五章 三好長慶の決断
捨て身の逆転劇
「こうしてお目に掛かるのは初めてですな! 本山 梅慶と申す!! 今後とも良しなに!」
「……あっ、はい。細川 国虎です。こちらこそ宜しくお願い致します」
ひたすらに声がデカイという第一印象の本山 梅慶殿がふてぶてしい態度で俺の顔を見続けている。
そう言えばこうして互いの顔を見るのは初めてか。向こうも俺の若さに驚いているだろうが、俺も傑物と噂される本山殿が思った以上に若いというのに驚いていた。老けて見えるが、それでもあの長宗我部 国親より若いというのは間違いない。意外な事実であった。
全身に覇気を
仮に降るにしても、条件闘争の一つも無い。無条件降伏と言っても良いだろう。何か裏があるのではないか? 鋭い眼光の奥では謀が渦巻いているように感じる。
それに俺は、そもそも急激な領地拡大は望んでいないため、こうした面倒な案件なら関わりたくないというのが本音であった。
「変に腹の探りあいはしたくありません。単刀直入に、どうして遠州細川への降伏を決めたのですか? しかも土地の返上も合わせてという話でしたら、まず本山家の家臣が納得しないでしょう」
「…………ぷっ、あっはっはっは!」
「本山殿!」
「これは失礼。先の戦で長宗我部と本山の連合軍を完膚なきまでに叩いた家の当主が、このような発言をされるとは思わなんだもので。どうやら、本山家にはまだ十分な余力が残っているとの考えですな。それこそ買い被りかと」
「それはそうでしょう。手伝い戦では家臣へ満足な褒美も出せないでしょうから、全力を出すような真似はまずしませんので」
「分かる理屈ですが、状況によりけりですな。本山家の西に位置する大平家と津野家が土佐一条家に負けて降ったと申せば、意味は分かるかと」
土佐の地には七雄の他、西には幡多郡を本拠地とした一大勢力が存在していた。その名は土佐一条家。一条家は言わずと知れた公家の五摂家であり、土佐一条家はその庶流に当たる。
本山殿が言いたいのは、その巨大勢力が領地を接するまで進出してきたという話であった。
「……分かりました。長宗我部家が倒れてしまえば本山家は土佐一条家と細川家に挟まれてしまう。東西から攻め込まれないために、盾となる長宗我部家は全力で支援しなければならなかった、と言いたいのですね。ですが、二家に囲まれたからと言って臆するような本山家ではないでしょう。無理に同時に争わなくても、どちらか一方の家と手を結べば良いだけです。それが分からない本山殿ではないと思いますが?」
「甘いですな。儂が土佐一条家もしくは細川家の当主ならば、合同で本山家を潰そうと持ち掛けまする。特に細川家は東の海部家と良好な関係ゆえ、本山家と
「……ちょっと待ってください。それでは本山家は細川家と戦えば負けると言っているのと同じですが?」
「まず負けるでしょうな。先程も申した通り、一条家は戦を行なったばかりです。しばらくは休養が必要です。仮に援軍を出してくれるとしても、津野家や大平家から申し訳程度に兵を出させるのみで終わるのが目に見えております。故に時間稼ぎにしかなりませぬ」
それを言うなら同じく細川家も戦をしたばかりだと言おうとしたが、一日で決着した上に完勝だったと思い出す。火薬の大量消費こそあったものの、兵の損害自体は低かった。これでは反論にすらならない。
「過大評価にしか聞こえませんが……ああっ、だから土佐一条家には降らず、細川家に降り土地を差し出すと言うのですね」
何となく分かった。負けるのは本山家だけではなく、土佐一条家も同じだと言いたいのだと。片や三倍の兵力を一日で敗北へと追い込んでしまう細川家と、片や長い時間を掛けて何とか津野家と大平家を降した土佐一条家。その二家が争った場合、どちらに分があるのか? 少なくとも、本山殿には細川家の方が有利に見えるのだろう。
生き残りを賭けて強い方に付くという、その方針自体は理解できた。
「その辺はどう受け取って頂いても結構。儂としては二家を同時に相手取るのは論外、ならばより分の良い方に縋るのが道と考えておりまする。……ただ、話を聞いておりますれば、どうも細川殿は此度の本山家の降伏を喜んでおらぬように聞こえますが?」
だが、ここで疑問が残る。何故そうまでして武士の命とも言える土地を差し出そうとするのだろうか?
「その通りですから否定はしません。突然広大な領土を渡されても扱いに困りますので」
「国虎様!! このような場で何を言ってるんですか!」
「元明、本当の話だ。欲しいのは浦戸だけで後は余分だ。それ以上を手にしてみろ。そこに住む民や将兵をどうやって食わす? 開発する地域も一気に広がって手も足りなくなるんだぞ。それを誰が行なうんだ?」
「……」
側に控えていた畑山 元明が俺を嗜めるが、本山殿の真意が知りたくて敢えて突き放すように本音を出す。
武家としては敵を降し領土が拡張されるのは名誉なのは分かっているし、交渉の場でこうした発言をする必要は無い。ただ、今の俺にはまずは元長宗我部領をしっかりと統治する方が重要だ。二兎を追う者は何とやらで、新たな領地は下手をすると足を掬われるだけの厄介ものにしか見えない。望んでもいない物を押し付けられる位なら、破談になった方が良いとさえ思っていたが、やはり相手は傑物と言われるだけの反応を見せた。
俺達のやり取りを見ても怒りもせず、何食わぬ顔で会話に割り込んでくる。
「本当に噂通りの方ですな。誰が開発するか? それを本山家がお手伝い致します」
「なっ!?」
「手が足りない? 結構な事ですな。是非、本山家を細川家の一族にお加えくだされ。倅が名乗っている吉良でも構いませぬが。細川家中で本山家ここにありとお見せ致しましょう。なあに土佐の地が豊かとなり、民も本山家も今より生活が上向くなら否やはござらぬ」
そこからは意外な事実が語られていった。土佐の山奥にあった本山家が何故南下してきたのか? 土佐平野の約半分を押さえ、浦戸の港を押さえながらも領地経営に行き詰っていた実情を。
元も子もない言い方だが、本山家は貧乏である。それは今も変わらない。土佐吉良家を降した六年ほど前なら略奪経済の恩恵でまだ好調だったと言うが、広大な領土の維持は思った以上の負担だったらしい。
港から現金収入を得ようにも商人には足元を見られ、増えた収穫も嵩む軍事費で帳消しとなり赤字ばかりが続いていく……。
何だろう。話を聞けば聞くほど、経営不振に苦しむ中小企業や町工場の社長のように見えてしまう。例え業績が上がらなくとも従業員の給料は確保しなければならない。銀行から不渡りを出されないようにと商工ローンに手を染め転がり落ちる。
よくこれだけ正直に話せるものだと逆に感心したが、ここから本山殿の真骨頂が発揮された。
結論から言えば、俺に高値で買って欲しいのだという。つまり、重臣待遇で本山家を召抱えて欲しいというのが本山殿の考えであった。
普通の感覚からすれば図々しい事この上ない願いである。幾ら手が足りないとは言え、何を好き好んでどこの馬の骨とも分からない者達を厚遇しなければいけないのか分からない。
しかし、本山家は浦戸の港を持っている。また赤字続きとは言え、土佐平野の約半分という梃入れすれば優良資産になる物件を持っている。今すぐは無理だが、五年一〇年先を見れば確実に遠州細川家の力の源泉へと成り得る物だ。
それを手土産とするならば、そう悪い話でもないだろうと不敵な笑みを浮かべていた。
やられた。これだからこの時代の名が残る人物は侮れない。まさに捨て身の逆転劇と言えよう。
……何故、犬猿の仲とも言える長宗我部家と婚姻同盟を結んだのかようやく腑に落ちた。本山殿は長宗我部家の持つ中央とのコネクションを求めたのだろう。勿論、軍事的な意味合いもあったのは否定しない。しかし、それだけならば組む相手は山田家や香宗我部家でも良い事になる。つまり、浦戸という港をより有効利用するために因縁を呑み込んででも、長宗我部家や大元の
確か
「あっー、やらかしたかもな。長宗我部を逃がしたから、
「話を戻してよろしいですかな。幕府は現時点で力が無いので大事は無いと思いますが、これは臨済宗妙心寺派からの圧力を受けぬよう遠州細川家の力を強める必要がありますな。はっはっは。これは実に困りましたな!」
「……本山殿、それは話を戻していませんよ」
この時代の寺社も戦国武将と同じようなもので、弱いと見るや付け上がり、強い相手には頭を下げる。表立って敵対したならば状況も変わってくるだろうが、そうでないなら硬軟混ぜれば懐柔は可能という意味だ。
「国虎様の懸念は分かりました。ここは本山殿の申される通りかと。降伏の話を受けるべきですな。奈半利を発展させた腕前をもう一度披露してくだされ」
「元明もそれが良いと思うか。…………分かりました。この度の降伏の件、お受け致します。ああ、また借金が……」
長宗我部の報復には猶予があると思って長い目で見ていたが、今度は宗教による圧力という危険性が現実を帯びてしまう。そうなると実情はさて置き、外面だけでも整えるという意味で本山家の領土を併呑して土佐で最大の勢力となる必要が生じてしまった。
長宗我部 国親の父親が土佐でどれ程面倒な存在だったか、俺は時代を超えて知る事となる。
「細川殿、それでは最後に一族となる縁組ですが……」
「本山殿、それは私の家臣や家臣の一族の中から年頃の娘を養女にしますので、本山殿なり本山殿の嫡男なりに嫁がせますよ? それで良いですか?」
「いえ、できますれば儂もしくは倅の養女を細川殿に側室として嫁がせたいと考えておりまする。今後本山家が冷遇されないための保険とお考えくだされ。その分の働きは十分に致す所存です」
「国虎様、観念なさいませ」
本山殿、いやこれからは梅慶としよう。どうやら梅慶も俺の婚約破棄の話は知っていたらしく、養女を嫁がせると言っても無理に自身の一族から出そうとはせず、俺が指定する女性を養女として迎え入れてくれる配慮を見せてくれた。しかも、この嫁がせる側室との間に男が生まれた場合は養子として引き取っても良いとさえ言ってくれる。
良い待遇で召抱えられたいという気持ちは俺も分かるが、そこまで必死になるものなのか? そう言えば、梅慶は土佐の山奥での貧乏育ちだったか。
「悪いが本山家は細川家の家臣となったので口調を改めさせてもらう。それで梅慶、養女とするのは杉谷家の一族の娘となるがアヤメでも良いか? 話を進めるのは本人と正室に確認してからになるので、少し時間をもらえると助かる」
「はっ。両者に問題がなければ引き合わせてくだされ。手続きは追々と致しましょうぞ」
女性関係はしばらく懲り懲りだと思っていたからか、こういう時の候補はアヤメしかいないというのが実情だったりする。突然の側室の話に和葉は怒ったりしないだろうか? いや、そもそもアヤメがうんと言わない可能性もあるか。
単なる降伏を伝える使者が、気が付けば側室を娶る話へと発展する。どうしてこうなったんだ? と思いもするが、それよりもこういうのが後二つもあると思うと気が滅入りそうになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます