光源氏計画
「やったな国虎。山田氏も降したか。これで土佐でも種子島が生産できる」
「聞いたぞボウズ。まさかアレをあんな使い方するとはな。使い所が難しいが、嵌れば恐ろしいな」
「安芸様ですね。夫共々これからも宜しくお願い致します」
「…………誰?」
親信が帰って来た。一緒に連れて行ったネジ職人と共に。
それに算長が同行してくるのはまだ分かる。土佐での種子島銃製造に向けての様々な打ち合わせがあるからだ。
特に今回は根来衆が製鉄技術者の派遣までしてくれる運びとなり、施設の建設に併設して炉の設置まで行なうという大掛かりな計画が俺抜きで決まっていた。勿論親信のごり押しである。地金を根来から買って種子島の製造を行なうよりも、今後のために土佐で製鉄から行ないたいらしい。口には出さないがステンレス等の合金製造を視野に入れていると推測される。
俺抜きで話が進められたのは多少ムカつくが、製鉄が先行投資として充分に意義があるのは間違いない。現行のたたら炉の改良型である角炉を大型化させて設置を行う予定だ。もし、「高炉を作る」とか馬鹿な事を言い出していたら殴り飛ばすつもりであったが、その辺は弁えているようだ。
角炉なら既存のたたら炉の技術をそのまま転用可能となる。多少勝手は違うと思うが、根来の職人にも使いこなせるだろうし、職人見習いへのスムーズな技術移転も見込める。高炉を導入すれば、まず炉を操作する技術者がいないという本末転倒な事が起こっていた筈だ。
懸念となる鋼の生産量も角炉なら問題無い。角炉はたたら炉のように炉を壊す必要がないため連続操業が可能という利点がある。たったそれだけの事だが、これが大きく生産量に関係する。炉を作るというのはそれだけ大変な作業だ。また、燃料の木炭もここ土佐なら供給に何ら不安はない。その上で製造コストが下がるのだから良い所ばかりである。
巨大戦艦や蒸気機関車でも作ろうとしない限りは俺達にはこの角炉で充分だろう。
まあこの話は良い。施設の建設は一朝一夕に片付く訳ではないから、皆で知恵を出し合いより良い兵器生産施設にするつもりである。
さて問題はここからだ。この幼女は一体何者だろう。年齢的には一〇歳に届くかどうかのような幼さだが、今さっき夫がどうこうという言葉が混じっていたような気がする。派手な色使いの女袴で活動的な印象を受けるが、良く見れば素材がその辺の安物とは違っている。俺のような一般庶民 (国虎の普段着は小袖)とは違い裕福な家の娘だろう。その正体を知りたい。
「……あっー国虎、実はな、この娘は俺の嫁だ。紀伊の
「
何となくバツの悪そうな態度で親信が紹介すると、早瀬と名乗った少女が折り目正しく頭を下げる。
「ん? ……ペド?」
「言うと思ったよ」
「親信様、今の『ぺど』と言うのは何なのでしょうか?」
「『少女性愛』……とでも言えば良いのか」
「分かりました。親信様が『ぺど』だから私を見初めてくださったのですね」
「……違うけど、面倒だからそれで良いや」
聞けば政略結婚であった。安芸家との繋がりを求めて土橋 守重殿が親信との婚姻を決めたそうだ。紀伊の土橋氏と言えば雑賀衆の代表的な家である上に根来寺との関係も深く、泉識坊 (根来寺内の寺の一つ)に人を送り込んでいる。それなのに土橋家自体は雑賀衆に多い一向門徒 (本願寺:浄土真宗)ではなく浄土宗 (浄土真宗とは別宗派)というよく分からない事をしているが (根来寺は新義真言宗)、それはともかく根来寺と雑賀衆を結び付ける重要な役割を果たしている家だと言って良い。
そういった家だからこそ、商売上関わりの深い安芸家に縁を求めるのはある意味当然の流れと言えよう。個人的には年齢的な釣り合いを考えた娘を土橋家の一族から出すのでも良かったとは思うが、血縁である妹を出す所に本気さを感じさせる。
「政略結婚なのは分かるが、ちょっと露骨過ぎないか。この年齢で親元を離れるには酷な気がする。無理に今すぐの婚姻でなくても五年くらい待っても良かったんじゃないか?」
親信が今一八歳だから五年経ってもまだ二三歳だ。相手が八歳という事を考えれば、それでも早過ぎるくらいである。
「俺も国虎の言う通りだと思うんだがな……押しきられた」
「兄にも強引な所があったと思いますが、それも私の幸せを願えばこそです。ここで機会を逃すと次はもう訪れない……と言っておりました」
こういう時、この時代の人々は覚悟が違うと痛感する。目に迷いがなかった。知らない土地、知らない人、知らない習慣……と不安要素を挙げればキリがない。それなのに当人もよく了解したと思う。武家の娘の運命とは言え、何が彼女をそうさせたのか……ん? もしかして?
「一つ聞くが、紀伊で親信が何かやらかしたのか?」
「いやあ、余った耐火レンガでロケットストーブを作ったら皆が目の色を変えてな。ほんの出来心だ」
「何を言っているか分からん。ロケットストーブで役に立つと言ったら、使う薪の量が減るくらいじゃないのか? その分、薪の補充を頻繁にしないといけないから思ったよりも不便な筈だが……。中途半端な性能だぞ」
ロケットストーブというのは発展途上国で使用する事を目的とした……とその辺は置いておいて、「ストーブ」と言いながら「コンロ」としても使用できる。また、ロケットストーブ製作には熱効率を高めるために断熱素材が必要となるが、これが耐火レンガで代用可能であった。特徴は煙やすすの排出が少なくなる事、それと併せて使用する薪の量が減る事だ。直接比較した訳ではないが通常の囲炉裏や
つまり、ロケットストーブの構造を理解すれば、耐火レンガを組み合わせただけでこれまでより使用する薪を少なくする竈が作れる訳だ。状況に合わせて大きさや形も変更できるのが利点と言える。慣れれば火力調節も可能ではあるが……大きな薪は使用できないので、こまめに薪を補充しなければいけないという弱点があった。この辺りが意外に面倒臭い。
個人的には一長一短の代物だと思っている。ただ、大鍋で調理するには都合の良い暖房器具 (?)なので、専ら常備軍所属の者への食事を作る際にコンロとして活躍している。とても経済的な暖房器具だ。
「津田様、このお二人はもしかして……」
「ああっ、この二人はこういう奴等なんだよ。一切偉ぶる所がないから面白いだろ」
この後、薪の使用量が大幅に減る意味を分かっていないと、俺と親信の二人は早瀬殿に思いっ切り叱られた。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
それにしても磁器やソーダ石灰ガラス製造、製鉄を見据えて作った耐火レンガがこういう形でドル箱商品になるとは思わなかった。いや、まだ津田家と土橋家からの注文のみなのでこれで打ち止めになるかもしれないが……。
大事な耐火レンガをこういう用途に使用したのは、思った以上にあっさり完成したという背景がある。備前のろう石が高性能過ぎた。俺としては耐火レンガ製作にはかなりの時間が必要だと思っていたのだが、現実にはろう石を混入したレンガを作るだけで耐火レンガになってしまうお手軽仕様だった。懸念したレンガを鍛える作業が不必要という肩透かしを食らう。後は品質を高めるために、レンガ一個当たりに混入するろう石の分量の調査と満遍なくろう石を混ぜ合わせるコツを掴めば商品化できるという話で、飲んでいた麦茶を盛大に吹いたのを覚えている。
もし、耐火レンガ製作を安芸領で行なっていたならここで止まっていたと思う。しかし運が良いのか悪いのか、当時の俺は「面倒だから外部委託してしまえ」と耐火レンガの開発は馬路家の北にある
なお、俺は最低限の組み方しか知らないので大型化は親信が担当した。ロケットストーブは発展途上国用に開発された物だけに、構造自体は簡単である。それが幸いして、大型化や状況に合わせてのカスタマイズに苦労はなかった。
そんな二人だったからこそ、本来の目的以外で耐火レンガを売る発想そのものがなかったと言える。ロケットストーブ組み上げは遊びの範疇だ。親信が紀伊国で作ったのも余り物の再利用程度の気持ちだろう。それが自身の婚姻にまで発展するとは夢にも思わなかったのではないだろうか。
「親信、これは……観念するしかないな」
「凄く良い娘ではあるんだけどな。年齢だけはどうしようもない」
「政略結婚はそういうものだ。俺には和葉がいて良かったよ」
自分を棚に上げて無責任に発言できる素晴らしさよ。
と冗談はさて置き、親信も俺と同じく現代の美的価値観を引き摺っているのが影響して、この時代での婚姻には後ろ向きであった。性格的に趣味を優先させる所があるのでそれも関係しているとは思われる。そんな親信がここまでの発言をするのはある意味珍しい。まだ小学生の年齢の女の子とは言え、慕ってくれるのは素直に嬉しいのだろう。こういう機会でもなければずっと独身であったかもしれない。
「連れて帰ってきたのだから嫌っている訳ではないんだろ? どうする? 和葉が戻ってきたら、合同で式をするか?」
「いや、それよりも先に読み書きと四則計算ができるようになってもらわないと。それと算盤もか。今は婚約だけにしておくよ」
「あ、あの……親信様、読み書きは分かりますが、計算もですか……」
「そうか、早瀬には言ってなかったな。安芸家の家臣は俸禄だから計算ができないと家が回せなくなる。安田家も領地を持っていない。頑張ってくれよ」
「……はい」
親信の話を聞いて改めて気付かされる。その通りだ。確かに計算ができないと家が回せない。この一点でも和葉との結婚に決めて良かったと言えるだろう。一羽と和葉は俺と一緒に勉学に励んでいたので単純な四則計算ができる上、分数も卒なくこなす。これがこの時代では当たり前ではなかった。波多野三兄弟で有名な
算盤は俺と出会う前から親信が既に作っていた。算盤自体はこの時代にはもう日本に伝来しているが、現代で知っている形とは違うのでそれを改良した事になる。親信は設計が本職だからか完璧に使いこなしていたが、俺も習得には苦労したのを覚えている。奈半利に来てすぐ俺、一羽、和葉を含めた数名で悪戦苦闘しながら算盤を弾いていたのは懐かしい思い出だ。
「思うにこれは一種の『光源氏計画』だな。親信の好みの女性になるよう教育する。良かったじゃないか、男のロマンだぞ」
「……どうして読み書き算盤を習わすのが『光源氏計画』になるのか分からないが、間違ってはないか。それにここにいれば、米ばかり食べる事は少なくなるだろうからデブになる事もないだろうしな」
「はい。土橋家の今後のためにも精一杯頑張ります」
耐火レンガから始まった親信の結婚騒動。この時代は政略結婚が当たり前とは言え、これならきっとお互いが不幸になるような事はないだろう。本当に良かった。ただ……この二人を見てると和葉は今どうしているだろうとついつい考えてしまう。
「ボウズ達の話も終わったようだし、今度はこっちだな。種子島の量産に目処は付いたは良いが、消耗品……特に硝石だ。今後は種子島に使うから今までのようには売れなくなったぞ。値上げと思ってくれ。それと弾に使う鉛も確保が年々難しくなってきている。その二つの契約をこれから話し合わないといけない」
「そう言えば硝石の問題があったか。一羽、硝石作りの報告は上がっているか?」
「はい。数年前から増産していますので御安心ください」
「そうそう。これで火薬の問題も解決……えっ? 増産? 初めて聞いたぞ」
元々俺が仕込んでいたとは言え、算長にとっての重大な案件が一瞬で解決してしまう。その時の算長の顔は完全に呆けていた。
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