大手ゼネコン本願寺組
悲報:本願寺教団はゼネコンであった。それも飛びきりの。
伸び伸びとなっていた阿波南部への一向門徒移住計画の話し合いがようやく実現し、本願寺側からの担当者が平嶋館を訪れる。今では俺の事務所兼宿泊場所として使用されているこの館は、前の家主の頃と比べて必要最低限の物しかない殺風景な姿に変わり果てていた。唯一の装飾と言えば完全には拭き取れていない壁や床に付いた血の跡くらいである。世が世なら事故物件になりそうだが、そういうのを気にしない俺にとっては使い勝手の良い施設という認識でしかない。
そんな場所にやって来たのは
この面々で始まった会談であるが、挨拶もそこそこに話は意外な方向へと流れていく。
「誠に残念ですが……」
そう切り出す下間殿の続く言葉は、今のままでは計画自体を白紙に戻さなければならないという、遠州細川家と本願寺との提携終了のお知らせであった。突然の方針転換の理由は、会談の前に信行寺から提出された平嶋地区の資料の中で発見した恐ろしい事実だという。
それは、平嶋港の南に流れる那賀川の存在であった。
俺としてはこの那賀川があるからこそ港が賑わい多くの移住者を受け入れられる、言わば惠みの元だという認識であったが、現実には逆だと知らされる。
それはどういう意味か? 川は人々に多くの恩恵を与える反面、時には多くの害を齎す。
つまり、この那賀川の真の姿は少しの切っ掛けで氾濫する暴れ川であった。この地は長雨もしくは野分 (台風)一つで簡単に水没する危険性があり、そのような場所に門徒を移住させられないという判断である。信行寺側は那賀川の氾濫を軽く見ている節があるらしく重要視していなかったが、本部である本願寺はそれを見過ごせないと反対の立場を表明する。
まさに寝耳に水の話であった。
誰だって死ぬために移住などしたくない。例え氾濫が頻繁には起こらないとしても、一度発生すれば恐ろしい被害になってしまうのは確実だ。悔しいが本願寺側の言い分は正論である。
そう考えると、那賀川の南に広がる湿地は地面の水捌けの悪さだけが原因ではなくもっと大きな原因があったという意味であり、天然の良港があるこの地域に人が少ないのにも理由があったのだと妙に納得してしまう。
阿波に来てからこれまで苦労ばかりが続いていたが、最後には徒労になるのかと思うと全身の力が抜けてやるせない気持ちばかりが溢れ出していた。とは言え、本願寺側は重鎮とも言える坊官の下間殿を寄越してくれたのだから、俺も遠州細川家の当主としてせめて会談が終わるまで情けない姿は見せられない。
……とそんな他愛無い考えをしていた所である違和感に気付く。何故本願寺側は下間殿を派遣したのだろうかと。
不都合な真実を伝えるだけなら敢えて話し合いを持つ必要は無い。計画の白紙撤回が主な議題であれば、書面のやり取りだけで十分である。
そうした俺の考えを知ってか知らずか、気は熟したとばかりに、
「ここからは細川様次第となりますが……」
下間殿がこう前置きをすると、ついに株式会社本願寺組とも言えるその真骨頂が明らかとなる。
突然従者達の歯がキラリと光ったかと思うと、懐から取り出した紙をその場に広げ始めた。僧なのだからキラリと光るのは頭の方じゃないのかという野暮なツッコミが口から出そうになるが、何とか我慢をする。
広がられた紙には描かれていたのは何かの絵図面だ。その上で各所に注釈が添えられている。まるで説明でもするかのような資料に見受けられる。
「今広げさせて頂いたのは、簡略化した那賀川の図面となります。文字が書かれている箇所が急ぎ手を付けなければならない部分です。もし遠州細川家が費用負担をしてくださるなら、技術者と人足を派遣して那賀川の治水工事を行ないたいと考えております。この提案をお受け頂ければ当初の予定通り移住計画も進められるでしょう。是非ともお考え……」
「乗った!!」
やはり今回の会談はとても意味のあるものだった。本願寺側も教団の収益を増やす機会をみすみす棒に振る訳にはいかない。だからこそ、海を渡って平嶋館までやって来た。
俺が従者だと見ていた三人は実はこの治水事業を立案した技術者であり、那賀川の治水事業がこの地にどれほどの利を齎すかという説明を担当していたのだとか。ただ、具体的な説明を聞く前に俺が承認を出してしまったので、彼らの本日の仕事はここで終わる。
「細川様、決断が早過ぎるのではないでしょうか?」
「下間殿、治水の重要さは私も理解しております。那賀川の厄介さは本日初めて知りましたが、それが何とかなるなら断る理由がありません。むしろ治水事業の提案までしてくださる下間殿の配慮には感謝さえしております」
「門徒は大事な存在ですのでこの程度苦ではありませぬ。しかも費用負担までして頂けるとなれば、この者達も張り切って他には無い形に仕上げるでしょう。長島の輪中は思うように作業が進んでおりませぬが、この地ならばそれは無いかと思われます」
「待ってください。今『長島の輪中』と言いませんでしたか? もしかして長島の輪中は本願寺教団が手掛けているのですか?」
「彼の地に
「とんでもない。輪中……いや、ここでは堤防と言った方が良いですね。では、長島で培った堤防の技術を那賀川で使用頂けるのですね。ありがとうございます」
「それだけではありませぬぞ。細川様は本願寺の中興の地である
驚くしかなかった。下間殿の話は、本願寺系列の寺院は建立に合わせて周辺地域の治水を行なったというものである。
これはある意味本願寺の歴史と関係あるのだそうだ。本願寺は成立こそ
その後は北陸や近江国を中心に勢力を拡大していくが、今度は無理が祟って財政破綻をし、更には追い討ちを掛けるようにまたも延暦寺から弾圧を受ける。
こうして流れ着いたのが吉崎御坊の地であるという。
もうここまで来れば俺でも分かる。本願寺は勢力拡大を人の多い畿内ではなく、環境の厳しい北陸で行なわなければならなかった。当然そんな場所で布教するなら一等地に寺院を建立などできる筈がない。それをすれば、地域の民の反対運動に合うのは確定だ。布教などもっての他であろう。
逆に言えばそうした背景だったからこそ、信者を取り込むチャンスとなった。河川の氾濫が起こり難くなるようしっかりと治水を行い、作物の生産が行ない易い土地にする。河川の氾濫が度々起こる地は肥沃な土地だと知っていたと思われる。そうして商工業者を呼び込み活気ある門前町作りを行なう。更には行き場の無くなった民を保護する。地域の発展が本願寺勢力の拡大に直結した。
ただ、こうした活動は仏教の宗派を問わずどこも似たようなものであるらしい。事実、多くの寺院は元々湿地や沼地であった場所に土地改良を行なって建立されたのだとか。現代でもパチンコ店の出店は地域住民の反対運動に合うため、一等地はまず無理である。それと似たようなものだろう。
ここまでの話を聞いて気付いた点があった。どう考えても本願寺教団は現世利益で信者を集めている。
これまでずっと気になっていた。一向一揆の恐ろしい理由が信仰により死を恐れないという話だ。俺はこの時代にやって来てまだ一向一揆と対峙した訳ではないが、本願寺の内実を知れば知るほどそれは幻想じゃないかと思うようになる。
──教義が分かり易くて簡単?
──南無阿弥陀仏と唱えれば死んでも極楽へ行ける?
勿論これらの側面を否定するつもりはない。しかし信仰だけで人は生きてはいけないし、人の心は移り気である。戦国時代に生きる人々にとってはそんな事よりも明日食べる飯の方が大事だ。本当の一向一揆というのは自分達の生存圏を守るための戦いではないだろうか?
この時代の武家は賊と何ら変わりない。なら、賊に対抗するために一致団結するのは当たり前ではないか。
中には本願寺の指導者も信者を扇動する事もあるだろう。だが、これは教団組織が巨大化し、政治的な影響力を持った結果だとも考えられる。元々は自衛の集団であったとしても、巨大化すれば外からの評価が変わってしまうという話だ。丁度自衛隊が専守防衛が任務の国家公務員だとしても、海外からは「ジャパン・フォース」と言われているのと同じである。自衛隊も海外へ平和維持活動と称して部隊を派遣した過去が何度もあった。
後は地方の支部が信者を私物化して私兵にしてしまう場合くらいか。とは言えこれは、外から見れば一向一揆の体であっても内実は違っていると言える。
話は逸れたが下間殿の話を要約すると、本願寺教団は長く各種の土木工事や建築工事を手掛けたため、日ノ本でも有数の技術力を持ったというものであった。現代風に言えば、本願寺はゼネコンである。いや、商いを奨励し、職人の保護育成まで手掛けている面を考慮すればコングロマリット (複合企業体) と見た方が良いかもしれない。そう言えば、造船技術も持っている上に海運事業にも手を出していたと思い出す。
「聞けば聞くほど本願寺の素晴らしさが分かります。遠州細川家も領内では開発を行なっていますが、未熟だと痛感致しました」
「それは何よりですな。いっそこの機会に細川様も入信されてはどうでしょうか?」
「私には領主という立場上、根来寺を始めとした他の宗派との付き合いがありますのでそれはできませんが……そうですね、土佐にも簡素ではありますが本願寺の寺院を建立させましょう。これで今後私が土佐に戻っても下間殿とは連絡も取り易いでしょう。末永くお付き合いしたいものです」
「それは良きご提案ですな。拙僧も本日阿波国までやって来た甲斐があったというものです」
そう考えると、より一層本願寺との距離を詰めるのは必然としか言えなかった。今の俺達には足りない物が多過ぎる。特に土木分野は手も足もでない。
今回の提案はリスクがあるのは分かっている。本願寺を内に呼び込むのは外国資本の企業を招き入れるに等しいからだ。領内の産業育成の観点から見ればかなり危うい判断だろう。下手をすると巨大企業本願寺組に領内の産業を食い荒らされてしまう危険性すらある。そうなってしまえば目も当てられない。
けれども、それ以上に俺は本願寺の土木技術が欲しい。これを手に入れれば、一気に領内の開発が進んで食糧の生産量が増える上、大いに発展する。なら、ここは例え危険と分かっていても本願寺を取り込まなければならないと判断した。
土佐領内への寺院の建立は後で空念と相談にするか。寺院は空念の息子に任せればそう無茶もできまい。後は本願寺が過剰に領内に干渉できないよう、対抗組織となる神社や寺を座に引き込んでおこう。当面はこれで何とかするしかない。
藪をつついて蛇を出すとは言わないが、今回の判断が俺の致命傷にならない事を祈るばかりである。
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