一手遅い包囲網

 徐海との話し合いはその後も続く。


 俺としては、債権者となる商人の意向も確かめずに勝手に話を進めるのはどうかと思ったのだが、それは何とかすると徐海が大見得を切ってくる。こうまで言われたら後日改めてという訳にもいかず、より具体的な事業計画を詰めなければならなくなった。


 一見冷静に見える徐海も、内心では新たな倭寇事業に期待で胸を膨らましている。こんな所だろうか。これでは新しい玩具を手に入れた子供と何ら変わらない。


 話題は使用する船、当家から出す人員、最後が取り扱う商品。この三点が中心となる。


 まず当家が貸し出す船に付いては、徐海の強い要望により君沢形となった。元の設計が軍船なだけに竜骨もしっかりと入っており、頑丈さでは群を抜いているのが特徴だ。明の官軍に襲われても船の性能差で負けるというのは無いと考えている。難点を言えば、現行船ではまだ船底に銅板が張られていない点であろうか。船底に付着する海洋生物対策は木タールとなっているため、効果は銅板ほど高くはないだろう。船の速度は、本来の性能よりも落ちると考えた方が良い。


 とは言え、さすがに徐海用として新たに君沢形を建造するのはリスクが大きい。密貿易は最悪海の藻屑になる覚悟が必要となる事業だ。それでいて成果がどの程度出るかさえも分からない。そんなあやふやな状態では大きな投資はできないという判断となり、しばらくは今回の遠征で使用した中古で頑張ってもらう形で落ち着く。十分な成果を出せば、新造艦に乗り換えてもらうという話となった。


 人員は海部家から二〇名を出すと早々に決まる。海部殿はやはり強かだ。危険な賭けだとしても、この事業に大きな可能性を感じたのだろう。船を提供する素振りは微塵も見せなかったが、当たり前のように一枚噛ませろと協力を申し出てきた。


 さて俺の方からは誰を出すか。通常の考え方では水軍から人を出すのが適切ではある。経験を積ます意味では、当家の水軍大将として売り出し中の中平 元忠嫡男である中平 之房なかひらゆきふさが最も適任だ。之房なら密貿易を取り締まる明の官軍に後れを取らないという安心感がある。


 しかし、ここでふと気付く。こちらから海賊行為を助長する人員を出してどうするのかと。これでは目的を見失ってしまう可能性が高いと考えた。目的が密貿易である以上は、武官以外から責任者を出した方が良いのではないか。


 そんな考えで何気なく家臣達を見ていると、大野 直之と目が合う。


「直之、これも経験だ。徐海の下で交易を学んでみないか?」


「そ、某がですか?」


「書類仕事も大事だが、現場を見ておくのも悪くはない。それにこの役目は直之の出世に繋がるぞ。徐海から働きを認められれば、独立をさせてくれるさ。そうなれば当家の稼ぎ頭だな。贅沢な暮らしができるぞ」


「誠ですか?」


「ああ。取引量が増えれば、徐海だけでは足りなくなるからな。幹部候補生のようなものだ。直之なら頭も回るしできるだろう」


「はっ。国虎様にそこまで言って頂けるのはとても光栄です。必ず成し遂げてみせます」


「期待してるぞ。それと直之一人だと格好がつかないから、久万衆から一〇名程度与力に付ける。部下として面倒見てやれよ。直昌、勝手に決めて悪いが、弟の門出だ。活きの良いのを選んでやれ」


「かしこまりました。伊予大野家の名に恥じぬ猛者を選んでおきます」


 こうして徐海を頭とする新規倭寇の主要な人員が決まる。他にも根来衆や雑賀衆にも声を掛ければ、何名かは参加したいと言い出す者もいるだろう。それに加えて徐海にも辛五郎しんごろうという大隅国で子分にした者がいるという話だ。更には当初の予定通り、幾つかの港で船員の募集はするという。これだけの数が揃えば、他の倭寇からも侮られる事態も起こらないと考える。


「そうか……明の官軍だけではなく、他の倭寇からも襲撃される可能性もあるのか。よし、護身用として離別霊体を貸し出す。これがあれば襲われても楽に撃退できるぞ。一度痛い目を見せれば、そうそう襲われる心配もない。それと日の本出身だと知られれば、侮られる可能性もある。直之は今後、倭寇での活動の際は陳東ちんとうと名乗れ」


「……はぁ。良く分かりませぬが、国虎様の命とあればそう致しまする」


 勿論、通常武器である刀や槍、弓も貸し出すが、倭寇が海を主戦場としている以上は潮風によって起こる錆びに強い武装がある方が良い。その点、青銅製の離別霊体はまさに条件にぴったりと言えた。また、鹿革の疑似ショットシェルも火薬を湿気から守る。これだけの武装があれば、安易に襲われはしない筈だ。


 続いて話題は交易でどのような品目を扱うかへと移行する。こちらからは銀を出せばまず間違いないとしながらも、新規倭寇として他の倭寇では取り扱いできないような目玉商品があればこの上ないという話が持ち上がった。


「なら徐海、サンゴを取り扱うか? 確実に引き取り手はあるぞ。その分足元を見られないように、取り扱いには気を付けろよ」


 目玉商品と言えば、俺達にはこれがある。津田 算長と出会った時もこのサンゴで明国との密貿易を勝ち取ったのは、懐かしい思い出と言えよう。あの時は奈半利のサンゴであったが、今回は室戸で取れるアカサンゴを用意するつもりだ。このアカサンゴはサンゴの中でも人気のある品種のため、付加価値が付くのも十分に考えられる。この場面で使う切り札としては、まさにうってつけと言えた。


「本当か? それがあれば郷紳きょうしん (地方有力者)とも伝手ができるぞ。頭目の欲しい物もすぐ手に入る。……いや、それよりも人の方が確実かもだな」


「それはどういう意味だ?」


「素材は当然だが、技術書なんてどんな偽物を掴まされるか分からねぇからな。職人を名目上の奴隷として買い取った方が早いぞ。素材の入手はその職人の伝手を辿れば良いんじゃないか?」


「なるほど。一理ある。ただ提案は嬉しいが、そんな簡単に明の職人が日の本へやって来るものなのか?」


「それに付いてはだな……」


 ここからは大陸出身である徐海だから話せる内実が暴露される。簡単に言えば、現状の明国では貧富の差が激しく、日々の生活に困っている民が大勢いるという内容であった。


 これが次から次へと倭寇が出てくる背景なのだという。日々の生活に困り、高利貸しに手を出して返済地獄に陥る民の最後の手段が倭寇なのだとか。当然ながら民間の交易を禁止する海禁政策も、民の貧困化の一翼を担っている。


 もしかしたら徐海は、そんな閉塞感が漂う明国に対しての反抗という意味で倭寇になったのだろうか。単純に僧侶では食べられなかった可能性もあるが、それでもこの時の徐海は妙に感情的であった。特に役人の話題となれば、怒りを隠そうともしない。過去に何かがあったかは、これだけでもある程度分かる。


 ここまでを総合すれば、二極化構造の明国において、労働者階級は押しなべて貧乏だという話だ。職人もその中に当て嵌まる。だからこそ生活を保障するなら、一時的に奴隷に落ちる者もいるだろうと。それも郷紳の協力さえ得られれば、ほぼ間違いないらしい。


 この辺りが明国の面白い点でもある。郷紳ならば役人の意向に従うのが基本のように思うが、中には真っ向から対立する者もいるという。倭寇がその典型であり、本来取り締まる側にならなければならない郷紳が協力しているからこそ撲滅ができないのだとか。


 珊瑚はそんな郷紳の関心を引く、とても良い商品となるという話であった。


「良くぞここまで話してくれた。感謝する。その郷紳が喜びそうな品があれば、徐海が大倭寇になれるという話だな。なら南九州統一後に樟脳しょうのうの生産に取り掛かるから、それも楽しみにしておけ。竜脳は無いが、これでも十分価値はある」


 郷紳の関心を引くのに付加価値商品が有効ならば、南九州ではこれも欠かせない。樟脳は竜脳の下位互換ではあるものの、防虫剤、防腐剤、医薬品にと多岐に渡って使用される物だ。長く薩摩藩の外貨獲得の一翼を担い、日の本全体でも金・銀に次ぐ輸出の主力商品だったと言われている。これも誰もが喉から手を出して欲しがる目玉品となるだろう。


「頭目は一体何者なんだ? 博多の商人でもそんな貴重な物をそんなポンポン出せやしないぞ」


「俺か……そうだな。日の本一借財を持つ男だ。よく覚えておけ」



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 徐海と別れた数日後、南九州が大きく動く。敵対している島津宗家に呼応する形で、日向伊東家、肥後相良家、薩州島津家の三家が当家に対して宣戦布告をし、兵を挙げるという事態が起きた。

 

 それとほぼ同時に島津宗家から和睦を提案する書状が届く。中身は当然のように当家の南九州からの撤退である。これのどこが和睦なのか俺には理解できない。


 ここまでの状況となれば、残りの渋谷一族や蒲生家、北原家等も島津宗家と組む未来が見える。大領の肥後相良家を動かした影響は大きい。つまり現状の俺達は周囲全てが敵の状態。包囲網を敷かれたのと同じと言えるだろう。随分と思い切った真似をしてくれたものだ。


 それにしても気になるのが、何故これだけの勢力が島津宗家に与したかである。


 まだ友好的な肥後相良家は分かる。当家がこの地域で大きくなる前に潰しておかなければ、次はいつ自分達が標的にされるか分からない。利害関係が一致するのだから、援軍も出すというもの。


 しかし、日向伊東家や薩州島津家とは犬猿の仲だ。協力をする理由がまず見つからない。両家が当家と敵対したくなければ、直接交渉をすれば良いだけである。そんな関係性をひっくり返すような強力な何かを持っていたのだろうか?


 ……あったな。薩州島津家には島津宗家の家督を、日向伊東家には庄内をそれぞれ譲る。それを当家を壊滅させた成功報酬として出せば、欲に駆られて首を縦に振るのも納得できる。摂関家でもある近衛家が間に入れば、実現も容易い。


「見事に絶体絶命だな。倭寇問題を重視し過ぎて、支配領域拡大の速度が遅れたのが仇となったか。これは和睦してこの地からの撤退を視野に入れるべきかもな」


「……国虎様?」


「なぁんてな。そんな訳あるかよ。島津よ、一手遅かったな。もうこっちの勝ちは確定だ。元明、到着を心待ちにしていたぞ」


「はっ。畑山 元明及び雑賀衆五〇〇〇に全てお任せくだされ。島津など何程のものぞ」


「そうそう、その意気だ。それに水軍衆も輸送任務も終わったので、戦に回せるようになった。募兵も順調。既に一〇〇〇は越えている。これは負けようがないな」


 加えて坊津の倭寇からも、一部が当家に協力してくれると連絡が入る。その上で残りは中立……というよりは、勝ち馬に乗ろうと考えているのだろう。一乗院が頑張ってくれたに違いない。何にせよ、坊津の倭寇が当家に敵対するという事態は起こらなくなった。


 ここまでのお膳立てが整えば、俺達も全力を出し切れる。皆もずっとこの時を待っていただろう。


 居並んだ家臣達の顔を見れば、次に俺が何を言うのか心待ちにしている。ならばその期待に応えるのが今の役割だ。さあ、でかい花火を上げるとするか。


「よし、まず元明は雑賀衆を率いて西の加治木を攻めろ。渋谷一族や蒲生家も既に島津宗家側に付いていると思え。纏めて周辺を蹴散らせ!」


「はっ!」


「次は津田 算長。北へ向かい大隅と日向の北原家を攻め落とせ。その後は肥後相良家、薩摩菱刈家、薩州島津家を牽制しろ。肥後相良家にとっては今回の戦は所詮手伝い戦だ。兵の数を見せれば、本気では掛かって来ない。そうすれば薩摩菱刈家や薩州島津家も強気には出れない筈だ。肥後相良家を封じるのを重要視しろ。下手に手を出して来たら、火器を使って追っ払え!」


「任せな」


「海部殿は櫛間と油津の豊州島津家の攻略をお願いします。その後は北上して小領主達を潰していってください。土地を明け渡すなら降伏を受け入れても良いですが、多分無いでしょう。面倒かと思いますが一つずつ確実にお願いします。それが終われば、津田 算長の部隊の後詰に入ってください」


「かしこまりました」


「惟宗 国長。水軍衆は薩摩半島の南部を荒らしてくれ。港の無力化だ。好きなだけ鯨油を使えよ。ただ、坊津だけは絶対に手を出すな。それと島津宗家の水軍衆が出てきた時は撃退も頼む」


「おうよ」


「波川 清宗と片岡 光綱かたおかみつつなは、この地で集まった兵で島津宗家の上陸に警戒しろ。仮に上陸してきても追っ払うだけで良い。無理に討ち取ろうとするな」


「お任せくだされ」


「俺は日向伊東家を蹴散らしてくる。その後は周辺を平定する。それが終わるまでは元明と算長は絶対に無理をするな。俺や海部殿の後詰が到着するまで持ち堪えてくれ。その時点で当家の勝ちが決まる。分かったら、皆準備に入れ。火器や食料、水は持てるだけ持っていけ。それと、新兵器の火の鳥も持っていくのを忘れるなよ。大量にあるから派手に使え。絶対に出し惜しみするな!」


 もし、渋谷一族や蒲生家が島津宗家に従順であれば? もし、南九州に八幡という慣例が無ければ? たったそれだけで、この地における当家と島津宗家の軍事的な均衡が大きく崩れ、早い段階で白黒がはっきりと出ていたと思われる。こうも戦線が大きく拡大するというのは無かった筈だ。


 予定は崩れたが、それは仕方無い。日向国や肥後国も巻き込んだ大戦であろうとこちらは望む所だ。ここからは俺達の戦力を見誤った島津宗家に吠え面をかかせてやる場面となる。たった一手の違いが滅亡に繋がるとは思いもしないだろう。


 さあ、楽しい戦の時間だ。

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