阿波国に巣食う爆弾
翌日、平嶋の港を占拠した鈴木 重意から那賀川を渡河する舟を手配したと連絡が入る。昨日の内に平嶋の港まで伝令を出しておいたのが功を奏した形だ。
俺もすっかり忘れていたが、阿波国南部に流れる那賀川はとてつもなく大きい。下流域での川幅は三町 (三三〇メートル)近くある。水深も深く徒歩での渡河は不可能。中大野城から対岸にある平嶋港に行くには数多くの舟を利用して渡る以外に無い。現地の渡し舟を接収するのでは数名が限度と言える。
そう思うと、鈴木党の昨日の活躍は大金星だ。新開氏の本拠地
お陰で橋頭堡が確保された。これで俺達は安全に那賀川を渡河して北上可能という訳だ。さすがは現鈴木 孫一を名乗るだけはある。
これなら阿波南部攻略作戦二日目となる今日も、大きな障害無く残りの城を落とせる。上手くすれば今日明日中にも全てが終わるのではないか? そんな思いで那賀川を渡河し、平嶋の港で重意と合流をする。
だが、そんな俺の能天気さを嘲笑うかのように、合流した重意は神妙な表情で阿波南部の厄介事を持ち込んできた。労いの言葉を掛けようとするのを遮る辺り、深刻さの度合いがよく分かる。
「国虎様、ここより北上すると平嶋館があるのですが、どのように致しましょうか?」
「……平嶋館? どこかで聞いた事があるような……あっー! あの平嶋館か!!」
これもすっかり忘れていた俺が悪いのだが、平嶋館というのは都合の良い公方候補こと足利 義維の住む場所だ。現在こそ阿波国で燻った生活を送っているものの、一時期は前公方である足利 義晴と激しく対立した経緯がある人物である。今や見る影もないが、当時は堺公方と評されていたともいう。
そんな足利 義維は足利 義晴とは異母兄弟らしい。血の繋がった間柄だ。二人が争わなければいけなくなった理由が細川家の家督争いとなる。俗言う両細川の乱だ。当時の細川 高国様は足利 義晴を擁立し、細川 晴元が足利 義維を擁する。時代が時代とは言え、細川家の家督争いに乗じて兄弟で公方の座を争った。
更には、これまた面倒な話だが、足利 義維は流れ公方とも言われた
何が言いたいかというと、足利 義維は二代前の公方から京を奪還する夢を託され、細川 晴元とは共に戦った主従でもある。勿論血筋も申し分ない。人によっては現在の公方よりも公方に相応しい人物と評されてもおかしくはない程だ。それだけの正統性を持つと言えよう。
だと言うのに、何故か阿波国の平嶋館で逼迫している。遠州細川家の阿波国南部侵攻作戦の邪魔をする。相手が足利の名を冠していなければさっさと館を強襲して追放してしまえば良いのだが、さすがにそんな真似はできない。
また、家臣や兵達も心情的に槍を合わせたくないだろう。だからこそ、重意もどうすれば良いか分からずに困っていたというのがここまでの流れであった。
「……何とか交渉で武装解除させて領外に退去してもらう以外方法は無いだろうな」
「それしか無いでしょうな」
「とりあえずは相手の出方を窺うか。侵略者に大事な港を占拠されたのだから、何らかの行動を起こすんじゃないのか? 物見は出してくれているか?」
「それは勿論。今の所、目立った動きは無い模様です。平嶋館のみならず、近くの
火事場泥棒的な発想で始めた阿波南部の侵攻作戦。軍事的な難度は低く、快進撃を続けていた筈が突然政治的要素が絡み付き、一気に複雑化する。
細川 晴元よ、こんな大事な貴種を何故勝瑞城で保護させなかったんだ。足利 義晴との交渉材料に使う切り札にしては脇が甘過ぎるぞ。
作戦が頓挫した恨みからか、ついつい愚痴が出てしまう。ほぼ八つ当たりに近い。
──阿波国南部には特大級の爆弾が巣食っている。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
幸いだったかどうかは分からないが、その爆弾は不発弾であった。遠州細川軍が平嶋港を占領したというのに、足利 義維は未だ何の動きも見せない。お陰で午前中は何もしないままにただだらだらと過ごす羽目になる。
奪われた港を取り返すなりしようと思わないのだろうか? 無理に兵を揃えなくとも、交渉で引かせる方法もあるのだが……。
ここである希望的観測が口をつく。
「もしかして、関係者全員はもう既に逃げ出した後じゃないのか? 身の安全を考えるならこっちの方が確実だからな」
「いえ、それは難しいかと。港は我等が押さえましたし、北の小松嶋ではお味方が兵を展開中です」
既に小舟で逃げ出したから何もしてこないのではと考えたが、それは即座に重意に否定される。確かにその通りだ。こちらが小松嶋周辺の制海圏を押さえているのだから、下手に舟を使った逃亡はできない。呆気なく拿捕されるのが関の山である。
だからと言って西に逃げるのもまた違う。
「うーん、分からん。これだけ待って何も無いなら、これ以上は時間の無駄になる可能性が高い。もう相手に自由に動ける時間を与えたくない。悪いが重意は西にある残りの城の攻略を頼むぞ。俺が平嶋館近くの今津城を落としておく。これで平嶋館への援軍は無くなるから、後は包囲してゆっくりと対策を練るか」
相手の意図は読めないが、こちらが先に動き主導権を取った方が良いと切り替える。下手な考え休むに似たり。余計な事は考えずに周辺を丸裸にして囲んでしまおう。そうすれば向こうは交渉に応じざるを得ない。そして、強引に武装解除をさせてしまおう。なあに火器で脅せば簡単に落ちるさ。これ以上は真面目に考えるのが馬鹿らしい。
最後は勝瑞城にのしを付けて送り返せば一件落着だ。
……と思っていたのだが、やはりこの足利 義維問題はこの上なく面倒であった。むしろこの問題の本質はこちらの方にあるのではないか? そう考えさせる発言が鈴木 重意の口から飛び出す。
「国虎様、今津城方面に向かうのでしたら、
「何だそりゃ? 初めて聞く名だな。近いのか? 宗派はどこだ?」
「はっ。宗派は浄土真宗本願寺派となります。場所は今津城の目と鼻の先です」
意外や意外、平嶋館の近くには本願寺があったという事実を聞かされる。重意は一向衆だけに、無碍に扱わないで欲しいという願いから出たものだと思うが……口ぶりからその辺の末寺とは違う別格の存在なのだろう。
ようやく分かった。
──何故足利 義維は勝瑞城近くに住んでいなかったのか?
──平嶋館の近くには信行寺がある。
それがこの答えだろう。言い換えれば、足利 義維の管轄は阿波細川家を外れて本願寺が行なっている。
つまり足利 義維問題は、信行寺との交渉を経てからでなければ解決しない問題──もっと言うなら、下手に足利 義維に手を出すと、本願寺を怒らせ敵対してしまう。敵対しないためにはまずは本願寺を懐柔しなければならないという意味である。
どうしてこうも面倒事が次々と起こるのか。本気で土佐に帰りたくなってしまった。
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