最後の罠

 例え大軍で押し寄せるとは言っても、そこに統一された意思はない。人というのは個々に歩幅や足を動かす速度が違う。ましてや途中に笠ノ川という障害がある中で「乱戦に持ち込めば爆発の恐怖から逃れられる」と、我先に前へと進むだけの進軍に秩序はあるだろうか?


 答えは聞かなくとも分かる。


 押し合いへし合い、時には足がもつれて地面へと倒れ込む。誰もがそれに気遣う余裕など無い。倒れ伏した兵は後続に当然のように踏まれていく。


 押しくら饅頭状態が現在進行形で続く長宗我部軍には本来の速度は実現できなかった。


 なら、無慈悲にも水平射撃で撃ち込めばどうなるか? 匠の技によりあら不思議、一瞬にして地獄絵図へと早変わりする。戦場の劇的ビフォーアフターがここに完成した。


 時には連続で、また時には一定のリズムで耳をつんざく爆発音が沸き起こる。黒煙の柱が上がり、バタバタと人が倒れていく。


 さあ、恐れおののけ。逃げ惑え。


「何だあれは? フリッツヘルメットに似た形をしているな。面白いからそこに集中させろ」


 戦というのは不便なもので、俯瞰して状況を把握できない。そうなると視野が狭くなり、先程俺がやらかしたような凡ミスも起こったりする。今度はそうならないよう、馬に乗って少しでも高い目線から中央の長宗我部軍の状況が見れないものかと目を凝らしていると随分と変わった兜を被った一団がいた。


 言葉遣いが良くなかったとは思うが、その隊だけは装備が充実しており別格の存在と言えよう。みすぼらしい胴鎧や木の鎧が主体の長宗我部・本山連合軍の中では妙に目立っていた。間違いなく精鋭兵であろう。これを打ち倒せば更に勝利が近くなる。


「申し上げます。馬路党と木沢隊が敵左翼を壊滅させたとの事。そのまま中央に突撃しても宜しいでしょうか? 次のご指示をお願いします!」


「報告ご苦労。馬路党と木沢隊にはそのまま迂回して、敵の後方から攻撃しろと伝えてくれ。今横合いから攻めるとアイツ等が危険だ。十分に距離を取って『新居猛太』の範囲から外れるように」


 早いな。もう壊滅させたのか。いや敵が逃げ出したと見るべきだ。隣で大量虐殺が起こっていればそうなる気持ちは分かる。後は、中央部を総崩れさせれば勝ちだな。


「国虎様、ここにいましたか。目を離した隙に動き回らないでください。探すこちらも大変なのですから」


「悪いな。心配かけたか。ちょっと今の状況を自分の目で確認したくなってな。次から気を付ける」


 ここまで来れば後一押しで勝ちが決まるのだから少しくらい目を瞑って欲しいと思いながらも、大将がふらふら出歩くのは士気に関わると言いたげな一羽の態度も理解できた。


 勝利の瞬間を見れないのは心残りではあるが、大人しく本陣に戻るか。次の戦までには、戦場を把握しやすいよう簡単な模型でも作るべきかとそんな他愛も無い事を考えながらのんびりと本陣に戻っていたその時、


「国虎様!!」


 突然一羽が大声を上げながら、馬首をこちらに向け体当たりをしてくる。


 予想外の行動に俺は何もできず、あっさりそれを食らい受身も取れずに馬から転げ落ちる。そのまま地面へと叩きつけられた。


「……痛ってぇ、一羽何するんだよ!」


「ご無事でしたか……」


 一羽が優しく安堵の声を呟いたかと思うと、何故か力が抜けたようにずるりと馬から滑り、受身も取らずに地面に頭から落ちる。


「えっ……?」


「国虎様、伏せてください!! 急いで壁を作り国虎様をお守りしろ!!」


「重貞、一体何が?」


 何が起こったかも分からず呆けていると、気が付けば近くにいた兵が一斉に俺の周りを背を向けて取り囲んでいた。


「敵襲です。伏兵に本陣を突かれました。討伐は自分にお任せください」


 そう言うや否や「我に続け!」と大声を上げながら、手にした太刀を振り被り駆け出す。


 向かう先は本陣の場所。今まで全く気にも留めていなかったが、そこではざっと見て二〇から三〇の兵が陣取っていた。勿論味方ではない。その証拠に足元には数名の味方兵が血を流して倒れ伏しており、有沢 重貞の突撃に武器で応じようとしている。


「小川! テメェか!? 一羽に何しやがった!!」


 最悪な事に敵兵の中には見覚えのある顔があった。名は小川 新左衛門。俺に盾突いた元譜代家臣の一人であり、先の粛清時に討ち損ねた者だ。そいつが数名の取り巻きと共に弓を構えてこちらを狙っている。


「知れた事よ!! 儂のこの弓で射抜いたのだ! 折角貴様を狙ったというのに邪魔をしおって。だが次は外さん! 安芸 国虎の首はこの儂小川 新左衛門が取り、長宗我部 国親様に献上してくれん! 覚悟せよ!!」


 土地を奪われ、財産を奪われ、家人を殺された男の末路と言うべきか。ボロボロの甲冑がこれまでの生活の悲惨さを物語る。


 長宗我部 国親の名前が出る辺り、そこにつけ込んだのだろう。家の再興や重臣待遇で召抱えるというような甘い言葉で良いように利用する。連中からすれば失敗しても構わない使い捨ての駒だ。


 ……復讐が果たせるならそんな事は関係無いとでも言いそうだな。


 完全に俺の失策だ。「新居猛太」の音で伏兵の存在に全く気付かなかった。いや、単純に警戒を怠っていたという方が正しい。


 引き絞った弓から矢が一斉に放たれる。咄嗟に地面に倒れ身を低くする。矢の斜線上から外れて、一本は何とか回避した。残りの矢は壁となった兵が俺の代わりに体で受け止めてくれていた。


 今度は大きな雄叫びと悲鳴が巻き起こる。場所は敵のいる本陣。突撃の勢いそのままに、重貞が手近な敵兵を袈裟懸けに斬り捨てていた。続いて我先にと直属の兵達が残りの敵兵に対して次々に槍で突き刺していく。俺に気を取られ過ぎて対応が疎かになればこうなるのは自明だ。勿論これで終わりではない。更に後続の兵達が討ち漏らしに止めを刺していき、


「安芸国虎ぁぁ!! 貴様だけは絶対に……ゆ、るさ……ゴフッ」


 大将の小川 新左衛門も刀と槍で滅多刺しにされ、あっさりと絶命していた。


「国虎様、終わりました」


「……ありがとうな。重貞」


 敵将の首を取ったというのに喜び一つ表さずに重貞が結果だけを報告する。


 俺も俺で一言礼を言うのが精一杯であった。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 地面に二人の男が横たわる。


 一人は俺を守って矢を体で受け止めてくれた兵士。もう一人は、俺の身代わりとなってくれた一羽。


 兵の方は運悪く、矢の一本が眉間へと刺さり即死していた。


 一羽に関しては……


「国虎様、小川の矢には毒が塗ってありました。それも強力なものです。おそらく一羽殿は助からないものかと……」


「そうか……」


 矢を食らった場所が悪かった。せめて腕や足などであれば切り落とせば何とか命は助かったのだが、胸の位置に受けていたのではどうしようもない。


「国虎様……」


「……何だ」


 荒い呼吸を繰り返しながら、か細い声で一羽が俺を呼ぶ。聞きたくはないが別れの言葉だろう。苦痛に歪む顔を見れば、「これ以上はしゃべるな」と言いたいが、いまわの際の一羽の気持ちは無視できなかった。


 膝を付き、そっと手を握る。


「今までありがとうございました」


「助けてもらったのは俺の方だ。一羽が礼を言う必要は無い。俺の方こそこれまで支えてくれてありがとうな」


 必死で作り笑いをする一羽の目には涙が浮かぶ。いや、俺が流す涙にもらい泣きしたというのが正しいだろう。自覚は無かったが、気が付けば頬に伝う感触で自分が泣いているというのが分かった。


「そういう武家らしくない所がずっと好きでした。……ゴホッゴホッ。一つお願いをしたいのですが宜しいでしょうか?」

 

「良いぞ。何でも言ってくれ」


「残される子供と嫁ですが……」


「分かった。安心しろ。きちんと面倒を見る。和葉もずっと大事にするから心配するな」


「和葉の事は心配していません。大事にしてくれると分かっているので」


「他にも俺にできる事があるなら何でも言ってくれ。一羽の頼みだ。何とかするぞ」


 人生をハチャメチャにした俺に礼を言う。残される家族を気にする。こんな良い奴がどうして死ななければならないのか未だに分からない。


 だが、今それを言った所で何かが変わりはしない。ならば、せめて未練を残さずに送ってやるのが今の俺にできる事だと思った。


「ありがとうございます。……ゴホッ、それなら」


「何だ?」


「国虎様のお力で、この土佐から、昔の私や和葉のような飢えに……苦しむ子供を無くしてください」


「……最後の最後で無茶言いやがって……」


 そんな考えは、きっと一羽にはお見通しなのだろう。だからこんな遺言を残す。俺ならできると信じて。残される俺に立ち止まって欲しくないと願って。


 最後の最後まで一羽は俺を気に掛けてくれていた。


「駄目……ですか?」


「良いぞ。何とかする」


「そう言ってくれると思ってました」


「買い被りだ。馬鹿」


「……国虎様、私は今日までずっと楽しかったんですよ。本当に……。ずっと、続くと……思ってたんですけど……ね。まだ、死に……た、くな……い……なぁ」


 全身の震えにも負けず、脂汗を流しながら言葉を紡ぐ。息も絶え絶えになりながらの最期の気持ちを吐露する一羽には、恨み言の一つさえなかった。


 握った手から力が抜けたのを感じる。


「……一羽……今までありがとう」


 そう一言残し、一羽の目を閉じさせた。


 みっともなく鼻水を垂れ流し、滝のように目から涙が溢れ出る。命の軽いこの時代に人の死はつきものだと、頭では分かっていながらいざその現場に直面すると感情が抑えられない。


 今日、俺は本当の意味でのこの時代の洗礼を受けた。


「国虎様、一羽殿との別れは済んだか? それでこれからどうするつもりだ?」


「……道清か……」


 けれどもこれがこの時代の洗礼というなら、この時代らしくきっちり借りを返す必要がある。


「決まっているだろう。長宗我部に引導を渡しに行くんだよ。一羽の敵は俺が討つ!!」


 心配そうに傍らに立つ安岡 道清に対し、クシャクシャの顔で、さも当然のように言い放った。


「はっ、そうでなくっちゃな。よし分かった。俺が国虎様を死んでも守ってやる。派手に暴れようか」


「頼りにしてるぞ。お前等良く聞け! 俺達はこれから長宗我部に突撃を掛ける! 狙うは長宗我部 国親の首一つ! 一羽の弔い合戦をするぞ!!」


 ここまで来れば、もう俺自身が国親の首を取らなければ気が済まない。完全に八つ当たりだと思うが、ただただ長宗我部が憎かった。これで全てにけりをつけようじゃないか。一羽の、いや俺と一羽の望む未来を実現する為の踏み台になってもらう。


「お供します」


 有沢 重貞が馬を引いて俺の横に並んでいた。


 黒岩 越前は何も言わず俺に手拭いを差し出してくる。


「全軍突撃! 俺に続け!!」

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