寺社との和解
ひたすらに精神を削られる交渉を何とか終え、一羽と道清の葬儀を終わらせた天文一五年 (一五四六年)九月中頃には畿内で大きな動きがあった。
「ま、まさかの京奪還とは……」
俺達が長宗我部軍と戦っていた先月、遊佐 長教殿が
ただ、遊佐殿は細川 晴元よりも一枚上手であった。
三好 長慶が堺の町で傭兵を集め始めた頃には、遊佐・
しかし、ここで堺の会合衆が連合軍側に停戦を働きかけ、三好 長慶は何とか命を繋ぐ。これは細川京兆家や阿波三好家が持つ海運利権を考慮したものと思われる。単純な話、堺が貿易都市である以上は物流の停滞は死に繋がるからだ。ここで安易に阿波三好家の当主を連合軍に差し出してしまえば、後に経済的な報復が待っている可能性がある。それよりも阿波三好家へ恩を売り、今後の取引をより有利に進めたいと考える方が合理的な考えだろう。これまで堺には世話になっている連合軍側は、この停戦を受け入れざるを得なかった。
武家は武家同士で、堺とは関わりない所で殺し合ってくれという意味も言外に含まれている。
その意図を汲んだのか連合軍は摂津国へと入り、早速憂さ晴らしを敢行する。
そんな快進撃を続けている中、義父である細川 国慶殿が独自の行動を見せる。
あろう事か単独で軍を率いて京を占拠してしまったのだ。京にいる細川 晴元と一戦して勝利を収めるという功績まで上げて。
敗れた細川 晴元は
そして、ここからがいつもの話ではあるが、
「物資と兵を送って欲しいねぇ。まるでこっちの動きを把握しているかのようなタイミングで書状を出してくるな」
義父である細川 国慶殿から送られてきた書状には、最後に援助を依頼する一文が添えられていた。親信と二人でうんざりしながら回し読みをする。
「どうするんだ? 国虎?」
「義父の頼みだからな。こちらもしばらくは戦をするつもりはないから多少融通はできる。大軍を送れはしないが、兵を出すさ」
「厄介な義父を持ったな」
「向こうは最初からこういうのをアテにして和葉の件も認めたと思うから、その礼はしないとな。まあ、仕方ない。俺まで京に来いと言わないだけ良かったと思うようにするさ。幾ら俺が土佐から出てみたいとは思っても、あの魔境にだけは行きたくはない」
「確かに」
義父には財布のような扱いをされている気もするが、自業自得だと割り切る。それよりも、この機会に京を実際に見て見聞を広げて欲しいという思いで、山田 元氏を派遣すると決めた。加えて主要な山田家家臣も対象とする。引率役には山田 元義殿が適任だろう。
「それにな、何だかんだ言って義父の国慶殿は、俺達高国派にとっては重要な人物だ。なのに、あの人はコロッと討ち死にしそうで危なっかしい。近い内に晴元方の反撃があるだろうから、その時には紀伊の雑賀にまで逃げてもらうつもりだ。元氏がいればその役割を全うできるだろう」
折角雑賀の南郷が遠州細川の傘下に入ったんだ。こんな時は十分に活用させてもらう。幾ら丹波国には同士である
「おいおいっ、随分と義父に肩入れしてるじゃないか。どういう風の吹き回しだ」
「割とああいうタイプは嫌いじゃないんだよ。だから、つまらない事で死んで欲しくなくてな。後は恐い物見たさで一度会って話をしてみたいというのもある」
「それは言えてるな。何をするか分からないびっくり箱的な楽しさがあるか。けど、友達にはなりたくないぞ」
前政権の高級官僚だった人物をよくこれだけ散々に言えるなと思いつつも、俺達は何度も迷惑を被っているのだから、この程度なら許してもらいたいものである。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
領地が大幅に広がったというのに安芸 左京進の紀伊国派遣や山田 元氏の京派遣まで行なった結果、普段でも人手不足な遠州細川家はますます人手不足となった。
そういった事情で、俺は人材不足を解消するために一つの手を打つ。それは元長宗我部領や本山領に多数存在している寺社から人材を派遣させるというものであった。
領内の寺社領は全て横領が決まっているが、それでは寺社が食っていけない。代わりと言っては何だが、人を細川家に出せば補助金を出すという取り決めを行なった。当然、拒否する寺社は迷わず燃やすという強い態度で臨む。
これと言うのも、対長宗我部戦では寺社が敵対したという事情も関係する。こちらが大勝したのだから、何らかの形で上下関係をはっきりさせる必要があると考えたからだ。あの戦の後、表面上は詫びを入れてきたが、それで許せというのは無理というもの。今後のためにもう二度と反抗できないように力を奪い、内部へと取り込むべきだという考えに至る。
ただ……これも予想通りではあるが、集まったのは反抗的な連中ばかりであった。文字の読み書きもできる上に教養も高い点からエリート意識が強いのだろう。幾ら俺が名家である細川の名を名乗っていた所で、ぽっと出の若造には従いたくないというのがアリアリと分かる。
そこで本日は意識改革の一環として簡単な勉強会を開いた。
内容はマクロ経済に近い。自分達だけが良ければそれで後は知らないという認識は間違っていると、それを改めさせるのが主な目的である。
「戦ばかりしている武家がよくそんな事を言えますね。自分達の都合を優先しているのはそちらの方でしょう」
話し始めてそう時間も経っていないのに、早速食って掛かってくる者がいた。見るからに若い。俺と大差ない年齢だ。佇まいから育ちも良さそうに見える。
さすがは日本書紀からその名が知られる土佐神社の神官の一族といった所か。権威も歴史も伝統も全てあちらが上である。向こうからすれば、俺は菓子折りも持って来ないで縄張りを土足で踏み荒らす態度の悪い領主にしか見えないのだろう。そんな思いが態度に出ていた。
この辺は想定内である。なら、丁度良い機会なので俺の考えを聞いてもらおう。それでも納得できないなら、縁が無かったと思って諦めるしかない。
「あっー、そう見えるか。言いたい事は分かる。けどな、最低限遠州細川だけは違うぞ。戦はGDP (国内総生産)でするものだ。言い方を変えれば銭を持っているだけでは戦には勝てない。民の生産性が高くなければ駄目だ。つまりだな、民を裕福にしなければ戦には勝てないんだよ」
「民を裕福にする……?」
「そうだ。銭を手にするだけなら借りれば良いし、何なら余所から奪えば良い。これが今までの武家の考えだ。それを自分達の都合と言いたいのだろう。そこから脱却するのが遠州細川の考えだ」
「……」
「武家がくだらない争いをしている最中、寺社は何をしていた? 我関せずと民から距離を置いただけだろう。中には自分達の利益のために武家に肩入れする連中もいた筈だ。お前らがそうだな。その時の民の気持ちを考えた事があるか?」
「……いえ」
「戦ばかりしている武家と民を置き去りにする寺社にどんな違いがある? 本来は民がいてこその武家、民がいてこその寺社じゃないのか? 遠州細川はその基本に立ち戻ろうとするだけだ。それに俺は別に寺社に対して死ねと言っている訳じゃない。寺社だって大事な要素となる。だから遠州細川に協力する寺社にはきちんと利益を渡す。そうじゃなければ、民を見捨てるのだから潰されても文句も言えまい」
「ははっ、よくそんな傲慢が言えますね」
「傲慢でも何でも良い。遠州細川の最終目標は土佐の民を食わす事だ。それを実現するためには寺社だろうが使える物は利用する。悪いようにはしないから乗っかっておけ」
ここまで言うと思う所があったのか、これまでの反抗的な雰囲気が鳴りを潜める。「武家と寺社が実際には何が違うのか?」とでも反芻しているかのようだ。俺のように大言壮語を吐く馬鹿は初めてだったのだろう。これを否定すると、「民の生活など考えていない」と言われてもおかしくないと気付いた筈だ。
「本当に民の生活を考えて戦をしていたのですか? その理想をこの地で実現できると思っているんですか?」
「まあ、口だけなら何とでも言えるからな。お前らが少しでも俺の言っている事に共感を覚えたなら、一度奈半利を見て来い。それで分かると思うぞ」
「…………はい」
そう言うや否や、この場に集まった僧や神官が我先にと部屋から出て行く。まだ勉強会の途中だというのに何て奴等だ……とは思うが、噂の奈半利をこの眼で今すぐにでも見たいと思ったならそれは仕方ない。良いか悪いかは分からないが、俺の言葉が彼らの気持ちを揺り動かした結果である。
部屋に残された俺と土佐神社の神官の二人。
「お前は行かないんだな」
「もう少しだけ細川様の話が聞きたくなりましたので……」
「なあ、名前を教えてくれるか?」
「たに……
「ああっ、GDPね。意味は国内総生産なんだがな。後先考えずに変な言葉を使ってしまったか。悪い。国内総生産と言うのはだな……」
そこから、国力というのは食糧生産だけではなく、付加価値のある製品を生み出したり、客をもてなすといったサービスを含めた総合力だという話や経済の基本的な考え方などを話していく。
神職とは全く異なる世界の話だというのに、何が面白いのか一言一句聞き漏らさないようにと耳を傾け熱を帯びた眼をするその姿は、在りし日の一羽を彷彿とさせた。小さい頃も俺が奈半利をどうしたいのか、自分が何をすれば良いのかとよく話し合っていたのを思い出す。
だから、この言葉が何の迷いも無く出たのだろう。
「ものは相談なんだがな……良かったら、俺の右筆にならないか?」
「えっ? 私はさっきまで細川様に喧嘩を売っていたんですよ……」
「国虎だ。細川様じゃない。だから良いんじゃないか。忠澄なら俺が暴走した時に止めてくれるだろう? それに、俺は書類仕事が嫌いでね。忠澄が協力してくれないと目標が達成できそうになくてな」
「はは……それ、本気で言ってるんですか? 分かりました。若輩者ですが、細……いや、国虎様のお力になれるよう精進致します」
「ありがとうな。頼りにしてるぞ」
そっと差し出す右の手に、戸惑いながらも忠澄が手を合わせてくれる。この時代には握手の習慣など無いのに意味を察してくれた。
新たに右筆を置くのはちょっと一羽に申し訳ない気もするが、それを気にしていたら目標が達成できなくなるからな。アイツも許してくれるだろう。
ともあれ、これで日々の書類仕事からは解放されそうだ。
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