未来への賭け
三好 長慶がついに三好 政長との戦いに勝利した。
この戦い自体、政治的な視点で見ればとても意義のあるものだというのは分かるが、報告書を見る限りはとてもそうは見えないという奇妙な戦でもあった。
氏綱派と晴元派の両陣営が万を超える大軍を動員しながらも、一度も正面から激突せずに終わったからである。
まだ晴元派の動きは分かる。頼みとする近江六角家一〇〇〇〇の援軍の動きが遅く、積極的な攻勢に出られなかったというものだ。近江六角家から先遣隊として派遣された
結果、状況を少しでも晴元派に優勢にしようと三好 政長や細川 晴元の片腕とも言える
対する氏綱派陣営も河内一七箇所からほぼ動かない。榎並城包囲という名分はあったものの、動いたのは三好 長慶の軍だけであった。何度か榎並城へは攻めを行ったようだが、思うような戦果が出ず……というよりは三好 政長を釣り出すための演技にしか見えない。
確かに大軍同士で戦えば被害は大きくなる。犠牲を減らすには無謀な行動をとるべきではない。それも分かる。
だが一般的に考えれば、近江六角家の軍が到着する前に大勢を決するのが氏綱派の本来の動きではないのか? 簡単に落城しない城なら、備えの兵のみを残して他の城を攻略するのが筋である。氏綱派として結集したなら細川 晴元と争う。三好 長慶の私闘は、細川 晴元を撃退した後にでもすれば良い。
氏綱派に転向した三好 長慶を再度寝返りさせない配慮が必要だというのは分かるが、俺なら馬鹿馬鹿しくてやってられない。
その気持ちは義父の細川 国慶殿や当家の総大将である本山 梅慶も同じだったと思われる。河内一七箇所に到着して数日後には、総州畠山家の領地である
なお三好宗家から勝手な行動をする遠州細川軍に苦情が出されたが、当然ながら無視である。事前に依頼していた足利 義維の出馬も無かったのだから、咎められる謂れはない。
そんなこんなで最終的には三好 政長はまんまと
例え三好 政長を失ったと言えど、近江六角軍が到着した今こそいざ決戦となるのが本来だろう。いわゆる弔い合戦である。しかし、そうはならなかった。最も頼りとしている側近を失った悲しみからか細川 晴元は撤退を選択する。そうなれば援軍の近江六角家も戦う理由は無い。細川 晴元の動きに呼応するかのように本拠地近江国へ退却したという。
その時、報告書を読んで俺は思った。京を死守するつもりはないのかと。
軍事的には京は守りに適していない場所ではあるとは言え、政治的には簡単に空にして良い場所ではない。大きな軍事力を持たない細川 晴元に現実的に京を守る力は残ってないにしろ、管領代である六角 定頼は何故京に留まろうともしないのか?
これまでに公方の京不在という前例があったからか、無理をする必要はないと判断したのだろう。
かくして江口の戦いは終了した。
三好 政長が討ち死にしたという事実は政治的に与える影響は大きい。それは十分に分かっている。
京を氏綱派が占拠する意義は大きい。当然分かっている。
きっと世間的には三好 長慶もしくは三好宗家の巧みな用兵により鮮やかな勝ちを演出した戦いと評される。それも分かっている。
しかし、目の前にいた細川 晴元を取り逃がしたため、京では今後ゲリラ活動が活発化するのは確定だ。三好 長慶を除く氏綱派陣営が得たものは、徒労だけであったのは間違いない。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
天文一八年 (一五四九年)七月、半年以上の赴任期間を経てようやく畿内遠征組が戻ってきた。
それは良いのだが、
「どうするんだよこれ。確かに連れてくるように言ったのは俺だけどさ。思っていたのと違うぞ」
目の前にいるのは三〇人を超える集団。捕縛もされておらず、薄汚れた姿もしておらず、腹を減らしているような雰囲気さえも感じさせない。ある種物見遊山のような面々が俺の前で平伏している。にこやかな顔で行儀良く座る今村 慶満殿が隣に控える形で。
とても戦に負けた末の捕虜達には見えなかった。
「驚くのも無理はありません。我等の説得に応じて、総州畠山家のご当主を含む方々が遠州細川家の庇護に入る事を望まれました。これは、その結果となります。偏に国虎殿の名声の賜物かと」
「今村殿、その『説得』という言葉が非常に恐ろしいですが、どんな内容か聞いて良いでしょうか?」
「それに付いては儂より話そう。おっと自己紹介がまだであったな。総州畠山先代当主の
「……今一度聞きますが、当家には何らかの交渉に参ったのではないのですか? とても庇護を求めているようには見えないのですが……」
「我等にも矜持がある、そう思って欲しい。どんなに没落しようとも畠山の正統である以上は媚びた態度はできぬ故な。そのため此度は表面上、遠州細川家とは対等な協力者としての体になっておる。ただ、これは我等の中でというだけなので、細川殿は普段通りに楽にしてもらいたい」
「なら、お言葉に甘えてそうさせてもらう。それで、今村殿とはどんな話し合いをしたんだ?」
そこから話されたのは、江口の戦いの裏で起こっていた出来事となる。
元々総州畠山家はこの江口の戦いでは細川 晴元と行動を共にしたらしい。今度こそ尾州畠山家を打倒し、奪われた河内国の所領を取り戻そうと意気込んていたという。
しかし、待てど暮らせど細川 晴元は動こうとしない。正しくは京から兵を率いて丹波国経由で
それに焦れたのかついに三好 政長が動く。細川 晴元は近江六角家の援軍が到着するまで待つように言ったが、その言葉には従わなかった。
後は江口城に入った三好 政長が標的にされ一斉に攻められる形となるのは報告書通りである。ただ、ここで一つの波乱があったらしい。
それまで榎並城を包囲していた軍勢が標的を江口城へと変更するというのは、ある種氏綱派の軍勢は榎並城と三宅城の軍と挟まれた形となる。つまり、氏綱派が江口城に攻撃を行っている最中に三宅城や榎並城から打って出て後方を攪乱する事も可能だ。そうなれば、氏綱派は江口城への攻撃に集中はできない。まさにそれこそが時間稼ぎになるというもの。
しかもこの攪乱は晴元派の都合で行える。夜襲で成功すれば効果は倍増となるだろう。
そのような提案を畠山 在氏は細川 晴元に行ったという。
結果は却下であった。軍全体で動けないならせめて総州畠山家単独で行いたいとも食い下がるが、それでも何も変わらない。
この瞬間に畠山 在氏は負けを悟ったという。
その後、自領である宇智郡が壊滅状態にされたと急報が入ったため、夜陰に紛れてこっそりと戦場から離脱する。
今回の戦いでの氏綱派の勝利によって尾州畠山家の力は益々強大となるのが確定だ。これでどのようにして悲願である打倒をすれば良いのか? 今回の戦は刺し違えても良いと事前に息子に家督を譲るまでの覚悟を見せたが、結果は戦う事すら許されず自領が壊滅させられる始末。
もういっそ、この悲願は息子とは違う誰かに託した方が良いかもしれない。
そんな時、畠山 在氏の前に現れたのが義父上及び今村 慶満殿であったという。二人は開口一番にこう言った。「遠州細川家に任せれば悲願は達成される。全てを委ねろ」と。
総州畠山家の軍が武装解除するまで、そう時間は掛からなかったらしい。
以降、面々は客将待遇で元の領地に戻る形となった。
さすがは義父上。他人の物は俺の物を地で行く。
「やられた……。方法は任せるとは言ったが、ここまでするとはな。無責任にも程がある。いや、悪い。こちらの話だ」
横目で今村殿の顔を見るが、俺の困惑を他所ににこやかな顔を続けたままである。何となくだが、本気で当家なら何とかできると考えていそうな表情だ。過大評価も良い所だろうに。
これは正直に話して誤解を解く必要がある。
「畠山殿、確かに当家の畠山 晴満に総州畠山当主の座を譲ってくれるなら、一行の保護はする。生活の面倒も見よう。本人に確認を取る必要はあるが、養子にするに当たって総州畠山一族の娘と婚姻する必要があるというのも多分大丈夫だ。ただなあ……尾州畠山の打倒までは無理だぞ」
ただ、当の先代当主は俺の解釈とはまた違った解釈でここに来たと打ち明ける。
「それは未来永劫であろうか? 知っての通り今の我等には未来自体が無い。であるなら、尾州畠山を打ち倒すなど夢のまた夢だ。しかし、遠州細川にはその未来がある。それなのに尾州畠山を上回る力を今後も持てぬというのは、おかしな話だとは思わぬか? 土佐統一後は畿内進出ともっぱらの噂の遠州細川家が、これで終わる筈がなかろう」
「あー、なるほど。遠州細川家の未来の可能性を見て悲願を託すという訳か。すぐ打倒しろという話ではないんだな。理解した。一応断っておくが、現時点では尾州畠山家は同じ氏綱派陣営だから敵対する気は無い。それは了承してくれよ」
「分かっておる。どの道、三好宗家と尾州畠山家の蜜月など長く続かぬだろうて。対細川 晴元同盟のようなものであろう。細川 晴元が失脚してしまえば、次は内輪で揉めて分裂するのが見えておる」
「氏綱派もいずれ空中分解すると見ているのか。手厳しいな。ただ、そうなっても当家は尾州畠山家打倒を三好宗家と協力して行う気は無いぞ。……ああ、そうか。そうなった時は中立を保てば良いのか」
「そうなるな」
「とは言え、氏綱派が分裂しても両家が潰し合うとは限らないと思うが、その辺はどう考えているんだ?」
「それが先程細川殿が言っていた未来の可能性になる。我等からすれば両家は潰し合ってくれても、争わなくとも良い。より大事なのは畿内の抗争に関わるのではなく、その労を力の増大に使う事だ」
「つまり、畿内以外の国盗りをしろと?」
「まさに。畿内では三好宗家の台頭もあって最早領地は増やせられまい。ならば新天地を望むのが筋であろう。遠州細川家の力を借りればそれも叶うと今村殿も話してくれた」
「言いたい事が見えてきた。それは、新たに切り取った領土を総州畠山に分け与えて欲しいという意味だな。畠山 晴満の総州畠山家当主就任はそのための布石か」
「いかにも」
「そんな簡単に領土を増やせるなら苦労はしないと思うが、当家ならそれができると言いたい訳か……。分かった。空手形で良いなら、幾らでも切ってやる。畠山 晴満は当家の幹部だ。どの道遠州細川家が大きくなるなら、領土は渡すだろうしな。但し、領土を分け与えるのは順番があるのは忘れるなよ」
「それで構わぬ。以後遠州細川の発展に力を貸そう。新当主も皆で盛り立てていくので安心して欲しい」
「こちらこそ宜しく頼む」
結局の所、畠山 在氏の言い分は「総州畠山の当主の座を俺の家臣に明け渡す代わりに、尾州畠山家に対抗できる領土が欲しい」、そんな所だろう。
それも出世払いで良いというのがまた凄い。尾州畠山家の打倒のためには全てを投げ捨てられる。とても潔い態度ではあるが、ここまで来れば執念だ。付き合わされる畠山 晴満を少し可哀想に思うが、当の本人も尾州畠山家には因縁がある。案外馬が合うのではないかと思ったりもする。
急ぐつもりはないにしろ、村上水軍の件もあって領土拡大は行うつもりだ。俺の構想と同じく畿内以外に目を向けているのがまた良い。最初は無理難題を吹っ掛けられたような気持ちだったが、そうではないと知り安心した。総州畠山家の面々とは良い協力関係が築けそうな気がする。
「おっと忘れる所だった。畠山 在氏殿、当家の発展に協力してくれるなら早速お願いしたい案件が幾つかあるのだが……」
総州畠山家は舎利寺の戦いで活躍した勢力である。きっと当家への協力は戦働きでと考えているだろう。
ただそれは遠州細川家では重要視をしない。土佐は脳筋帝国というのもあり、戦働きをしたい者はごろごろ転がっている。近頃は兵士希望が多くて困る程だ。特に俺のお膝元とも言える安芸郡は全域で多い。通常は生活が安定すれば戦に行くのを嫌うというのに、真逆である。
そんな事情であるため、今後の飛躍には更なる金儲けが必要だ。総州畠山家にはこの面で早速協力してもらおう。
とは言え、彼らに「直接金を稼いでこい」と言うつもりはない。持っている人脈を大いに活用したい。尾州畠山家の事情で急遽当主に据えられた畠山 晴満とは違い、様々な交流を持っているだろう。
例えば、畠山家と言えば
なら、職人派遣を依頼しない手はない。須崎港を接収した際に確保した塗師の更なる技量を高め、より価値の高い商品を生み出す糧としたい。
そして意外な事に、土佐は上布の原料となる
明らかに図々しい依頼のために失敗は覚悟の上である。それでも少しでも成功率を上がればと、山ブドウの珍陀酒を土産にして気を引くつもりだ。
驚いたのは、畠山 在氏には伊賀国仁木氏への伝手も持っていた点である。同じ晴元派陣営としての交流が何度かあったのだとか。言われてみれば大和国の隣は伊賀国だ。そうした距離の近さも背景にあると思われる。
伊賀仁木氏にはまず伊賀焼の粘土を依頼する。伊賀焼に使われる素材は
伊賀国は土地が痩せ枯れていて、作物が育ち難いというのがまた良い。きっと今後は良き交易相手になってくれると期待している。
「相変わらず国虎殿は抜け目ありませんな。総州畠山家をいきなり商いに利用すると思いませんでしたぞ。で、当然この話に細川玄蕃頭家も一枚噛まして頂けますよね?」
「あっ、そう言えば細川玄蕃頭家の領地は今は宇智郡ですね。是非雑賀までの陸運をお願いします。上手く伝手を広げて互いに稼ぎましょう」
「……細川殿、遠州細川家は武が盛んだと聞いておったのだが、今の話を聞いておると儂の決断が間違っていたようにしか思えぬぞ」
「その内慣れるから、安心しろ」
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