伊予騒乱

 南予宇都宮家と河野本宗家に送った不幸の手紙は予想外の効果を見せていた。


 まず河野本宗家において家臣が武装蜂起をする。反旗を翻したのは岩伽羅いわがら城主の和田 通興わだみちおき。河野本宗家の徹底抗戦姿勢に反発したのだろう。誰もが泥船には乗りたくない。逃げ出すならより早い方が良いとでも言いたげな行動である。中立を気取り、当家に対して良い顔をしたいという意図が丸分かりだ。大勢が決まってから、優勢な方に味方したいと考えているのであろう。もし河野本宗家が有利となっても、いけしゃあしゃあと元鞘に戻るのも厭わない。この時代特有の生き残り戦術であった。


 ただ一つ気になるのは、この行動に何の意味があるかという点である。裏切るなら効果的に。もしくは誰かと連れ添って行う。一人で行動を起こした所で、鎮圧されて全てが無駄となる。続く一手が無ければ、裏切り損になるのが見えていた。


 変な話ではあるが、この時代の謀反は見切り発車で行う場合が意外とある。言わば脊髄反射のような行動だ。面子が重要視されるという背景があるのは分かるが、もう少しどうにかならないものなのか。一戦して力を見せれば続く者も現れる。そんな狸の皮算用で行動を起こす場合があるのだ。身勝手な家臣の行動には、敵ながら同情をしてしまう。


 しかしながら、今回の謀反に於いては動機はどうあれ多少事情が違うのだと、報告を持ってきた鉢屋衆が教えてくれた。


 理由は岩伽羅城の位置にある。岩伽羅城は河野本宗家本拠地である湯築ゆずき城から東に二里強の場所にある山城のため、それだけでも厄介なのは間違いない。


 問題はそこから更に東の場所にあった。


 伊予国は中予には道後平野、東予には道前平野という穀倉地帯がある。両地域には讃岐街道によって陸路が繋がっている。ここまでは良い。


 なら街道が繋がっているのに何故二つの穀倉地帯があるのかとなるが、その答えは簡単だ。二つの平野は桜三里さくらさんりと呼ばれる峠道が繋いでいる。要するに二つの平野には山という天然の防衛施設が介在していた。


 さて、岩伽羅城の場所は何処にあるか? 


 そう、岩伽羅城から二里弱南東には桜三里の始発点がある。東予方面から見れば、峠道桜三里の終着点だ。ここまで知れば見えてくるものがある。


 今回の和田 通興の謀反によって、東予方面からの陸路で侵入する敵を桜三里での待ち伏せ迎撃ができなくなった。兵を展開すれば、岩伽羅城から兵を出して後ろから襲えてしまう。更に言うなら、迎撃態勢を整えられなくなったために、東予から直接河野本宗家本拠地の湯築城をも狙えるようにもなる。


 河野本宗家にとってはまさに死活問題だ。喉元に刃物を突き付けられたような状況だと言えるだろう。たった一つの短絡的な裏切り行為が致命傷となるのだから、この時代は恐ろしい。


 とは言え、河野本宗家が死に体になったかと言えば実はそうではない。東予には黒川くろかわ氏を筆頭とした幾つかの河野本宗家家臣が残っている。それに東予と中予を結ぶ最大の要害となる鞍瀬大熊城くらせおおくまじょうは、未だ河野本宗家の所有だ。絶望するにはまだ早いと言える。


 だからこそ岩伽羅城攻略が行えるなら、まだ生き残りの可能性は残っていた。但し、のんびりと兵糧を掻き集めて兵を募っているようでは間に合わない。間違いなく東予の鎮圧を終えた遠州細川軍が雪崩れ込んでくるからだ。そうならないよう、少数精鋭による早急な壊滅を行うのが必須である。しっかりとした防衛態勢も築けるかどうかは時間との闘い。成功すれば河野本宗家は滅亡の危機を脱する形となる。


 とは言え、それは対東予方面に於いてのみだ。ここで南予からの侵攻が生きてくる。河野本宗家が南予からの本隊に対してどのような逆転の手を打つのか。今からそれが楽しみである。


 そのためには、まずはこちらも伊予宇都宮家を攻略しなければならないだろう。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「えっ? 和田 通興の謀反に乗じて、伊予大野家も攻め上がりたいというのか?」


「はっ。父である大野 利直は、謀反の鎮圧に兵を割く今が花山はなやま城の攻め時だと申しております」


「……そうきたか」


 続いて伊予大野家も動き出す。


 揺れる河野本宗家に対して、伊予大野家が追撃となる後方攪乱を提案してきた。外部からの侵略という形となるが、まさしく和田 通興の目論見通りの動きが起きているとしか言いようがない。これが成功すれば、河野本宗家からの第二第三の離反者が出るのは明白だ。一層内部から崩れ始めていくだろう。


 それを手助けするためにも伊予大野家を後押しして欲しい。こうして使者を寄越してくる辺り、当家からの物資支援を望んでいるだと理解した。


 河野本宗家を追い詰めるなら、支援の約束が適切な判断とはなる。ただ、そうは言っても今回は素直に首を縦には振れなかった。


「ああ、うん。その提案は魅力的ではある。けどなあ……仮に花山城を落としても、領有は認めないぞ。それでも良いか?」


「何ゆえですか? 伊予大野家の力で落とした城なら、そのまま領有するのが筋ではありませぬか。細川様は伊予大野家の働きをお認めにならないのですか?」


「それ以前の問題だ。花山城は確か……伊予平岡家の城だよな。大野 利直殿は伊予平岡家当主である平岡 房実ひらおかふさざね殿の娘と婚姻しているんだぞ。それを何とも思わないのか?」


「そ、それを言われますと……」


「百歩譲って花山城攻めまでは良しとしよう。それこそこの時代、親兄弟で争うというのは幾らでもあるからな。因縁もあるだろうさ。けれども領有は認められない。一族の結束を大事にする当家では、一族の資産を掠め取るような真似はあってはならない。例えそれが敵陣営であってもだ」


「……」


 大野 利直の考えはすぐに分かった。後方攪乱とは言いつつも、実質自分達の領土を増やしたいだけである。花山城を手にすれば道後平野と隣り合うため、伊予中央との接点が確保される。伊予大野家の領地である久万地区は陸の孤島とも言える場所だけに是が非でも欲しいのだろう。その辺の事情が透けて見えた。


 だが、それをみすみす見逃す俺ではない。伊予大野家のような存在は山中に閉じ込めておくに限る。大野 直之から話を聞けば聞く程、下手に力を持てば当家に噛みつく家だというのが分かったからだ。


 事実、今回も陣営を鞍替えしたのを良い事に義父の城を奪おうとしている。幾ら当家とは長年の付き合いがあったとは言え、婚姻関係を簡単に無視する家に力は与えたくない。特にそれが穀倉地帯と隣り合っている場所となれば尚更であろう。そうは問屋が卸さない。


「だから代わりとして、食料を含めた物資で花山城攻めの功績には報いるつもりだ。それに伊予攻めが終われば、久万地区の開発を援助する。それで納得してくれないか?」


「とても願ってもない申し出です。ですが……」


「良いか。伊予大野家は領地である久万地区をまず大事にしろ。要するに民を食わせるようにしてやれ。聞いたぞ。主食が稗らしいな。それで良いと思うのか? 現状を放置して新しい領地が欲しいというのは変じゃないか? 久万の民は見捨てられたと感じて伊予大野家を恨むようになるぞ」


「……」


 この時代の常識で言えば、持たざる者は持つ者から奪うというのが主流である。領地開発をして貧乏から抜け出そうというのはまず考えない。それもそうだ。少ない原資で最大の効果を生むというのはとても難しい。奪う方が何倍も簡単だ。


 しかし、その考えでは長くは続かない。食い潰せば新たな獲物が必要となるし、何の発展性も無い。


 目の前の使者は、俺の言いたい意味を理解したのか口を噤んで押し黙る。名前は大野 直昌おおのなおしげと名乗っていた。大野 直之の兄であり、俺と同じ年齢だという。だからなのだろう。同年齢の俺が言う言葉が自分の考えと違い過ぎて何も言えない。


 これが大野 直之なら、開き直っただろうと何となく思う。「見捨てて何が悪い」くらいは平気で言いそうだ。勿論これが悪い訳ではない。収益の出ない事業を無理に続けるのと同じで、赤字を垂れ流すよりはさっさと畳んだ方が良いという考えだ。それよりも割り切って新規事業を興す方が間違いなく賢い。今回の場合は花山城を得て、拠点をそこへ移す。移住者を募って新天地で一から始めた方が結果も出易いだろう。領地替えの感覚に近い。


 ぶつかる思惑と突き付けられた現実。これでは何のために遠州細川家に臣従したのかと、不満を感じさせる返答だ。最悪の場合は、今一度河野本宗家へと鞍替えするかもしれない。そうなってしまえば、最低限の備えしかない土佐は略奪の限りを尽くされるだろう。それは覚悟の上での発言であった。


 どの道当家が伊予を占領してしまえば、これまでから大きく変わる。今回の話はその試金石だ。後で裏切るか先に裏切るか、それとも納得するか。同じ裏切るなら早い方が良いとも言える。


 項垂れた姿で帰ってしまった大野 直昌が、どんな決断をするかそれを楽しみにしておこう。自己の利益を追求するも良し、為政者として久万の地で頑張るのも良しである。


 ふと、大野 直昌を見ていて一つ気付いた点があった。これまで既得権益にしがみ付く者達は俺の言い分には必ず反論をしていたというのに、今回はそれが見受けられなかった。自己正当化さえも無かったというのは珍しい。


 俺との話に何か感じるものがあったのなら、嬉しく思う。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 最後は南予宇都宮家となる。


 今回の伊予侵攻は実は南予宇都宮家の討伐が本命であり、他の地域はほぼついでであった。


 なら、それは何が目的なのか?


 結論から言えば、南予宇都宮家の治める大洲地区には絹がある。それも養蚕から紡績、織物と全てが揃った形だ。もう一つは木蝋。和蝋燭の原料として使われる素材である。


 絹は古来より人を魅了し続けている。シルクロードという言葉がある通り、中国製の絹はヨーロッパからも引く手数多であるのは言うまでもない。当然日の本でもそれは同様だ。古代より貨幣代わりとして絹が使用されている点から見てもそれは明らかだろう。


 ただ、日の本とヨーロッパでは一つ大きな違いがあった。それは中国からの距離の問題である。つまり何らかの事情によって絹の製法は古くから日の本へと流出し、自国生産を可能としていた。絹は中国だけの製品ではない。


 けれども、それも今は昔だ。この戦国時代であれば、生糸の製造よりも食糧生産の方が優先される。歴史上でも生糸の自国生産を奨励されたのは江戸時代からとなり、それまでに多くの土地でこの技術が途絶えていた。背に腹は変えられないとは言え、こうした実情を知ると残念な思いがある。


 それでも、昔からの生糸製造を守り続けている地は残っていた。その中の一つが南予宇都宮家の地、大洲である。伊予国自体が古来より生糸製造を続けてはいると聞くが、その中心地となる。


 ならそんな中心地が何故大きく発展していないかと言うと、所詮は副業だからである。あくまでも主力となるのは食料の製造。大洲地区は洪水の多い地域ではあるものの、それが逆に肥沃な大地の原因となる。ならばどちらを優先するかとなれば、間違いなく食料だ。この地が伊賀国のような痩せ枯れた地であったなら、比重は逆転していたであろう。


 だからこそ以前から目を付けていた。大洲地区を手にして養蚕や生糸製造を保護育成する。現時点では明国製の生糸の足元には及ばない品質であろうとも、量が作れるならそれは売れる。畿内への販売は難しいにしろ、東国なら価格を下げれば問題無い。駿河今川家との伝手がこういった時に使える筈だ。そうした販売実績を積み重ねる中で品質を上げていくつもりである。


 しかも生糸や絹は合成繊維のナイロンが登場するまで戦える製品だ。時間は三〇〇年を超える。どんなに投資を行っても決して損をしない事業と言えるだろう。


 また木蝋も事情は変わらない。木蝋の原料となるハゼノキが南予一帯に原生しているため、これを増やして産業として成り立たせるつもりだ。大洲地区での木蝋製造は江戸に入ってからだと聞いてはいる。しかし、木蝋を使用した和蝋燭自体は室町期から製造されているため、木蝋製造への技術的問題は心配していない。


 とは言え何故和蝋燭製造ではなく木蝋かと言うと、岡林 親信からの要望である。木蝋は第二次大戦前には海外への主力輸出品にもなったワックスだと教えてくれた。


 そう、欲しいのはワックスだ。技術屋には蝋燭よりもワックスの方が大事だという話である。さすがに船に使用するつもりはないようだが、それでも防水を施したい物は多くあるらしい。差し当たって革製品用として木蝋が欲しいと要望が出されている。これは、例えば土佐で栽培を始めた茶を大筒や新土佐弓等の金属製品の黒染めに流用するなど、ただ作るだけではなく長く使用できる良い製品にしたいという思いからであった。技術屋らしい親信ならではの拘りと言えるだろう。


 この考えには俺も同意している。苦労を積み重ねて製造した大筒等が錆びであっさり使い物にならなくなるなど御免だ。資源の乏しい時代だからこそ物は一つ一つ大事にしたい。


 問題があるとすれば、数打ちの刀や槍にまで黒染めをしようと画策している点であろうか。鉄が大事なのは分かるが、せめて高級品のみを対象にして欲しいと言っている。この流れなら、当家の種子島銃の量産品にはパーカライジング処理やブルーイングが施されていてもおかしくはない。


 話が逸れた。


 要するに大洲には絹と木蝋というドル箱となるお宝が眠っている。例えそれが現段階では投資が必要であったとしても、何十倍、いや何百倍にもなって返ってくるのが確実だ。なら、当家で保護して育成するのは十分に意義がある。


 そういった背景だからこそ、火器をふんだんに使用してでも確実に物にする。南予西園寺家の残党駆除も終わり、土佐からの支援物資も到着した今、する事は軍を北に進めるのみ。目指すは南予宇都宮家本拠地の地蔵ヶ嶽城。立ち塞がる敵は全て踏み潰していく。


 勝ちに勝ちを続けている俺達の士気は最高潮だ。これなら負ける気がしない。さあ、抵抗できるなら好きなだけ抵抗をしろ。どんな罠があろうと全て噛み砕いてやる。


 そんな時、息せき切った伝令が俺の元へと駆け込んでくる。


「申し上げます。国虎様! 南予宇都宮家より使者が参りました! 当家よりの降伏勧告を受け入れるとの由です!」


 この拳を振り上げた状態で、俺達の戦いは幕を閉じた。

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