出雲尼子家の事情
「────、国虎様、某の話を聞いておりますか?」
「いや、悪い。直幸の話もここまでだ。阿波に付いた。持ち場に戻ってくれ。話し足りない分は後日報告書に纏めてくれればきちんと読んでおく」
「むう。ならば仕方ありませぬな。阿波攻めが終わった後の某は一度出雲国に戻らねばなりませぬので、そのお役目が終わってから報告書をしたためておきましょう。是非某の報告書を今後の統治にお役立てくだされ」
何故俺はあの時出雲尼子家の話を山中 直幸から聞こうとしたのか。そう思わせる程、直幸の話は長かった。本人からすれば良かれと思って尼子家の内部事情を話してくれているのは分かる。事実その内容は、微に入り細に入るものばかりで俺も熱心に聞いていた。
ただ、くどい。くど過ぎる。もう何度「それは一度聞いた」と口から出かかったか。紀伊国雑賀荘に到着するまでの間、補給や兵の休養が終わるまでの間、更には船で阿波国まで付くまでの間、手が空いた時間はずっと直幸の話を聞かされる羽目となる。降伏兵の面倒を黒岩 越前が買って出てくれたというのが悪い方向へと転じてしまった。本人に悪気が無いだけに尚始末が悪いとしか言いようがない。
……ずっと仕官が叶わなかったのは、これが理由じゃないかと思ったりもする。久々の常識人枠として期待していたのだが、やはり俺の家臣となる者は一癖も二癖も無ければ務まらないらしい。
それでも幾つか重要な点を確認できた。予想通り出雲尼子家は内に様々な問題を抱えていた。端的に言えば尼子家は出雲国内を統制し切れていない。出雲西部は特に顕著だ。分かり易い例で言えば、天文一一年 (1542年)の第一次月山富田城の戦いであろう。俺としては豪族達の掌返しはよくある話だと思っていたのだが、直幸の話を聞く限り、それは出雲の国内事情が背景にあるのだという。
根本とも言えるのが、尼子家は元々が近江国からやって来た余所者だという点だ。尼子氏は応仁の乱以前から出雲国に根を張っているのだから、個人的には同じ出雲の者だと認めて良いような気がしないでもないが、それ以前からの寺社を含めた在地勢力には尼子家というのは簒奪者にしか見えないのだろう。尼子家が持つ守護という権威があって表面上こそ大人しくしているという程度であった。つまり、出雲尼子家は下克上でのし上がった家では無く、足りない実力を幕府からのお墨付きによって何とか補っている家と言える。
だからこそ、少しの切っ掛けで簡単に裏切るし乱へと発展する。言う事を聞かない連中を宥めすかし脅す統治を行なわなければいけなかった。
結果、常に外に敵を作る事で国内を安定させないといけないというジレンマを抱える形となる。スケープゴートを作り、国内不満に目を向けさせないという手法だ。それと平行して少しずつ内部粛清を繰り返して国内基盤を整える。とても難しい舵取りと言える。
このような事情であれば、冨田衆と呼ばれる尼子家直属の家臣の生活は堪ったものではない。幾ら尼子家が美保関の港を介しての収入を多く得ているとしても、そう簡単には恩恵は行き渡らない。だというのに外征で銭ばかりが飛んで行く。せめて土地でもあればまた変わってくるが、それは一部だけ。利権はガッチリと在地勢力が固めている。
冨田衆でもまだ本家であったり嫡流であったりなら曲がりなりにも何とかなる。しかし、本家を支える庶流は本気で生活が厳しい。だから冨田衆の庶流は、精鋭集団である「新宮党」に入り身を立てなければいけなかった。どおりで新宮党が強い訳だ。偏見も混じっているとは思うが、甲斐武田家や
……直幸が家を出て外に活路を見出そうとしたのはこうした背景があった。
話を聞いていて分かった事だが、直幸の近しい存在に七難八苦の山中 幸盛がいるのはほぼ間違いない。出雲の山中一族自体は冨田衆ながらも 、海運で生計を立て明との交易で潤っているという。しかし、残念ながら直幸やその兄には一族の恩恵が届いていないという。要するに山中一族の事業に携われなかった。山中 幸盛の幼少期はとにかく貧乏で、母親が春を売っていたとも言われている。ここから考えるに、同じ山中一族の庶流なのだろう。
そういった訳で直幸にはこの戦が終わり次第、生活のままならない一族の保護と他の冨田衆の庶流への勧誘を依頼しておいた。人手不足もこれで幾らか解消される見込みである。
「さあ、切り替えて行くか。今からは阿波南部の制圧だ。こっちの最優先は
『応!!』
今回の作戦では部隊を二つに分けた。……というか、想定以上に傭兵が集まってしまったので、こうするしかなかったというのが正しい。ただでさえ雑賀荘だけでも三〇〇〇もの傭兵が集まった上に、何を思ったのか南郷からも鈴木党の傭兵一〇〇〇が集まる。最後は南郷で開発の指導に当たっていた安芸 左京進までもが五〇〇の兵を率いてやって来る始末。兵が出払った阿波南部で空き巣泥棒をするには過剰とも言える兵力となってしまった。
そのため、本来の主目的である橘の港の接収は俺の率いる部隊と降伏兵、それと鈴木党で行い、左京進と雑賀衆には
なお土佐の場合は、現状俺達が押さえている浦戸の港ともう一つは土佐一条家傘下の津野家が所有する
「国虎様……とても申し上げ難いのですが、阿波国南部の港でしたら
「えっ……そうなのか重意」
小松嶋の港は源 義経が屋島の戦いに赴く際に上陸した場所として知られているし、橘の港は阿波水軍の拠点だと記憶していたのだが間違っていたのだろうか? いや、これまで土佐から出た事がなかった俺よりも、現実を知る鈴木 重意の意見が正しい。これは重意に任せた方が良さそうだ。
「阿波水軍の拠点は
「……あ……ありがとうな、重意。なら、橘とその周辺はこちらでやっておくから、重意には平嶋の港と周辺の城の攻略を頼んでも良いか? 馬路党の隊員を何名か付けるから、木砲と焙烙玉は好きなだけ持って行けよ」
「はっ、かしこまりました」
聞けば阿波国の主要港は北部にある
事実、一見すると小さい頃に見た奈半利港よりは発展しているとは思うが、現状の橘港は漁村に毛が生えた程度である。間違っても交易で賑わっているとは言えない。……仕方ない。その分占領は容易いと前向きに考えよう。兵が出払っている上に開発の手が入っていないとなれば、作戦への障害は大きくない。田舎だけに城自体も簡素な物が多く、守備兵も少ないだろう。
元々今回の作戦は主要港の占拠が目的であり、内陸部に手を付ける予定はなかったが、攻略が簡単なら後日内陸部も占領して本当の意味での阿波国南部を領有するのも視野に入れておいた方が良いかもしれない。とは言え、統治には大規模な開発が必要だとは思うが。
「世の中そう上手くは行かないな……」
「国虎様、どうされましたか?」
「梅慶か。悪い。心配を掛けたか。いや何、安く土地を手に入れたと思ったら、実は抵当が付いていたような感覚……て言っても分からないよな。港を手に入れても開発が必要になるのかと思って愕然とした」
「周辺も湿地が多そうですな。これは埋め立てが必要かと思われます」
「だよなー」
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
阿波南部の占領は予想通り快進撃を続けた。それもその筈。最初から阿波三好家の影響下にない地であったからだ。
まず手始めにと
武田 信綱は当初、遠州細川軍の上陸を見て阿波南部での共闘という形で接触をしてきた。なのに敵対したのは、俺がその提案を拒否したからである。家臣の中には共闘に応じるフリをして、占領が終わった後に騙まし討ちをすれば良いという意見もあったが、兵の装備も進軍速度も練度も何もかも違う遠州細川軍とでは、共闘は逆に足手纏いにしかならないと判断して交渉を決裂。早々に追っ払い、返す刀で城を全て落とした。
少し可哀想な気もするが、阿波国南部は大規模な開発が確定した以上は、直轄地として遠州細川家で一元管理する必要がある。下手に甘い顔をすると開発に障害が出る恐れを危惧したためだ。
更にはついでとばかりに俸禄雇いとして家臣として組み込む。領地を全て奪い取った上でこの仕打ちは屈辱的だろうと思われるが、それでも命あっての物種。武田 信綱及びその一族は一念発起してこの地にやって来た手前帰る所が無いらしく、渋々ながら了承してくれた。
その後は
進軍は順調そのものであった。地元民である武田 信綱という道案内役を手中に収めたのが大きい。
皆からは「まだやれます」との声が上がるも何とか宥める。攻め落とした城が小城ばかりだったのが不満だったのだろう。とは言え、他の部隊が平野部の拠点の攻略であったのに対して、俺が率いた部隊は山道を駆けずり回ったために一番体力を消耗した形だ。こんな所で焦って無理をする必要も無い。
もう一点、本日最後に落とした中大野城にいた人物が進軍を止める決断をさせる。
「敗軍の将がこうした持て成しを受けて良いのでしょうか……」
「お気になさらず。戦では敵となりましたが、もうそれも終わりました。私は先日仁木殿の兄上である高将殿に世話になったばかりです。これはせめてものお礼のようなものですよ。大した物はありませんが、どうぞ好きなだけ召し上がってください。身の安全は保証致しますし、明日以降に一族含めて全員を阿波細川領までお連れ致します。ただ、武器となる物だけはこちらで預かります。ご理解ください」
それは、仁木 高将殿の弟である
つまり、伊賀守殿への持て成しはせめてもの罪滅ぼしである。
とは言え、従軍中の歓待などたかが知れている。今回は一二月という季節柄、鹿肉や野菜をこれでもかとぶち込んだ味噌味仕立ての雑炊だ。それと酒……そうそう、一番頑張った者に褒美で渡そうと思っていた山葡萄から作った
耐火レンガで組んだ即席の竈で煮込んだ雑炊は湯気を立て、流し込んだ体を暖かくする。伊賀守殿はその後は珍酡酒を飲み、とても満足気な顔をしていた。赤ワインと雑炊は合わないと思うのだが、本人が喜んでいるので敢えて何かを言う必要はないだろう。俺はと言えば、いつも通りに麦茶で喉を潤す。
「こうして敵同士で酒を酌み交わすのは奇妙な感覚ですね。細川殿は面白い方だ」
「私からすれば仁木殿のその堂々とした姿が面白いですがね。城を落とされた恨みは無いのですか?」
「恨みが無いとすれば嘘になるでしょう。ですが、此度のような負け方をすると逆に清々しいものです。次は負けませんがね」
「火器の使用を卑怯だとは思わないのですか? それと今回の侵攻は阿波の兵が畿内に出払った上での騙し討ちのようなものですよ」
「火器は応仁の乱でも使用されましたし、瀬戸内の村上水軍でも使われている物ですね。私としては、村を焼いたり民に危害を加える事無く、堂々と城攻めされた点を評価しております。幾ら戦とは言え、民まで巻き込むのは違うと思っておりますので。それに兄は別ですが、元々この地の仁木家は畿内への遠征には出ていないので騙まし討ちでも何でもありませんよ」
「は、はぁ……そう言ってくださるならこちらとしても嬉しいです」
いや、俺も時と場合によっては平気で村を焼くし、略奪もする。今回は単純にそれをする時間が惜しかっただけであった。
伊賀守殿の話ではこの地域で遠征に参加したのは
「本当、細川殿は面白い方だ。敵にしておくのが勿体無いくらいですな。この珍酡酒という新しい酒も初めて飲みましたが、なかなかの味。今宵は語り尽くしましょうぞ」
兄といい弟といい、どちらも敵かどうかより信義を重んじる性格に感じる。きっと曲がった事が嫌いなのだろう。本人は俺を面白いと言うが、俺から見れば伊賀守殿の方が変わってるのだが……調子が狂うな。
阿波南部侵攻作戦の初日。本日最後の仕事は、敵と夜通し語り合う事であった。
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