前祝の宴

 俺が福昌寺で忍室和尚との会談を行っている最中、家臣達は南薩摩に残った抵抗勢力の掃討を行ってくれていた。


 いつもの話ながら、組織というのは一枚岩ではない。どんな決定をするにしろ必ず賛成派と反対派に別れる。ましてや今回の島津宗家の決定には領地を手放すという屈辱的な条件まで含まれているのだから、降伏を拒否する者が多く出るのも必然とも言えよう。


 ならば城を枕に討ち死にを覚悟する激しい戦いが、この掃討戦では多く繰り広げられるものだと思っていた。


 それが予想外の形で肩透かしを食らう。


「えっ!? 徹底抗戦派の多くが薩摩から逃げ出したのか? 筆頭は島津 貴久しまづたかひさの父 島津 忠良しまづただよしで、二男と三男も一緒に逃げ出しただと?」


「はっ。当家への降伏を拒否して城に立て籠もって抵抗していた者を捕らえた所、何名かが逃亡に誘われたと証言をしております」


「あー、なるほど。降伏を伝えたその裏で逃亡を手引きしたのか。これは一本取られたな」


 要はこちらに降伏という餌を見せ、海上封鎖をさせないようにした策と言える。その間に抗戦派は、仲間を集めて船で他国へと逃げ出せば良い。最後の最後までただでは転ばない。やはり島津の名は伊達ではなかった。本当、食えない連中である。


「国虎様、これは島津の新当主に罰を課した方が良いのではないでしょうか? 降伏とは形ばかり。裏切り行為かと思います」


忠澄ただすみ、言ってやるな。多分俺達が内城に入るまでに全てを終わらせただろうから、向こうに落ち度は無いぞ。予防線くらいは張っているさ。それに俺自身は今回の逃亡をそれほど重視していないしな」


「何ゆえでしょうか?」


「それは島津 義久しまづよしひさ自身が言っていた。『当家と敵対しても太刀打ちできない』とな。仮に日向伊東家の客将として迎えられたとしても、島津治世より民の生活水準が上がっていれば、大隅国や薩摩国で旧主に協力しようと思う者は数える程になる」


「あっ……」


「一揆等の領内での混乱を目的とした旗頭として、島津残党は役に立たないからな。これは既に土佐で実践済みだぞ。長宗我部残党や土佐一条残党の武装蜂起など聞いた事無いだろう。民は何だかんだ言って、食わせてくれる領主を支持するものさ」


「相変わらずの国虎様の慧眼、恐れ入ります」


「褒めなくて良いぞ。いつも言っている通り、俺はあくまで生産性を高めるための策を打っているだけだからな。善政を敷いているつもりはない。要は民の生活水準を上げるのが一番儲かる。それが分かっていない者が多過ぎるだけだ」


「はぁ……そういう事にしておきますか」


 中には肥前の熊とも言われた龍造寺 隆信りゅうぞうじたかのぶのように、領地を追われても再び取り戻せた例もある。だがこういった事例は、十分な根回しがあってこその成功例だ。必ず地元の協力者が必要となる。


 そこから考えれば逆もまた真なり。根回しができなければ捲土重来は果たせない。島津 義久は俺の倭寇対策を見て、南九州での一揆扇動など無理だと判断したのだろう。だからこそ降伏へと舵を切った。


 とは言え武家には家を残さなければならないという至上命題がある。悪評高い当家への降伏だ。そこにはいつお家取り潰しになるかもしれないという恐怖が先立つのも頷ける。


 そのため、家を二つに割ってどちらかが残るようにした。こうした結論が出たとしても何ら不思議はない。言い換えれば、生存本能のようなものだ。それを責めたてるのは酷だと考える。


「まあ、今回の件は気に病むな。実際に島津残党が当家の前に立ち塞がった時にでも考えれば良いと思うぞ。仮にそうなった時は、島津 義久に踏み絵として始末させるさ」


「いつもながら悪どい考えをされますね」


「褒めても何も出ないぞ」


「いえ、最初から褒めてません」


 可能性として考えるなら、島津残党も長宗我部残党のように何処かの勢力に取り入るというのもあり得る。但し、それは未来の話だ。今は逃げ出してくれたお陰で薩摩国の平定が楽になったと思うので良い。


 数日中にも、南九州の全ては当家の統治下に置かれる形となるだろう。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 五日後、薩摩半島の南部も無事平定となる。


 厳密には種子島や屋久島等の島には一切手を付けていないため、完全制圧とは言えない状況だ。下手をすればこの島々に、滅ぼした各地の豪族の残党が潜んでいる可能性すらある。


 それでも南九州の主要となる地は全て当家で平らげ、坊津にいた堺の商家は全て追い出した。倭寇達とも付かず離れずの関係を保っている。これなら残りは大きな脅威にはなり得ない。もし島を支配する豪族に何らかの後ろ盾があったとしても、それは何の役にも立たない。既に当家は四カ国の領主となっている身だ。パトロン側もそんな当家と事を構える危険を考えれば、切り捨てるのが見えている。ここまで来れば急ぐ必要は無い。


 懸案とも言える倭寇の海賊行為においても、倭寇との伝手がある大隅正八幡宮や一乗院等に当家への仲介を依頼している。そんな危険な真似をしなくとも、土佐に来れば幾らでも仕事はある。飢えても犯罪に走る必要は無いという筋道を立てておいた。


 とは言え、この程度で全ての海賊行為を無くせるとは思ってもいない。それでも、今後の南九州はこれまでとは違うという印象を与えられるならしめたものだ。少しずつで良い。いつスラムに転落してもおかしくないこの地が、良い方向に向かってくれるなら十分に意味はある。


 また包囲網の一員であった肥後相良家とは、二年の停戦という形で決着を見る。元々が義理で参加したという背景もあり、島津宗家が降伏した以上は最早当家と争う理由は無いというのが肥後相良家の本音であった。そうした経緯もあって話もすんなりと進む。近く書面を交す日もやって来るだろう。


 予想もできない出来事が起こり続けたこの遠征にも、ようやく終わりの時が近づいた。


 内城に集まった皆も、ようやく肩の荷が下りたのか、晴れやかな顔が多い。故郷に帰る日を心待ちにしているのだろう。


『南九州の平定、おめでとうございまする!』


「皆、見事な働きだったぞ。今日は好きなだけ飲んで騒げ。酔いつぶれても良いぞ」


 前言撤回。家臣達が心待ちにしていたのは、この後に行われる酒盛りであった。土佐と言えば酒豪の多い地。他国人とは肝臓の造りが違う。俺は相も変わらず麦茶しか飲まない身であるものの、乱痴気騒ぎを止めるような野暮は言わない。これまで戦続きだったのだから、今日くらいは羽目を外しても良いだろう。


 勿論、これは将に対してだけではない。今回の遠征に参加してくれた兵達全員には大量の酒を配っている。中には治安維持や国境警備のために残る者もいるため、その者達には多めに配っておいた。いずれ大隅国や薩摩国の地元の者がその役割を担うとしても、皆と一緒に戻れないのは寂しかろうという思いである。俺にはこの程度しかできないが、それが少しでも明日への活力となってくれるなら安いものだ。


 酒と料理が揃えば後はお決まりの流れとなる。皆が負けじと争うように酒を飲み干した。外にいる兵達にはもう出来上がっている者もいるのか、時折遠くから奇声のようなものが聞こえてくる。それさえも酒の肴とするのが、土佐流の飲み方であった。


算長かずなが、世話になったな。この遠征での一番の功労者だぞ。根来衆がいなければ、今日の俺達は無かったと思っている」

 

 このような時、俺はいつも家臣達に酒を注いで回っている。


 本来は上座でじっとしていなければならない立場だが、それをすると次から次へと家臣がやって来て、その都度一杯付き合わなければならない。その苦痛に耐えられなかった俺が出した苦肉の策がこれであった。


 新しく家臣となった者はこの光景に多くが驚く。ただ今回は気の知れた津田 算長が相手なので、普段のような騒動も無く気楽に話しかけられるのはありがたい。


「よせよボウズ。もう俺はボウズの家臣になったのだから、そういう水臭い台詞は言いっこ無しだ」


「そう言ってくれると助かる。これからもよろしく頼むぞ」


「おうよ。これからは俺達根来衆がボウズを支えてやるから、大船に乗った気でいてくれ」


「頼もしいな」


「それにしても……残念だったな。畑山はたやま殿は。辛いとは思うが胸を張れよ」


「分かっているさ。まだ完全に吹っ切れた訳ではないが、ここで下を向いていたら元明もとあきが安心して黄泉に旅立てないからな。精一杯突っ張るさ」


「その意気だ。ただ辛い時はきちんと家臣を頼るんだぞ。ボウズが倒れたらこの遠州細川家は終わりだからな」


「ああ、肝に銘じておく」


「それで、この場で言うべき内容ではないかもしれないが、畑山家は今後どうするんだ? 当主だけではなく、家臣も含めてほぼ壊滅と聞いているぞ。まさかボウズの子をいきなり当主にする訳にもいかないだろうし」


 とは言え、それも良し悪しかもしれない。気の知れた仲だからこそ、こんな時でも親身になって俺の心配をしてくれる。その上、畑山家の行く末まで心配してくれるのは算長だからこその着眼点だろう。よくぞ気付いたものだ。


「国虎様、何卒畑山家の存続をお願い致しまする!」


 ここで話に割って入る者がいた。近くにいた畑山 元明はたやまもとあきの息子の山田 元氏やまだもとうじである。やはり実家の今後は気になっていたらしく、俺と算長との話につい反応してしまったという所か。元氏自身が土佐山田家に養子入りしていなければ何も問題は無かったが、今更戻れないという事情が影響してのものだろう。


 まさか家の断絶まで心配していたとは思わなかったが。


「元氏、分かっている。俺も大恩ある畑山家を潰すつもりはない。ただな、まだ赤子の俺の子をいきなり当主にする訳にはいかない。それをすると逆に畑山家が機能しなくなるからな。そうならないよう、俺の子が元服するまでの間の繋ぎの当主を入れようかと考えていた。誰にするかは、土佐に戻ってから慎重に検討する」


「それでしたら、当家の山田 長秀やまだながひでを国虎様のお子が元服するまでの間の当主にするというのはどうでしょうか?」


「お待ちくだされ。畑山家は国虎様と一心同体のお家。ならば国虎様のお子がそのまま当主となるのが筋でござる。元服するまでは、家臣一同でお子をお支え致しまする」


井口 勘解由いぐちかげゆか……元は本山もとやまの家臣だったというのに、今ではもうすっかり完全に畑山家の家臣だな。その忠義は見事だが、今回の敗戦によって今や畑山家には家臣が二、三名しか残っていない筈だぞ。他は内向きの使用人くらいじゃないのか? 勘解由の気持ちは汲んでやりたい。しかしな、畑山家は同時に家臣団の再編もしなければならないからな。新たな当主を受け入れるしかないと思うぞ。そうなると元氏の言う通り、土佐山田家から当主を迎えるというのは理に叶ってはいる」


「……」


「勘解由は畑山家が土佐山田家に乗っ取られないか心配しているんだろう。気持ちは分かる。けれどもそれは発想が逆だ。今度は勘解由がこれまで畑山家で学んだ教えを新しくやって来た者に伝える番だと思え。新しく来る者を拒否するのではなく、畑山家に相応しい武士へと教え導く。それが畑山家で世話になった勘解由の役割だぞ」


「……確かに。さすがは国虎様です。某の考えが浅はかでした。この井口 勘解由、今後も国虎様のお言葉をしかと胸に刻んでおきまする」


「納得してくれて良かったよ。なら元氏、山田 長秀に畑山家を継がせるか。それと土佐山田家から家臣を五、六名出向させてくれ。勘解由の心配もあるから、人選は慎重に頼むぞ」


「はっ。井口殿の懸念は長秀に伝えまする。事前に話して頂き、むしろ助かりました」


 こうした決着もたまには良い。俺自身は事が事だけに畑山家の今後に付いては、ゆっくりと検討するつもりであった。それが既に当主候補を息子が絞り込んでいたとなれば、乗らない訳にはいかない。


 今回名前の挙がった山田 長秀は、先代の土佐山田家当主 山田 元義やまだもとよし殿に対して公家趣味を止めるようにと平然と諫めていた者だ。この逸話を知るだけで正義感の強さが垣間見える。融通の利かない点はあるにしろ、この真面目な性格は家の再編には適任だ。恣意的な人事はまず行わないのが分かる。ましてやそれが現土佐山田家当主の元実家となれば、責任感を持って事に当たってくれるに違いない。


 念のために元氏の近くにいた当人にも確認を取ってみた所、繋ぎの当主でも構わないと言う。どうやら山田 長秀自身も畑山家の今後をかなり心配していたらしく、その再建には協力したかったと話してくれた。この面倒見の良さが若い者に慕われる理由であろう。ともあれ、これだけ本人がやる気になっているなら、俺としても安心して任せられそうだ。


 正式な辞令は一度土佐に戻ってからになるというのに、俺との話し合いを終えた後の山田 長秀は、早速井口 勘解由の隣に座り酒を注いでいた。随分と気が早く感じるが、こちらとしても互いの仲が深まるのは喜ばしい。


「そうだ。別件となるが元氏、丁度良い機会だからこの際伝えておく。安田 源七郎やすだげんしちろう島津 実久しまづさねひさの養子に入れて薩州家を継がせる。そして安田 源七郎改め島津 源七郎を土佐山田家に出向させるから、開発の責任者として使ってくれ。与力として小西 隆佐こにしりゅうさも付ける」


「何ゆえでしょうか? いきなり過ぎまするが」


「ああ、元氏には大隅国と薩摩国を任せようと思ってな。土佐ほど難しくないとは言え、この地を立て直すのは武に寄っている土佐山田家の家臣だけでは力不足だ。島津 源七郎はこれまで土佐での政に携わってきたので、俺の指示も現実化できる。意地を張らず任せておけよ。元氏はしばらく領内の復興や治安維持、訴訟に集中しろ。多分それだけで手一杯になる筈だ」


「国虎様、い、今何と仰ったのでしょうか?」


「元氏に大隅国と薩摩国を任せると言った。順番から言えば畑山家に任せるのが筋だが、物理的にそれは不可能だからな。なら、一族の土佐山田家に任せるのが最も適切な判断となる。当家に土佐山田家の家臣が降る条件として、領地を約束していたのを覚えているか? それを今果たそう」


「あ、ありがとうございまする。当家の家臣も宿願が果たせたと喜ぶでしょう。以後これまで以上に土佐山田家は、国虎様の家臣として忠義を尽くしまする」


「相変わらず固いな。まあ、そこが元氏の良い所か。一つ言っておくが、大隅・薩摩の両国は作物が満足に育たない所だからな。家臣には領地を渡すなよ。一元管理して開発に集中しろ。どうしてもという場合は、今回残した島を攻め取ってそこを分け与える形にしろよ」


「はっ。かしこまりました」


 本音を言えば、大隅国と薩摩国には俺が残って開発の指揮を執りたい。ただそれでは、今度は土佐の開発が遅れてしまう。本末転倒というものだ。


 食料は国外から買い付け、シラス台地で栽培するさつまいもで補助をさせる。これなら両国の民が飢えから抜け出せる日も近い。生命線となる塩も当家が独占する。そこから国の整備や鉱山開発を行っていけば、より発展をしていく未来へと導ける。


 薩州家を乗っ取り、名目上島津の名前も残した。地域の顔役でもある曹洞宗の僧侶の協力も取り付け、倭寇との関係も悪くない。権威も確保した。


 これだけ揃えば盤石の支配体制が築ける。五年後、一〇年後の大隅・薩摩がどんな姿となるかがとても楽しみだ。


 今日の宴は、その前祝としても相応しいとも言える。

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