ブーメラン
完全にしてやられた。どうして最後の一歩を踏み止まれなかったのと今更ながら思う。
「あっ、今のは無しで……」
「お初にお目に掛かる細川殿、いや細川様か。儂の名を高名な細川様がご存じとは誠に光栄の至り。以後安芸毛利家は、遠州細川家の名を轟かせるべく
時すでに遅し。さすがは
降伏となれば安芸毛利家は当家の家臣となる。しかし看板が変わった所で、大国
仮に無理矢理交渉に持ち込むとしても、毛利 元就殿なり、毛利 隆元殿なりの命を要求されてしまうのは確実と言えよう。
更には、形式上当家所有となった安芸毛利家の土地やその地に住まう民も俺達が守らなければならない。それを実現するためには、事実上陶 晴賢との争いに介入するのが確実となった。
その辺は毛利 元就殿も十分理解しているらしく、
「大義名分を大事とし、家臣や民を大事とする細川様なら我等を決して粗略に扱わない筈。きっと陶 晴賢殿との争いを確実に勝利へと導く支援を頂けるものと信じておりまする」
「……」
と強請る気満々である。しかも先程俺が言った言葉を逆利用する辺り性質が悪い。
「今のままでは儂の言葉は信じられぬでしょう。それゆえ、儂自身が人質となりまする。これで安芸毛利家は遠州細川家を裏切れませぬ」
「……さすがにやり過ぎだ。そんな真似をすれば絶対に陶 晴賢殿には勝てない。それにこの戦を始めたのは安芸毛利家だ。毛利 元就殿はその責任を取って戦を指揮しろ。勿論物資は支援するし、援軍は出す。具体的な数は一度土佐に戻ってから話し合う形になるが良いな。後、人質は元服前の男子で良い」
俺からの言質を引き出すためとは言え、ここまでやるかという気持ちになる。ただ、この時点で少し状況が見えた。毛利 隆元殿と違い、毛利 元就殿は現状の安芸毛利家の力だけでは陶 晴賢に勝てるかどうか分からないと見積もっている。そのため、形振り構わず支援を欲した。それが当家への降伏となったのだろう。
また、安芸毛利家は
生き残りのためには
とは言え家の命運を左右する決定を、当主を差し置いて隠居した身が決められる筈もないのもまた事実。当然のように現当主である嫡男の毛利 隆元殿はこの決断に噛みつく。
「父上、何を申されるか! 降伏など許される訳がありませぬ。それに陶 晴賢殿に勝つには我等の力だけで十分です! 遠州細川の力を借りずとも某が何とか致しまする!」
「分からぬか隆元よ。そのような都合良い考えは通用せぬのだ。今は和睦しているとは言え、戦が長引けばいつ出雲尼子家が掌を返して参戦するとも限らぬ。そうした可能性を含めれば、我等の全力で陶 晴賢殿と戦える訳ではない。三家を敵にして勝つ秘策があるなら答えてみよ」
「……だからと言って家臣達は納得せぬでしょう」
「よく聞け隆元よ。儂は周防大内家のみではなく、出雲尼子家にも属した過去がある。だからこそ言えるのだ。降伏がどうという話ではなく、頼りとする先が問題なのだと。遠州細川家のように気前良く物資を支援してくれる所は中々無いぞ。それに儂はのう、もう陶 晴賢殿のケチ臭さには飽き飽きしておる。大内卿の頃は頼めばすぐ銭を貸してくれたからな。あの頃が懐かしゅうて仕方がない」
「父上……おいたわしや」
「取り込み中の所悪いが、降伏は今すぐ決めなくとも良いからな。家臣達との話し合いもあるだろうし、よくよく考えてくれよ。何なら撤回してくれても良い」
「いえ、もう大丈夫です。此度の降伏には父上の並々ならぬ思いがあったというのが分かり申した。細川様、某の覚悟は決まりました。以後安芸毛利家は遠州細川家の元で励みまする。弟達だけでなく、家臣達には某が言って聞かせましょうぞ」
「ああ……うん、分かった。以後宜しく頼む」
一縷の望みをかけて毛利 隆元殿に確認をしたものの、結局はやはり降伏へと落ち着く。またしても俺の失言が利用された形だ。最早諦めて腹を括るしかないというのが分かった。
毛利 元就殿の話から察するに、降伏の背景にあるのは安芸毛利家の財政状況ではなかろうか。確か元安芸毛利家の
そう言えばと思い出す。有名な織田 信長は長く家臣達の謀反に悩まされ続けた。ただその理由の大半が、領地の民が圧し掛かる戦費に耐えかねてのものだったそうだ。民にそっぽを向かれて裸の王様になるくらいなら、万に一つの可能性を夢見て謀反を起こす。こうした切実な事情だったらしい。
ならば陶 晴賢との決別から当家への降伏という流れは一本の線で繋がる。
毛利親子の会話からは、今後も多くの負担を民に課したくない。そんな事情が垣間見えた。
安芸国が出雲尼子家と周防大内家との係争地だったのが、不幸の始まりであったのかもしれない。
それはさて置き、ここからは具体的な話となった。例えこの場で降伏が決まったとしても、それを公表するのは陶 晴賢との争いに勝利してからとする。味方の士気への影響と敵方への影響を考えた結果だ。特に陶 晴賢にこの事実が伝わってしまうと、戦の規模がより大きくなる可能性が高い。最悪、九州の
これを回避するために支援は秘密裏に行うと決めた。援軍は所属を隠して傭兵という形での参加となり、物資は直接安芸国に運び込まず、その東隣である
それにより、まずは瀬戸内海の掌握が必須という結論となった。安芸毛利家は安芸国近海の陶 晴賢陣営を速やかに討伐し、手が回らない
こうして話を詰めていくと、陶 晴賢との争いはまだ序盤戦のようだ。
陶 晴賢が
しかし、ここで陶 晴賢は重大な失態を犯す。それが重臣 宮川 房頼の討ち死にだ。
派遣の意図は分かる。安芸毛利家の現在の力を知るため、もしくはこれ以上の傷を広げないための緊張状態を作り出す必要性から、派遣するのは重臣でなければならなかったのだろう。戦を俯瞰して見る事のできる人材が求められたという訳だ。初手としてはそう間違った判断ではない。
討ち死にしてしまえば意味は無いが。
お陰で連携の取れなくなった残りの陶 晴賢軍は、各個撃破の良い的になっているらしい。
とは言え、戦がこれで終わる筈が無い。次は大軍を率いて攻勢をかけてくると毛利 元就殿は読んでいる。場所は安芸国西部の山間部にある
当家はこの山里地域での戦いに向けて支援を行うという話で纏まる。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
どこにでも気の早い連中はいるもので、「陶 晴賢、相手にとって不足無し」と意気込んだ当家の将何人かが毛利 元就と共に安芸国に行くと言い出した。
こちらからの動きは人質を受け入れてからで良い。それに纏まった話は、陶 晴賢との決戦への支援だ。なのに、戦いに飢えたかのような行動を起こそうとするのかには理由がある。
要は今回の遠征で活躍できなかった連中が手柄を立てたいという話であった。
確かに南九州遠征時と比べれば、決戦らしい決戦は無かった。殆どの敵が全力も出せないままに終わったという認識となる。お陰で楽ができたというのは、総大将の俺だからこその感想だ。鼻息の荒い連中には消化不良だったに違いない。
中でも、
大野 利直は正室を伊予平岡家から迎えているというのに、「平岡 房実殿にだけは負けん」と対抗意識を燃やし、平岡 房実は平岡 房実で過去
良く言えばやる気のある。悪く言えば暑苦しい。そんな二人がいの一番に安芸国入りを訴えたのは必然とも言える。それに付き合わされる兵達は堪ったものではないと思うのだが、こうなると誰も止めようがない。俺も俺で思う存分暴れてこいと言うしかなかった。
但し、所属が明らかとなる旗は持っていかせない。鎧等は家紋等を全て塗りつぶした上で送り出す形となる。
お目付け役としては
もし二人が暴走したなら、説法と物理で大人しくさせるのがその役割となる。
他にも先に安芸国入りしたい言う者は何名かいたものの、これ以上は陶 晴賢に警戒されるとして却下する。それよりも
便りが無いのは無事な証ではあると分かってはいても、こうも備中国で予測不能の事態に出くわせば心配になるというもの。
ただ世の中というのは不思議なもので、こんな時ほど俺達を足止めする出来事が起きる。
「ほ、細川様、大変です。隣国
「兵の数はどれくらいだ?」
「正確には分かりませぬが、五〇〇〇から八〇〇〇はいる模様です。そのため、まだ態勢の不十分な我等では撃退できませぬ。お急ぎくだされ」
「焦るな。所属は分かるか? どこの勢力だ?」
「旗には
「なっ、出雲尼子家か。浦上 宗景殿に負けたばかりでよくそんな力が残っていたな。いや……待てよ」
出雲尼子家は昨年から西に東にと戦い続けである。今年備前国で
だというのに、先の戦いから半年もしない内に軍事行動を起こした。それがまだ防衛戦なら分かる。領地を守るためには四の五の言ってられないからだ。
なら逆に国境を越える侵略戦争ならどうなるか? それだけの余力が残っていたのであれば、何故先の備前国での争いで投入しなかったのだという話となる。通常ならあり得ない行動であった。
そんなあり得ない行動をしなければならない理由があるとすれば、答えは一つしかない。政治的な立ち回りだ。
つまりこの軍事行動は、政治的に微妙な立場、もしくは立場の悪い者が上から睨まれないために無理をした行動だとすればしっくりくる。
「細川様!」
「分かっている。急いで美作国の国境に向けて出るので安心してくれ。細川 通董殿は念のため、後詰に入ってくれるよう伝えて欲しい」
「忝い。殿にはそのように伝えます」
「お前等聞いたな! 気合入れろよ!」
『応ぅ!』
現在の出雲尼子家で立場を危うくしている者。これも答えは一つだ。
それは、
「後、食料買取用に土佐から持ってきた銀を全部俺の所へ回してくれ。今回の秘策はこれでいく」
「えっ、国虎様……一体何を……」
「気にするな。保険のようなものだ。まずは国境まで軍を進めるぞ」
「はっ! かしこまりました」
さあて、鬼が出るか蛇が出るか。噂の新宮党が単なる脳筋集団か、それとも本当に生き残りの道を模索しているかを確かめにいくとしよう。
勿論予想が外れて新宮党以外が出てきた場合は、それこそ脅威とはならない。軽く追っ払うつもりである。
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