閑話:畿内への思い

 天文二一年 (一五五二年) 飯盛山城内 長宗我部 弥三郎


 昨年より河内国で活動を続けておった我等長宗我部党の活動も、ついに大詰めを迎えようとしている。本日は河内遊佐家最大の大物とも言える安見 宗房殿との会談だ。この会談の成果によって策が完成すると言っても過言ではない。逆に喧嘩別れとなってしまえば、これまで積み上げた成果が全て水泡へと帰する。


 当初萱振家の乗っ取りだけであった俺の策が、守護代である河内遊佐家までをも乗っ取るという大きなものへと修正されたのは、相談をした三好 実休様の考えによるものであった。


 ──阿波三好家が全面協力する故、是非実現してもらいたい。


 真剣な表情で元服もしていない俺に対して頭を下げる三好 実休様のお姿が、今でも目にこびり付いている。


 何故俺の策にこうまで肩入れするのか? 子供の戯言だと鼻で笑われても致し方ない筈なのに、そんな素振りは一切見せずに真剣に話を聞いてくれる。時には甘い箇所を指摘し、助言まで与えてくれる。このような事態を誰が想像できようか。


 全ては三好 実休様の心の内が、此度の策の背景にあった。


 長兄である三好 長慶様は、京を舞台に細川 晴元様や公方様と激戦を演じている。他の御兄弟達も畿内で御活躍をされている。


 なのに自分はどうだという思いが日々大きくなっているとお話しくだされた。


 阿波三好家は阿波細川家の家臣である。そして阿波国南部には、不倶戴天の敵とも言える遠州細川家が居座っている。御主君である細川 氏之様をお守りするためには、三好 実級様は阿波国で備えなければならなかった。立場上、長く阿波国を空けられない。御兄弟達の中で一人だけ役割が違っていると言えよう。


 勿論、今の務めに嫌気が差している訳ではない。ただ、取り残されているような疎外感を感じているのだという。もう少しだけ遅く生まれておれば、違う自身であったのではないかと。


 もう一つある。こちらは少し質が悪い。阿波国の家臣達が不満を訴えているという話だ。何故三好宗家は長く阿波三好家に仕えている自分達を使わずに、畿内で登用した新参ばかりを優遇するのかと。しかも、その新参共は出自も分からぬ怪しげな者が多いとくる。


 ここまで知ればもう分かる。三好 実休様を含め、阿波三好家は畿内での活躍を欲していた。しかし、三好宗家とは反目するつもりはない。むしろ三好宗家を支えたいという忠義心によるものだ。それでいて主家である阿波細川家には迷惑を掛けたくない、遠州細川家に隙を見せたくないとなれば、兵を使わない形での独自進出以外の道はなかろう。


 河内遊佐家の乗っ取り、即ち養子入りならばそれを満たす。そうなれば不満を抱えている家臣も河内国へと連れて行き、活躍の場を与えるのも可能だ。だからこそ、策を修正した上での全面支援という話へと発展した。


 我等長宗我部党が、萱振 賢継殿だけではなく野尻 治部殿をも殺害したのは、その思いに一つ応えた形とも言えよう。萱振家の後釜には吉田 孝頼の次男である孫三郎を、野尻家の後継には阿波三好家から三好 盛長みよしもりなが様を派遣して頂き、養子として入ってもらった。


 こうして河内国に基盤があれば、畿内での活動も行い易かろうと。当然、三好 実休様の養子入りの件でも動いてもらうつもりだ。


 また、もし此度の計画が萱振家の乗っ取りと独立であれば、田河たがわ家や中小路なかこうじ家のような萱振派閥を纏めて屠り領地を接収するという未来もあったとは思う。しかし、本丸は河内遊佐家の乗っ取りだ。そのため、多数派工作の駒として使う方針に転換した。これは、萱振派閥の面々が我等長宗我部党に臆して、隠居したという事情がある。その上で後継者達は、こちらの意に沿う発言をしてくれるという裏取引に応じてくれもした。


 河内入りの名分は遊佐 長教様殺害の真犯人調査なれど、既に成果は挙げている。最早深く追求する必要も無いであろう。それに報復行為に出ようものなら、三好 盛長様が動く算段となっている。


 所詮遊佐 長教様の暗殺事件は、河内遊佐家中での派閥争いが激化したものだ。古参の家臣と新参の家臣が対立したに過ぎない。古参の家臣には新参の家臣が大きな顔をするのが気に入らなく、新参の家臣には功績を挙げない古参の家臣が家中で重きをなすのが癇に障る。それこそ三好 長慶様と三好 宗三殿との対立の構図に近い。互いが罵り合っている内はまだ良いが、主君が新参を庇い立てすると稀に矛先が主君へと向かう。その程度だ。詳細な証拠など調べずとも犯人など分かる。

 

 それゆえ河内国に入ってからの長宗我部党は、誅殺する者の行動を調べて、いつどの様な形で襲撃するかを綿密に計画するに終始した。実行は僅かな手間だ。計画をただ忠実に行うだけである。それに、河内国での活動費用や使用する武具、その他諸々の全てが阿波三好家が賄ってくれたのだ。それ自体の務めはそう難しくはない。


 だが今は違う。殺しや脅しではなく、懐柔して味方に付けるというのは俺自身初めての経験だ。もうすぐ目の前にやって来る安見 宗房殿は、如何にすればこちらに靡くのか? これまでとは違う難しき務めと言える。


 今更ながら書状に描いた通り、安見 宗房殿は失脚させた方が良かったのではないかと何度も反芻する。しかし経歴を調べれば、安見 宗房殿は敵対するよりも味方として取り込んだ方が良い者だと分かり、そう決断したのだ。ここで背を見せてはならぬと深呼吸を一つして背筋を伸ばす。


「待たせたな。……お主が長宗我部党の頭か。随分と若いのだな」


「はっ。長宗我部 弥三郎と申す。今年で一四になり申した。ですが、これでも人より辛酸を舐めておりますれば、年齢など関係無きかと」


「ほぉ、言いよる。では、面白き話を期待しよう」


 口ではこう言いながらもこの鋭き眼光を見れば、若輩者の俺に対して一切の油断をしていないのが分かる。やはり安見 宗房殿はそこらの者とは違う、相当なやり手のようだ。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「迂遠な言い方をしても悪い印象しか与えぬと存ずる。ここは単刀直入に申しましょうぞ! 安見様、我等に協力をしてくだされ!!」


「此度は遊佐 長教様殺害の件で話があると聞いておったのだが、突然何を言い出すのだ」


「そのような戯言は始めから期待しておらぬかと。此度目通りくださったのは、長宗我部党がこの河内国で何をしようとしているかを知りたかったかと考えまする」


「そうであるならどうする?」


「だからこそ安見様には我等への協力を求めた次第です」


「我等か……それは長宗我部党か? それとも三好宗家か?」


「阿波三好家と言えば、どう考えまする?」


「まさか!? 恵光寺の後見は三好宗家の差し金ではないのか? 阿波三好家は今は亡き蓮淳殿とどういう関係にあったのだ?」


「いえ、恵光寺の後見は安見様の申す通り、三好宗家の要望によるものです。それは間違いありませぬ。ですが、長宗我部党自体は阿波三好家の意を受けて動いておりまする」


「待て。少し考えさせろ。……儂は長宗我部党の動きは、尾州畠山家が反三好とならぬよう人を送り込んだとばかりに思っておったわ」


 挨拶もそこそこに始まった舌戦は、一つの転機を迎える。こちらが機先を制して主導権を取ったのが大きかったのであろう。安見 宗房殿は尾州畠山家中で今現在起きている大きな問題が、長宗我部党の河内入りの理由だと考えていた。故に殺害が何処まで広がるかを懸念して、今日会ったのであろう。


 大義名分となる犯人探しなど、初めから信用していなかったというのが分かる。


 天文一八年 (一五四九年)に起こった江口の戦いは、尾州畠山家に一つの事件を巻き起こした。それは当主 畠山 政国様と、守護代 遊佐 長教様との対立である。三好宗家と公方様との敵対がその発端と言えた。


 どんなに細川 晴元様を憎んでいようと、畠山 政国様は公方様とまでは敵対をしたくない。それならば三好宗家との敵対を選ぶ。


 対する遊佐 長教様は、例え公方様と敵対しようとも細川 晴元様とは和睦したくない。


 互いの重視する箇所が異なったがために、これまでの蜜月とも言える関係が大きく崩れ去った。


 結果、畠山 政国様は紀伊国へと逃亡する。当主としての役割を放棄した形だ。とは言え逃亡によって尾州畠山内での内戦へと突入しなかったのだから、一概に無責任な行動とは言えない。


 そんな中で遊佐 長教様が命を落とした。


 今後の尾州畠山家は紀伊国から舞い戻った畠山 政国様か、新たな当主として嫡子の畠山 高政はたけやまたかまさ様のどちらかが舵取りをする形となろう。そうなれば公方様への助力を表明して、三好宗家と敵対するのが見えている。


 安見 宗房殿はその状況を踏まえて、長宗我部党の河内国入りを親三好宗家を増やす、または反三好宗家とさせないようにする行動だと見ていた。幾ら当主の考えが右であっても、有力家臣全てが左と言えば当主は従わざるを得ない。


 だからこそ長宗我部党が萱振 賢継殿や野尻 治部殿の殺害したのは、杉ノ坊 明算殿の河内遊佐家当主就任の妨害、ひいては尾州畠山家を反三好にさせないための行動と見ていた。杉ノ坊 明算殿が河内遊佐家の当主となれば、根来寺が和泉国で三好宗家と対立している事情によって反三好宗家の立場を取るのは間違いない。最有力家臣の河内遊佐家の発言は、尾州畠山家の方針に大きく影響を与える。


 なるほど。結果としては似たようなものである。あながち間違ってはおるまい。安見 宗房殿も河内遊佐家の後継者を杉ノ坊 明算殿にしたくないという考えから、ここまで話してくれたのだろう。


 ……いっそこの流れに乗り、腹を割って話すのも一興かもしれぬな。


「当たらずとも遠からずと言った所でしょうか。正直に告白します。長宗我部党の真の狙いは、三好 実休様の河内遊佐家への養子入りとなりまする」


「阿呆かお主は。誰がそれを許す。三好に連なる者が河内遊佐家に養子入りすれば、河内遊佐家だけではない、尾州畠山家そのものが三好の物となるわ」


「ですが安見様がご助力して養子入りが叶うなら、功労者となりまする。三好 実休様でしたら、これまでより安見様を重用してくださると思いまするが」


「儂はな、遊佐 長教様のお陰でここまで来れたのだ。言わば恩人ぞ。そんな儂が河内遊佐家を裏切る筈がない」


「後継者に遊佐 太藤様を推される安見様のお言葉とは思いませぬな。確かに河内遊佐家の後継者を遊佐 太藤様とするのは、根来寺や遠州細川家から守る行動と捉えてもおかしくはありますまい。ですが、遊佐 太藤様には何の後ろ盾も無いのは誰もが知る所です。安見様はその後ろ盾になろうとしているのではありませぬか?」


「……何が言いたい。遊佐 長教様のお子はまだ五歳ぞ。当主が務まる筈がなかろう。故に儂は遊佐 太藤様を後継者として推すのだ。邪推をするのは儂が五歳のお子を後継者に推しておった場合にしろ。それに遊佐 太藤様はあくまでもお子が元服するまでの代行ぞ」


「ならその代行に三好 実休様が成ったとしても、何ら問題はありますまい。むしろ三好の後ろ盾により、河内遊佐家は今より強固な家となるでしょう。三好 長慶様が遊佐 長教様の娘婿というのをお忘れですか? 河内遊佐家は下手をすると親族と対立する道を進もうとされたのですぞ。ならば親族同士が再び手を取り合えるように、関係を修復する役割を果たす者が必要だと思いませぬか? そう、あくまでも三好 実休様が河内遊佐家への養子入りを望んでいるのは、間違った方向に進もうとしているのを憂いてです。それさえ果たせれば、きっと快く遊佐 長教様のお子に当主を譲るでしょう」


「……」


 もし安見 宗房殿が遊佐 長教様に引き上げられただけの単なる新参ならば、河内遊佐家を傀儡化して権勢を振るおうとする君側の奸だと告発していたであろう。敢えてここまでの屁理屈を使う理由が無い。


 そうしなかったのは、彼の経歴を知ったからである。安見 宗房殿は此度の務めの最も大きな障害となる存在だ。事前に埃が無いか調べるのは当然と言えよう。


 調べた結果、元は中村という家に生まれたらしい。安見家には養子で入った。


 更にはこの安見家は大和国鷹山家の配下であり、しかも鷹山家は木沢 長政殿の配下であったという。その後、太平寺の戦いに敗れた鷹山家が遊佐 長教様に近付き、安見 宗房殿が見出される。


 つまり安見 宗房殿は、名を変え主君を変えて成り上がりを果たした者であった。


 ここから考えれば、更に上へと昇れる道があるならば誘いに乗るのではないか? そう考えるのが自然となる。


 勿論、下克上でここまでやって来た訳ではないのだから、名分が立たねば決裂はするであろう。だが逆に考えれば、利があり名分が立てば味方となる存在とも言えた。


 これを利用しない手はない。頭の固い忠義者とは違うのだ。失脚させて追放させるというのは、何とも勿体無い。


 なればこそ、


「まあ、こんなものは名分ですな。建前はこの辺りとします。それよりも安見様は、遊佐 太藤様の後見という立場で満足されるのでしょうか? 安見様ほどの器量のある方なら、もっと上を目指せるのでは? 守護代の重臣止まりはご自身に似合わぬとは思いませぬか? 一国の主が尤も相応しい場所ではないでしょうか?」


 一国を差配する太守という餌で誘いをかける。これがこの会談での真の目的であった。


「儂の一国の主と三好 実休殿の河内遊佐家への養子入りが何をすれば繋がる? 馬鹿を言うな」


「間違いなく繋がりまする。三好がこれで終わりとお考えか。まだ領土は広がりまする。そこに安見様が国主として入る余地は大いにあると考えませぬか?」


「阿呆か。三好が大きくなってもそこには三好宗家の家臣が入るだけであろう」


「三好は三好でもその役目を担うのは三好 実休様となりまする。三好宗家は京方面、もっと言えば細川 晴元様との抗争で現状手一杯であれば、それ以外の方面には三好 実休様が任されまする。ならば三好 実休様の元で功を積めば、容易く抜擢されましょうぞ」


「そう簡単に行く筈なかろう」


「なるほど。安見様は戦に弱いゆえ、争えば負けると言いたいのですな。それは仕方ありますまい。弱き者は河内国で閉じ篭っておるのが似合いかと」


「……儂を愚弄する気か?」


「それを言うなら、何故『もっと上を目指せる』と言った際に同意頂けなかったのですか? 安見様の器量を否定したのはご自身ですぞ」


「…………」


「どちらかお選びくだされ。ご自身の器量を一国の主だと思うならこの手を取り、そうでないと思うなら刀を抜く。どちらでも構いません」


「……分かった。以後お主に協力しよう」


「共に上を目指しましょうぞ」


 片や長宗我部家の再興を目指し、片や一国の太守にまで野心を漲らせる。俺と安見 宗房殿にはそう違いはない。だからこそ手を取り合い、互いを利用し合う。年齢こそ親子ほど離れているものの、きっと二人は良き盟友となれるであろう。


 今日この日、俺はお家再興の一歩を踏み出した。

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