者が食べられない。幸いにして弟である仁木 高将が当家で頑張ってはいるものの、このままではいずれ阿波仁木家の進退を決めなければならない時期がやって来る。


 ならいっそ養子を迎えて、その者に家の舵取りを任せた方が良いのではないかという結論が出ていた所だ。


 要するに俺が阿波仁木家の領地を取り上げたため、家の面倒を見てくれる者を絶賛募集中というのが現状である。


「分かりました。条件次第で此度の話をお受けしましょう」


「ありがたい。恩に着る。で、海部殿、その条件というのは何になる?」


「……そうですね。私の妹である椿つばきを国虎様の側室として迎え入れてくれるなら、としましょう」


「どうしてそうなる」


「先程国虎様が仰ったではないですか。『細川氏の源流である仁木』と。なら、細川と仁木は同じ一族でなければなりません。違いますか?」

 

「それは分かるが、一族になるなら他にも方法があるだろう。年頃の娘を俺の養女にして海部殿に側室として嫁がせるとか」


「それでは椿が幸せになれません」


「いやいや。そこまで大事な妹なら、海部殿の手元に置いておいた方が良いんじゃないか?」


「私は椿の努力を知っておりますからね。いずれ国虎様の側室になるんだと日々励んでおりました。そんな健気な妹の気持ちを汲んでやるのが兄としての務めです。そうでしょう? 国虎様!」


「……海部殿、読めたぞ。今回の話を一度渋ったのは策だな。内心は側室を認めさせる良い機会だとほくそ笑んでいたのではないか?」


「さあ、なんの事やら。とにかく私が此度の話を受けるかどうかは、国虎様の気持ち一つです」


「参った。今海部殿にそっぽを向かれたら、今後の当家がままならない。椿殿の側室入りを受け入れるよ。但し正式には正妻の和葉や母上の許可を得てからだ。それで良いか?」


「国虎様の母上とは元々椿の側室入りの話を進めておりましたので、後は国虎様が首を縦に振るだけだと考えておりました。椿は和葉様とも文のやり取りをするほど仲が良いので、問題は無いでしょう」


「……やられた」


 海部殿は妹可愛さに三好宗家を裏切り、当家に臣従するような人物だというのを完全に忘れていた。完全に俺の落ち度と言えるだろう。まさかこの場面で椿殿の側室入りの話が出るとは思わなかった。


 それにしても、何が良くて俺に拘るのか? それが分からない。


 とは言え、対三好宗家戦略として阿波海部家は欠かせない以上、今回の側室入りは受けるしかないようだ。背後に母上がいるのを考えると、かなり外堀は埋まっているのだろう。


 目的は分かる。もっと子を作れという意味だ。俺は和葉一人で十分だと思っていても、ままならないものだな。

 

 さて置き、海部殿の話を切っ掛けとして緊迫した雰囲気が一気に変わる。ここに酒でもあれば、そのまま宴会へと雪崩れ込みそうな状態となってしまった。


 本当、相変わらずというか当家では戦を何かの祭りと勘違いしているのではないだろうか? だからこそ簡単に脱線する。そう思えて仕方がない。


 ただ、そんな緩み切った雰囲気を是としない者も中にはいる。新参の毛利 元就だ。真面目な戦の話をしているのだから、文句の一つも言いたくなったのだろう。背筋をピンと伸ばした姿で出した、年齢に似合わない「喝」の大声が突如室内に響き渡った。


「家中の皆様、浮かれ過ぎですぞ。これでは次の遠征に負けてしまいまする。何より此度の国虎様の策には、一つ穴があるのを我等が指摘しないでどうするのですか?」


「……どういう意味だ、元就。意図を話してくれ」


「察するに、国虎様は石見いわみの銀が博多の町に多く流れている事実を御存じないようで。例え石見銀山を出雲尼子家いずもあまご家が押さえていても、それは変わっておりませぬ」


「本当か? だとすると豊後大友家が、この場面で博多に進出すれば当家の脅威になると言いたいのだな」


「然り。そのため国虎様の策を完全なものとするため、此度は石見銀山の同時攻略を提案致しまする」

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