遠州細川家の一大事
「これは遠州細川家の一大事ですな」
「まさに。まさに」
「今の事態を放置しておれば、必ず不幸が訪れよう」
「確かに。我等一同が毅然とした態度で臨まねばなりませぬな」
ここ最近浦戸城内では、家臣達が挨拶代わりにこのような会話を交わしている。頬を緩めながら。
何故このようになったのか?
それはアヤメが俺の子供を出産した事に端を発する。
本来であれば、当主に子供が生まれるというのは慶事である。そう、本来なら。
ただ、アヤメは側室であった。つまり生まれた子供は庶子となる。それが男子であれば尚更だろう。お家騒動待ったなしの存在だ。
その上で生まれた子供が双子となれば状況は更に悪化する。構成は見事に男・男であった。
この時代、畜生腹と呼ばれて双子は忌み嫌われている。特に武家の子供は相続問題という現実的な面での支障が出かねない。そのため、多くが片方を殺したり、養子に出したり、寺に預けたりする。主に体の弱い方がその対象となるようだ。
俺も武家の端くれである。武家がプロスポーツ選手と同じくゲンを担ぐ性質だというのは理解している。ましてや相続問題が絡むとなれば、偏見を正すのは無理に等しい。融通が利くのは影響が小さい場合のみであろう。
そのため子供の問題は、俺の考えをごり押しせずに全てを家臣達の決定に委ねるつもりであった。ただ一点、「殺す」という選択肢を除いて。
この時代は人の命が軽い。そして俺は武家だ。これまで自身の利益や家のために多くの人の命を奪った。中には年端も行かない子供を殺めてしまったというのもあるだろう。戦は綺麗事で全てを語れない。意図せず非戦闘員にまで手を出してしまうのは、古今東西どこにでもある。
そんな俺がいざ自身の身に降りかかれば、子供可愛さに抵抗するというのはおかしな話に映るだろう。自己中心的な考えでしかないし、甘いというのも分かっている。
しかし、この時代の出産事情を知れば、子供が本当に掛け替えのない存在だと思うのは仕方がない。
昨年の話ではあるが、アヤメの妊娠の発覚からしばらくして身の回りに変化が訪れる。いや、正しくはアヤメの置かれる環境が大きく変化した。
結論から言えば、アヤメは産小屋という小さな建物で一人生活を始めるようになる。それも人里から離れた海岸に。侍女さえもいない。
建物自体は小さく粗末なものだ。窓も無く室内は薄暗い。
見た瞬間に監獄と同じじゃないかと思ったほどである。この産小屋を手配した者を八つ裂きにしてやろうかと真剣に考えた。
けれども、俺の考えは間違いだとアヤメが宥める。実はこの産小屋という考えは、ある意味妊婦に配慮されたものだという話であった。
この時代は、穢れの概念や血が不浄だという考えが根底にある。そうした考えから出産と穢れが繋がり、隔離するという側面があるのは否定はしないらしい。俺も含めて気にしない者もそれなりにいたとしても、まだまだ多数派には届かないようだ。
ただ、産小屋が隔離施設だとしても、誰にも気を遣わず日々気楽に過ごせる。人と関わるのが数日に一度、食料や必要な日用品を持ってきてくれるだけという生活は案外悪くないと言っていた。こうして一人で伸び伸びとしていられる時間というのは、普段の生活では存外無いのだとか。
言われてみればその通りだ。家電製品や設備の整った万全な生活はこの時代では送れない。何をするにしても人の手が必要となれば、常に誰かと一緒にいる生活が当たり前となる。多かれ少なかれストレスは溜まるものだ。特にアヤメは火傷の傷跡のせいか、人の視線に対して敏感である。これも一人の時間が欲しい理由の一つとなるだろう。
纏めると、この産小屋というのは不便ながらも日常から解放された空間でもあった。妊娠時期は母親の精神が不安定になる。ならばいっその事、下手な刺激を与えない方が良い。そんな考えに至るのもあながち間違いとは言えない。隔離という状態を逆手に取って利用しているのが産小屋の実情でもあった。
変な例え方であるが、現状のアヤメは別荘生活を満喫しているようなものである。
とは言え、「はいそうですか」と納得できる俺ではない。
あくまでも今の状況は、出産までが予定通りに進む場合に限ってである。妊娠・出産には予期せぬ出来事など幾らでも起こり得る。はっきり言って、この環境は母親が病気になった瞬間にどうにもならない。
そこから俺の行動は早かった。
人に気を遣わない気楽さが必要だというなら、産小屋自体は残そう。但し神社敷地内へ離れの建物として。
この産小屋は海岸だけではなく、村同士の領境や神社の近くに建てられる場合もあると言う。理由としては勿論、人との交わりを減らすためだ。物凄く眉唾物だが、名目上は病魔から遠ざけるというものらしい。
ならば無理に極端な環境に妊婦を置く必要は無いだろう。人々の生活圏から離れた場所であれば条件は満たされる。そこで目を付けたのが神社敷地内、それも専用の離れを建設させるというものであった。これなら病魔も近寄れないだろうし、万が一の際も人が簡単に駆け付けられる。
交渉をした土佐神社は最初かなり産小屋の建設を渋っていたが、補助金の追加を仄めかすと態度を豹変させる。懸案だった出産における穢れさえ、何とかすると言ってくれた時には笑うしかなかった。こうして土佐神社が産婦人科に近い役割を引き受けてくれる。
俺も金だけ出して終わりという訳にはいかない。時間があれば顔を見に行くし、差し入れも頻繁に行うようにした。清潔を保つための石鹸は言うに及ばず、栄養価の高いシコクビエを練り込んだクッキー、できるだけ生水を飲まないようにと炭や焙煎した大麦、他にも思い付く限りの物を持っていく。和葉には散々「余計な真似はしない方が良い」と釘を刺されたが、この時代の乳幼児の死亡率の高さを知っている身からすれば、母体の健康状態に気を遣うのは当然とも言えた。
やがてアヤメは審判の日となる出産を迎える。俺はその日以前より阿波国南部での山賊討伐に関わっていたため、立ち合いすらできなかったのはとても残念であった。後から話を聞く形となる。
一言で言えば、アヤメの出産は壮絶だった。通常の出産よりも多くの時間が掛かったという。全ては体力との戦い。母親が崩れ落ちた瞬間には赤子の命が亡くなってしまう可能性すらある。まさに死闘という表現が似合っていた。
幸いだったのは、一人目が取り出された後にすぐ二人目が出てきた点であろう。一人目と同じ苦しみがもう一度必要であったなら、アヤメ自身の体の問題に発展した可能性が高い。
いつ死人が出てもおかしくない状況が今回のアヤメの出産劇であった。
だからこそ俺は最低限、この二人の命だけは守ろうと考えている。
「それにしても俺の子供をどうするかがそんなに大事な話か? 男ではあるが、庶子の上に双子だぞ。寺に預ける形で勘弁してくれると嬉しいんだがな」
ついに年貢の納め時と言うべきか、評定という形で皆と話し合いをする場がやって来た。
そこには主要家臣は元より、母上や元盛お爺様、それに細川 益氏様までもが顔を並べている。本来であれば今の俺達は、土佐一条家に対する今後の方針をしっかりと確認しなければならない。窪川城の攻略以降、何度となく寝返りの打診や和睦の使者がやって来る。現状は全てを無視しているが、いい加減こちらの条件を明確にするべきであろう。
だと言うのに、皆は俺の子供をどうするかの方が大事らしい。これも安芸家時代から続く家臣達の結束力の強さの裏返しであろう。誰一人として無関心ではいられないようだ。
「そうは参りませぬ。国虎様のお子ですぞ。寺に預けてそれで終わりという訳にはいかないのが総意です。そうであろう?」
そう言って、纏め役の畑山 元明が振り返ると皆が一斉に首を縦に振る。現状は姫野々城に赴任中ではあるが、お家の一大事だとばかりに急遽駆け付けてくれた。
以後は畑山 元明が代表して俺と話をする形となる。
「なら、どうするんだ? 俺としては一応皆の意見に沿うつもりであるが、反対すべき点では反対するぞ」
「道理ですな。ただ、我等もお家のためにと思って話をさせて頂きます。その点はお忘れなきよう」
「分かった。前置きは良いから、まずは結論を教えてくれ」
「はっ。かしこまりました。此度の国虎様のお子は二人共が養子行きと決まりました」
「えっ……それで良いのか? ああ、言いたい意味が分かった。どちらも絶対に遠州細川家の跡継ぎにはさせないという意思表示か。出家したままだと還俗させられるからな。跡継ぎになる可能性が残る訳だ。そうすると、跡継ぎとして子供はもう一人作れとでも言いたいんだな」
「左様。我等は例え妾腹であろうと、拡大する遠州細川家のためには一刻も早く跡継ぎが必要かと考えておりましたが、此度においてそれだけは認められませぬ。なれば二人共を養子に出すのが、最もお家にとって良い形になると考えました」
「……双子だぞ」
「一度出家をしてもらいます。これは出来得る限り早い方が良いでしょう。物心付く前ですな。当然預ける寺は違う場所と致します。そして、還俗する時期をずらします。最低一年ずらせば、名目上は普通の御兄弟となるので体面は保てるかと思われます」
「なるほど。還俗時に年齢を改竄するのか。分かった。その案に乗る。俺自身は子供は庶子だから元々跡継ぎにはなれないと思っていたのだが、皆は違う考えだったんだな」
「我等も跡継ぎは和葉様のお子が最も相応しいと考えております。ですが当家は明日にも土佐を統一し、今後も外に打って出る身。領国が大きくなればなるほど、国虎様を亡くした時の損失が大きくなります。いち早く跡継ぎを決めねば、遠征も行えなくなってしまいますぞ」
「そのために安芸家や畑山家、それに山田家がいるんじゃないのか? 益氏様のお子もいるぞ」
「もう少し自覚をお持ちくだされ。今や遠州細川家は、国虎様がいなければ纏まらない所にまで来ておるのですぞ。国虎様が当主になられた際にどうだったのかもうお忘れですか?」
「……そうだったな。ありがとう」
「ですので此度は、二人のお子は跡継ぎとして相応しくないと判断致しました。今一度皆が納得できる跡継ぎをお作り下され」
つまり、切迫した状況から正妻・側室の拘りなく跡継ぎとなる男子を欲していたが、今回は縁起の悪い双子が生まれたために家臣達から跡継ぎ候補とすら認められなかったという話であった。俺と家臣達に認識の齟齬があったとは言え、文字通り命拾いした形となる。
「それで養子か。次世代の遠州細川家の体制作りも兼ねる形になるのか。よく考えたな。それで、子供はどこの家に養子に入るんだ?」
「問題はそこですな。お一人目は安芸家として……」
「いや、ちょっと待て。左京進は昨年跡継ぎが生まれたばかりだろう。お相手の家に対して失礼じゃないのか? それに子供も可哀想だろ」
現在は安芸家当主となっている安芸 左京進は、俺の知らない間に雑賀衆の有力者である岡家の娘と婚姻していた。今や雑賀衆は遠州細川家の盟友になりつつあるため、ここでもう一歩踏み込むのはとても良い判断と言えるだろう。
ただ、だからこそ岡家に対して失礼の無いよう、その子供に安芸家を継がせるのが筋だと思うのは間違っているのだろうか。
「これは安芸家にも家臣団の再整備が必要との判断からです。今後外に打って出るに当たって、現状の安芸家家臣団では脆弱過ぎます。一門を作らねばなりませぬ。安芸殿の子は有力な家を取り込む養子に使います。これはお相手である岡家にも了承を頂いておりますのでご安心くだされ」
「そうか。安芸家は俺が遠州細川家の養子になる事で多くの家臣が抜けた上に、先の津野家との戦いでも結構な死者を出したからな。再整備が必要なのも頷ける。岡家も了承しているなら反対はできないな。そういう事情なら降伏した仁井田五人衆を与力に回すよう手配しておく。まだ当分先の話とは言え、子供を頼むぞ」
「それで国虎様、実はもう一人のお子の養子先がまだ決まっておりませぬ」
「ん? 畑山家で良いんじゃないか? 何やら元明は息子の元氏に産まれる子供を養子にと狙っているようだが、元氏は山田家との結び付きを重視した方が良いと思うぞ。俺も元明が子供の養父になるなら、それが一番安心する。確か、元氏以外の男子はいなかったよな」
「はっ、現在の畑山家は跡継ぎ不在のため、誠に光栄なお話です。ですが我等としては、お子を総州畠山家の養子とするのも候補に入れておりますし、後は活躍目まぐるしい本山家もどうかという声も上がっております」
「総州畠山家はそっとしておいてやれ。あそこは名目上当家の家臣だが、当人たちの意識は同盟者に近いからな。下手に介入すれば反発される。本山家は梅慶の孫が確かいるよな。その孫に継がせるのが筋だと思うぞ」
「後は、岡林家も良いのではという声も上がっているのですが……」
「親信か。岡林家は土橋家との関係がある。手は出さない方が良い」
「その土橋家からの介入を避けるために養子を入れてはどうかという声です」
「気にするな。親信もそれを考慮して、重臣ではあるが政には参加していない。岡林家自体が派閥の領袖になれる可能性はほぼ無い。土橋家が介入して得られる利益が無いぞ」
「国虎殿、少し良いですか?」
「母上、何でしょう」
もう一人の子供をどこへ養子入りさせるかと話している最中、気になった点があるのか母上が割って入ってくる。もしかしたら養子先に母上なりの希望があるのだろうか?
「国虎殿はやはり安芸の血筋ですね。一族を大事に考える。その姿勢は母も嬉しく思います。ですが、まずは家臣達の目を見るように。多くが国虎殿の子を養子に迎えたいとしているのが分かりませんか?」
「母上、お言葉ですが、今回はそもそもが双子は不吉だから、何とかしなければならないという話ではないのですか? それには一族内で対処するのが最も適切でしょう。家臣達を巻き込むのは筋が違うと思うのですが」
そう俺が言った瞬間、家臣達が一斉に項垂れる。
城内で散々一大事だ何だと言っていたのだから、気を遣って余計な者を巻き込まないようにしようとする俺の考えが理解できなかったのだろうか? 例え離れて暮らそうとも、何かの拍子で兄弟が鉢合わせする事はある。そうなった時は素直に兄弟だと教えた方が良い。下手に隠し事をすると余計な疑念を生むからだ。ならば、兄弟二人が親戚の家に養子として迎え入れられた。この形とするのが一番自然である。
「それに家臣団が大きくなってきたので、序列をはっきりさせないといけないという話もあった筈です」
「安芸家への養子入りがその話ですよ。左京進殿は母の弟ですから、元々は与松家というのを忘れたのですか? 安芸の名は国虎殿のお父上から頂いた形になるのです」
「なるほど。序列の確立が必要なのも、外戚だからという理由ですか。確かに元は一族でもない外戚が力を持つのは嫌がる者もいそうです。つまり、安芸の名の正統性の担保に養子の受け入れが必要だったと。よく分かりました」
この時代、主君から家臣への褒美は有形無形を含めて様々な物がある。例えば俺の「国」の字も偏諱と呼ばれる形で細川 高國様から頂いたものだ。こうした文字の譲り渡しがあるのなら、姓の譲り渡しがあっても何ら不思議ではないだろう。
事実戦国武将には、家臣に自らの姓を与えて関係強化した例が数多くある。八丈島に島流しにされた
似た事例では、
そういった意味で安芸 左京進は、俺の子供を息子として迎える事で初めて安芸家の当主代行として名実ともに認められるという話であった。何の事はない、本人が繋ぎ当主に拘って養子の手続きを行っていなかったという事実が判明しただけである。左京進としては、安芸家は俺の子供が継がなければならないと固く誓っていたのだとか。本当、よく分からない。
自身の息子は他家へ養子に出すというのも、この辺りが関係しているのだろう。
「それで国虎殿、ここまで聞いても考えは変わりませんか?」
「はい。私にとって安芸家と畑山家が大事なのに変わりはありません。今回の選択に間違いはないと思っております」
「そこまでの考えがあるなら、母は国虎殿の決断を支持します。元明殿もそれで良いですね」
「はっ。この畑山 元明、国虎様のお子を必ずや一角の将へとお育てします」
勝者と敗者、明暗のはっきり分かれた養子争奪戦が、こうして幕を閉じる。明らかに優先順位を間違っているとしか言いようがないが、これも当家の特徴であろう。ともあれ、これで今後は土佐一条家に集中できる。
ただ一つ問題があるとすれば、本来の議題でもある対土佐一条家への対策の話し合いが本日はお流れとなってしまった点だ。多くの家臣達がやる気を失い、一人また一人と部屋から出て行く。
「母上、今の状態の方が一大事だと思うのですが」
「国虎殿、土佐一条家も今日くらいは大目に見てくれますから、安心なさい」
「そんな訳ないでしょう」
あっけらかんと返す母上に若干呆れながらも、俺はこう思う。遠州細川家は本日も日本晴れだと。
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