土佐統一
中村の町が燃えている。
京の町を模したとも言われるその姿が、まるで実際の京の町に追い付き追い越さんとしているかのようだ。
碁盤の目とも称されたその整然とした街並みが仇となったのか、それとも空気の乾燥するこの季節が仇となったのかは分からない。
どんな事情があったにせよ、燃え始めた家屋がお裾分けとばかりに隣近所に火の元を配って回り、広がっていく。木造建築の悲劇と言うべきか、こうなってしまえば被害に際限はない。
この結果を望んだ土佐一条家はまだ良いとして、巻き込まれた民達は今どんな思いだろうか? 火事というのは家屋が燃えるだけという単純なものとは違う。建物の倒壊は勿論の事、煙の被害や避難における混乱等々、二次災害を考えれば何事もなく無事でいられるというのは数少なくなる。
そこから考えるに、民達はきっと遠州細川家を酷く恨んでいるだろう。間違っても、素直に降伏を選択しなかった土佐一条家に怒りの矛先が向かうという都合良い展開はあり得ない。
こうしてまた一つ、俺は罪を重ねる。
一つ不思議な点があるとすれば、こうした結果が見えていながら、俺の命じた蛮行を家臣の誰もが否定しなかった事だ。むしろ積極的に関わろうとする。土佐一条家の妨害を難なくいなせたのもそのお陰と言えるだろう。盛大に反対されると思っていただけに拍子抜けであった。
とは言え俺も人の子である。無差別に人を殺して愉悦を覚える変態ではない。今回は政治的な判断で焼き討ちを選んだものの、きちんと抜け道も用意しておいた。救える命があるなら救いたいという、その気持ちに嘘はない。今回は下間 頼隆殿に骨を折ってもらったのがそれに当たる。
幡多郡は未だ本願寺系列の寺は建立されていないものの、それ未満となる道場は幾つか点在する。ならば一向門徒に避難を呼び掛けてもらえば、助かる命もあるのではないか? 民の全てが土佐一条家の既得権益にどっぷりと浸かっている訳ではない。身一つでやり直せる者なら積極的に受け入れる気でいた。
ただ、こんな真似をすれば、武家や下向した公家が避難する民に紛れる可能性もある。そうであれば、この大量虐殺に何の意味があるのかと問いたくもなるだろう。しかし、それは分かった上だ。俺にとってはそれで良いと思っている。
今回の焼き討ちは、あくまでもこの地から土佐一条家という存在を根絶やしとする儀式である。為政者が変わり、この地が新しくなる。要するに、これまでの立場や肩書が一切通用しなくなるというのをはっきりさせるために行った。ならば避難民に既得権益者が紛れていた所で、それを主張しなければ良いだけである。俺の立場から見れば元々の肩書がどうであろうと、身分を隠して大人しくするなら、それは一般の民と何ら変わらない。避難民でありながらも、自らの立場を弁えない者がいた場合は一人ずつ粛清すれば良いだけである。
二、三人見せしめを行えばきっと理解されるだろう。
……残念だったのは、こうした俺の考えを理解してくれなかったのか、この期に及んでも一向門徒の呼び掛けに応じてくれたのは一部のみであり、大きな成果は得られなかった。
遠州細川家は、いや細川 国虎は、平気で町を焼く大悪人である。そんな所に保護を求めれば、例え命が助かったとしても、その後に地獄の責め苦が待っている。そんな心情でなかろうか。
とは言えこちらの立場から見れば、折角の温情を無視されたと解釈する形となる。待っている結論は、死にたい者は勝手に死ねという諦めであった。
こうした経緯が皆の行動に影響を与えたのかもしれない。
「諸行無常ですな」
「下間殿、この度はご協力ありがとうございます。一向門徒の方々には世話になりました」
気が付けば、俺の隣には下間 頼隆殿が立っていた。避難民の誘導も終わり、一息ついたのだろう。今頃は我先にと炊き出しの粥を争って食べている。そうであって欲しいと思いながら、一言礼を述べた。
「いえいえ、なんの」
「……下間殿、この場で遠慮は無用です。今回の蛮行に怒っても良いですよ。正直な所、私自身がこの焼き討ちを悪鬼羅刹の所業だと思っております。このような真似をしなくとも、土佐一条の討伐や幡多郡の統治を上手く行う方法があったのではないかと。私が未熟なために、これ以外にこの地から土佐一条の呪縛を断ち切る方法が思い浮かびませんでした。不徳の致す所です」
「……相変わらず細川様は変わっておられますな。確かに拙僧を含めて門徒達は此度の行いに賛成はしておりませぬ。正直に言いますと、焼き討ち自体には怒りを覚えておりまする」
「そうなりますよね」
「ですが、細川様の一言が皆の心を揺さ振りました。『破壊と再生』でしたかな。より豊かな中村の地とするために一度破壊する。他の武家の方には言えぬ言葉ですな。それに賭けてみたくなりました」
「ありがとうございます。絶対に幡多郡は大きく生まれ変わらせます」
「その際は是非声を掛けてくだされ。宜しく頼みますぞ」
意外な言葉だと言える。
阿波国での一件以来下間殿とは良い関係が築けていたが、それもこれまでだろうという思いから本音を話して欲しいと話を振る。きっとこの所業を軽蔑しているだろうと。
所がこんなにもドライな考えであったのが驚きであった。一瞬この幡多郡での教団の利益拡大のためには、人死にさえ止むを得ないと考えているのかとも疑った。人を数でしか見ないのかとも。
しかし、それは俺の誤解だと気付く。俺との会話が途切れた後、下間殿は独り言のように「より多くの民を救おうとする細川様の考えは間違っていない」とボソリと呟いていた。
やはり下間殿も、俺と同じ景色が見えていたらしい。きっと、幡多郡にいる門徒からこの地の違和感を聞いているのだろう。
その違和感の治療方法を出したのが俺だけだった。それだけなのだと思う。
確かに中村の町は土佐の中では一番発展している場所である。そこでの生活水準が高いとしても、中村から一歩外へ出ればどうなるか? また土佐から一歩外へ出ればどうなるか? そこには多くの貧困者が溢れている。悲しいかな中村の地は、そうした者達を受け入れられるだけの余裕は無い。変な例えであるが、中村の町は土佐一条家のための作られた町であった。
翻って遠州細川家はどうだ。常に人が足りないと移住者を受け入れている。中村の町も再生して、これまで以上の発展をさせると豪語する。民を飢えさせないと固く誓う。
歴史的に見ても中村の地は、長宗我部治世、山内治世と衰退を繰り返していく。一條神社が作られたのも、かつての繁栄を懐かしんでのものだろう。そうした歴史を知らなくても、現時点さえ下間殿は不安定な統治に見えている。砂上の楼閣、そんな言葉が当て嵌まるのかもしれない。
一時の感情に流されないその姿は、さすが元教団幹部だと言わざるを得なかった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「あれだけ強気の態度を見せておいて最後がこれか。呆れるしかないな」
「国虎様、首を確認されなくて良いのですか?」
「いや、大丈夫だ。こちらは元々土佐一条家当主の首は求めていない。仮に偽物であっても問題無いからな。追放は決定事項だ。温情は無い。残った者達は荷物を纏めさせて土佐から追い出せ」
焼き討ちから三日後、土佐一条家は折れた。こちらの言い分を全て飲む無条件降伏を申し出てくる。
しかも、ご丁寧にも現土佐一条家当主である一条 房基の首と共にである。
既に土佐一条家のもう一つの外港である宿毛港はこちらが押さえている。海戦では能島村上家当主である村上 武吉を討ち漏らしたものの、そのまま追撃を敢行した結果であった。
半壊した船団を建て直しながらも必死で逃げる村上水軍他に、追い縋る海部水軍と新生村上水軍という構図。無理をすれば止めも刺せていただろう。
だがそれは逆撃の危険がある。相手は百戦錬磨だ。新生村上水軍という新規設立の部隊では荷が重過ぎる。ならば、もっと確実で重要な役割を果たしてもらう方が適切と言えよう。そういった考えの元、偽村上水軍に対する怒りを宿毛港攻略に向けさせた。哀れ宿毛港はアドレナリンを垂れ流した蛮族に蹂躙される。陥落には一日も必要としなかった。
また、中村の町の北には安芸 左京進率いる別働隊が陣取っている。そうなれば最早逃亡先は山中以外に残っていない。結果、こちらの言い分を全て受け入れる以外に助かる道が無いとようやく判断して、降伏を決断した。そんな所だろう。
ここまでならまだ話は分かる。決断は遅いものの、潔く負けを認めてこちらの指示に従うというなら、まだ可愛げもあったろう。
誰も当主の首を寄越せとは言っていない。にも関わらず、降伏の手土産として勝手に持ち込んでくる。降伏の決断が遅れたのは、当主並びに徹底抗戦派が意見を曲げなかったからだと全ての罪を押し付ける。深夜にそれら全員を討ち取ったと誇らしげに胸を張る。
当家の者は何も尋ねていないのにだ。
あまつさえ降伏してきた者達は、「土佐一条家当主のご家族の命と中村の民の命を救って欲しい」と懇願さえする。
これで腹を立てない方がどうかしている。自分達で当主を殺害しておいて、その家族を救えとはどういう了見だ。単なる押し付け以外の何者でもない。
結局は保身の一つなのだろうと思う。町を焼かれて勝ち筋が全て無くなった時点での降伏では、印象が悪過ぎるとでも判断したのだろう。それでは降伏後に理不尽な要求をされかねない。例え命が奪われなかったとしても、これまで築き上げた全てが無に帰してしまう。こうした考えが根底にあったのではないか。
だからこそ少しでもこちらの心証を良くする方法を考えた。大将の首は戦場では値千金である。ならそれを持ち込めば、情状酌量が得られるのではないか? 上手くすれば自らの持つ既得権益を手放さなくても良いかもしれない。このような背景ではないか。
その上で罪の範囲を限定する。自分達は悪くないと演出する。それが残された家族の保護であり、民を救って欲しいとの懇願だ。
相変わらずこちらの言い分を聞く耳は持たないらしい。
この懇願を聞いた瞬間、かなり本気で「コイツ等全員殺した方が幸せになれるんじゃないか」と考えてしまった。けれどもこの殺すという行為自体が結構な手間だと気付き、馬鹿馬鹿しくなる。最早殺す価値さえも無い。どこか知らない地で勝手に野垂れ死んでくれるのが、精神衛生上最も良いと言える。追放ざまあの精神だ。
当主の役割だからこそ俺はこの面会の場にいるが、気持ちとしてはすぐにでも立ち去りたい。これ以上コイツ等の相手をしたくないというのは勿論だが、それよりも消火作業と言う名の建物破壊の方が今は重要だからである。その陣頭指揮に駆け付けたいという思いだ。既に戦は終わったのだから、今度こそ救える命は一人でも救いたい。
しかし、こういう時ほど火に油を注ぐ行為に走る者がいる。
「ほ、細川様、お待ちくだされ!!」
「俺は忙しい。手短に言え」
「当主のご家族はどうされるおつもりですか? 遠州細川家で人質として保護頂けるのでしょうか?」
「追放だと言ったろう。保護した所で邪魔にしかならない。行き先は自分達で考えろ」
「ならばもう一点、総鎮守の山田八幡宮と初代
「知らん! 寺も神社もこちらの統治に協力するなら残すし、盾突くなら破壊する。それだけだ。文句があるなら今ここで解放するから、好きなだけ立て籠もれ。望み通り燃やしてやる」
「何と!! これでは何のために降伏したのか分からぬではないか!! 遠州細川家は血も涙も無いのか!」
「お前面倒臭いな。そんなに死にたいならいつでも掛かって来い。当主の家族諸共殺してやる」
「くっ……このままでは決して済まさぬぞ」
「勝手に吠えてろ! 皆悪いがここにいる全員を拘束してくれ。抵抗するなら殺しても構わない。後は頼むぞ」
『はっ!!』
そう言って俺が背を向けた後は当家の家臣達によるリンチが一斉に始まる。敢えて見ようとは思わないが、大きく響く怒号や悲鳴で何が起こっているかはすぐに判別できた。俺だけではなく、皆が土佐一条家の家臣の態度に怒り心頭になったのだろう。ある意味皆の心が一つになった瞬間とも言える。
天幕から出る直前、仲介役としてこの場に立ち会っていた下間殿と目が合う。俺が怒っているのを見てか声を掛けようともしないが、その代わりとして首を左右に振る仕草で判断を肯定してくれた。
どんな思いで降伏をしたのかは分からないし、分かろうとは思わない。
情状酌量を望むなら、一番最初にするのは中村の町の火消しに協力するのが本来だ。その後には救助作業や怪我の治療、炊き出し等々とやらなければならない事は幾らでもある。
なのに口を開けば自らの要求ばかり。中村の民を救って欲しいと言いながら、決して動こうとはしない。あまつさえ要求が通らなければ逆恨みをする。
どう考えても「民がどうなろうと知った事ではない」と言っているのと同じだ。これで配慮をしろというのが土台無理である。
更にもう一点。
寺社の今後に口出しするのは完全に筋違いである。今この時から幡多郡の統治は当家が行うのだ。何が悲しくて追放が決まっている土佐一条家に配慮しなければならないのか。もしその寺社が権威となって存続するなら、邪魔にしかならないというのが分からないのだろう。
改めて思う。中村の町を焼くという判断に間違いは無かったと。この地は一から作り直すのが最も適切だと。
「先の事は先の事だ。今は町の再建よりも、消火や災害救助を優先しないとな。それと……ハッタリ……か。嘘でも『俺達の方が良い生活をさせてやる』くらいは言うか。これで大人しくなってくれるなら安いものだしな」
天幕を出て町を見る。何となくではあるが、火の勢いが弱まっているように感じた。きっと兵達が頑張ってくれているのだろう。
ついに土佐統一を成し遂げたというのに一切その実感が無い。事態が事態だけにそれを喜べるのは当分先になる。
少なくとも今日は疲れ切って皆と共に雑魚寝するのが確定であった。
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