祝砲

 年が明けて天文二三年 (一五五四年)になってもまだ戦は続いていた。場所を讃岐さぬき国へと移しながら。


 阿波あわ国で抵抗を続けていたのは阿波三好みよし・阿波細川ほそかわ関係の残党となる。数こそそれなりにいたものの、一つ一つの規模は小さい。そうなれば主力が全てに対応する必要はないというもの。要害とも言える城を幾つか落とした後は、役目を足利 義栄あしかがよしひで尼子 経貞あまごつねさだなどのまだ戦に不慣れな新規組へと託した。


 ここからが脳筋集団遠州細川軍の真骨頂となる。


 本来なら気持ち良い年始を迎えるためにも、役目を終えた者達は土佐や各々の故郷に帰るものだ。誰もが家族や親類縁者と共にのんびりとした時を過ごしたいだろう。


 だがそうはならない。


 これ以上阿波国での戦に参加しなくとも良いとなれば、今度は手付かずの讃岐国へと侵攻したいと言い始める。年始は陣中で迎えても良いと言い始める。家族には手柄を立ててから会いたいと言い始める。


 こうなると、俺も皆の声に折れるしかなかった。


 特に最後の手柄は切実である。今回の阿波国遠征は阿波三好家との決着を前提に考えていたというのもあり、新武装だけではなく物資も過剰な程準備していた。


 つまりは小競り合いのような小さな戦ではなく、伸るか反るかの大戦を行う予定だったとなる。


 こうしたお家の意気込みを見れば、それに参加する将兵も俄然気合が入る。中には得られる褒美 (特別賞与)に期待して大きな買い物をしたり、意中の女性と夫婦となる約束をした者もいるらしい。


 そうでなくとも年末年始というのは何かと物入りだ。誰もが裕福という訳ではなく、確実に何割かは当家にやって来てようやく生活の目処が立ったばかりの者がいる。


 平たく言えば、良い新年を迎えるためにも銭金が必要という事情であった。


 しかも追い打ちのように、自部隊から「遠征の褒美で家に残してきた家族に腹一杯飯を食わしてやりたい」という声があったと報告を上げてくる将までいる始末。半ば嘘だとは分かってはいても、こういうのに弱い俺は非情にはなれなかった。


 こうした経緯で始まった讃岐国侵攻は、快進撃を続けていると報告を受ける。俺自身はまだ統治の安定しない阿波国を離れられない関係上、今回は本山 梅慶もとやまばいけいを総大将としていた。


 讃岐国で暴れまわっているのは、馬路 長正うまじながまさ率いる馬路党だという。今回の遠征で配備した新兵器は抱え大筒や抬槍たいそうだけではない。これまで馬路党が使っていた大筒も最新型へと更新をしたため、試し撃ちに余念が無いのだとか。口径は三〇匁 (約二七ミリ)、銃身の長さを二尺 (約六〇センチ)とした汎用型となる。配備数は二〇。


 口径がこの大きさでどうして汎用になるのかさっぱり理解できないが、馬路党としてはこれくらいの大きさが無ければ撃った気がしないそうだ。小口径の銃を並べて一斉発射するのは性に合わないらしい。四六センチ砲を搭載した戦艦大和の設計者と気が合いそうな連中である。


 要は新しい玩具を手に入れたために、遊びに夢中になっているという話だ。しかも年が明けてからは、「天文二三年を迎えた祝砲だ」と言いながら城門破壊や虎口こぐちでの戦闘に活躍しているのだとか。実弾が入っているのに祝砲とはこれ如何に。


 また当家の軍が快進撃を続けているのには、讃岐国の事情も関係している。


 それは、三好が不介入のために各豪族の纏め役がいないというのが大きな理由であった。


 この点に付いては少し考えれば疑問が出てくる。讃岐国には三好 長慶みよしながよしの弟が養子に入った十河そごう家があるのだから、ここが盟主となって侵略者に対して対抗するのが筋だ。例え当主の十河 一存そごうかずまさが畿内に戻って不在だとしても、讃岐十河家自体が戦もせずに城や領地を簡単に明け渡すとは思えない。纏め役がいないというのは変な話だ。


 実はここでとても残念な話がある。讃岐十河家は弱小であった。所領は十河城のみという。それも丘陵上の平城となる。これを知った瞬間に俺はこけた。


 今の今まで俺は十河 一存が養子として入ったのは、三好による讃岐国支配を行うためだと考えていた。現地の協力者を得て支配領域を拡大する。常套手段と言えるだろう。その過程で讃岐十河家が一大勢力を築いていくのが本来の姿だ。


 確かに讃岐国は細川四天王とも言われる京兆家家臣の所領がある。しかしながら組織は一枚岩ではない。京兆家家臣の陪臣には言う事を聞かない者など数多くいるのだから、そういった者達を討伐するなり取り込んでいけば勢力を拡大できる。三好の力を借りれば、それは難しくはない。


 だが現実は十河城のみだ。これでは鬼十河が宝の持ち腐れとしか言いようがない。


 結果、十河城はもぬけの殻であった。守るべき領地が十河城とその周辺だけなのだから、当家の軍を相手に争うだけ無駄である。讃岐十河家御一行様は、恐らく畿内へと移住したものと思われる。


 ……ここで少しでも厄介な存在となる十河 一存の力を削いでおきたかったのだが、それは果たせない形で終わった。とは言え、元々が城一つのみの弱小勢力であるなら、畿内で合流を果たした所で大きな脅威にはならない気もする。


 このように当家の軍が讃岐国東部で大暴れをすれば喜ぶ者達がいる。それは阿波三好家に領地を大場に削られた讃岐香川かがわ家や讃岐国西部で防衛に当たっていた山田 長秀やまだながひで改め畑山はたやま 長秀だ。ここぞとばかりに多度郡たどぐん方面へと侵攻し、東西から挟撃する姿勢を見せる。


 続いて伊予国川之江いよこくかわのえから阿波国へと入り、元阿波大西家の領地で待機していた安芸 左京進あきさきょうしんも川之江経由で讃岐国入りするとなれば、敵に勝ち目は無い。


 止めは阿波海部あわかいふ家の水軍衆による讃岐国北西部にある小豆島しょうどしまへの強襲となる。


 纏まりの無い在地領主達。多方面からの侵攻。伏兵となる水軍衆の殲滅。援軍は絶対に来ない。ここまで条件が揃えば当家の勝ちは確実と言えよう。良い報告が届くのが楽しみであった。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 二月に入りようやく当家にも年始がやって来る。加えて阿波国、讃岐国の制圧、四国統一という慶事まで重なったとなれば、盆と正月が一度に訪れたような気分となる。土佐では領民も含めた皆がこの偉業に喜び、そして涙した。


 中でも初期から俺を支えてきてくれた奈半利勢は地域を挙げての大宴会を催しているという。ここまで来ると笑い話となるが、遠州細川家による四国統一の第一報が土佐に報されると、道頓堀ならぬ奈半利川に大勢の男共が飛び込んでその喜びを体現したらしい。


 夏の暑い盛りならまだしも、この寒い時期に川に飛び込むのは自殺行為だ。案の定大量の風邪患者が出て大変な事態となる。現代も戦国時代も群衆による無軌道な行動というのは後を絶たない。


 それはさて置き、こうなれば俺も何かの形で領民に還元して喜びを分かち合いたいというのが人情だ。ただそうは言っても、何の準備も無しにいきなり大規模な催しができる訳がないし、土佐から一歩出れば外敵と隣り合わせの日常がある以上はそうそう浮かれてもいられない。


 そこで家臣達と協議した結果、前当主で義父の細川 益氏ほそかわますうじ様に俺の名代として、土佐国内の町や村を巡回する凱旋行脚をお願いする運びとなった。訪問した先々で子供達にお菓子を配り、「皆の頑張りのお陰で遠州細川家は偉業を達成できた」という選挙演説に似た口上を述べて労う。当然ながら夜は地元の名士と宴会して交流を持つ。ドブ板活動と何ら変わらないように見えるが、娯楽の少ない時代にこういった手法は民の心をぐっと引き寄せるというもの。


 依頼した益氏様は口では「此度だけだぞ」と言いつつも、満更でもない態度を示す。四国統一は細川家全体の悲願だっただけに、それを遠州細川家が成したというのが嬉しいのだろう。俺に対してただ一言「大儀であった」と語る益氏様が、とても印象的であった。


 凱旋行脚は四月から半年程度の時を掛けてゆっくりと行う。


 また、領民への還元として期間限定の値引き販売もする予定だ。俺としてはこういうのが民に一番喜ばれるだろうと考えている。幸いにも当家は直轄事業が多いため、値引きできる商品には事欠かない。三割四割引きは当たり前の持ってけ泥棒状態で売り出せば、どれだけ反応があるのか今から楽しみである。当然ながら、山中の村を回る杉谷家の行商人にも同様に値引きするようにと伝えておいた。


 この出来事が、後世にはバーゲンセールの始まりとして伝えられると期待したい。


 一月遅れの新年の祝いが終わると、今度はとんぼ返りするかのように阿波国の撫養むや城で生活を始める。本当なら最前線となる阿波国北東部の大毛島おおげじま内の土佐泊とさどまり城や北泊きたどまり城を居城とする予定であったが、家臣達に「島では内陸部へ逃げられないから」と諭されてしまい、妥協する形で撫養むや城へと入る。


 この撫養城を居城としたのは、近くに撫養港があるのが理由となる。現代こそ大鳴門橋おおなるときょうの影響によって役割を大きく低下させているものの、この当時は阿波国中最重要の港だ。ここを俺が直轄する意味は大きい。開発して更に発展させるも良し、軍事拠点化して三好に対して圧力を掛けるも良しと好きなように描ける。まずは船の修理やメンテナンスがしっかりと行える、大規模施設の建設から始めるとしよう。


 本拠地は今も土佐の浦戸うらど城のままだ。あくまでも撫養城へは有事の拠点という体で入っている。


 この辺は現代の企業事情と変わらない。どんなに大規模で設備が整っていようと東京に置くのは支社であり、本社機能は地方のままというのは良くある話だ。当家もそれに見習うだけである。


 そういった体面上、和葉は俺と一緒に阿波国入りするのを渋っていたのだが、今回は拉致して連れてきた。南阿波での滞在時に寂しい思いをさせたので、その反省を込めて有無を言わさない実力行使をする。


 意外だったのが、この誘拐劇に側室のアヤメが積極的に協力してくれた事だろうか。俺は二人の関係性を知らなかっただけに、思わぬ所で仲の良さが知れたのが面白かった。


 とは言え、どんなに仲が良くても容赦をしないのが和葉だ。撫養城での生活は諦めて了承してくれたものの、やり方が良くないと怒り出して俺とアヤメは板敷の間に罪人宜しく長時間正座させられる羽目となる。


 最後は領国化した讃岐国の扱いだ。この国は今の俺にどうこうできる余裕は無いため、畑山 長秀に一任した。


 当初畑山 長秀はこの決定に戸惑いを見せつつも、「三好への最前線は畑山 長秀でなければ務まらない」と言った途端にコロッと態度を変えて「お任せあれ」という始末。畑山家を継いだ経緯と言い、畑山 長秀は頼られると弱い性格のようだ。面倒見の良い性格の裏返しといった所だろうか。


 また、讃岐国は経営が難しくないというのも一任できる理由となる。讃岐国と言えば、雨が少なく水資源も乏しいのが欠点だ。作物の栽培には一見不利に見えるだろう。しかしながら、それを逆手に取った讃岐三白さぬきさんぱくと呼ばれる砂糖・塩・綿の生産によって財政を支えてきた歴史がある。これを踏襲すれば安定化は確実であった。


 その上で溜め池も積極的に作らせる。讃岐国は温暖な地域のために二毛作も可能だ。これにてうどん国香川県の足場をしっかり固めさせる。


 四国平定によって当家の新たな体制が始まった。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「国虎様、夜分に失礼致します。備前宇喜多びぜんうきた家より急ぎの書状が届きました。内容を確認ください」


「ご苦労様。夜なのに大変だな。きちんと読んでおくから、飯食って休んでおけ。何かあれば、使いを出す」


 天文二三年 (一五五四年)は中国地方が俄かに騒がしくなる。昨年起きた美作みまさか国や備後びんご国での戦も十分騒がしかったのは間違いないのだが、今年に入り騒動がより大きくなった。


 四月に入り、何と播磨浦上はりまうらがみ家当主の浦上 政宗うらがみまさむね出雲尼子いずもあまご家へと降る。


 天文二一年 (一五五二年)に備前国の守護が出雲尼子家へと移って統治の正統性を失い、天文二二年 (一五五三年)には美作国で大負けして力を失うという踏んだり蹴ったりの状況の中で、同年中に出雲尼子家が安芸毛利あきもうり家・周防大内すおうおおうち家の連合軍に負け出雲国へと撤退した矢先の出来事であった。


 浦上 政宗が何故備後戦線で負けたばかりの出雲尼子家に臣従したのか理解に苦しんだが、そう言えば出雲尼子家は常に外征をしないと内部崩壊を起こす国であったと思い出す。次の標的は弱い播磨浦上家とされたために先手を打って好条件を得ようとしたか、もしくは脅されたか。そんな所であろう。


 だが今は戦国時代。当主が新方針を伝えても、それに反抗する家臣がゴロゴロいる時代だ。ましてや長年争ってきた出雲尼子家に対して「明日からは味方だから」と言われても、はいそうですかと切り替えられる者は少ない。多くが釈然としない気持ちになっただろう。


 そんな中、浦上 宗景うらがみむねかげ殿は出雲尼子家に従いたくないと、当主であり兄でもある浦上 政宗に対して反旗を翻しただけではなく、事もあろうに安芸毛利家に従属するという離れ業までやってのけた。


 「出雲尼子家が怖くて戦ができるか。こっちには安芸毛利家がいるんだぞ。ささっ先生、やっちゃってください」という会話があったかどうかは知らないが、見事に虎の威を借りる狐の状態と言えよう。ここまで来ると清々しくて気持ちが良い。


 この状況で宇喜多 直家うきたなおいえ殿から急ぎの書状が届いたとなれば、内容は察せられる。浦上 宗景殿と共に浦上 政宗や出雲尼子家と戦うための物資を急いで欲しいのだろう。


 宇喜多 直家殿には伊予いよ国攻めで世話になっていたのだから、その時の借りを返すには丁度良い機会であった。


「国虎、勝手に決め付けないでまずは読んだ方が良いんじゃない? 違う理由で書状が夜に届いたのかもしれないし」


「ん? てっきり急ぎだから夜に届いたと思ったんだが、違う理由があるのか?」


「分からないけど、国虎の言う物資なら商家の阿部 善定あべぜんてい様に頼るんじゃない?」


「あっー、確かにそうだ。和葉、賢い。物資の調達なら同じ備前国の商家を頼った方が早いな。なら俺には、何を期待しているんだ? とりあえず読んでみるか。どれどれ……ぷっ」


「えっ、何が書いてあったの?」


「さすがは宇喜多殿、面白い事を考えるな。兄弟喧嘩に付き合い切れないから、この機会にウチに臣従したいらしい」


「それってどういう意味?」


「要するに、これから備前国が荒れるから当家に介入して欲しいようだ。で、臣従するから奪った領地の何割かを欲しい、と」


 さすがは「戦国の三梟雄」とも呼ばれる宇喜多 直家殿の真骨頂とでも言うべきか。浦上兄弟の対立は、出雲尼子家と安芸毛利家の代理戦争の側面がある。どちらが勝っても待っているのは更なる戦だけ。浦上家はもう終わったと見切りを付けてもおかしくはない。


 だからこそこのタイミングで盤面をひっくり返しに来た。兄弟喧嘩の隙に頂ける物を全て頂く。それが当家への臣従の打診に繋がったのだと考える。まさしく「裏切りの宇喜多」。この一言に集約されるだろう。


「それでどうするの、国虎?」


「前に世話になったからな。臣従はどちらでも良いんだが、備前国に介入して宇喜多殿には勢力を広げてもらうさ」


「確か三年前だったよね。随分と高い利息になったわね」


「違いない」


 とは言え、この話は当家にとって渡りに船の話でもある。対三好を考える上で淡路あわじ国という悩みの種がある以上、宇喜多殿への協力はその対策への大きな一歩となろう。


 そう、次の目標は瀬戸内海の制海権奪取。宇喜多殿への協力を足掛かりとして、俺達は淡路国の無力化を目指す。

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