反島津のDNA
山田 元氏・大野 利直と合流した俺達は、次の目標とも言える肝属平野の確保へと乗り出す。
倭寇の問題は深刻であるとは言え、まずは目の前の敵に集中だ。遠征の目的が何なのかを忘れてはならない。特に俺達第一陣の動きによっては侵略の難易度が大きく変わるというのあり、のんびりとしている暇はなかった。
志布志湾を横に見ながら大隅肝付家の本拠地である
少数精鋭と聞こえは良いが、実質はほぼ馬路党による構成である。先日却下した長正の強襲案を結局選んだというのは、皮肉としか言いようがないだろう。あの時は提案を却下して悪かったと素直に頭を下げる。
とは言え、いきなり敵の本拠地を強襲しようにも、途中には多くの支城があり素通りはさせてくれない。正確には素通りした後に城の門が開かれて背後から襲われてしまう。
この懸念には後続の部隊へ対処するよう差配した。先頭部隊が突出しても、後続が何もしない訳ではない。後詰として俺達が敵の追撃を受けないよう、抑えの役割を行ってもらう。こうすれば俺達は背後の心配をしなくとも良い。更には俺達が高山城への攻撃を始めれば、支城の攻略も行うよう、各将へと通達しておく。
そんな駆け足で行った高山城攻めであるが、城の攻略自体はあっという間だった。見るからに堅牢そうな山城と言えど、容赦の無い火器攻撃には手も足も出ない。しかも馬路党の面々が、進行ルートを無視して平気で山中の道無き道を駆け上がっていくものだから、防衛側は為す術もなかった。散兵での攻めは、この時代の者にとっては非常識極まりない戦いである。
「……」
まるで狐につままれた心境ではなかろうか? 捕らえられた大隅肝付家当主 肝付 兼続は、口を噤み睨むような視線で俺を見てくる。戦いというよりは、守備兵の混乱による自滅に近いものであったのだから、負けたという気持ちが無いのだろう。
「肝付殿、そこまで負けたのが納得できないなら、縄を解いて解放しますよ。再戦は受けて立ちます」
「……一つ聞かせてくれぬか。あれだけの数の兵で志布志港には押し寄せて占拠したというのに、何ゆえこの高山城は一〇〇〇に満たぬ数で攻め寄せたのだ。大隅肝付家は取るに足らぬ存在か? あっさり負けたゆえ、その通りかも知れぬがな」
「肝付殿、それはご自身への過小評価です。むしろ今回の高山城攻めは、肝付殿の器量を恐れたためだとお考えください」
「それはどういう意味ぞ」
「万全の迎撃態勢を整える時を与えたくなかった。これに尽きます。それに兵の数自体は少ないですが、今回の高山城攻めに使用したのは当家の精鋭ですよ。これ以上ない質です。勘違いされては困ります」
「ま、まさか!」
「真実です。でなければ、これだけ大量の火器の投入などできません。常より効率良く使用する鍛錬を行っていたからこそできる芸当です」
「まさに。であれば、この儂と争うならば精鋭でなくば勝てぬと……」
「解釈はお任せします。兵の数だけが戦の勝敗を決める訳ではないのは、肝付殿ならご存じでしょう」
こうして再度沈黙が訪れる。話を聞く限り、どうやら俺が大隅肝付家や高山城を侮っていたと勘違いしていたようだ。それが気に食わなかったかのような口ぶりである。
余程この高山城の守りに自信を持っていたのか。当家の兵の数が五〇〇では落とせないという、慢心の中で戦いに突入したかのように見受けられる。だからこそそれが仇となり、負けに繋がった。そんな所だろうか。
今回の戦の勝敗は火器の使用や兵の質よりも、もっと根本的な問題が原因だと言える。
「……どうやら、儂もまだまだよの。見える物だけが真実ではない。そう教えられた気分だ」
「そんな大袈裟なものではありませんよ」
「いや細川様、此度は儂の完敗だ。潔く降ろう。細川様の深慮遠謀を見抜けなかったこの儂が未熟であった。これでは今一度争っても勝てる見込みはあるまい。それよりは細川様の下で励む方が楽しそうだ。見た事の無い景色を是非とも儂に見せてくだされ」
「だから大袈裟です。それに当家で働くとなると俸禄になりますよ。それでも良いのですか?」
「元より城は落ち、捕縛された身。家の者が食うに困らぬ待遇であれば文句は言いますまい。それに遠州細川家は裕福だと聞いておりますれば、むしろ今より良い生活ができるのではないかと密かに期待しておりまする」
「……考えておきます」
何だか良く分からない形となったが、こうして大隅肝付家当主 肝付 兼続が当家に降る。例え戦上手であっても、その実力が出し切れないなら簡単に負けてしまう。今回の戦はそんな教訓染みたものかもしれない。次は俺がそうならないようにと、気を引き締める必要がありそうだ。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
大隅肝付家当主を降した余勢を駆って、大隅国南部の掃討は一気に加速する。当家家臣に肝付 兼続が加わった影響は大きく、残党は組織的な抵抗もできないまま各個撃破の良い的となった。中には抵抗するだけ無駄だと悟り素直に降伏する者もいたが、これは稀な例である。多くは無意味に城に立て籠もり、当家の将兵に蹂躙される形となった。山田 元氏や大野 利直辺りが水を得た魚のように大喜びで城へと飛び込んでいくのは、予想された事態と言えよう。
その後は立ち塞がる
この二港を手にした事で、当家はいつでも西隣の薩摩半島を強襲可能となった。特に垂水港から
これにて俺達第一陣の目的は達成する。志布志港に加えて大隅国の肝属郡・大隅郡を手中に収めた形だ。橋頭堡としては上出来である。次は北上して大隅国の中心部でもある
そんな慌ただしい時を過ごしていた矢先、俺の元に予想もしない珍客がやって来る。名は
遠州細川家の今回の軍事行動は、何の予告も無い突然の侵略である。現時点の大義名分としては、下克上で島津宗家の家督を奪った島津 貴久に対しての打倒を唱えているものの、それを文字通りに捉える馬鹿はまずいない。そこから考えれば、当家がこれからどのような動きを取ろうとしているかを探りにきたというのが妥当な線となる。それを知ってから敵対するか同盟するかを決めようというのだろう。小領主は生き残りに必死とは言え、随分と素早い動きだ。
ただ、俺達に現地勢力との同盟は無い。後続でまだ一〇〇〇〇を超える兵がやって来るのだから、その力を借りなくても島津宗家の打倒は可能だ。それに今後の統治を考えれば、大隅蒲生家のような存在は邪魔になる。だからこそ今回の会談では、敵対するか降伏するかを突き付けようと考えている。
まだ見ぬ後続部隊を蒲生 範清が理解できるかどうかが、会談の結果を大きく左右するのではないか。そんな展開を予想しながら、蒲生 範清と面会をする。
ところが、ところがだ。こんな時ほど神様は気紛れを起こす。話は予想を超えた遥か斜め上へと進んでいった。
「……加治木攻めへの援軍ですか。当家には錦江湾から乗り込んで欲しいと」
「左様。四国から来られた細川殿には難しくはなかろう」
何だろう。この「本当なら新参のお前は菓子折り持って先輩に挨拶するのが筋だ。ただ、俺は優しいから特別に目を掛けてやる。仕事を手伝えば舎弟にしてやるぞ」とでも言いたげな厚意の押し売りは。はっきり言って余計なお世話である。
しかし、ここで相手の態度をなじって感情的になる必要は無い。後続が到着すれば、嫌でも当家との力の差は分かる。意趣返しするのはそれからでも遅くはない。それよりもこの場面では、情報収集の良い機会だと捉えるべきであろう。
俺個人としても、何故外敵である当家に援軍依頼の話を持ってきたのか知りたいというのもあった。島津を取り巻く状況や背景を知るのは、今後の戦いを有利に進める上で役立つに違いない。
「一つ確認したいのですが、島津宗家と敵対するなら、攻めるのは内城のある鹿児島郡ではないでしょうか? 加治木を攻める理由をお教えください」
「確かに我等にとっても
こういう時、勝手に話し始める相手というのは何と都合の良い事か。俺が少し話を振るだけで、言わなくても良い内容まで話してくれる。これなら有益な情報も得られそうだと考え、時にはおだてつつ、時には同情を寄せながらも無駄に長い話に最後まで付き合った。
話の内容を纏めると、島津氏の立ち位置は少し特殊だと言えるだろう。以前山中 直幸に聞いた、出雲尼子氏に近いのではないかと思われる。
島津氏は鎌倉幕府成立後に大隅国や薩摩国等の守護に任命されて一族が下向してくるのだが、それ以前にこの地には根を張っていた武家がいた。それが蒲生氏や
これが昨日今日の話ならいざ知らず、鎌倉時代の話を未だ引きずっているというのは乾いた笑いしか出ない。最早島津憎しというDNAが体に刻まれているのでしないかと疑う程だ。
だがそんな反島津DNAを持つ者達も、時には妥協もする。現島津宗家当主である島津 貴久の継室が、渋谷一族
問題はその入来院家から迎えた継室が八年前に亡くなっている点であろうか。そこから今日までの間、島津宗家と蒲生家や渋谷一族との新たな縁は結ばれなかった。加えて島津 貴久は、大隅国の重要拠点とも言える
この行動が蒲生氏や渋谷一族の危機感を煽る。島津 貴久は今後更に勢力を拡大して、いずれ自分達は膝を屈しなければならなくなるのではと。
ならばと天文一八年 (一五四九年)、蒲生氏と渋谷一族に加えて加治木城主の
確かにこれは蒲生 範清でなくとも腹が立つ。先の戦では一緒に戦った仲間が、気が付けば敵に尻尾を振って甘い汁を得たのだ。一人だけ良い思いをしやがってと感情的になるのは道理である。
ただ悲しいかな、この措置は分断工作でしかない。敵だった相手に優劣を付けて仲違いをさせる。肝付 兼演を蒲生氏や渋谷一族に対する餌にしたのだろう。加治木を攻めさせ、背後を突くという意図が丸見えだ。面倒な反抗勢力を一掃するために仕組んだ罠とも言える。それに気付かない辺りが何ともおめでたい。
ここでふと気付く。もしかしたら、蒲生 範清は当家が掲げている島津宗家打倒の大義名分を本気にしているのではないだろうかと。島津 貴久憎し、肝付 兼演憎しという感情が先行しているからか、自身に都合の良い話のみを信じるという視野狭窄に陥っているのではないだろうかと。素直さは人として美徳の面もあるが、この戦乱の時代では自身の身を滅ぼしかねない要素でもある。
……これは使えそうだ。
「それで仮に援軍を派遣するとして、当家には一体どういった益があるのですか?」
「島津宗家が貴殿の領地に攻め込んだ暁には、我等が援軍を出そう。持ちつ持たれつの関係という訳だ。良い提案であろう」
駄目だこいつ。早く何とかしないと。最初は共同作戦を行いながら利益を掠め取るのを考えたが、この対応でそれは無駄だと悟る。蒲生 範清は馬鹿だった。
そうと分かれば腹も決まる。この加治木攻めを島津 貴久の釣り出しに利用させてもらうとしよう。その間に俺達は勢力圏を拡大すれば良い。さあこの事態に島津 貴久はどうするか? これはこれで楽しみとも言える。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
会談自体は玉虫色のような決着となる。援軍の派遣自体は断ったが、食料支援は行うとした。それも本当に軍事行動を起こした場合とする。最悪の事態も想定した形だ。これならば気が変わって加治木攻めを取り止めたとしても当家の懐は痛まない。
それはそれとして、蒲生 範清との会談自体は十分に有意義であった。これまで見えていなかった島津宗家の事情が浮き彫りになったとも言える。
結論から言うと、島津宗家の勢力圏は予想よりも歪であった。
まず薩摩国の情勢は、島津宗家が治める領域は南部のみであり、北部は独立勢力とも言える入来院家や
次は大隅国だ。現状当家が手にしているのは南部の肝属郡と大隅郡のみとなる。北部は中心部を島津宗家が治めており、それ以外に渋谷一族の
意外な事実と言えば、島津宗家の勢力は隣国日向にも存在していた。それは
この両家は元々は島津宗家とは敵対していたが、日向国
最後は日向国
番外として肥後国
こうして全体像を把握すれば、何も考えずに北上して島津宗家の領地に攻め込むのは危険なのが分かる。庄内の北郷家に背後を突かれる可能性が高いからだ。しかも都合が悪い事に、この庄内には
これはいっそ第三陣が到着するまで待った方が良いのではという空気が家中に広がる。普段なら強気な家臣達も、倭寇という不安要素がある中で危険な賭けに出たくないという思いがあるのだろう。懐柔策となる募兵や人足募集を行っているものの、俺達が余所者だという理由からか集まりは悪い。
そんな悶々とした日々を過ごしていると、一つ朗報が届く。待ちに待った援軍だ。
「よっ。ボウズ、待たせたな。根来衆四〇〇〇、誰一人欠ける事無く到着だ。早速島津をぶっ飛ばすぞ!」
手詰まりとなった戦況をここからどう動かすか。俺達の真価が問われる。
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