たらい回し
本来一族というのは武家に於いてはとても大事なものだ。当主のみ、本家のみでは家の繁栄は無い。一族の助けがあって初めて強固となる。
しかし室町時代ともなれば、その定義は崩れ去る。一族内での争い、親兄弟での争いは日常化していた。
俺も渦中にいる細川家同士の争いはその最たるものと言えよう。他にも
それは
これだけの事件が起きれば、尼子 晴久が一族は信用ならないと考えるようになるのは自然な流れとも言える。だからこそ自身の息子を地域の有力者や一族に養子として送り込もうとはしなかった。逆を言えばそれだけ息子達が大事だったという裏返しにもなるのだが、それが出雲国の不安定な統治の要因にもなるのだから痛し痒しである。
結果として、
さてここで
まず領地だ。尼子 国久殿は出雲国東部の吉田荘と西部の元塩冶領を有している。中でも元塩冶領が曲者であり、この地は有名な
この時点で、一歩間違えば出雲尼子家の屋台骨を揺るがしかねない力を持っているというのは間違いない。
次に新宮党の構成だ。新宮党は尼子 晴久が重用する富田衆の庶流で主に構成されている。この時代、本家と庶流には大きな壁があり、庶流は必ず本家の下でなければならない。これは
ならば新宮党の力が大きくなったとして、富田衆の本家と庶流の関係性はこれまで通りを維持できるだろうか?
人には嫉妬という感情がある。下に見ていた者が大成すると、負の感情に火が灯るのは人の世の常だ。中には被害妄想に駆られて本家を乗っ取られると思う者さえいよう。心に余裕が無ければ人は他罰的となり易い。
もし新宮党失脚の機会があれば、喜んで手を貸す者が出てくる土壌は十分にある。
ただ、尼子 国久殿も馬鹿ではない。自らの置かれている立場が危ういのは十分に理解している。だからこそ、その対策として新宮党を二つに割ろうとする。具体的には新宮党の一部を三男の
ここで問題が起こる。尼子 誠久の嫡男である
言いたい意味は分かる。いずれ自身が率いるであろう新宮党を二つに割るというのだ。これでは新宮党最大の強みである武力が弱まってしまう。そうでなくとも家は嫡男が全てを継承するのが基本だ。分家は個人の才覚で新たに建てるもの。家を割るような継承をすれば、最悪の場合は家そのものが没落してしまう。嫡男総取りが生存戦略だというのを忘れたかのような措置に見えたとしても不思議ではない。
つまり尼子 国久殿は当主 尼子 晴久から、その直臣 富田衆から、更には同じ新宮党内からも目を付けられている。状況が好転しない限りは、切っ掛けさえあれば何らかの措置が行われるのが確実な状況下であった。何より自身の孫から造反者が出ているのが痛い。
そうした背景を理解している俺は、出雲尼子軍の
「恥を知らぬとはまさにこの事ですな。
しかし、こちらの考えとは裏腹に、会談に応じた尼子 国久殿は開口一番当家の中国地方での行いを非難する。
これに関してはその通りだ。当家はこれまで出雲尼子家に対して同じ氏綱派陣営という誼もあり、毎年のように贈り物をしていた。それは新宮党を率いる尼子 国久殿に対しても同様である。この長年の御機嫌取りによって、出雲尼子家は当家に良い感情を持っていたのだろう。
その上、出雲尼子家は幕府から備前国や備中国の守護職に任命された。両国は言わば自分の庭のような国だ。そこを荒らされ、当家の息の掛かった者に実効支配されてしまえば、怒り心頭となるのは当然と言えよう。それも備前国に大きな基盤を持つ浦上 政宗が出雲尼子家に降った直後ともなれば、血管がブチ切れる思いであったかもしれない。
とは言え、こちらにだって言い分はある。長年同じ陣営だと思っていた出雲尼子家が、気が付けば敵対する晴元派に転じていたのだ。裏切り者には制裁を。そうした感情になったとしても何ら不自然はない。それを棚に上げて頭ごなしに怒りを露わにするのは、筋違いも甚だしい。
勿論この場でそれを言えば、水掛け論となるのは確実だろう。それでは会談の意味さえなくなってしまうために、口にはしない。
こうしてこの場に尼子 国久殿がやって来てくれたのだ。そんな事よりも、もっと有意義な使い道にする方が建設的というもの。
「そうですね。確かに新宮党はとても怖い存在です。だからこそ、何としても尼子 国久殿とはお会いしたかった。本日は私の呼び掛けに応じて頂き、誠にありがとうございます」
「……まさかとは思いますが、我等に詫びを入れるためにこの場を設けたのですかな?」
「いえ、私が怖いというのは、このままでは新宮党それ自体が消されてしまう事に対してです。それも身内である出雲尼子家によって。私は何としても新宮党を救いたいという思いから、この場を作りました」
「細川殿が何を言っているのか儂には理解できませぬな。新宮党は今もこれからも、出雲尼子家においての精鋭部隊であり続ける。滅ぼされるような事態は絶対に起きぬ」
「ご存じと思いますが、私の名は細川 国虎です。この『国』の字は、亡き
「はっ。かしこまりました」
「一体何を出す気ですかな? よもや儂を殺すための得物を出すつもりではあるまい」
まるで噛み合わない俺の返答に相手はイラつき始めるも、それを無視して持参した箱を持ってこさせようとする。尼子 国久殿は出雲尼子家当主ではないとは言え、粗略に扱って良い相手ではない。ましてや実情はどうあれ、出雲尼子軍は備中国への侵攻を目的としている。これだけ失礼な行いをすれば、いつ会談が決裂して開戦となってもおかしくはないだろう。
俺に対する嫌味の一言が、これ以上の無礼は許さないという警告と受け取れた。
だが、
「もっと良い物ですよ。銀です」
この一言で空気が大きく変わる。護衛の
その瞬間、尼子 国久殿は口をパクパクさせて、自身が次に口にする言葉を見失ってしまう。
「これで私の言葉に嘘が無かったと分かるかと思います。この銀は全てお持ち帰りください。そして新宮党の生き残りのためにお使いください。これが今のできる精一杯となります」
「な……何を……一体。もしや、この銀を戦費にして謀反を起こせとでも言うのか? 我等を侮ってもらっては困る」
「この量では戦をするには足りないでしょう。出雲尼子家中での関係改善にお使い頂くのが良い方法かと思われますよ」
「……分からぬ。細川殿は一体何を考えておるのだ? 誠に我等の身を案じてこの会談を持ったと言うのか?」
「はい。名目も『当家が新宮党の武威に臆し、銀を差し出して和睦を請うた』として頂いて構いません。是非お役立てください」
「ま、誠か。その言葉に嘘は無さそうだな。あい分かった。そこまで言われては、儂も此度は細川殿の顔を立てねば申し訳が立たぬな。良かろう。此度だけだぞ。これまでの遠州細川家の誠意に免じて、和睦を致そう」
こういう時、人は現金なものだ。どんなに怒りを露わにしていても、見せ金の魔力には逆らえない。
元々が無理な軍事行動である。最初から深入りする気は無かったのだろう。せいぜいが備中国を軽く荒らして帰国する気でいたに違いない。要は何らかの成果があれば良かった形となる。だすらこそこちらが下手に出て、相手の留飲を下げれば軍を退くだろうとは思っていた。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「国虎様、良かったのですか? 何かお考えがあっての行動だというのは分かっておりまするが、これに味を占めた尼子 国久殿や新宮党が今後度々国境を侵してくるのは確実ではないでしょうか?」
皆が待つ陣までの帰り道、いつのように右筆の
出雲尼子家側もその辺は気付いていたらしく、笑わないようにと極力視界に入れないようにしていたのが印象的だった。笑ってはいけない和睦交渉という所か。
しかしながら、その姿とは打って変わって質問の内容自体はとても的を得ている。こんな急場凌ぎの和睦交渉をすれば、後で手痛いしっぺ返しが待っていると言いたげだ。
そのため、ここからはいつも通りネタばらしの時間となる。
「ああっ、そのつもりで相手もあっさりと軍を退いたと思うぞ。ただな、今回の新宮党侵攻には別の目的があると思っているんだ。俺は」
「と、言いますと?」
「簡単に言えば、厄介な存在を俺達に始末……は言い過ぎか、負けさせたかったんじゃないか? そうすれば敗戦の責任を取らせる形で力を削ぐ事ができるからな。新宮党は今、本気で出雲尼子家中で立場を悪くしている。
世の中というのは不思議なもので、勝ちにいくためだけに戦をするという訳ではない。中には失脚を狙って、敢えて勝てない戦いへと送り出す場合がある。
組織内に問題ある者がいても、明確な処罰理由が無ければ処分はできない。そのため罪をでっち上げたり、時には無理難題な任務を与えて失敗させるように仕向ける。処分をするにはこうした手順が必要だ。
俺は、今回の新宮党の軍事行動はそれと同じと見ていた。
「……ではもしや、此度の国虎様のあの行動は?」
「まあ、俺達がその思惑に付き合う理由は無いからな。出雲尼子家に新宮党の粛清をさせる策だな。勿論、上手く事が運ぶとは思ってはいないぞ。渡した銀を新宮党で使い込んでくれれば、横領の疑惑になるという程度だ。全てを尼子 晴久に渡したり、出雲尼子家中に賄賂としてばら撒かれたら、策は失敗だな。その時は笑ってくれ」
俺としてはそういった根回しができるようなら、問題はここまで拗れていないと思っている。それ以前にもっと上手い立ち回りができた筈だ。多分だが、少し脅せばカツアゲできると勘違いして、全てを自分達のために使うのが関の山だろう。それをどう判断するかは尼子 晴久次第だ。
「仮に出雲尼子家内で新宮党を処罰させるとして、どうなるか……分かりました、国虎様。新宮党処罰の後始末をしている間は、出雲尼子家は身動き取れなくなります。つまり、陶 晴賢殿との争いに集中できるようにする策だと」
「上手くいってくれればな。そうでなくとも、現時点で最低限の目的は果たしている。今の内に
「確かに……」
とは言え、新宮党を助けたいというのも実は本心である。あれだけの精鋭部隊を政治的な理由で潰してしまうというのは勿体ない。生き残りがいるなら、当家で保護したいとも考えていた。
今回の策は新宮党の味方だと伝えた所にも意味がある。それが良い結果となるかは、尼子 晴久の態度一つだろう。今更掌を返すようには思えないが。
何かあった時のために鉢屋衆を出雲国に派遣しておこう。
「国虎様、もう一点ございます。新宮党と戦う気でいた皆にはどう説明されるのですか? しかも後詰まで依頼されて……」
「そう言えばそうだった。俺もこんな簡単に相手が退くとは思っていなかったからな。尼子 国久殿を交渉の場に引っ張り出すために、兵の数が必要だったと正直に話した方が良いか?」
「それでは皆は納得せぬでしょう。
「無茶言いやがって……。まあ、妥当な所は『宇喜多 直家が心配だった』だろうな。元々が南備前の平定を支援するつもりだったから、それを優先したと言い訳するか」
「それなら皆も納得するでしょう」
「しゃあねぇ。もう少しだけ働くか。さっさと終わらせて阿波に戻ろうぜ……って、支援物資の量を決めるために一度土佐に戻る必要もあるのか。いや、誰かに丸投げするのも手だな」
「国虎様!」
「分かってるって。きちんとするよ」
可哀想だが、備前国の豪族には皆の不満の捌け口となってもらおう。これが終われば、遠征もようやく終了となる。
次は陶 晴賢との戦いが待っているとは言え、まずはしっかりと鋭気を養うとするか。
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