不信の種
天文一七年 (一五四八年)三月、ここで本当の意味での舎利寺の戦いが終わる。管領代六角 定頼の仲介により晴元派と氏綱派との和議が結ばれた。
その証として三好 長慶と遊佐 長教殿の娘との政略結婚が決まる。両派の実質的な中核を縁戚関係とし、抗争を終わらせようとする目論見だ。細川 晴元と細川 氏綱殿は相容れないとしても、両陣営の最大戦力とも言える二人がぶつかり合わなければ戦禍は広がらないという意図が見える。
ただ、今回の和議の核心はここからとなる。
遊佐 長教殿は以後細川 氏綱殿を擁立しないと約束させられた。地味な一手ではあるが妙手と言えよう。
その約束に何の意味があるのか? 細川 氏綱殿への協力者なら畿内にはまだ多くいるのだから、遊佐殿が後ろ盾になれなくても不都合は無いと思うかもしれない。
──しかし、それでは味方が集まらないのだ。
まだ尾州畠山の前当主である畠山 稙長が存命なら話は違ってくるだろう。しかし、現当主の畠山 政国には求心力が無い。かと言って代わりとなる有力者もいない。先の戦でも証明されたが、力が無ければ例え公方が氏綱派に付こうと味方は増えない。後ろ盾となる人物には相応の実力が求められるという残酷な真実を見せられた気がした。
なら、約束など無視してしまえば良いという考えもあるが、それをすると今度は面目を潰された六角 定頼が怒り狂ってしまい、遊佐殿ひいては主家の尾州畠山家自体が没落の憂き目に合う。そんな危険は冒せない。
これにて氏綱派の再蜂起の芽は摘まれた。
一方、三好 長慶はこの政略結婚を受けるに当たって、正妻である
要するに、下手な動きをすれば波多野家と六角家ですり潰すぞという政治的な圧力である。さすがは管領代の仕置きと言えよう。
こうして畿内は禍根を残しつつも一応の静まりを見せる形となるが、それを喜んでばかりはいられない。結果として騒がしい来客が俺の元へとやって来たからだ。
「
「仁木 高将です。お久しぶりです。後、こちらが……」
「篠原 長房と申します。細川様の慈悲によって何とか命を繋ぐ事が叶いました。その節は感謝しております」
「それは何よりです。無事回復されたようでこちらも安心しました」
左から順に三好宗家の重鎮で且つ後の三好三人衆の筆頭、先日の畿内での戦いで俺達との交渉役を担当した名門一族、最後は三好宗家と阿波細川家を繋ぐ重要人物と全員が一筋縄ではいかない者ばかりである。
中でも面白いのが右の篠原殿の存在だ。実は三好家の家臣では無いという。阿波細川家の家臣でありながら三好家との取次ぎをする立場なのだとか。そういった意味では本来なら阿波細川家では相当な実力者となる筈だが、現状アイドル姫若子に皆が夢中になっているためか最近は影が薄くなっている。
それはさて置き、いきなりの阿波国南部の返還要求である。いずれは使者がやって来るのを覚悟していたが、さすがにこれは無い。勿論、金銭を対価にという素振りも見せない。こちらに何の益もない話だ。
交渉を行なう上で初手は無理な要求を出すのが定石とは言え、これでは初めから交渉をする気が無いようにも感じさせる。特に三好 長逸の態度はとても分かり易い。何となくではあるが、先の戦いを恨みに思っているかのようにも見受けられた。
「……そうですね。本日のお話がこれだけなら、何も話す必要は無いでしょう。話し合いは戦場で行うのが我等には似合うと思われます」
ならばと、こちらも交渉は必要無いとばかりに早々に打ち切る態度を見せる。
「なんと! 本来なら我等との戦を避けるべくそちらから三好宗家に足を運ぶのが筋であろうに、帰れと言うのか? しかも『話し合いは戦場で行う』だと。畿内で名を馳せた三好の強さを見くびるな! この田舎者風情が!!」
「三好殿が理解されてないようですので、簡単にお伝えしておきましょう。仮にこの地で戦が行なわれても当家は何も困りません。
勿論これはハッタリだ。しかし、十分に根拠のある話なのは間違いない。備前国には宇喜多殿と浦上 宗景殿がいる。紀伊国には雑賀衆と根来寺の傭兵がいる。河内国には 細川 氏綱殿や遊佐 長教殿がいるが……こちらは当てにならないか。
皆三好兵と直接戦えと言われれば尻込みするにしても、後背から乱取り (略奪)し放題だと言えば嬉々とするのが目に見える。俺達はその支援として敵を阿波国に釘付けにすれば良い。そして、適度に戦った後は全兵糧を焼いて土佐へと逃れる。
そうなると補給線の伸び切る三好軍に戦を続ける力は残らないし、不良債権を得ただけの徒労感しか残らない形となる。
真面目に戦わず焦土作戦を行なうと決めてしまえば、今の俺達には三好家も阿波細川家も恐れる必要のない相手であった。
「此度の侵攻といい、細川殿は留守を狙うしかできないのか? 武家としての誇りは無いのであろうな」
「武家の誇りと言うなら、三好殿はまず足利 義維様を公方に就任させてからかと。既に武士の誇りを捨てているのはどちらでしょうか」
三好 長慶の父親である三好 元長は足利 義維を公方に就任させようと最後まで戦った。そして、実は目の前にいる三好 長逸も一度は足利 義維を擁立して細川 晴元を相手に戦っている。それも当主が三好 長慶になってからの話だ。細川 高国様の弟である細川 晴国殿の軍に合流した過去がある。
だが、三好 長逸は戦いの途中で足利 義晴を公方として認め、更には細川 晴国殿を裏切る。以後細川 晴国殿は仲間であった本願寺にも見限られ、孤立無援となった。最後まで残ったのが本願寺の中嶋門徒と下間 頼隆殿の兄二人である。
俺を非難するにしても、まずは自らの過去を顧みてからして欲しいものだ。
「貴様! 儂を侮辱するつもりか!!」
「ですので、これ以上の話し合いは戦場で行うのが良いかと。戦場ならどちらが正しいかはっきりするかと思われます」
「三好殿、お控えくだされ!! これでは何のために我等がこの場に来たのか分からぬではないですか! ……失礼した。細川殿、話を続けさせて頂いて良いでしょうか?」
「今度は篠原殿ですか? 当家にも利のある話なら幾らでも聞きますよ」
「……」
何となく分かる。役割分担をしているのだという事が。三好 長逸が恫喝にも似た強い態度に出て、篠原 長房がそれを宥めて妥協案を引き出そうとしているのだと。ただ残念ながら、今の俺は二人と仲良くしようとは考えていない上、何も譲る気はない。
「それでは細川殿が阿波細川家に何を望むのかお聞かせ願いませんでしょうか? やはり商いに絡む話が良いのでは」
「仁木殿、それが特に無いんですよ。現状維持が一番望ましいですね。現時点では。あっ、そうです。境界線となる園瀬川付近の城に兵を集めておいてください。そうしなければこちらの兵がいつ攻め込むか分かりませんので」
「細川殿、それは……」
だからこそ俺を睨んでくる三好 長逸をもっと喜ばせようとする。向こうは堺との取引再開をカードとして使うつもりだろうが、それを完全に無視した。こんな所で敵を喜ばせる弱みを見せられる訳がない。
その結果、話の流れを変えようと攻められたくなければ兵を集めておけと挑発を行なう。これは堪ったものではない。
舎利寺の戦いは前哨戦も含めれば一年以上に渡った長い戦いだ。これで何事もなく次の戦いにすぐに兵が出られるというのはあり得ない。動員可能なのは全兵力の何分の一かになる。この程度は子供でも分かる。
こうした泣き所を抱えている三好宗家と阿波細川家だからこそ、こちらが何を考えているか知るために俺の元までやって来た。遠州細川家は阿波南の沿岸部だけではなく、今は山間部に兵を派遣している。これが終われば次は北部にまで攻め入るのか? そうであるなら本拠地である勝瑞城の攻略まで視野に入れているのか? 気になって仕方ないだろう。
だと言うのに初手が悪手だったのは頂けない。
この場に揃った三人の表情を見ていると、どうも遠州細川家は舐められているようだ。万全の体制なら勝てるとでも言いたげである。悪いがその目論見通りに進む筈が無い。俺達は俺達でその間に迎撃体制を整える上、最終手段は先の焦土作戦がある。
それ以前に今回の晴元派と氏綱派の和議の意味を考えれば、近い内に新たな騒動が起こるのは分かりそうなものなのだが……そういう事か。
きっと彼らはこれから細川 晴元政権内で粛清が始まるとは考えてもいないのだろう。
晴元政権の最大の弱点は基盤の弱さである。そのため裏切りや反抗が止まず、戦が続いていた。とは言え、外敵がいる内は一致団結できるというものだ。
だが逆に言えば、外敵がいなくなると今度は粛清の嵐が吹き荒れる。潜在的な外敵は遠州細川家だけではなく、まだ余力を残している遊佐殿や上洛に動いた出雲尼子家もいるが、当面の脅威でないならそれらは外敵とは見做されない。何故なら、多くの人は脅威が顕在化して初めて脅威と見做すからだ。
これは良い機会かもしれないな。一つ仕掛けてみようか。
「あっ! 仁木殿、一つ望みがあったのを思い出しました」
「…………伺いましょう」
「そう構えなくても良いでしょう。これは三好宗家に益のある話です。氏綱派に鞍替えしてください。そうすれば両家と停戦をして、期間中は更なる阿波国侵攻をしないと約束致します」
「なっ、何を言ってるんですか?」
「今回の両派の和解で、三好宗家は京兆家内で重用されないのが決定付けられました。以後は丹波波多野家がより重要視されるようになるでしょう。遊佐殿が氏綱派の後ろ盾となれないのであれば、仮に今後氏綱派が兵を挙げた所で小粒ばかりになるからです。三好宗家の力が無くても良いのが分かると思われます。以後、三好宗家は緩やかに手足をもぎ取られていく形になるかと。三好宗家が没落したいというのなら止めはしませんが、そうでないならこの機会に氏綱派に転向する以外に方法はありません」
「貴様、我等を愚弄しておるのか!!」
「愚弄? とんでもない。没落一直線の三好宗家の行く末を心配しているだけです。三好殿はこちらの意図をきちんと理解してもらいたいものです。木沢 長政殿が失脚する前に何があったか覚えてないのですか? 三好 元長殿は……まあ自業自得だと思いますが、それでも失脚する前には大きな外敵があった筈です」
『……』
「翻って現三好宗家の当主は細川京兆家に反旗を翻した過去があります。それも二度ほど。忘れたとは言わせませんよ。さて、氏綱派がもはや脅威で無くなった今、次に起こるのは何だと思いますか? そうそう。そう言えば、三好 範長殿は丹波国の実力者である波多野家と縁が切れたようですね。今後細川京兆家内で揉め事があった際、誰が三好宗家のお味方となってくれるでしょうか?」
「そ、それは……」
「ただですね。細川 晴元殿の側近である三好 政長殿はとても優秀です。長年譜代として仕えた三好宗家を蔑ろにする事はないと思われます」
「当然であろう」
「だから直接狙うような馬鹿な真似はしません。外堀を埋める所から始めます。そうすると、『なんという事でしょう。巧みの技により周り全てが三好宗家の敵となってしまいました』という結果が訪れます。後は三好 政長殿が直接手を下さなくても良いかと」
「ぶ、無礼な!!」
「信じたくなければそれで構いません。どうぞ私の今言った言葉が正しいかどうかは、領国に戻ってお確かめください。大丈夫ですよ。きっと何も起こりませんから。梅慶、皆様がお帰りだ! 送って差し上げろ!」
「……はっ」
勿論これも真っ赤な嘘だ。ただ、戦略的には勝利を収めた筈の舎利寺の戦いで、最大の功労者である三好宗家の扱いに不審な点があるのは間違いは無い。これをどう見るかによって、今後の身の振り方が変わるといっても過言はないだろう。
だからこそこの場で細川 晴元に対しての不信の種を撒く。史実ではもうすぐ三好 長慶が氏綱派に転向すると知っているが、その後押しをした形だ。俺達ができる事はたかが知れているが、それでも細川 晴元を追い詰める一手を打ちたかったというのがこの発言の意図である。
俺の言葉に耳を傾けながらも少しずつ顔色が悪くなる三好 長逸を見ていると、あながち間違った内容ではなかったのだと、そう感じた。
「……国虎様、今の話は本当ですか?」
三人が部屋から出て行った後、右筆の谷 忠澄から俺の真意を聞こうとする言葉が出る。やはり俄かには信じられなかったのだろう。普通なら戦の功労者が次の粛清対象になるとはまず考えられない。
「細川 晴元にとっては、勝手な振る舞いをする譜代家臣よりも素直に言う事を聞く新参家臣の方が大事なんだよ。今の発言はその拡大解釈だと思ってくれ。ただなあ、俺としては派閥争いよりも優先しないといけないのは、氏綱派が二度と再起できないように徹底的に潰す方だと思うけどな」
「そんな他人事のように……。国虎様も氏綱派の一人だという自覚をお持ちください」
「……そうだな。忠告感謝する」
相変わらず手厳しいが忠澄の言う通りだ。次はいつ遠州細川家が攻撃対象と見られてもおかしくはない。幾ら時間的猶予があるとは言え、悠長に構えていては全てを失うのが目に見えている。畿内情勢の変化によってこちらから目が逸れるのは期待しない方が良いだろう。となれば、足元を固めるためにまず必要なのは……
「ですので、そろそろ海部家との交渉を終わらせてください」
「そうなるよなー」
阿波国南部の実力者海部家との交渉。これをどう終わらせるかが、俺達の阿波国での行く末を大きく決める。
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