閑話:三好 慶興の決断

 天文二二年 (一五五三年) 越水こしみず城内 三好 慶興


 淀古よどこ城での細川京兆けいちょう家当主就任を披露する式も何とか無事に終え、我等は本拠地越水城へと戻ってきた。式では皆が公方様の動向に気を配っておったが、普段以上に大人しかったのが印象的となる。もし式の最中に何らかの騒動が起きれば、細川 氏綱ほそかわうじつな様や父上の面目も丸潰れとなっていた所だ。


 そうならなかったのは、偏にあの方のお陰と言って良い。細川 国虎ほそかわくにとら殿の出席は場の空気を一変させていた。


 実の所、三好宗家家中からの評判は悪い。足利の名を持つ者にも平気で手を出す。摂関家の方にも暴言を吐く。遠州細川家を乗っ取ったと散々なものであった。


 この噂を信じるなら、国虎殿を式に呼ぶのは猛獣を招き入れるのと同義である。式には公方様もご出席されるし、近衛様や昵懇公家衆の方々さえも同行される可能性が考えられた。当初父上が国虎殿を式に呼ぶと決めた時には、何を考えているのか分からなかった程である。


 けれども父上は私の疑問にこう答えてくれた。「全て真実だ。だからこそ是非とも参加してもらう。今の我等にこれほど心強い相手はいない」と。


 父上の言葉に正気を疑うも、続く一言が私の興味を大きく駆り立てる。それは「会って話してみると真逆の印象を受けるぞ」というものであった。


 それから私は国虎殿のこれまでを調べた。そこで驚くべき事実を知る。何と国虎殿は家督を継いでから僅か七年で土佐を統一し、次の二年で伊予国並びに南九州を平らげて四カ国持ちの勢力にまで急成長していた。父上に勝るとも劣らない手腕である。


 つまり父上はこう言いたかったのだろう。「噂はあくまでも国虎殿の一部であり、全てでは無い」と。父上は噂では知れない一面を知っていると言いたげであった。


 それからはずっとお会いするのが楽しみとなる。会ってどんな話をすれば良いか? いや一番は、遠州細川家の強さの秘訣を知る事であろう。いずれ私は三好宗家を背負って立たなければならない。その時のために、役立つ物があれば全てを盗むつもりで式に臨んでいた。


「……それでどうであった慶興」


「はい。とても面白き方でした。父上からお聞きした通り、噂とはまるで別人です」


「やはり慶興もそう思うか。ん? 久秀ひさひで、気持ちは分かるが動揺するな。心の乱れがこの茶には出ておるぞ」


「そんな……久秀の茶はそう簡単に味を落としたりせぬでしょう。父上、私も一口頂きます。……確かに。普段よりも味が薄く感じます。久秀にしては珍しき事かと。ですが、言われなければ気付かぬ些細な差です」


 皆と越水城へと戻り解散となった後、父上との二人での話はどうしても話題が国虎殿へと流れていく。私が話をしていたのを父上も目撃しただろう。どう感じたのかを知りたくて仕方がないという有様であった。


 ただ父上とは違い、隣で茶を作る松永 久秀まつながひさひでは国虎殿を蛇蝎の如く嫌っている。その感情が手元を狂わせたのだろう。このような久秀は私も初めて見た。


「某が未熟でした。長慶様、よろしければ作り直させて頂きとうございまする」


「そう気に病むな。作り直す程ではない。ただ、今の久秀は冷静さを欠いておる。それを自覚してくれれば良い」


「はっ。尚一層精進致しまする」


「父上を見ていると、私もまだまだだと思い知らされます。久秀と同じく今後も精進します」


「慶興はまだ元服したばかりだ。そう急くな。焦らずゆっくりやれば良い。それよりも、細川殿とはどのような話をしたか聞かせてくれぬか?」


「話自体は二言、三言程度でしょうか。途中で堺の天王寺てんのうじ屋が割って入ってきましたので。そうですね。酒を控えるよう助言を頂きました」


「それはどういった理由でだ?」


「私が三好宗家の次期当主だからです。次期当主なら体を大切にするようにとも言われました。そう言えば、その時に菓子を頂きました。美味しかったです」


「若! もしや毒見役も介さずそのまま食べたのですか? 三好宗家次期当主ともあろうお方が何と軽率な!」


「久秀、少し黙れ。それで何ゆえいきなり菓子の話が出てくるんだ? 酒とどう関係がある」


「それがですね、父上。その菓子は薬だと言うのですよ。ですが薬は薬でも病を治すのではなく、病に侵されない効果があるものだと言っておりました。とは言え、所詮は薬師の世話になる機会を減らす程度の効果であり、しかも日々食べなければならない『鍛錬』に近いものとなります」


「……すまぬ慶興、理解が追い付かぬ」


 初対面の、それも仲が良い訳でもない家の次期当主の体を気遣う。その上で自身が食べている薬まで出してくる。通常ならこのような出来事はまず起こらない。父上が困惑するのも当然だ。私も最初は国虎殿が何を言っているのか理解できなかった。


 しかし、そんなうさん臭さを帳消しにする一言が、火中の栗を拾わせる行動へと繋がる。


「父上、凄いのはここからですよ。何とその菓子は、遠州細川家の領国では武家だけではなく領民全てが食べているという話です。つまりその菓子こそが遠州細川家の強さの一端です!」


「はっはは……そのような物を惜しげも無く慶興に食べさせたな。細川殿は阿呆なのか?」


 そう、遠州細川家は他家と食べ物からして違うという話だ。これに気付いた私は一切の迷いがなかった。


「いえ。私の見立てでは、この程度は何でもないという素振りでした。秘術だとも考えてもいないのでしょう。それでですね、父上。この話にはまだ続きがあります」


「聞こう」


「後になってから気付いたのですが、その菓子を食べた日は普段より腹の減り具合が遅く感じたのです」


「待て、それはもしかして……」


「はい。その菓子は間違いなく兵糧にも使えます。国虎殿も普段から持っている様子からすると、保存もきくのでしょう。例え長い滞陣となっても土佐の菓子を食べていれば兵達が病に掛からぬのです。これは大きいですよ」


「今儂は遠州細川家が瞬く間に伊予いよや南九州を制圧できた理由が分かった。遠征は慣れない土地での戦いのために兵が病になり易くなる。そうなれば士気も落ち、普段の力が発揮できぬ」


「ですが病にならないとなれば……」


「皆まで言うな。慶興、これは其方の手柄だ! して、その菓子の作り方は聞いておるか?」


「申し訳ござまいせん。国虎殿が何を使っているかを話してくれましたが、それ以上に効果の方に気を取られて覚えておりませぬ。ですが……」


「続けよ」


「はっ。ですが、京には遠州細川の兵が逗留します。国虎殿の話から考えればその兵達も持っているのは確実かと。つまり作り方は分からずとも、逗留する遠州細川軍から買えば良いのです」


「よくぞ気付いた。なら問題は、どういった口実でその菓子を買うかだな」


「それは私にお任せください。直接国虎殿に文を出して許可証を書いてもらいます。そうすれば以後は、京の遠州細川軍から買えるようになると思います」


 当初は土佐から直接買うのも考えた。しかし物が物だけにいきなり大量に買えるような代物ではない。それをすれば国虎殿を警戒させる。


 そのため最初は私個人用とする。一度や二度なら贈答という形で手に入るだろうが、この菓子は毎日食べなければならない。そうである以上は小口の取引となり、京逗留の部隊に販売をしてもらうのが最も継続性の高い形となる。要するに兵糧の一部を買い取る。後はその美味しさが家中で評判となり、多くの者が欲しがるようになったとすれば怪しまれない。更にはこの取引によって、私が遠州細川家との窓口になれるやもしれぬという思惑もある。


 現在の三好宗家は、事実上細川 氏綱様を介さなければ遠州細川家との話し合いさえ持てない状態だ。此度国虎殿が父上の書状で京までやって来たのも、嫡男誕生の祝いという贈り物の口実によってである。次には繋がらない。


 例え両家が対立しているとしても、交渉の一つもできないのは致命傷と言える。


「ふむ。ならば菓子の件は慶興に任せよう。良いか、決して急いで結果を求めるでない。相手はあの細川殿だ。心して掛かれよ」


「……若、立派になりましたな」


「こうした物が土佐にはまだ他にもあるのかと思うと空恐ろしくなるな」


 舎利寺の戦いで三好宗家の軍を大混乱に陥れたあの火器に、貝塚で販売されている耐火煉瓦なる物。それに続くのが此度の菓子となる。


 火器は言うまでもないが、耐火煉瓦もあり得ない産物だ。正しい組み方で竈にすれば、消費する木材が半分以下の量となる。このような画期的な産物を平気で売りに出せるからこそ、私へ菓子を振る舞ったのだとは思う。


 だが、国虎殿は気付いているのだろうか? 耐火煉瓦は父上が炉にも使えると閃き、今試しに堺で鉄を作らせている。これが成果を出せば、離脱した阿波海部あわかいふ家の穴埋めもできよう。武具の供給先でもあった阿波海部家が遠州細川家に従属したというのは当家にとって大きな痛手であったが、その元となる肝心の鉄が今度は安く作れるのなら十分に取り返したとも言える。これで貝塚で買う土佐や阿波の鉄の量も徐々に少なくできるというもの。


 結果的に遠州細川家や阿波海部家に痛手を与えられるのではないかと考える。


 それで手を緩めるつもりはない。今度は遠州細川家の強さの秘密も奪わせてもらう。良くしてくれた国虎殿には少し悪い気もするが。


長慶ながよし様、遠州細川家は危険です。これ以上の力を持つ前に全力で叩くべきです」


「京での警備の手伝いを依頼しているのにか? 馬鹿を言うな。それに遠州細川家があるからこそ、西への対策に奔走しなくとも良いのだぞ。儂としては互いに干渉しないのが最善だと思っておる。今、両家が争えば周辺国が喜ぶだけだ。それを忘れるな」


「父上、私は国虎殿と話したからこそ分かります。あの方との争いは避けられません。いずれその時がやって来るでしょう」


「慶興までもそう申すのか……」


「確かに遠州細川家と縁組できれば、父上の考えの通りに成るやもしれません。ですが、それは両家の家臣達が許さぬでしょう。それに私は国虎殿より直接『次会う時は敵同士』だと言われました。元服間もない私にですよ。三好 長慶みよしながよしの嫡男としてではなく、私個人を倒すべき敵だと認めてくださったのです。ならば武家としてその思いに応えねばなりません」


 元服したばかりの私は未だ何も為してはいない。家中の皆は私を「若」と呼び、常に後ろにいる父上を見ている。父上は三好 長慶という稀代の英雄なのだから、そうなるのも仕方ないとこれまでは思っていた。


 だが、国虎殿は皆とは違う。私を一人の武士として見てくれたのだ。このような嬉しき言葉があろうか。


「慶興、もしやあの話に乗るつもりか?」


「はい。未だ私は力不足であり、このままでは国虎殿に対して失礼です。国虎殿に出会って、私は初めて力が欲しいと思いました」


「三好の名を捨てるのだぞ。父である儂の跡を継ぎたいとは思わないのか?」


「本音を言えば未練はあります。これまでは父上を支えて今以上に三好宗家を大きくしたいと考えていましたので。なれど国虎殿は安芸の名を他の者に譲り、それで家を大きくしたのです。それに伴い安芸家は今やほぼ伊予いよ一国を差配するようになりました。それと同じ事をしとうございます」


「つまり三好宗家の繁栄のために、弟の実休じっきゅうらが謀る尾州畠山びしゅうはたけやま家への養子入りをするのか?」 


「はい。相手が分家とは言え三管領家の細川なら、こちらも同じく三管領の畠山でなければ失礼というものです。叔父上が河内遊佐かわちゆざ家に養子として入り、私が尾州畠山家の養子に入る。そうなれば三好宗家は尾州畠山家の一門となります。最早成り上がりとは呼ばせません」


 尾州畠山家は長く氏綱派の中心的存在であった。しかし、祖父とも言える遊佐 長教ゆざながのり様が暗殺された途端に、氏綱派から離れて三好宗家に敵対をしようとした。叔父 三好 実休殿が現在河内遊佐家への養子入りの根回しを行っているのも、このような間違いが二度と起こらぬようにするためである。


 しかしそうすると、今度は尾州畠山当主 畠山 高政はたけやまたかまさ様が反発をする。


 現在河内遊佐家は尾州畠山家の屋台骨だ。そこに三好が入るというのは尾州畠山家を掌握するのに等しい。それを嫌って横槍を入れてきた。実休叔父上の養子入りが中々進まぬのもこれが原因である。先々代当主 畠山 稙長はたけやまたねなが様が、どれだけ細川 氏綱ほそかわうじつな様を大事にしていたのかを忘れてしまったとしか言いようがない。尾州畠山現当主のこの心変わりは、細川 氏綱様の心中を察するに余りある。


 だからこそ叔父上は、いっそ尾州畠山家の当主も変えてしまえという考えに至った。事の発端は尾州畠山家の方だというのに、何ら悪びれもしないのだから始末に負えない。こうなった以上、細川 氏綱様を支える尾州畠山の当主には三好から出す以外に方法は無いと父上に相談を持ち掛ける。


 その新たな当主候補に私をという話だ。


 これまでの経緯を見れば、実休叔父上が河内遊佐家に養子入りするというのはまだ分かる。しかし、尾州畠山家の当主人事にまで介入するというのはやり過ぎに見える。下手をすると三好宗家は、今以上に周辺国を敵に回してしまう恐れすらあった。


 とは言え、これも尾州畠山家の自業自得でしかない。近年の尾州畠山家は何度も当主が変わり、明らかに家中の統制ができないでいた。勿論そこに至るには様々な事情があったろう。それは分かる。ただそれでも、こういうのは細川 氏綱様のためにもいい加減止めにして欲しい。


 当初は三好宗家が今以上にしっかりと細川 氏綱様をお支えすれば良い。そう考えていた。だが、国虎殿と出会ってその考えが変わる。私が実休叔父上と協力して強固な尾州畠山家を作り上げる。細川 晴元ほそかわはるもと殿や近江六角おうみろっかく家を降して畿内に静謐を齎す。そして、私が軍を率いて国虎殿と対峙をすると。


 国虎殿は四カ国を領有する太守だ。約束を果たすには今の私では明らかに力が足りない。なら、国虎殿と同じ方法で成り上がれば良いだけだ。使える物は何でも使う。そう私は気付いた。


「そうか……。寂しくはあるな。なれど慶興の考えは儂にも分かる。それが現状では最善であろうな。仕方あるまい。三好宗家の後継者は弟の子から養子を迎えよう。また慶興の尾州畠山への養子入りが叶うよう、摂関家の一つ二条にじょう家に支援をして後押しをさせる。なに、二条家出身の尋憲じんけん殿が興福寺大乗院だいじょういんの実力者ゆえ、興福寺に縁のある家臣の多い河内遊佐家は三好派閥で纏まろう。さすればその力を背景として当主人事にも介入ができる。今は亡き遊佐 長教様の未亡人が尾州畠山の縁者だ。上手く使うのだぞ」


「ち、父上!」


「儂ができるのはここまでだ。後は弟の実休と力を合わせて何とかせよ。期待しておるぞ」


「は、はい!」


 国虎殿、首を洗って待っていてくだされ。貴方とは父上ではなく、必ず私が相手になりましょうぞ。槍を合わせる日を楽しみにしております。


 その後も父上との話は続く。


 中でも一番喜んでいたのが国虎殿が津田 宗達つだそうたつ殿に説教をした話であった。やはり父上も堺の会合衆には含む所があったのだと感じ入る。興奮した父上が「何ゆえその時儂を席に呼ばなかったのだ」と少々拗ねていたのが印象的であった。


 細川 国虎。これほど噂と実際が違うお方も珍しい。

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