閑話:細川 晴元への想い
天文二三年 (一五五四年)
激動の昨年を何とか凌ぎ切り新たな年を迎える。今思えば、こうして何事も無かったように皆が新たな本拠地の芥川山城へと集まっているのが嘘のようである。それ位昨年は危険な年であった。
途中までは全てが順調であったと儂も考えておる。狂い始めたのは、
思えば、出雲尼子家が
天文七年 (一五三八年)から天文八年 (一五三九年)に出雲尼子家が起こした上洛行動は今も覚えている。その当時、軍勢が
それだけではない。出雲尼子家に呼応する形で
つまりは此度の出雲尼子家の上洛行動は、公方様や晴元派陣営との連携のみではなく、更なる武装蜂起を呼ぶ可能性があったのだ。
幸いだったのは公方様との対峙を後回しとして芥川山城を包囲したためか、
今でこそ三好宗家は摂津国に本拠を置いておるが、この摂津国自体は本来細川
そういった意味もあり、出雲尼子家の動きに対応するためにもまずは、摂津国をしっかりと固める必要があった。
この儂の判断が功を奏したのであろう。
摂津国以外で公方様や晴元派に新たにお味方する勢力は現れなかった。厄介な
そうなれば、後は芥川山城さえ落ちてしまえば出雲尼子家と公方様・晴元派の陣営は分断され、各個撃破が可能となる。しかも間の悪い事に出雲尼子家は、中国地方での変事に対応するべく軍を返してしまっていた。
ここで構想が狂ったと一度兵を退き仕切り直しをすれば良かったものを、功を焦ったのか公方様・晴元派の陣営は城から出て京の町へと侵攻を開始する。
この瞬間、公方様の勝ちは無くなった。
幾ら我等が京の町に軍勢を残していないとは言え、多少の警備兵はいる。その上で遠州細川家の兵八〇〇が御所の北にある
結果として公方様・晴元派陣営は駆け付けた我等の前にいともあっさりと負け、拠点となった
これで満足したのなら、四国を遠州細川家に明け渡すような失態は犯さなかっただろう。しかしながら、皆が大きな戦果に舞い上がってしまい冷静さを欠いてしまっていた。
丹波国よりやって来る晴元派には何度となく煮え湯を飲まされたのだ。それが皆の中に大きな不満となっていたのが理由となる。
後悔をしても今更どうにもならないのは分かってはいる。だが、あれさえ無ければもっと皆と喜び合える新年を迎えていたと思わざるを得ない。
「皆、そう不満そうな顔をするな。新年の祝いくらい楽しく過ごせ。此度は皆を労うために酒も良い物を揃えておる。飲んで騒ぎ、過去は忘れよ。そうでなければ、再度の丹波攻めでまた負けてしまうぞ」
ただ、そうは思いつつも、我が三好当家はこの後の苦境も何とか凌ぎ切ったのだ。ゆえに今年からはむしろその逆。当家の飛躍の年となる。
居城もこれまでの
新たな城、新たな三好宗家として、新年の祝いにかこつけて皆に集まってもらったのだが、なかなか気持ちは切り替えられないらしい。もう少し皆には前を向いて欲しいのだがな。
それというのもやはり、
「お言葉ですが長慶様、武家にとって本貫地 (発祥の場所)を奪われた悔しさは、数日で忘れられるようなものではございませぬ」
これが理由であろう。
「
儂は天文八年 (一五三九年)以来、越水城に本拠を置いている。もう既に三好宗家は畿内の武家に他ならない。生まれた
それに阿波三好家の当主である弟の
また弟の
「それは分かるのですが……」
「くどい! 儂の決断にまだ不満があるのか? なら長逸叔父上は、どのようにすれば遠州細川家との戦を回避して三好を滅亡から救えたのか、その存念を聞かせよ」
「……」
「何度でも言う、先の丹波攻めでの我等の油断が此度の全ての原因だ。むしろ阿波国と讃岐国のみで済んで良かったと考えよ。もし戦が今年になっても続いていれば、もっと被害は拡大していたのだぞ」
この油断には当然儂も含まれる。細川殿の策は読めなかったと言え、阿波国の事件を大義名分として遠州細川家が介入するだろうというのは読めていたのだ。中途半端な領土割譲で、相手が引き下がると甘く見積もった儂へのしっぺ返しとも言えるだろう。本当にこの二国の放棄のみで済んで良かったと思う。
「……はっ。肝に銘じます」
「それにしても
「なんの、兄上の苦労に比べれば、儂などそう苦労はしておりませぬ」
「我等にはまだ淡路国が残っておる。これが重要なのだ。淡路国さえあれば、遠州細川家に変事があった際に四国への侵攻が可能となる。最後の一線は守ったのだ。それを忘れるでない」
儂が此度の領土放棄において最も気を遣った点が、淡路国の死守だ。淡路国は海を挟んでいるとは言え、阿波国と隣接していると言っても過言ではない。つまりは四国への最前線でもあり、四国からの侵攻を防ぐ要害でもある。ここを素通りして畿内に攻め込もうものなら、簡単に後背が突けてしまう立地だとなる。
それだけではない。淡路国は
言わば淡路国は、遠州細川家の畿内侵攻に蓋をする最重要の地である。それ故、ここだけは絶対に渡す訳にはいかなかった。
阿波国での交渉時に細川殿があっさりと引き下がったのは、意外としか言いようがない。儂としては淡路国にまで踏み込んでくると考えていたのだ。それがなく阿波国と讃岐国だけで納得する。いや、讃岐国は見捨てたと言った方が正しいか。これだけを見ると、儂には細川殿が皆が言うような野心を持っているようには到底思えない。
「もう一つ。これを忘れるでない。細川 国虎殿は儂に対して『完敗だ』と口にしたのだ。この意味が分かるか?」
『……』
「遠州細川家は南九州への遠征で
「父上! それは誠ですか!?」
「間違いない。遠州細川家は薩摩・大隅の領有を最重要として、目先の面子を捨てたのだ。銭で解決できるなら迷いなく出す。これが遠州細川家の異常さでもある」
「……確かに」
「
「……真似……ですか?」
「そう真似だ。銭と領土の違いはあれど、する事はそう変わらぬ。後は皆の奮闘によって丹波国を手にするだけだ。更には
「なんと……」
「もうここまで来れば分かるであろう。晴元派の討伐を終えてしまえば、三好宗家は遠州細川家が決して届かぬ力を手にする。だからこそ細川 国虎殿は儂に負けを認めた」
軍略や武力で戦を考えない。これは商家よりも商家らしい細川殿の発想だろう。例えば石高は四国全てを合わせても近江国一国に届かない。銭の上りは当然ながら畿内が圧倒的に上となる。人の数もそうだ。はっきりとは分からぬが、摂津国一国だけでも四国よりも上ではなかろうか。
加えて丹波国で我等が晴元派に勝てば、弟の
国力として考えれば、畿内に拘った方が阿波国よりも得られる物が大きい。それに畿内には、細川殿のような厄介極まりない敵がいないのも大きかった。
「阿波国を遠州細川家に奪われた以上、儂も皆には敵視するなとは言えん。だが今は待て。三好が遠州細川家を凌駕できる力を手に入れる方が先決だ。今年がその年に当たる。まずは丹波国を手に入れるぞ。今日はその前祝と思え。遠州細川家ができて、我等ができぬ道理は無い。今年は三好を天下一の家とする年ぞ。それが分かれば、皆飲んで食って歌え」
『応ぅぅ!!』
……ふぅ。こんなもので良いであろうか。折角細川殿が領土拡大の機会を与えてくれたというのに、また同じ轍を踏む所であった。
皆が遠州細川家憎しで凝り固まっておる。しかしながら、我等の第一の敵は晴元派だ。そこを何とかしない限り、遠州細川家も公方様もない。それが分かってもらえたなら、今日の宴の意味はあったろう。
後は儂個人の感情ではあるが、細川 晴元様との争いは一刻も早く終わらせたいというのがある。事ここに至っては、細川 晴元様は決して儂を許さぬ筈だ。もう以前のように細川 晴元様の下で励むのはできないとは分かっている。
それでも、それでもではある。儂は細川 晴元様を兄のように思い、長年慕ってきたのだ。今もその思いには変わりはない。だからこそ細川殿には絶対に殺させたくはないし、晴元派の討伐は当家が責任を持ってやらねばならぬと考えている。女々しいが、儂は細川 晴元様とどんな形であれ和睦がしたい。
決別した当初は、きっと細川 晴元様なら儂の思いを理解して和睦してくれると思ったものなのだがな。
遠州細川家と事を構えるのはそれからでも遅くはない。まず無いと思うが、遠州細川家が細川 晴元様を迎え入れるような事態になってしまえば、儂自身がどうすれば良いか分からぬようになってしまうであろう。
細川 晴元様の身柄が他の氏綱派陣営へと渡らぬよう、儂が全てにけりを付けるつもりだ。
「そう言えば父上、国虎殿の真似をするなら私はあの火器を真似たいのですが、どうにかなりませぬか?」
「全ては無理だな。しかし遠州細川家が得意としておる大筒や焙烙玉は、次の丹波攻めから試しとして使用していく。これで両家の差は詰められよう」
「ですが……」
「分かっておる。舎利寺の戦いで使用されたあの火器への対抗策であろう。それには試案が一つある」
「宜しければお聞かせ頂けないでしょうか?」
「追々にな。確証が得られるまで今しばらく待て」
「その時を楽しみにしておりまする」
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