鑓場の戦いへ
包囲網が崩れ去る時というのは意外と呆気ないものだと思う。
天文二二年 (一五五三年)の三月に
ここまでは良い。備後国の尼子方が負けてしまえば、次は本拠地の出雲国を危険に晒してしまう。味方を守るためにも、自身の基盤を守るためにもこの行動自体におかしな点は無い。
だがここからが良くない。備後国での戦いは熾烈を極めた上に長期化する。以前失敗した上洛と同じ轍を踏んだのだ。
出雲尼子家の軍事目的が中央への進出であれば、備後国の戦いはそこそこにして和睦に持ち込むのが望ましい。何のために公方
また足利 義藤と細川 晴元も、ここで大きなミスを一つ犯した。
それは洛中への侵攻である。
七月末、公方 足利 義藤の籠る
しかしその一手は出雲尼子家との連携があって初めて意味を成す。
当然ながら中国地方においての戦いの長期化は、
余談ではあるが、この京での戦いでは相国寺に逗留している当家の兵達も動員され、連合軍の足止めやら残党狩りやらでしっかりこき使われたという。勿論、報酬は無い。
こうして敵陣営の悪手によって危機を脱した三好 長慶は、当初の目的でもあった
「まさかねぇ、ここでこんなご招待が来るとは思わなかったよ」
書状の主は
以降、書状のやり取りは一切行っていなかった。元々が敵同士なのだから当たり前と言えば当たり前となる。
そんな仁木 高将殿からの書状に何が書かれていたかというと、遠州細川軍の阿波国北部への御招待であった。残念ながら遊び目的ではない。
もっと正確に言うなら、阿波国北部を譲りたいというものだ。但し条件として、現阿波細川家当主
要するに阿波国北部や阿波細川家を
ここで一つの疑問点が浮かぶ。阿波細川家を傀儡化されたくないのであれば、細川 真之を攫い土佐に逃げてくれば良いだけではないかと。何も当主の身を俺に預ける必要は無い。阿波細川家の再興を考えれば、反三好 実休派が細川 真之を盛り立てる方が意義がある。
しかし、それをできない事情がこの書状には書かれていた。
近々反三好 実休派が挙兵して、殺された
俺に細川 真之の身を託すのは、ほぼ間違いなく自分達は死んでこの世にいないからという理由だ。馬鹿以外の何者でもない。
また書状には細川 氏之が殺された勝瑞事件の背景も書かれていた。そこで細川 氏之が、以前より当家の傘下に入るのを前向きに検討していたという衝撃の事実が発覚する。
とは言え当家の傘下に入るには、阿波細川家中の実力者 阿波三好家当主の三好 実休を説得しなければならない。ここが大きな問題となる。だというのにその三好 実休自身は、阿波三好家当主の座を他の三好一門に譲って
これまでの細川 氏之は、遠州細川家と三好宗家との関係を考えてずっと悩んでいたに違いない。どのように三好 実休を説得すれば臣従に首を縦に振ってもらえるか。阿波細川家存続のために過去を水に流してもらおうと考えていただろう。
それが一転、見捨てられていた。事もあろうに小さい頃から目に掛けて育てた相手によってである。その絶望は痛いほど分かる。
これで全てを飲み込んで冷静でいられる筈がない。ましてやこの時代の人々は感情表現が豊かだ。絶望が逆上に変わろうとも致し方ないと思われる。
──そこを返り討ちにされた。
互いの気持ちがすれ違い、向いている方向が別であったが故の悲劇的な事件。それが勝瑞事件なのではないだろうか。
「つまり三好 実休は、主君殺しだけではなく裏切り者でもあったという意味か。仁木 高将殿としては、阿波細川家の存続よりも先に主君の無念を晴らしたいと考えての行動なのだろうな。うん、こいつ等馬鹿だ。でも、こういうのは嫌いじゃないんだよな。しゃあねぇ。やるか」
「国虎様、どうされるのですか? まさか書状の内容通りの行動をするつもりなのですか?」
「長く俺の側にいる
「……邪魔をするのですか?」
「ご名答。こんな馬鹿な奴等、無駄死にさせるのは惜しいからな。仇討ちを俺達が邪魔するぞ」
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
敵は分家とは言え三好である。楽に勝てる相手ではない。しかも、向こうは昨年讃岐国の半分以上を併呑したばかりだ。こちらが阿波国に攻め込めば、敵はほぼ間違いなく讃岐国の兵も動員するのが見えている。
更に言えば、海を挟んだ
つまり阿波国北部への侵攻は、事実上三カ国を相手にしなければならないという意味だ。少ない兵力で攻め込めば簡単に返り討ちとなる。
だが既に賽は投げられた。最早悠長な事は言ってられない。十分な兵や兵糧が整うのを待っていれば、仁木 高将殿達が討ち死にをしてしまい、阿波国遠征の意味を半分以上失ってしまう。
ならばどうするかとなると、当家お得意のトンデモ兵器で足りない兵を補う形とした。
まず一つ目は、一貫目 (八四ミリ)口径の抱え大筒となる。その数二〇。重量は二俵 (約一二〇キログラム)近くある凄まじさだけに、一般人にはとうてい扱い切れない代物だ。素直に荷車にでも乗せるか、船に備え付けるのが賢い運用法となる。
しかし残念ながら日の本は山が多いために、荷車での運搬では目的地まで運べない。かと言って船に備え付けるのでは、内陸での戦いに対応ができないとくる。
そういった事情を鑑みた結果、俺は一つの決断を下した。重いなら、力自慢に任せようホトトギスと。
要するに怪力ばかりを集めた専用の隊を作った。丁度良い事に、
冬場でも半裸で過ごせるような肉の鎧を持つこの「力士隊」は、野戦に攻城戦にと多くの場面で決定力となるのは間違いない。
もう一つは一〇匁 (一八ミリ)口径の
分類は対物ライフルとなる。本来は狙撃銃として設計されたものだが、口径の設定を間違えた。深く考えずに士筒をベースに狙撃銃仕様にしたら、対物ライフルになってしまったというある意味失敗作である。
ただ、こういった銃には浪漫が溢れる。長く高威力というのはそれだけで正義だ。この試作品を見た家臣が大興奮して、「是非とも量産化して隊として独立させるべきです」と押し切られる形で制式化をする。本家には及ばないものの、その設計思想の類似性から「
この隊を率いるのは……あの
当家に人質としてやって来て以来、馬路党の連中にコテンパンにされて真面目に鍛錬はするようになってはいたが、素行だけは一切直そうともしなかったあの鈴木 重秀がここまで言うのは奇跡でしかなく、その覚悟に折れる形となった。
当然ながら、以前のようにまた素行が悪くなれば、即隊から除名すると言い聞かせてある。
抬槍隊は総勢二〇〇名。配備数は一〇〇とまだまだ発展途上ではあるものの、分隊支援としても主力としても活躍が期待できる使い勝手の良い隊となるのは確定だ。
なお、銃器の配備がこうして一気に進んだ理由には、
堺のやり方に以前より不満を感じていた津田 算長は、当家への家臣入りを機に堺の鉄砲鍛冶の工房を無理矢理閉鎖して、種子島銃を作り上げた職人
次に南九州を治めていた島津宗家は長く
つまり現在の土佐には、これまでの遠州細川家お抱えの職人に加えて根来と南九州の鍛冶職人が加わっているのだ。これで生産性が上がらない訳がない。これまで開発や技術の向上を優先していたミロク兵器製造部門もついに量産化に舵を切り、纏まった数での供給が可能となった。
本当に感慨深い。ここまで来るのに一〇年近くの時を必要とした。これまで新居猛太やチェスト種子島のような試作品ばかりだっただけに、制式化された銃器が配備されるというのは喜びもひとしおである。
これほど時を要した理由はただ一つ。シアーの実用化である。シアーとは簡単に言えば、引き金と撃鉄を繋ぐ部品でしかない (中には撃鉄にシアーが内蔵されている場合もある)。しかしそれが銃に於いては大きな役割を果たす。
当たり前の話だが、当たる銃というのは楽に引き金が引けて弾丸が発射される。引き金が重い場合は余計な力が必要となるため、銃身がブレてしまい当たらない。それを決定付けるのがシアーの精度だ。シアーの精度が悪ければ引き金は重くなり、最悪の場合は引き金自体が引けなくなる。
種子島銃というのは構造がとても恐ろしい。乱暴に言えば、撃鉄 (火挟み)に棒を突き刺して固定しているだけという代物である。その棒が引き金の役割となっているという作りだ。その上で機関部は右側面に剥き出しとなっているため、少しの事で簡単に壊れるし、外れる。下手をすると砂を噛んだだけで機能しなくなる。
だからこそ徹底的に改修をする必要があった。機関部は中央に配置して内蔵する。これによって耐久性を上げた。
また、撃鉄が危う過ぎる。これでは引き金を軽くするのは暴発と同義だ。それを回避するために両部品の間にシアーを介在させると同時に、安全装置を組み込む。これによって、軽いトリガープルと安全性を両立させた。安全装置と言っても複雑な機構ではない。外側から棒を突き刺して固定するだけの簡素なものだ。これだけで信頼性が大きく向上する。
構造的に見れば、敢えて独立したシアーを作らなくとも撃鉄にもシアーの役割をさせ、安全装置を組み込む形でも良い。そうすれば引き金は楽に引ける。ただそれではシアー部分の摩耗によって撃鉄の交換頻度が上がってしまう問題があるため、敢えて独立したシアーを介在させて部品点数を増やした。銃は発射の衝撃で常に各部品に負担が掛かる関係上、一つの部品に多くの役割を持たせるのは運用上宜しくない。ならば撃鉄の負担を減らす別部品を追加するのは理に叶った考え方であろう。
しかもこうすれば、仮に敵に鹵獲されても安心である。敵への技術流出対策を考える際、最も簡単で効果的なのが部品点数を増やす事だ。それもその部品に精度が必要となれば、簡単には複製できなくなる。だからこそ一度壊れるなり不具合が出れば、修理ができずにあっさりと使い物にならなくなってしまう。一粒で二度美味しい仕様だ。
話は横道に逸れたが今回新兵器を持ち出せるようになったのは、地道な技術研鑽が実り尚且つ量産を支える人材が揃ったという両面が達成されたからに他ならない。以後の当家は一層火器装備率が上がるだろう。
とは言え俺には一つの不満がある。ここまで技術が進んでいるというのに、未だに歩兵銃が製作されないという点だ。本来的には基本となる銃を作り、そこから派生させるというのが一般的であろう。何故か当家では派生モデルばかりが作られる。
これに付いては銃器の開発責任者である
幸か不幸か遠州細川軍には、結果として変態種子島銃ばかりが揃う。お陰で気が付けば、この時代の標準から外れた異質の軍へと変貌を遂げていた。
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