発進五秒前
畿内情勢は驚くほど予想通りに進んでいた。
度重なる
それを見た公方
鬼のいぬ間に……いや、三好 長慶のいぬ間に武装蜂起と言えば良いのだろうか。この分かり易い行動を見ると、三好 長慶は全てを分かった上で丹波国入りをしたのではないかと勘繰りたくなる。
しかも丹波国入りする前日には、
そうなれば、怒りの矛先は三好宗家及び裏切り者の伊勢 貞孝及へと向く。公方 足利 義藤が三好宗家と袂を分かつ決断をする理由としては十分であった。
ただ三好 長慶はこの時意外な行動を取る。公方 足利 義藤が籠る
これには理由がある。実はこの天文二二年 (一五五三年)三月には中国地方でも異変が起きていた。それは
何が言いたいかというと、ここに三好 長慶の誤算があった。三好 長慶が真っ先に芥川山城の包囲に乗り出したのは、自身の本拠地である
しかも播磨浦上家は、越水城のある
周防大内家の上洛が事実上が無くなったと思った途端に、今度は出雲尼子家が色気を見せ始める。足利 義藤を嵌めたつもりが、逆に包囲網のように絡め取られた訳だ。これには三好 長慶も大弱りしたに違いない。
だからこそ、この事件が起きたのではないだろうか。
「……やりやがった。気持ちは分かるが、今ここでこんな真似をして何の意味があるんだ」
発端はほぼ間違いなく細川 氏之が畿内に援軍を出すのを拒んだからであろう。何が悲しくて火中の栗を拾わなければならないか分からない。更にはここで阿波国から援軍を出せば、その隙を突いて遠州細川家が攻め込んできた場合に対処ができない。三好宗家の危機よりも阿波細川家の存続の方が大事である。
細川 氏之の選択は何ら間違っていないと言えた。
しかし、三好 長慶の弟である三好 実休はそれには納得できない。実の兄の身に危険が迫っているのだ。何にも増して援軍として駆け付けたいと思うのが普通である。お家大事、もしくは美しき兄弟愛と言うべきか。今ここで三好 長慶を見捨てるようなら、とっくの昔に晴元派に転向していただろう。
ただ、ここで一つの問題がある。
用意周到に準備されたクーデターなら問題無かろうが、突発的に起きた領主殺害の犯人に対して阿波細川家の家臣が唯々諾々と従う筈がない。しかも犯人の三好 実休には殺害を正当化する大義名分が無いのだ。幾ら阿波三好家が頭一つ抜けて阿波国内で大きな力を持っていたとしても、反発が起きるのは確実と言えよう。
下手をすると、阿波国北部では内戦に突入する可能性すらある。何故幽閉などの穏便な形にできなかったのであろうか。もう少し事の重要性を良く考えて欲しかった。
当家に援軍を頼めば、これ幸いにと越水城を落とされてしまう危惧があってできなかったのだとは思うが、それにしても無計画過ぎるとしか言えない事件である。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
勝瑞事件発生はここ土佐にも衝撃を与える。多くの者が三好 実休の行動に怒りを露わとしていた。
あの
有力家臣がどんなに力を持とうと、最後の一線だけは越えてはならないというのがこの時代の秩序である。
だというのに、兄の三好 長慶は弟を処罰しようともしない。状況が状況だけにそれ所ではないというのは分かるが、何の対処もしないというのは主君殺害を肯定したのと同じである。その態度が当家の家臣達の怒りを更に大きなものとした。
まだここで三好 実休が兵を率いて三好 長慶を助けようと畿内入りをしたなら、少しは印象も変わっていただろう。残念ながら、そういった行動は一切行わない。いや、本当は三好 実休も援軍を送りたかっただろう。それを許さない事情があったというだけである。
細川 氏之の死亡後、阿波細川家の家督は嫡男の
そうなれば三好 実休は、まず阿波細川家の混乱を鎮めなければならない。兵を率いて阿波国を留守にするなど以ての外となる。それを強行すれば、阿波国北部は内戦待ったなしとなるだろう。
だが悲しいかな、当事者でない第三者にはそんな事情は考慮する必要は無い。見えるのは事実のみ。三好 実休が主君殺しを行い阿波国北部を乗っ取った。三好 長慶はそれを容認した。ただそれだけである。
こうなると人は邪推をしたがる。今回の細川 氏之殺しは細川 氏綱殿殺害への布石ではないかと。細川 氏綱殿を殺害し、養子の
まだ勝瑞事件の発端が細川 氏之の晴元派への転向なら話も変わっていただろう。しかし、これは前提として成り立たない。もし細川 氏之が晴元派に転向するのなら、その前段階として三好 実休達を畿内に送り出す。有力者を国元から遠ざけてからでなければ、裏切りなどできはしないからだ。
こうした背景が、邪推を確信へと昇華させようとしていた。
そうなると、我が脳筋軍団遠州細川家の導き出される結論はただ一つ。
──逆賊三好 実休を討つべしと。
当家が細川 氏綱殿の護衛を買って出ようとも、間違いなく却下される。理由は拉致して土佐に連れていかれようものなら、公方 足利 義藤のいない京を統治する三好宗家の大義名分が無くなるからだ。細川 氏綱殿が持つ細川京兆家当主という看板は意外に重い。
そうなれば主君殺しは大罪であると、世に知らしめる見せしめが必要というもの。犯罪者を処罰し、次の悲劇を起こさせない。
この意見が家中を大いに賑わせていた。
俺には勝瑞事件を大義名分として、単純に三好と戦いたいだけのようにしか見えないが。
ともあれ、この意見には俺も賛成である。三好宗家が追い込まれている現状なら、余計なちょっかいを出しても逆撃される恐れは少ない。これまで数多く溜めていた貸しを返してもらうには丁度良い機会と言えよう。
こうして急遽戦への準備が始まる。そんな時、ある人物が俺に面会を求めてきた。
「義父上、頼みがある。此度の阿波国遠征に俺も連れていってくれ」
「亀……いや、
それは当家が阿波国南部に侵攻した際に土佐に連れ帰った、
土佐へとやって来た当時はまだ子供であったというのに、今では成人をして立派な若武者へと成長を遂げていた。
惜しむらくは足利の血を引く御曹司も、すっかり土佐に染まり切っている点だろうか。言葉遣いもそうだが、日焼けした肌に筋肉質な体つきを見れば、周りの者と何ら変わらない。出会った当時の線の細さは鳴りを潜めていた。唯一の救いは、常に身だしなみを整えて清潔感溢れる格好をしている点くらいである。
とは言え、それは仮の姿。義栄はしょっちゅう同世代の武家や領民達と相撲を取ったり山に入ったりして遊んだりしているので、全身泥だらけになる日が多い。身分関係無く分け隔てなく接する態度は素晴らしいとは思いつつも、少しは自重して欲しいものである。
更にはこの身分に拘らない気さくさが、思わぬ事態を引き起こした。それが俺に対しての「義父上」呼びである。
義栄はここ土佐で男女問わず人気が高い。男性側からすれば、貴種なのに同じ目線で一緒に遊べる仲間として。女性側からすれば、周りの男性陣とは一線を画す品の良さを理由として。
だと言うのにこれまで浮いた話一つ出なかったのを不思議に感じていたのだが、元服した今年にその理由がようやく判明する。
義栄はおみつさんの連れ子である雫と隠れて付き合っていた。元服をした日に二人して夫婦になりたいと言われた時には、呆れて言葉が出なかったのを覚えている。それは同席した和葉も同様であった。
「まだ俺と雫が婚姻するのに反対しているのか?」
「いや、二人の意思が強いのは分かったからな。もう反対はしない。それ位の理解はあるつもりだ。ただ、八歳しか離れていない義栄から『義父上』と呼ばれるのがしっくりこない。俺の我儘だな」
とは言え、その申し出を簡単に「はいそうですか」と認める訳にはいかなかった。土佐で匿われているとは言え、義栄は足利の血を引くれっきとした貴種である。雫は元奴隷だ。それが香宗我部の娘となり、現在は俺の養女だとしても出自が違い過ぎる。
それに俺自身も、義栄は領地を手にした際に地元の有力者の娘を娶るのが良いと考えていた。現在の義栄はほぼ身一つと変わりないのだから、まずは地盤が必要という判断である。どれほど大きな夢を持とうとも、その取っ掛かりさえ無ければ全ては絵に描いた餅となるからだ。一足飛びではなく、一歩ずつ確実に前進していくのが本人のためになると思っていた。
だがここで思わぬ落とし穴に嵌まる。雫自身が俺の養女という現在の身分を持ち出してきたのだ。
つまり有力者の娘というなら、遠州細川家の養女である自分以外の候補者は滅多といないという言い分である。生活に不便しないようにとした俺の配慮を完全に逆手に取られた形となった。
更に二人の話は続く。そもそも俺の妻である和葉は元河原者ではないかと。
──俺が和葉と一緒になる時に何をしたか知っているぞ。
言葉にこそ出さなかったものの、義栄と雫の目がそう訴えていた。婚約破棄、養女の更に養女という俺の無茶に比べれば、二人は可愛らしいものである。それを比較に出されてしまえば、二人の婚姻を認めざるを得なかったという顛末となる。隣にいた和葉からは、小声で「だからあの時言ったのに」というお叱りまで頂く羽目となった。
要するに身から出た錆でしかない。
「何だ、そんな理由か。慣れれば大丈夫だろう。それとも『管領殿』とでも呼ぼうか?」
「それはもっと止めてくれ。皆が本気にする。……分かった。諦めて『義父上』呼びを受け入れる」
「もう少し義父上は周りからの評価を気にした方が良いと思うぞ。その辺はじきに分かるか。それよりも、次の遠征に連れていって欲しい。頼む」
「元服したから初陣とでも言いたいのか? 焦る必要は無いと思うんだがな。それに戦に参加するにしても、隊を率いるには家臣が足りないだろう。逸る気持ちは分からんでもないが、まずは家臣団の構築からだ。現状では遠征に参加しても、俺の横で眺めているだけで終わるのが関の山だぞ」
「分かっている。だから此度は戦場の空気に触れるのが目的だ。後はその足りない家臣を阿波国で揃えようと思ってな」
「ん? どういう意味だ?」
「義父上の事だから、降った武家に所領を認めるつもりはないだろ? それだと、亡くさなくても良い命が多く亡くなってしまう。生まれ育った阿波国でそれは起きて欲しくない」
「随分とお優しい事で。それで『足利二つ引き』の旗を掲げれば、降る者も出ると言いたいのか。遠州細川ではなく、足利の家臣になら所領が没収されてもなると。そう上手くは行かないと思うが、分かった。認めよう。但し、絶対に俺の側を離れるなよ。それが条件だ」
「ありがたい。義父上ならそう言ってくれると思った」
「まあ、義栄を焚き付けたのは俺でもあるからな。面倒は見るさ。良い家臣が見つかれば良いな」
このやり取りだけでも義栄の覚悟が分かる。本当に良い若武者に育った。
しかもきちんと足元が見えているのが良い。実の父親である
これは本当にやるかもしれないな。まだまだ足りない物ばかりだとは言え、その足りない物が何かというのが分かっている。いきなり領地を欲しがった出会った頃と比べれば雲泥の違いである。
こうなると、俺もあの時した約束を近い内に果たさなければならないようだ。
だからなのだろう、ついこうした言葉が口から出てしまう。
「なあ義栄、確認をしておきたいのだが、今も実父の遺志を継いで公方になりたいと考えているのか? 他の道を探ろうとは思わなかったのか?」
「義父上、土佐での六年間がそれを確信に変えた。今は迷いは無い。阿波凱旋はその一歩と思っている」
「ははっ、凱旋と来たか。分かった。止めはしないから、焦るなよ」
これは今回の阿波国北部への遠征が、盤面に混乱を巻き起こす鬼手になるかもしれない。どういった結果を齎すか今から楽しみだ。
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