朝廷の困窮

 葉室 光忠はむろみつただが悪党だという事実はどんなに擁護しても覆りようがない。賄賂によって私腹を肥やし、幕府を私物化したのだ。公方 足利 義稙あしかがよしたねに声を届けようと思っても、必ず葉室 光忠という壁が立ち塞がる。構図だけを見れば、足利 義稙の第一期政権は傀儡化されていた。


 ここで気になる点がある。何が理由で葉室 光忠は重用されたのかと。


 まず葉室家は摂関家のような権威ある家ではない。家格も公家の中では下から数えた方が早い名家だ。政権の後ろ盾になるというのはまず無理である。


 また、葉室 光忠は外戚でもない。足利 義稙の母は公家である日野ひの家の出であり、正妻に至っては阿波細川家の出となっている。


 そうなると考えられるのは、葉室 光忠自身の能力だ。当然ながら蹴鞠が達人級だったという話は聞いた事が無い。むしろ葉室 光忠は、その実務能力の高さが気に入られた理由だと聞いている。


 つまり葉室 光忠は実力で足利 義稙の側近を射止めた。近付く切っ掛けは父 葉室 教忠はむろのりただのコネであったようだが、それでも三年に渡って側近であり続けた手腕は見事である。しかも当時は、半将軍とも呼ばれた天狗管領 細川 政元ほそかわまさもとがいた時代だ。細川京兆ほそかわけいちょう家の全盛時に、よくぞこれだけ大胆な行動ができたものだと素直に感心する。


 加えて、この葉室家自体が実に興味深い。初代は「夜の関白」とも称されるほどの権勢を持ち、後に一族内でのゴタゴタを起こしたものの、伝統的に朝廷内で確固たる地位を継承している。それも実務官僚としての手腕によってだ。言わば代々続いた官僚一族である。


 こういった一芸を持つ家は強い。面白いのは、明応の政変で殺されたあの葉室 光忠の子供が堂々と前公方 足利 義晴あしかがよしはる昵懇じっこん公家衆 (公方側付きの公家)として名を残していたり、現公方 足利 義藤の幕府女房衆 (事実上の女性官僚)に孫娘 (朽木 稙綱くちきたねつなの妻)が入り込んでいるという話だ。


 現在は近衛 稙家このえたねいえの存在が重しとなっているため、幕府内での復権はあり得ないだろう。だが、芸は身を助けるとでも言うのか。今もなお影響力を残すしぶとさには目を見張るものがある。


 そんな葉室家に連なる者に会えるのだ。革島 一宣かわしまかずのりから出た言葉はまさしく晴天の霹靂である。しかもその者が、文官として優秀そうなのがなお良い。本人が希望するなら当家で召し抱えるつもりだ。そうなれば、晴れて葉室家への伝手ができる。


 摂関家も含めてその他大勢の公家には興味の無い俺ではあるが、葉室家だけは別である。この家には他の公家とは一線を画しているような気がしてならない。


 中一日空け、俺は下山田村の山口 秀景やまぐちひでかげと会う。お隣の地区とは言え、やはりいきなりでは都合が付かなかった。それでもすぐに対応してくれる辺りが、調整力の高さを感じさせる。


 余談ではあるが、結局湯豆腐は食べられていない。この時代の豆腐は大和やまと国が本場であり、まだ京にはそれほど普及していないのだとか。冬季限定で大和国から豆腐の行商がやって来るのが実情だというのを教えられる。


 土佐ではまだ俺の知る豆腐は食べられないだけに、京も同じ事情だったのは残念ではある。


 だからという訳ではないが、豆腐はいずれ相国しょうこく寺を頼って製造法を教わるつもりだ。普及はしていなくとも、既に京の禅宗には製造法が伝わっていると聞く。さすがは五山。知識の宝庫でもある。それを宝の持ち腐れとするのは何とも勿体無い。存分に活用させてもらおう。


 おっと、遠くから人の声がする。ようやく待ち人がやって来たようだ。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「細川 国虎だ。忙しい所を突然呼び出したにも関わらず、訪ねてくれて感謝する。今日は色々と話が聞きたくてな。まあ、楽にしてくれ。堅苦しいのは嫌いだから、気安く国虎と呼んで欲しい。それでまずは自己紹介をしてもらって良いか?」


 革島家の邸宅にやって来た二人の男が俺の言葉に大きく目を見開き、急いで頭を下げようとする。羽織っているのが綿入れ袢纏はんてんという威厳をこれっぽっちも感じさせない格好だけに、そうとは分からなかったのだろう。俺も随分と偉くなったものだと苦笑をしつつも、慌てて取り繕うとする二人の姿が何とも面映ゆい。


「気にするな。気にするな。正式な使いでもないのだから、普段通りにしてくれ」


「ありがとうございまする。それでは某から。下山田村から参りました山口 秀景やまぐちひでかげと申す。普段から革島家には、土佐移住の手伝いで世話になっております。本日は国虎様とお会いできて嬉しく思いまする」


「次は私ですね。現葉室家当主 葉室 頼房はむろよりふさです。本日は、隣の山口が国虎様とお会いするというのを聞き、便乗させて頂きました。突然の訪問、お許しください」


「いや、許すも何も……って、えっ?! 公家の葉室様ですか? こちらこそお会いできて光栄です」


 驚いた。いきなりの本命登場だけに、不意打ち感が大きい。公家なら公家らしい服装をしてくれていればと思いつつも、俺自身が凡そ四カ国太守には見えない格好をしていたと思い直す。


 要は俺と同じく葉室 頼房様も非公式だと言いたいのだ。どんな内容の話が飛び出すか楽しみである。期せずして舞い込んだ幸運を逃したくはないため、今回は流れに任せて葉室 頼房様の話に付き合う方が良い形になるのではないかと考える。


「……とは言え、私のような田舎武士を訪ねてくる理由が気になりますね。急かすようで申し訳ないですが、どういった要件で参られたのかお話頂けますでしょうか?」


「……噂に聞く国虎様相手に下手な誤魔化しをすれば、悪い結果しか招かないので正直に言います。此度は朝廷への献金のお願いに参りました」


 「噂に聞く」というのは先日の津田 宗達との一件なのは間違いない。あれから何のお咎めも無い状態が続いているので大事にはなっていないと考えていたが、それが葉室家現当主との面会の切っ掛けになったのだから面白い。


 つまりは堺に頼らなくても何とかなるというのが、銭を持っているという理解になったのだと思う。加えて相国寺の復興費用を当家が出すというのも掴んでいるのだろう。何とも目敏いものだ。


「正直に話してくださり、ありがとうございます。では私も正直にお話しします。当家は九条くじょう家、一条いちじょう家、近衛このえ家という摂関家と険悪な関係になっていますので、献金はできません。献金は最低限、この三家と和睦してからですね。ただ、この三家の当主が私に頭を下げるとは思いませんので、事実上無理ではないでしょうか?」


「一条家からすれば、荘園を横領されたという思いから和睦はまずできないでしょうしね」


「こうはっきり言って頂けると話が早いので助かります。一応弁明しておきますが、土佐一条家には土佐津野つの家の問題がありましたので、遅かれ早かれ同じ結果になっていたと思いますよ」


「あっ、いえ国虎様にも事情がおありなのは分かっておりますので、その是非は問いません。それにしても近衛家とまで険悪だとは。宜しければ関係が悪くなった要因をお聞かせ願えないでしょうか?」


「……直接近衛様と話した訳ではありませんが、当家は南九州を勢力下に置きましたので。これにより島津しまづ宗家から近衛家への銭の援助が無くなりました。また、これまで島津宗家が積極的に唐物を献上していたのが一切無くなったというのもあります。これでは心中穏やかにはいられないでしょう」


「……」


 南九州の島津荘しまづのしょうは元々近衛家の荘園だった。だがこの時代ではそれも有名無実化している。そのため、本来なら島津宗家と近衛家との縁が切れていてもおかしくはない。


 けれども、それで終わる近衛家ではない。近衛 稙家このえたねいえの父親である近衛 尚通このえひさみちは島津との関係修復に努め、次代の近衛 稙家の代からは金銭的な援助を受ける関係となっていた。これが、下克上による島津宗家簒奪の布石になっていたという話である。


 もう一点。島津は中央との繋がりを求め、近衛家を筆頭とした公家や畿内の寺院、幕府にと交易で手に入れた唐物をばら撒いていた。薩摩国内では争いを繰り返し、中央には良い顔をして外部からの介入を防ぐ。よくぞこれだけ行ったものだと感心するしかない。


 詰まる所、島津 貴久しまづたかひさの宗家当主就任は、賄賂で得たものとなる。


 そんな島津 貴久、いや金づるはもういない。結果として金づるを殺した俺に近衛 稙家の敵意が向くのは必然とも言える。


「同じ理由で幕府や公家、中央の有力寺院も困っているとは考えています」


「……せめて朝廷にその唐物の献上をお願いする事はできませんでしょうか?」


「無理ですね。南九州では現在改革を行っていますので、それだけの余裕がありません。それに先程も言いました通り、当家は摂関家と険悪な関係になっています。朝廷自体には含む所はありませんが、これで公家の方と仲良くしたいと思う方が難しいかと」


「国虎様並びにお付きの方、ここからの話は是非内密にお願い致します。私が本日公家の姿ではなくこのような地下人じげにんの姿で参ったのも、ここからの話のためです。あっ、山口は葉室家の青侍ですので人払いをしなくとも大丈夫です。近衛家の件は想定外でしたが、遠州細川家と一条家が拗れているのは知っておりましたので、国虎様の言い分は予想できるものでした」


「続きをお願いします」


「恥を晒すようですが、実は摂関家は現状、朝廷とは殆ど関わっておりません。出仕をしていないのです。朝廷と摂関家は切り離して考えて頂けないでしょうか」


「……まさか」


「真実です。現在の朝廷はほぼ羽林家うりんけ名家めいかによって運営されています。その上、私のような外様と呼ばれる帝との血の繋がりの無い公家も運営に深く関わっております。皆、生活に困り朝廷に出仕しなくなりました」


「少し時間をください。状況を整理します。……待てよ。今の葉室様のお言葉が正しいなら、摂関家の存在意味が無くなるのでは? 朝廷に出仕もしないのに家格だけは維持する。仕事はしないのに権威だけは振りかざす。おかしな話だとは思います。念のために聞きますが、摂関家が朝廷に出仕しないのは、外で運営資金を稼ぐためではないのですか?」


「……」


「……分かりました。それなら朝廷が摂関家の資格を剥奪すれば、献金をさせて頂きましょう」


 典型的な例としては近衛家となる。前公方の時代からべったりで、近江国に逃れた際も一家総出で付き従ったらしい。それは当主の近衛 稙家を筆頭として、妹兼足利 義藤の母親でもある慶寿院けいじゅいん、弟の久我 晴通こがはるみち、同じく弟の大覚寺義俊だいかくじぎしゅんという面子だと聞く。


 なるほど、幕府を私物化しているからこそ朝廷に顔を出す暇も無いという訳だ。葉室 頼房様の言葉は何の障害も無く腑に落ちた。


 仮に朝廷に出仕するとしたら、官位を得るなどの自身に利益がある場合に限るのだろう。これが摂関家の現状だとすれば聞いて呆れる。


 中には二条にじょう家のように本気で困窮して、出仕しようにも正装すらできないという摂関家もあるので、現状の全てを非難するつもりはない。ただそれでも、摂関家の筆頭たる近衛家がこの有様では、下の者への示しも付かないとなって当然だ。


「そうなりますか……」


「何かおかしな事を言いましたでしょうか?」


「いえ、その点に気付かれるのはさすがです。ただ、私のような身がそれを提案するのは憚れますのでご容赦ください。朝廷自体も体質は少しずつ変わってきているのですが、そこまでの大改革は無理だと考えます」


「宜しければその辺の事情を話せる範囲で結構ですので、お聞かせ願いますでしょうか?」


 そこからの葉室 頼房様の話は衝撃的であった。


 要約すれば、現在の朝廷は困窮しているからこそ組織としてのスリム化が起こり、風通しも良くなり、より健全化に向かっているという話となる。摂関家が去り、帝と血の繋がりのある内衆と呼ばれる公家が去り、外様と呼ばれる弱い立場の公家が帝の世話をする役目にも参加するようになったという。葉室 頼房様は幼い頃に父親を亡くしたが、この流れによって外様公家でありながらも帝に幼少から目を掛けてもらった。本来なら、祖父の件もあって完全に没落してもおかしくなかったのだとか。


 また、葉室 頼房様が言った「朝廷が羽林家と名家によって運営されている」という意味は、実務官僚が仕切っている事を表している。家柄ではなく、仕事のできる者が朝廷の業務に携わる。家柄を誇る者は皆地方へと下向していった。良くも悪くも少数精鋭の組織が現在の朝廷の姿だという話だ。まさに災い転じて福となす。そういった結果だろう。


 この話で俺の中で朝廷に対する印象が大きく変わってしまった。


 可能なら、今の姿を維持し続けて欲しいと思うほどに。


「私を信用してそこまで話してくださり、ありがとうございます。ここまで聞いておいて手ぶらで帰ってもらうというのは薄情ですね。分かりました。では、こういう形はどうでしょうか? 葉室様及び山口殿が当家で文官として働き、俸禄の一部を仕送りするというものです。勿論、俸禄は通常よりかなり多めに支払わさせて頂きます」


「随分と迂遠なやり方ですね。何か意図があるのですか?」


「変な言い方となるのは許してください。今のお話を聞いて思ったのが、朝廷が困窮した結果、逆に健全化されたのではないかとなります。だからこそ今安易に献金すれば、それに群がる穀潰しの公家に食い物にされ、また以前の体質に戻る恐れが出てきます。ですので朝廷にではなく、真に帝に尽くそうとする忠臣や帝に直接援助するくらいが丁度良いのではないでしょうか? 私自身は官位を求めていないので、功績を上げたいとは思っておりません」


「本当に噂通りですね。山科やましな様が遠州細川家はあれだけの領土があっても一切色気を出さないので、献金を依頼できないと嘆いていたのを思い出します」


「ははっ……誉め言葉として受け止めておきますよ。それで気がかりとなるのが、一点ありまして」


「それは何でしょうか?」


「ご存じの通り、土佐は四国の奥地です。仮に葉室様や山口殿が当家で働くとして、上役となるのは元百姓や田舎武士となります。そうした者達に頭ごなしに命令をされて素直に聞けるでしょうか? 私もある程度の配慮はしますが、現場では何が起こるか分かりませんので」


「確かに私も理不尽な言いがかりをされてしまえば黙ってられないでしょうが、その辺りは国虎様を信用する事にします。帝の側を離れるのは心苦しいです。けれども、私は帝から受けた恩を何とかお返ししたいのです。それができるなら、土佐でもどこへでも行きましょう。それに書類仕事でしたらお任せください。葉室家が一番の得意としている分野です。まずはお試しで働かせてください。そこから国虎様が判断してくだされば良いかと」


「助かります……いや、以後は家臣として扱うので口調を改めさせて頂きます。当家は常に文官が足りなくて困っているから、二人には期待しているぞ。仕事ができる者はどんどん出世させるから期待してくれ。その分俸禄も弾む。ただ……その代わりとして、仕事が多くなるのだけは許して欲しい」


「お手柔らかにお願いします」


「山口殿もそれで問題無いか?」


「はっ。革島殿からお聞きしていると思われますが、某も書類仕事は得意ですので期待くだされ」


「それは心強い。土佐が気に入ったら、家族や親戚を呼び寄せて定住してくれても良いからな。末永く頼む」


 今回の判断は明らかに間違っていると自分でも分かっている。どう考えても、公家の頂点であり五摂家の筆頭でもある近衛家が率先して何とかしなければならない案件だ。たんまりと受け取っている賄賂を、どうして朝廷のために使わないのかという疑問が出る。


 帝の周りを固める公家が責任を放棄して、武家に助けを求めるというのがそもそも間違っていると言うしかない。


 ただ世の中というのは面白いもので、そうした腐った公家がいる半面、真面目な公家もいる。明応の政変で悪として処断された葉室 光忠の孫が当家で働いてまで帝を助けたいと考えるのが驚きだ。多くは語らなかったが、小さい頃に父親を亡くしたのが葉室 頼房様の人格形成に大きな影響を与えたのだと考えられる。言うなれば今の帝は親代わりの役目を果たしたのではないだろうかと。勿論、今の地位に居続けているのは本人の努力もあったろうが、それを抜きにしても二人には強い信頼関係があるように感じてしまう。


 今回の一件で公家の世界は複雑怪奇だと改めて思い知らされた。


 それにしても近衛 稙家か。南九州遠征から悪党だとは感じていたが、ここまでとなると本気で排除を考えた方が良いかもしれない。いや、いずれは俺の前に立ち塞がる敵と考えた方が良さそうだ。それくらいに警戒しておかないと絶対に痛い目を見る。


 本当、京入りなんてするものではない。つくづく俺には田舎暮らしが似合う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る